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クロロキン薬害事件 東京地裁昭和57年2月1日判決
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【判例ID】   27423811
損害賠償請求事件
東京高裁 昭和五〇年(ワ)第一〇七九七号、五一年(ワ)第九一二四号、五二年(ワ)第九三五九号、五三年(ワ)第二八七七号、五三年(ワ)第一一七八七号
昭和五七年二月一日判決
原告 X1 ほか二七六名
被告 国 ほか二〇名
代理人 楠本安雄 鎌田寛 鎌田泰輝 藤村啓 岡部貞美 河澄安 ほか七名
〔当事者の表示〕〈略〉
〔前主〕
〔主文〕
別表第一〈略〉
別表第二〈略〉
〔事実〕〈略〉
第一節 当事者双方の求めた裁判〈略〉
第一 請求の趣旨〈略〉
第二 請求の趣旨に対する被告らの答弁〈略〉
(別紙)原告請求金額一覧表〈略〉
第二節 請求の要因〈略〉
第一 クロロキン・同製剤とクロロキン眼障害〈略〉
一 クロロキン・クロロキン製剤〈略〉
二 リン酸クロロキンの国民医薬品集、日本薬局方収載〈略〉
三 我国におけるクロロキン製剤の輸入、製造、販売と厚生大臣の承認、許可等〈略〉
四 クロロキンの副作用と眼障害〈略〉
五 クロロキン製剤に対する規制措置〈略〉
第二 原告ら患者のクロロキン製剤の服用とク網膜症の罹患〈略〉
第三 クロロキン眼障害の知見の確立〈略〉
一 アメリカにおけるクロロキン製剤の適応性の拡大とクロロキン眼障害の発生〈略〉
二 外国医学論文〈略〉
三 国際的薬理書〈略〉
四 我国の医学論文等〈略〉
第四 クロロキン眼障害についてのアメリカの動向〈略〉
一 FDAの動向とスターリング社の対応〈略〉
二 スターリング社に対する訴訟〈略〉
第五 被告らの責任〈略〉
一 クロロキン製剤の医薬品としての不必要性〈略〉
二 我国におけるクロロキン薬剤の本格的使用と被害の発生〈略〉
三 クロロキン薬害に対する被告製薬会社の対応〈略〉
四 被告製薬会社の責任〈略〉
五 被告国の責任(医療機関設置者としての被告国は除く)〈略〉
六 被告医師、医療機関経営者の責任〈略〉
七 被告らの責任相互の関係〈略〉
第六 損害〈略〉
一 逸失利益〈略〉
二 介護費〈略〉
三 慰謝料〈略〉
四 弁護士費用〈略〉
五 遅延損害金の起算日〈略〉
(別紙)原告ら被害一覧表〈略〉
(別紙)外国医学論文一覧〈略〉
(別紙)日本語医学論文等一覧表〈略〉
(別紙)損害賠償総論〈略〉
第三節 請求の原因に対する答弁及び被告らの主張〈略〉
第一 被告製薬会社〈略〉
一 請求の原因に対する答弁〈略〉
二 被告Y1の主張〈略〉
三 被告Y2の主張〈略〉
四 被告Y3及び同Y6の主張〈略〉
五 被告Y4の主張〈略〉
六 被告Y5の主張〈略〉
第二 被告国(医療機関設置者としての被告国も含む)〈略〉
一 請求の原因に対する答弁〈略〉
二 被告国の主張〈略〉
第三 被告医師、医療機関経営者〈略〉
一 請求の原因に対する答弁〈略〉
二 被告高知市の主張〈略〉
三 被告珠洲市の主張〈略〉
四 被告Y7の主張〈略〉
五 被告私学校共済の主張〈略〉
六 被告朝倉の主張〈略〉
七 被告武内の主張〈略〉
八 被告田中の主張〈略〉
九 被告三屋及び同岩森の主張〈略〉
一〇 被告谷藤の主張〈略〉
一一 被告佐藤の主張〈略〉
一二 被告日赤の主張〈略〉
一三 被告松谷の主張〈略〉
一四 被告国際親善の主張〈略〉
(別紙)被告ら認否一覧表〈略〉
(別紙)原告らの損害賠償論に対する被告Y4の反論〈略〉
(別紙)厚生省が使用上の注意事項を通知した医薬品一覧表〈略〉
第四節 抗弁及びこれに対する答弁〈略〉
第一 被告製薬会社、同国及び同佐藤の消滅時効の抗弁〈略〉
第二 被告Y1及び同Y2の消滅時効の抗弁〈略〉
第三 抗弁に対する原告らの答弁〈略〉
第五節 証拠関係〈略〉
第一 証拠の提出、援用及び認否〈略〉
第二 医学文献と書証の関係〈略〉
〔理由―その一〕
第一節 クロロキン製剤とその副作用としての眼障害
第一 クロロキン製剤
一 クロロキンとクロロキン製剤
二 我国におけるクロロキン製剤発売の経緯
第二 クロロキンの薬理作用(吸収と排せつ)
一 文献
二 考察
第三 クロロキンによる眼障害
第四 クロロキン網膜症
一 症状
二 発揮率
三 服用量、服用期間と発症との関係及び服用後発症までの期間
四 早期発見法
五 ク角膜症との関係
六 病理及び発症機序
七 予後
八 治療法
第二節 原告ら患者のク網膜症罹患
第一 ク網膜症と類似疾患との鑑別
一 はじめに
二 網膜色素変性症
三 ブルズ・アイを呈する他疾患
四 高血圧に関係する網膜症
第二 ク網膜症の認定基準
一 ク網膜症の診断基準と診断方法
二 ク網膜症罹患の認定とその資料
第三 原告らの患者のク網膜症罹患の有無に関する当裁判所の認定
第三節 クロロキン製剤による眼障害の医学的知見
第一 外国における医学的知見
第二 我国における医学的知見
第四節 クロロキン製剤の有効性と有用性
第一 我国におけるクロロキン製剤の再評
一 医薬品再評価の実施の経緯と再評価の方法及び判定基準
二 クロロキン製剤の再評価結果
第二 外国におけるクロロキン製剤の評価
一 アメリカ及びイギリスにおける実情
二 エリテマトーデス及び関節リウマチに対する有用性の国際的承認
第三 腎炎及びてんかんに対する有効性と有用性
一 腎炎に対する有効性と有用性
二 てんかんに対する有効性と有用性
〔理由―その二〕
第五節 被告製薬会社の責任
第一 薬局方収載医薬品の安全性に対する公的保証の有無並びにその適応性の範囲
一 薬局方収載医薬品の安全性に対する公的保証の有無
二 薬局方収載医薬品の適応性の範囲
三 レゾヒン及びキニリンの薬効の誇大表示
第二 医薬品の危険性
一 化学合成物質の医薬品としての特質
二 医薬品の危険性についての留意事項
第三 被告製薬会社の注意義務
一 総説
二 製造販売開始までの間の注意義務
三 製造販売開始後における注意義務
四 輸入業者及び販売元業者の注意義務
第四 被告製薬会社のク網膜症の予見
一 動物実験によるク網膜症の予見可能性
二 外国文献によるク網膜症の予見可能性
三 被告製薬会社がク網膜症を予見した時期
第五 クロロキン製剤による眼障害に対する被告製薬会社の処置並びに同製剤に対する公的規制措置
一 公的規制措置
二 能書等の添付文書に眼障害,特にク網膜症の警告の記載の有無
三 被告製薬会社らの「クロロキン含有製剤についてのご連絡」と題する文書の配布
第六 被告製薬会社の前記各処置に対する評価とその注意義務違反の具体的内容
一 ク網膜症の発生に対する被告製薬会社の寄与
二 結果回避のため講ずべきであつた措置(その一)
三 結果回避のため講ずべきであつた措置(その二)
四 被告製薬会社の副作用についての警告・指示義務違反
第七 故意・過失
一 企業活動による加害行為と法人自体の故意過失
二 製薬業者等に要求される医薬品の安全性確保義務の履行責任者
三 故意責任の有無
四 過失責任の有無
第八 被告製薬会社の責任相互の関係
一 製造(輸入)業者の責任と総販売元業者の責任
二 複数の製剤服用による罹患と関係被告製薬会社の責任
第六節 被告国の責任(医療機関設置者としての責任を除く。)
第一 薬事法の目的及び性格並びに反射的利益論の当否
一 薬事法の目的及び性格
二 薬事法に基づく医薬品の適正な規制によつて個々の国民の受ける利益と国家賠償法による保護
第二 医薬品の安全性確保に関する厚生大臣の権限と責務
一 総説
二 安全性確保のための調査義務と調査権
三 事後的に副作用が判明した場合の有用性の見直し等の権限
四 厚生大臣の権限不行使と職務上の義務違反
第三 厚生大臣の具体的な義務違反の有無
一 はじめに
二 医薬品の安全性に関する厚生省の対応と動向
三 クロロキン製剤の安全性に関する厚生省の対応
四 クロロキン製剤についての厚生大臣の規制権限不行使の適否
第四 厚生大臣の故意・過失
一 故意責任の有無
二 過失責任の有無
第五 被告国の損害賠償責任
一 被告国が賠償責任を負う被害者の範囲
二 被告国の責任と被告製薬会社の責任
第七節 被告医師及び同医療機関経営者の責任
第一 医師の注意義務
一 投薬又は処方上の一般的注意義務
二 医師のク網膜症の予見可能性
三 医師の過失の介在による被告製薬会社及び同国の責任の消長
第二 被告医師らの具体的な注意義務違反の有無
一 被告高知市関係
二 被告珠洲市関係
三 被告Y7関係
四 被告私学共済関係
五 被告朝倉関係
六 被告武内関係
七 被告田中関係
八 被告三屋関係
九 被告岩森関係
一〇 被告谷藤関係
一一 被告佐藤関係
一二 被告日赤関係
一三 被告松谷関係
一四 被告★★親善関係
一五 被告国関係
第三 被告医師及び同医療機関経営者の責任と被告製薬会社及び同国の責任との関係
第八節 損害
第一 総説
一 被害の特質
二 原告らの制裁的慰謝料論について
三 原告らのいわゆるインフレ算入論について
第二 損害額の算定方法とその具体的適用
一 損害評価の基準日
二 逸失利益
三 介護料
四 慰謝料
五 中間利息の控除
六 弁護士費用
七 遅延損害金の起算日
八 社会保険給付の受給事実を損害額の算定上考慮することの要否
(別紙一)平均給与表
(別紙二)介護費基準額表
第九節 消滅時効の抗弁に対する判断
第一 被告製薬会社、同国及び同佐藤の主張(事実摘示第四節第一)について
第二 被告Y1及び同Y2の主張(事実摘示第四節第二)について
第一〇節 むすび
〔理由―その三〕〈略〉
個別損害認定一覧表の記載要領〈略〉
個別損害認定一覧表(世帯番号1〜44)〈略〉
〔理由―その四〕〈略〉
個別損害認定一覧表(世帯番号45〜88)〈略〉
〔当事者の表示〕〈略〉
〔前注〕本判決においては、国及び地方公共団体以外の被告には次の略称を用いる。
被告の表示         略称
Y1製薬株式会社      Y1
Y2薬品工業株式会社    Y2
Y4薬品工業株式会社    Y4
Y3化学工業株式会社    Y3
Y6産業株式会社      Y6
Y5薬化工株式会社     Y5
医療法人Y7       Y7
私立学校教職員共済組合   私学共済
★★中央病院 こと 朝倉★ 朝倉
武内医院 こと 武内★   武内
田中病院 こと 田中★   田中
三屋医院 こと 三屋★   三屋
和光医院 こと 岩森★   岩森
谷藤医院 こと 谷藤★   谷藤
佐藤医院 こと 佐藤★   佐藤
日本赤十字社        日赤
松谷医院 こと 松谷★   松谷
社会福祉法人★★親善病院  ★★親善

       主   文

一 別表第一の各項に掲げる各原告に対し、同項「対応被告」欄記載の被告らは、各自、同項「認容金額」欄記載の金員並びにこれに対する同項「内金額」欄記載の金額については同項「遅延損害金起算日」欄記載の日から、残金については本判決確定の日の翌日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。 
二 別表第一の各項に掲げる各原告の同項「対応被告」欄記載の各被告に対するその余の請求を棄却する。
三 別表第二の各項に掲げる各原告の同項「対応被告」欄記載の各被告に対する請求を棄却する。
四 訴訟費用中、別表第一の各項に掲げる各原告と同項「対応被告」欄記載の被告らとの間に生じた分は、これを二分してその一を当該原告の負担、その余を当該被告らの負担とし、別表第二の各項に掲げる各原告と同項「対応被告」欄記載の各被告との間に生じた分は当該原告の負担とする。
五 この判決中原告ら勝訴の部分は、元金及び遅延損害金とも認容額の三分の一を限度として仮に執行することができる。
  別表第一(一部認容する請求の当事者並びに認容金額一覧表)
〈略〉
別表第二(認容ないし請求の当事者一覧表)〈略〉

事実〈略〉


       理   由

第一節 クロロキン製剤とその副作用としての眼障害
一 クロロキンとクロロキン製剤
クロロキンは、一九三四(昭和六)年ごろ、ドイツのバイエル・イー・ゲー染料工業株式会社医薬品部エルバーフエルト研究所のアンデルザーグらによつて合成に成功した化学物質で、原告ら主張の化学構造式をもつ七クロル四アミノキノリン誘導体の一種であり、第二次世界大戦中にアメリカにおいて抗マラリア剤として再発見され、アメリカ、西ドイツで医薬品として開発されたものであること、クロロキンの塩基部に、リン酸、コンドロイチン硫酸、オロチン酸等のいずれか一つを結合させた化合物として、リン酸クロロキン、コンドロイチン硫酸クロロキン、オロチン酸クロロキン等があり、これら化合物を含有する製剤、すなわちクロロキン製剤が医薬品として使用されてきたこと、クロロキン製剤は、第二次世界大戦後西ドイツ及びアメリカにおいて抗マラリア剤以外にエリテマトーデス、慢性関節リウマチ等の慢性疾患治療薬としても使用され(西ドイツでは、ドイツ・バイエル社がリン酸クロロキン、商品名レゾヒンを一九四九年に抗マラリア剤として発売し、一九五五年エリテマトーデスがその適応症に加えられ、またアメリカでは、スターリング社がリン酸クロロキン、商品名アラーレンにつき、一九四六年八月一五日抗マラリア剤としてFDAの承認を得た後、一九五七年一〇月二日リウマチ様関節炎、エリテマトーデスの治療薬としてFDAの承認を得た。)、我国では、更に右各適応症のみならず、腎炎、てんかんにも効能がある医薬品として使用されていたこと、以上の事実は原告らと被告製薬会社及び同国との間において争いがない。
二 我国におけるクロロキン製造発売の経緯
1 厚生大臣は、昭和三〇年三月一五日燐酸クロロキン及び燐酸クロロキン錠を第二改正国民医薬品集(旧法二条八号、九号)に収載して公布した(同法三〇条一項)。
  そして、厚生大臣は、昭和三六年四月一日リン酸クロロキン及びリン酸クロロキン錠を第七改正日本薬局方に収載し、更に昭和四六年四月一日これを第八改正日本薬局方に収載し、いずれも公示したが(現行法四〇条)、その後昭和五一年四月一日公示の第九改正日本薬局方には収載しなかつたものである。
2 被告Y1は、
(一)昭和三〇年五月厚生大臣に対し国民医薬品集収載医薬品燐酸クロロキン錠(レゾヒン1、一錠中リン酸クロロキン二五〇mg含有)を医薬品輸入販売業登録品目に追加する(登録の変更)申請をし、同年六月二日厚生大臣のその旨の登録を受け(旧法二六条一項、二八条)、
(二)昭和三四年九月厚生大臣に対しエレストール(一錠中リン酸クロロキン四〇mg、アセチルサルチル酸二〇〇mg、プロドニゾロン〇・〇七五mg含有)の製造許可申請をし、同年一一月九日厚生大臣からその許可を得(旧法二六条三項)、
(三)更に、昭和三四年一二月厚生大臣に対し国民医薬品集収載医薬品燐酸クロロキン錠(レゾヒン2、一錠中リン酸クロロキン一〇〇mg含有)を医薬品製造業登録品目に追加する(登録の変更)申請をし、昭和三五年一一月二五日厚生大臣のその旨の登録を受けた(旧法二六条一項。)
3 被告Y3は、厚生大臣に対し国民医薬品集収載医薬品燐酸クロロキン錠(キニロン、一錠中リン酸クロロキン一二五mgを含有)を医薬品製造業登録品目に追加する(登録の変更)申請をし、昭和三六年二月六日厚生大臣のその旨の登録を受けた(旧法二六条一項)

4 被告Y4は、
(一)昭和三五年九月一〇日厚生大臣に対し、急性・慢性腎炎、ネフローゼ、ネフローゼ症候群、リウマチ性関節炎を各効能とするキドラ(一錠中オロチン酸クロロキン一〇〇mg含有)の製造許可申請をし、同年一二月一六日厚生大臣から慢性腎炎のみを効能とするその製造の許可を得(旧法二六条三項)、
(二)その後厚生大臣に対し、昭和三六年五月一五日妊娠腎、リウマチ性関節炎、昭和三八年八月一〇日気管支喘息、エリテマトーデス等、昭和三九年四月二四日てんかんの各効能追加申請をし、厚生大臣から昭和三六年一一月六日、昭和三八年一二月一三日及び昭和三九年一一月一三日にそれぞれ各申請にかかる右効能追加の承認を得た(現行法一四条二項、同法附則五条)。
5 被告Y5は、
(一)昭和三六年一二月九日厚生大臣に対し腎炎、ネフローゼを効能としてCQC(一錠中コンドロイチン硫酸クロロキン一〇〇mg含有)の製造承認の申請をし、昭和三七年三月三一日厚生大臣の承認を得(現行法一四条一項)、
(二)その後昭和三七年九月一三日厚生大臣に対し関節ロイマチスの効能追加申請をし、同年一二月一三日厚生大臣の承認を得た(現行法一四条二項)。
6 リン酸クロロキン、オロチン酸クロロキン及びコンドロイチン硫酸クロロキンの各化学構造式、分子量、クロロキン含有量は、原告ら主張のとおりである。
  (以上1から6までの事実は、原告らと被告製薬会社及び同国との間で争いがない。)

7 かくして、
(一)被告Y1は、昭和三〇年九月以降レゾヒン1をドイツ・バイエル社から輸入し、昭和三五年一月以降ドイツ・バイエル社から輸入したリン酸クロロキンの原末を使用してエレストールの製造を、また同年一二月以降同様のリン酸クロロキン原末を使用してレゾヒン2の製造をそれぞれ開始し、これら製剤をいずれもすべて被告Y2に売渡し、被告Y2が右各日時以降国内においてこれらを一手に販売してきた。
  レゾヒン1の適応症は、発売当時はマラリアと急性・慢性エリテマトーデス(後に亜急性・慢性エリテマトーデスに変更)とされていたが、昭和三三年八月慢性関節リウマチ、腎炎等が昭和三六年四月にはてんかんがその適応症に加えられ、エレストールは、リウマチ熱(急性関節リウマチ)、リウマチ様関節炎が適応症とされていた。またレゾヒン2の適応症は、マラリア、亜急性・慢性エリトマトーデス、慢性関節リウマチ、腎炎等であつたが、その後てんかんも適応症に加えられた。
(二)被告Y3は、昭和三六年一二月キニロンの製造を開始し、これをすべて被告Y6に売渡し、被告Y6がこれを一手に国内で販売してきたが、キニロンの適応症は、急性、慢性リウマチ様関節炎、亜急性・慢性エリテトマトーデス、腎炎等とされていた。
(三)被告Y4は、昭和三六年一月からその製造にかかるキドラを前記4の各疾患を適応症とする医薬品として販売してきたし、被告Y5は、昭和三八年三月からその製造にかかるCQCを前記5の各疾患を適応症とする医薬品として販売してきたものである。
(右の各事実は、原告らと被告製薬会社との間で争うがない。)
第二 クロロキンの薬理作用(吸収と排せつ)
一 文献
1 レープら(一九四六年、外国文献66)
  クロロキンの薬理作用につき、各種の実験動物及びヒトでの広範な実験によつて種々の研究機関が研究した結果の概略の報告で、クロロキンの吸収と排せつ等について次のとおり報告している。
  クロロキンは、胃腸管から完全に、あるいはほとんど完全に吸収される。吸収の速度はキナクリンより幾らか速く、排せつは緩徐であるがキナクリンよりわずかに速い。
  相当な量のクロロキンが器管や組織に沈着し、その量は薬剤の服用量に比例する。クロロキンは有核の細胞、特に肝臓、脾臓、腎臓、肺臓の細胞に集中し、これらの器管では血漿中での濃度の二〇〇ないし五〇〇倍の濃度で含有されている。また、白血球中にも相当な割合で集中する。
  クロロキンはキナクリンと同様体内で代謝されるが、投与薬剤のごく一部しか排出物中では発見されない。
  クロロキンは諸器管に局在することが明らかで、その排せつと減成の率は緩徐であるから、投与が中止された時の体内からの消失も緩やかである。
2 ルービンら(一九六三年、外国文献30)
  著者らは、二年半から八年にわたつてクロロキンを投与された八人の網膜症患者について研究を行い、最後の薬剤摂取から五年を経た患者の血液や尿中に少量のクロロキンが検出されたことを報告し、このことはクロロキンが以前に知られていた程度以上に高度に組織中に残存することを示していると述べている。
  また、クロロキンは組織への結合度が大きく、投与中止後の身体からの消退が緩慢であり、ある患者については最後のクロロキン摂取から四か月を経た時にも、一日一〇mgのクロロキンとその代謝物が尿から排せつされていたと報告している。
  またクロロキンの投与量とその吸収は直線的関係を示さず、投与量が増加すると、組織での沈着は急激に増加するとして、シユミツトらの報告(ラツトに投与するクロロキンの量を約三倍にすると、肝臓と脾臓でのクロロキンの沈着は二〇倍以上になる旨の報告)を引用している。
3 ベルンシユタインら(一九六三年、外国文献35)
  著者らは、ラビツトとラツトを用いた動物実験の結果、クロロキンが有色動物の目の虹彩と脈絡膜に極めて高濃度に、かつ長期にわたつて蓄積される旨報告している。
  すなわち、有色ラビツトにクロロキンを一日体重一kg当たり五mgの割合で筋注し(これはリン酸クロロキンのヒトに対する一日の平均経口投与量である二五〇mgないし五〇〇mgに相当するという。)、その六三日後、もはや他の体組織中にはクロロキンが検出されなくなつた時でも、虹彩や脈絡膜にはクロロキンが高濃度に存在していたし、有色ラツトに対しクロロキンを飲み水に入れて少なくとも六か月間投与した後の虹彩におけるクロロキンの濃度は、肝臓のそれの八〇倍以上であつた等の実験結果を報告し、白色種においてはそのような結果がみられなかつたことから、クロロキンがメラニン色素と強い親和性を有し、これと結合することによつてメラニン含有組織に特に高濃度で蓄積するのではないかと推定している。
4 ウエツターホルムら(一九六四年、外国文献40)
  著者らは、自験した網膜症患者がたまたま死亡した後その両眼を摘出して検査した結果、網膜に広く分布する蛍光を発する沈着物を認め、網膜中のクロロキンの存在を推定し、また網膜均等質中のクロロキン蛍光定量分析を行つて右の推定にそう結果を得た旨報告している。
5 小森谷武美ら(昭和四八年、日本文献105)
  クロロキンの副作用とクロロキンをマラリア予防薬として使用する際の注意事項とについて総括的に述べたものであるが、著者らは、クロロキンの吸収、分布及び排せつについて、クロロキンは服用後速やかに吸収され、三〇分後には作用を現すこと、ヒトに対して一定量のクロロキンを朝、昼、夕と約四ないし五時間ごとに三回に分服させた場合の一日当たりのクロロキンの排せつ量は、尿中三六・九%、糞便中五・九%、計四二・八%であり、服用量の過半量は組織内滲透により体内にとどまり、蓄積作用が大なることを示していること等を述べている。
6 山岸直夫・永田誠(昭和五六年、甲あ第八四号証の三八)
  著者らは、臨床的にク網膜症が疑われた患者(世帯番号84の患者亡X7である―甲あ第八四号証の三九)の死後、遺族から右眼の眼球の提供を受け、ホルマリン液中に保存された眼球について、眼内各組織のクロロキン量を測定し、また組織の蛍光顕微鏡観察を行つた結果について報告している。
  すなわち、クロロキンの組織濃度は虹彩が最も高く、脈絡膜(ただし、網膜色素上皮を含む、以下同じ。)、毛様体がこれに次ぐが、これは外国文献35(前記3の文献)の動物実験の結果と同じであり、眼内クロロキンは最も高い濃度で虹彩に存在すること及び眼内の色素の最も多く分布する部分にクロロキンが多く存在することが分かつたとし、更に、眼球半分に含まれるクロロキンの総量は脈絡膜四六・三μg、虹彩一九・三μg、毛様体一八・七μg、網膜四・〇μgであり、保存中に一度も交換しなかつたホルマリン液中にも三〇・四μgが測定されたとし、次にクロロキンの眼色素への吸着についての従来の報告をひいた後、このようにクロロキンが眼色素特にメラニン顆粒に吸着されそのうえ解離遊出されにくいために、換言すれば、クロロキンの生物学的半減期が長いために、長期にわたる大量の服用によつて眼内組織内で高い濃度で存在するようになり、網膜症の発症しやすい状態になると考えられる、と述べている。
  組織の蛍光顕微鏡観察の結果については、網膜外属及び網膜色素上皮に強い蛍光を認めたとし、網膜色素上皮に見られる蛍光は正常眼においても認められるものでリポフシン(網膜の脂褐色色素)であると考えられるが、網膜内の蛍光は正常眼では認められないものであり、これは網膜色素上皮から網膜外層に移動した色素に一致して認められたと報告している(なお、著者らは、クロロキンの局在性を蛍光顕微鏡のもとに観察することはリポフシンの強い蛍光性のため今のところ困難であるとし、外国文献40(前記4の文献)に言及して、右文献は網膜中の点状の蛍光をクロロキンの沈着であるとしているが、これは今回の観察結果より明らかなように網膜中に移動したリポフシンによる蛍光であろうと述べている。)。
  その他、著者らは、人眼八例について摘出直後にクロロキン測定を行つたローウイルらの報告(一九六八年)、ク網膜症患者のホルマリン固定後の眼球を含む全身組織のクロロキン量を測定した山田栄一らの報告(昭和五三年)にも言及し、また、今回の眼内クロロキンの定量結果及び臨床所見から本症例はク網膜症であることが確認されたと述べている。
7 マクチユニイら(一九六七年、乙B第一五四号証)
  著者らは、毎日三一〇mgのクロロキンを一四日間ヒト(八名)に経口投与してその中止後の代謝の結果を測定し、投与中止後九一日目までに尿中に平均約五六%が排せつされたが、尿中からこれ以上の量の回収はないようであるとし、これに糞便中の推定排せつ量約一〇%を加えると服用量の約三分の二は排せつされたであろうこと、残余の部分についても測定不可能な形で排せつされている可能性があること等を述べている。
二 考察
  以上に摘示した各文献の検討の結果、以下の事実が認められる。
  クロロキンの体内への吸収は速やかでほとんど完全であり、他方、体外への排せつは緩徐である。その結果相当な割合のクロロキンが器管や組織に沈着し、その量は投与量が増加すると急激に増加する。
  ヒトにクロロキンを長期にわたつて投与した場合、投与中止後五年を経てもクロロキンはなおその体内に残存しうる。
  動物実験の結果によれば、クロロキンは目のメラニン含有組織に極めて高濃度に、かつ長期にわたつて蓄積されるが、このことはクロロキンとメラニン色素との著しい親和性を示唆している。また、ク網膜症患者の眼球を株査した結果、ヒトにおいてもその網膜中にクロロキンが蓄積していることが確認されている。
  なお、前記一の7の文献は、クロロキン製剤をアメリカにおいて製造販売していたスターリング社のウインスロツプ研究所における研究の報告であるが、右の報告にかかるクロロキンの投与実験は、投与期間が短いため総投与量が少なく、しかも結局尿中排せつ物として投与量の五六%を確認し得たにとどまり、残余の部分は排せつされた可能性が大きいと推定しているのにすぎないので、右の報告のみをもつてしてはクロロキンの排せつが緩徐であるとの前認定を履すに足りない。
第三 クロロキンによる眼障害
一 クロロキンの副作用としては、体重減少、倦怠感、肩凝り、胃腸障害、肝障害、筋障害(筋力低下)、神経障害、血液の顆粒球減少症、苔癬様皮膚炎、光線過敏症、毛髪色素異常、その他難聴、妊娠中服用の先天性異常児の出産等があるが、特にクロロキンによつて眼障害が発生することがある。
二 クロロキンによる眼障害には、大別して角膜障害と網膜障害とがある。この眼障害の発生率は、クロロキン製剤の種類、すなわちリン酸クロロキン、オロチン酸クロロキン、コンドロイチン硫酸クロロキン等によつて差異はないといわれている。
三 角膜障害(ク角膜症)は、クロロキンが角膜上皮下に結晶状に沈着し、角膜のびまん性点状混濁、中央下部に融合集中する線状混濁、濃厚不規則な緑黄曲線混濁などとして現れる障害で、一説では、涙の中に分泌されたクロロキンが角膜上皮に吸収され、沈着するものと考えられている。その発生率は、報告者によつて異なるが、クロロキン服用者のうち、三〇・八%、三三・三%あるいは四一%などに認められると報告されている。しかし、角膜障害は、可逆性で、クロロキンの投与を中止することによつて後遺症を残すことなく消失する。
(以上一から三までの事実は、原告らと被告製薬会社及び同国との間で争いがない。)
四 ところで,ク角膜症の自覚症状としては、暈輸(発光体の周囲に色のついた輪が見える)や虹視(裸電灯の周囲に虹が見える)あるいは霧視(眼がかすむ)等が主なものであるが、自覚症状を訴えないことの方が多い(外国文献31、日本文献25、35)。そして、これらの自覚症状のうち暈輸は、充血性緑内障の顕著な症状であるため、ク角膜症は、緑内障と誤診される可能性があり(外国文献5、7、9、31、日本文献43)現にそのように誤診されて治療を受けていた例も報告されている(日本文献25)。
第四 クロロキン網膜症
一 症状
  ク網膜症の主要な特徴的症状が次のようなものであることは、原告らと被告製薬会社及び同国との間で争いがない。 
  すなわち、ごく初期には、眼底の黄斑部中心窩反射の消失、黄斑部の浮腫、混濁、色素の不規則化(配列の乱れ、粗★感)が現れ、更に進行すると、黄斑部中心窩付近に色素が沈着し、その周辺部が脱色素化して逆にやや明るくなり、また更にその周囲に色素沈着が取り囲む、いわゆる「ブルズ・アイ」と呼ばれるドーナツ様の変性を示すようになる。更に網膜変性が進行すると、網膜全体が汚く混濁し、網膜血管は狭細化し、乳頭が蒼白化して萎縮像を示し、最も進行した場合、色素変性が網膜全体に及ぶ。眼底の変性にほぼ対応して、暗点と視野狭窄によつて視野欠損が発生する。視野変化は、まず傍中心暗点として現れ、この暗点が進行すると輸状暗点を形成する。視野変化のもう一つの型は、周辺視野の狭窄をもたらすが、この場合の中心視力は最後まで比較的よく保たれる。他に色覚異常や夜盲が発生する例もある。
  結局、ク網膜症の主要な特徴は、黄斑部の障害、網膜血管の狭細化、これによつて引き起こされる暗点と視野狭窄による視野の欠損であるが、いま少し詳細にその特徴的症状を検討すると、上記の当事者間に争いのない事実と〈証拠略〉を総合すると、次のとおりであることが認められる。
1 総説
  ク網膜症の症状は、個人差が大きく、また機械的にその進行の段階を区分することもできないが、全体としては、かなり特徴的な症状を呈する疾患であるということができる。

  以下においてはその症状の推移について一応初期、中期、末期に分けて示すが、あくまで典型的な疾例を前提としての区分であり、各症例が機械的にこれに当てはめられるものではない。
  また、視力、視野等の症状の進行についても、緩やかに進行する症例もあれば、変化の早い症例もあり、また一症例についてみても、必ずしも一定の速度で進行して行くわけではなく、長く変化がなかつた後急激に病状が進行する場合もあることは、過去の各症例の報告の検討によつて明らかに認められるところである。
  病変は基本的には両側性であり、かつ対称性の変化を示すことが多いが、左眼と右眼で症状の程度や進行、型が異なる場合(たとえば、視力についてかなり左右差がある場合、あるいは左右眼で視野異常の型が異なる場合)がある。
2 眼底所見
  ごく初期には、黄斑部の浮腫、混濁、色素配列の乱れ、粗★感、中心窩反射の消失等がみられることが多い。
  この時期の眼底所見と視力、視野との関係は、必ずしも眼底所見と同時に視機能の異常が現れるものではなく、眼底所見に異常があつても視力、視野は正常な場合があり、また視機能の異常が眼底所見に先立つて起こる場合もある(外国文献42、証人中島章の証言)

  更に進行すると、黄斑部中心窩付近は色素沈着のため暗く(暗赤色を呈する)、それを囲んで輪状に脱色素による明るい部分があり、更にその周囲を色素沈着が取り囲む特徴ある所見(これを「ブルズ・アイ」あるいは「ドーナツ状眼底」等と呼ぶ。)を呈することが多い。これは、後述のようにク網膜症のみにみられる所見ではないが、この症状を呈する疾患が比較的まれであり、かつ、いずれもク網膜症との鑑別が可能であることから、他の症状と併せ見ることによつて、ク網膜症診断の有力な根拠となるものである。
  なお、蛍光眼底撮影を行うと、眼底に肉眼的所見の認められない時期でも、黄斑部の暗黒部を取り巻いて輪状に蛍光漏出像を認めるといわれている(日本文献64、84、〈証拠略〉)。
  しかし、ブルズ・アイ所見を示さず、黄斑部全体にびまん性の変性がみられることもある(日本文献114、〈証拠略〉)。したがつて、ク網膜症であれば必ず眼底にブルズ・アイ所見がみられるということはできない。
  一般にブルズ・アイの時期まで(この時期を一応初期と考える。)は視力は良好であるが、視野では程度の差こそあれ、輪状暗点を認めることが多い。
  更に症状が進めば(一応中期とする。)、変性は黄斑部から周囲に応がつて行く。ク網膜症では下方の網膜がより侵されやすいため、視野では上側の欠損の方が先に現れることが多い。この時期に中心窩が侵されれば視力は急激に悪化する。
  この時期に至ると、網膜のみならず、乳頭や血管にも病変が認められる。すなわち、乳頭は萎縮、褪色し、血管、殊に動脈は狭細化することが多い。
  末期に至ると変性は網膜全体に及び、網膜が汚く白茶けた感じとなる。乳頭の萎縮、褪色も高度となり蒼白化し、血管も極端に狭細となる。
  以上は、黄斑部に病変が初発した場合の典型的な眼底所見の経過であるが、他に網膜周辺部に病変が初発する場合があり、その場合は、周辺部網膜が変性し、血管が狭細化する等の症状が最初に現れる(外国文献57、〈証拠略〉)。
  ク網膜症の眼底所見のうち、動脈の狭細化については、投薬原疾患である腎炎等に基づく高血圧症からも同様の症状が現れてくるので注意を要する。しかしながら、血管の変化は、ク網膜症の場合むしろ二次的なものであり、他の症状と併せ見ることによつて、後述のとおり視力、視野の障害がどの疾患に基づくものであるかは十分鑑別が可能である。
  なお、動脈の狭細化がク網膜症によるものか否かを鑑別する方法として、ク網膜症末期の狭細化は壁反射の亢進がなく、また一様に細くなるものであつて、管径不同を伴わないとの意見(日本文献45)もあるが、同時に鞘状化や不規則な分節状の狭窄がク網膜症の血管狭細化の特徴であるとの意見(外国文献62)や、動脈の狭細化は血管走行全般に起こるが、時に局部的狭細もみられるとの意見(日本文献64)もあり、動脈狭細の形状のみからこれがいずれの疾患によるものかを判別することは困難であつて、前述のように他症状との総合的判断が必要といえる。
  色素斑や出血は、ク網膜症には余りみられない症状であるが、まれにはこれが存在することもある。
  色素斑については、後極部と周辺部の間にわずかではあるが網膜色素変性様の黒色色素斑を血管上に認めたとの報告(日本文献19)もあり、〈証拠略〉の一覧表でも一一例中五例には色素沈着を認めており(〈証拠略〉)、他にも本症における色素斑発生に言及する文献がある(〈証拠略〉)。
  また出血についても、四例中二例について、黄斑部又は乳頭周辺部(特に黄斑の脱色素部)に多数の徴小血管瘤様の小出血点の出現(網膜末梢血管障害によるものであろうという。)を認めたとの報告(日本文献84)があり、ク網膜症においても血管の狭細化が顕著であることから、出血をみることもまれにあるといえる。しかし、後述のようにこれは投薬原疾患による高血圧症による特徴的な出血とは区別が可能なものである。
3 視力
  初期には視力は比較的良好であることが多い。
  中期に至ると多くは視力が低下し、〇・一以下となることが多いが、例外的に、中心窩付近がわずかでも健在であれば、比較的良好な中心視力が残存する場合がある。これは、視力がもつぱら中心窩付近の機能に依存していることに由来する。
  末期に至れば視力は更に悪化し、失明に至ることもある。しかし、極めて例外的に、変性が眼底全体に広がつているにもかかわらず、中心窩付近のみ健在な場合、中心視力が良好なことがある。
  以上のとおり、ク網膜症の視力分布には幅があり、個人差が大きい。中心視力のみが中期、時には末期まで良好なことがあるのは、本症では黄斑部の傍中心部又は周辺部が比較的障害されやすく、中心窩が侵されにくいためであるといわれている。しかし、このように中心視力の良好な場合でも、後述のように長年月の経過の後に中心窩が侵され、失明に近い状態に陥ることがまれではない(日本文献114)ので、予後は楽観できない。また、中心視力のみ残存していてもその部分の視野が極端に狭い(二ないし三度以内のものが多い。)ので、個々の文字は判読できても読書は困難となる等、生活上には支障が大きい。

4 視野
  視野は、ほぼ眼底の変性に対応して欠損部分(暗点)が病症の進行につれて広がつて行く。
この視野異常の型としては、大別して輪状暗点型あるいは傍中心暗型と周辺視野狭窄型とがみられるようであるが、同一症例でこの双方がみられることもあり、機械的な分類にはなじまない(日本文献90、108、84、外国文献55、〈証拠略〉)。
  黄斑部に病変が初発する場合の典型的な視野症状の経過は以下のとおりである。
  初期の段階でもほとんど視野欠損があり、傍中心暗点ないし輪状暗点を認める。
  中期にはこの暗点が周辺部に拡大する。前述のとおり上方の視野欠損の方が先に出やすい。
  末期には暗点の拡大の結果、三日月形の視野が周辺に残存するだけの状態になつたり、あるいは中心視野のみがわずかに残存するだけの状態になつたりすることが多い。周辺視野のわずかな残存があつても、この部分の視力は非常に低いので、視機能は極端に低下する。
5 その他の他覚的症状
(一)網膜電位図(ERG)
  ク網膜症においては、ERGは、早期から変化を認めることが多いので、診断に当たつて重要な検査法といえる。
  a波、b波の減弱、律動様小波の消失、b波頂点延長等の症状がしばしば認められ、また、反応全体が病変の進行に伴い徐々に悪化し、最終的には消失してしまうことが多い(〈証拠略〉日本文献63、103)。
(二)暗順応
  ク網膜症においては、暗順応の障害は比較的遅く現れるが、中期以降になるとかなりの異常を認める例も多く(日本文献19、59、63)、殊に第二次曲線の異常が認められることが多い(日本文献19、59)。
  かなり進行したク網膜症で、ERGの変化が強いのに光覚が良好であるとし、これを網膜色素変性症との重要な鑑別点であるとする見解があり(〈証拠略〉)、確かに一般論としとはそのようにいえるであろうが、ク網膜症においては、網膜色素変性症に比べて暗順応の障害の現れるのが一般的に遅いということはできるものの、そのかなり進行した状態でも光覚が良好であるとは必ずしもいえない。
(三)色覚
  ク網膜症では、中心窩が比較的末期まで障害されにくい関係上、色覚は比較的遅くまで侵されにくい。しかし、末期に至ればほとんどの症例で何らかの色覚異常が認められる。

6 自覚症状
  本症の自覚症状について山本覚次ら(日本文献101)は以下のようにまとめている。

 「自覚症状の初発するものは視力障害であるが、……少し薄暗い場所、または逆光線の場合に増強してくる視力障害で眼科術語でいうと低照度視力の障害を自覚し、次いでまたは同時に視野の狭窄又は欠損を訴え、やや進行したものでは夜間の行動の不自由を主訴とするようになる。」
  過去の日本の報告例においては、初診時の主訴として夜盲を訴えるものが最も多く、視野異常、視力障害がこれに次いでいる(日本文献108)
  本症の患者一〇七名に対するアンケート調査の結果(回答率七五・七%…八一名であり、そのうち本人が死亡しているもの、調査表の記入が不十分であつたもの六名を除いた七五名についての分析〈証拠略〉)では、視力低下、視野異常以外の自覚的眼症状(全一〇種の項目について調査)について、五〇%以上が羞明、夜盲、眼精疲労、光視を、三〇%以上が霧視、虹視、飛蚊、調節力障害を、二〇%以上が複視をそれぞれ訴えており、患者一人当たり平均自覚症状数は四・八種類である(すでに消失した症状も含む。)。
  また、七八・七%(五九名)がなんらかの色覚の異常を訴えている。
二 発症率
  ク網膜症の発生する率は、報告者によつて異なるが、クロロキン服用者のうち一%、二%、一五・四%、一六%などに認められる旨の各報告がある事実は原告らと被告製薬会社及び同国との間で争いがなく、右の事実に日本文献46、101〈証拠略〉を総合すると、我国におけるク網膜症の発症率はクロロキン製剤の長期服用者のうちの一%前後であることが認められる。
三 服用量、服用期間と発症との関係及び服用後発症までの期間
1 文献
(一)杉山尚ら(昭和四一年、日本文献42)
  クロロキン製剤を長期継続して服用した三七例のリウマチ性疾患患者の副作用について調査した結果、網膜障害の発生と服用期間及び年令などには一定の相関関係はない、としている。
(二)荒木保子ら(昭和四三年、日本文献59)
  国内における従来のク網膜症の報告(総患数一四名)をまとめた結果によると、総服用量については一二gから一四三〇gまで幅があるが、一〇〇g前後ないしそれ以下でも三例が発症している。投与期間は、二か月から六年三か月までの幅があるが、一年二か月以下の投与で四例が発症している。服用開始から発症までの期間も三か月から七年までの幅があるが、六か月以下で三例が発症している。
  著者らは、投与量及び期間と発症時期及び障害の軽量についての規則性は判然とせず、個人差が大きいようであると述べている。
(三)伊藤昭一(昭和四六年、日本文献92)
  学会報告であるが、その中で著者は、体重当たり同程度のクロロキンを摂取した場合に、子供は大人に比して比較的短期間内(一年以内)に少量の総摂取量で、ク網膜症をきたすことがあるから、子供にクロロキンを投与する際には十分な注意を要することを米村(金沢大)が指摘した、と述べている。
(四)中村三彦(昭和四七年、日本文献96)
  ク網膜症三例について報告し、クロロキン投与開始時から発症までの期間は一定せず、一例では投与終了後約二年目に視力障害を自覚した、と述べている。
(五)四日剛太郎ら(昭和四七年、日本文献98)
  ク網膜症三例について報告しているが、第一例は十二歳の女子で、クロロキンを一日二五〇mg、一四〇日間、総量三五g服用して発症しており、著者らは、小児ではこの例のように少量のクロロキンでもク網膜症が早期に起こりうることを指摘している。
  また、第三例はクロロキンを一日六〇〇mg、半年間、総量一〇八g服用して発症した例である。
(六)谷道之(昭和四七年、日本文献103)
  自験したク網膜症の症例の中に、クロロキン服用中止後八か月目に初めてク網膜症が出現した症例のあつたことを報告し、また、従来の報告例を検討し、投与期間、総投与量とク網膜症の重症度、更には機能障害の重症度との間には、必ずしも密接な関連性は認められない旨述べている。
(七)小森谷武美ら(昭和四八年、日本文献105)
  クロロキンの副作用とマラリア予防薬として使用する際の注意事項とを述べたものであるが、著者らは、服用後ク網膜症発症までの期間は不定で、ほぼ三か月ないし一年以上、発症までの投与量も不定で、ほぼ三〇gないし一〇〇g以上であるとし、問題になるような副作用はマラリアの予防に用いる量(一月に約二g)をはるかに超える量(一日二五〇mgないし七五〇mgを毎日、一月に七・五ないし二二・五g)を連用した場合に起こつている、と述べている。一方、たとえば総量五五gのリン酸クロロキンを二、三か月以内に服用すれば重い眼症状等が起こることが予想されるとして、クロロキンの服用には十分な注意を要すると警告している。
(八)普天間稔(昭和四九年、日本文献106)
  順天堂における一〇年間の症例の分析、国内報告例の分析及び厚生省の特別研究におけるアンケート調査の結果(後記(三)の文献)に基づいて、ク網膜症発症までの服用期間は教室例では一年二か月ないし六年(平均四・二年)、報告例(アンケート調査を含む)では三か月ないし一〇年(平均三・四年)であり、服用量は教室例では二五〇gないし六五〇g(平均四五〇g)、報告例(アンケート調査を含む)では一八gないし一四三〇g(平均五〇〇g)である、と報告している、
著者は、結論として服用期間や量と発症率との間に一定の傾向は認められなかつた、としている。
(九)渡辺郁緒(昭和四九年、日本文献108)
  国内における過去の報告例の分析であるが、発症までの服用期間については、若年者(一〇代以下)では短い傾向があるとし、また全症例の約四%(四例)が一年末満に発症していることに注目すべきである。としている。更に、報告例には非常に進行した症例も多いので、初期変化は報告例に示されているより早い時期であることは当然である、と述べている。
  投与量と発症までの期間との間には明確な関係はない、としている。グラフによると総服用量一〇〇g(クロロキン塩基に換算)未満で五、六例の発症をみているようである。

(一〇)石川哲ら(昭和五〇年、日本文献109)
  中毒性眼疾患全般について述べたものであるが、最近の外国文献(ウオルシユら、一九六九年)を引用し、ク網膜症の発症には投与期間と量が大きく関係しているとし、報告例によると、投与期間では一年以内もの九%、二年以内のもの一八%、六年ないし七年のもの四六%、となつており、また総投与量では一〇〇g以下のもの四%、五〇〇gないし六〇〇gのもの三三%となつていて、期間と量に応じた発症率の差がある、と述べている。

 そして、前記(九)の渡辺の報告と右報告との相違(渡辺は国内報告例では過半数が四年以内に、約四%が一年以内に発症しているとし、また投与量と発症までの期間との間に相関関係はない、としている。)を指摘し、その原因については人種差も問題になるのかもしれない、と述べている。
(二)上田泰ら(昭和四七年度厚生省特別研究〈証拠略〉)
  クロロキンを使用した糸球体腎炎患者九五六例について副作用を調査したもので、クロロキンの使用量及び服用期間とク網膜症の発現ひん度との間に明らかな関連は認められない、としている。
(三)中島章ら(昭和四八年度厚生省特別研究〈証拠略〉)
  以前に実施したアンケートにおいて薬剤による視覚系への副作用を経験したと報告した国内眼科医会会員八二四名を対象にアンケート調査を行つた結果の報告であり、ク網膜症については医師数四九名(回収率二三%)、症例数七五例の回答に基づいている。
  服用期間、服用量と発症との間に明確な関係はないとしており、統計表によると、服用期間一年未満で一〇例(一五・六%)が、服用量一〇〇g未満で四例(一三・八%)が発症している(服用期間の判明しているもの六四例、服用量の判明しているもの二九例)。

(一三)仁田正雄「眼料学」改訂第二版(昭和五二年、〈証拠略〉)
  ク網膜症について、クロロキンの投与量一〇〇g、内服期間一年を超えると危険であるというが、ドース・レスポンスは判然としていないから、それ以下の量、期間でも安心はできない、と述べている。
(一四)ベーケら(一九七四年、〈証拠略〉)
  ク網膜症について、一日二五〇mg以上のクロロキンを何年も服用した患者は危険があるようであるとしながらも、時折り比較的短期間の投与及び少量の投与でもクロロキンによる障害が見られることがあり、機能低下を伴つた網膜症が発生するような普遍的かつ規則的な「危険」用量は提示することができない、と述べてある。
(一五)シヤーベルら(一九六五年、〈証拠略〉)
  著者らは、慢性関節リウマチ疾患の患者について、クロロキン服用群四〇八例と非服用群三三三例の眼症状を比較し、服用群中二例のみに黄斑部色素沈着を認めたが、視力、視野については正常であつてク網膜症とは思われないと報告し、ク網膜症の発現は過剰投与と関連し、一日二〇〇mgないし三〇〇mgの投与で発現した従来の報告例については、これをクロロキンに対する特異体質―おそらく組織中の濃度増加により発現する―によるものであろう、としている。
(一六)コーガン(一九六五年、〈証拠略〉)
(一五)の文献を引用し、ク網膜症はクロロキン一日二五〇mgを超えない投与量では、発生はまれであるかあるいはないと見てよいであろう、と述べている。
(一七)ベーケら(一九六七年、〈証拠略〉)
  自験した一七一例のクロロキン服用患者についての検討の結果の報告である。病的所見を有する患者数は一一名であつたが、著者は、ク網膜症の概念を典型的視野欠損、眼底変化及びERG所見の併存しているものだけに限定すべきだとの見地から診断を行い、右のうち一例のみをク網膜症と診断した。
  著者は、一日二五〇mgを超え、長期間(数か月ないし数年)投与するのでない限り、比較的まれにしか発生しない眼障害のために、有用なクロロキン治療を打切らせるべきでない、としている。
(一八)マツケンジー(一九七〇年、〈証拠略〉)
  著者は、自験例及び従来の報告例におけるクロロキンの服用量を引いて、一日体重一ポンド当たり二mg以下のリン酸クロロキンの服用では、危険はほとんどあるいは全くないとしながらも、「私はこの障害シキイ値を最適用量ではなく、むしろ一週間でさえも超えるべきでない最高限度と考えている。」と述べている。
(一九)NND(一九七一年版、〈証拠略〉)
  薬剤ハンドブツクのうち、抗リウマチ剤についての部分である。
  リン酸クロロキンについては、慢性関節リウマチに使用して効果の認められる場合は、重篤な副作用のない限り、通常一年間治療を続けてよいとし、眼底に変化が見られたら、直ちに投薬を中止すべきであるとする。
  また、一日使用量二五〇mgを超えることは推奨できないとし、これより少ない用量で網膜損傷の起こつたこともある。としている。
(二〇)矢野良一(昭和四八年、〈証拠略〉)
  著者が医師会主催の昭和四六年度の医学講座において行つた講演の記録であり、慢性関節リウマチに対し、クロロキンを一日三〇〇mg以下、半年使用一か月薬を繰り返し数年用いてよい、としている。
(二一)アメリカ・リウマチ協会編「リウマチ入門」第七版(一九七三年、〈証拠略〉)

 慢性関節リウマチについて、全身及び関節にしつような苦痛が続く患者の場合には、医師は、一日当たり一錠のクロロキン又はヒドロキシクロロキン(それぞれ二五〇mgと二〇〇mg)を処方してよいが、その量を超えてはならないとし、また、その効果を評価するのに少なくとも四ないし六週間は必要である、としている。そして、この使用量では眼への合併症はまれであるとしながらも、三ないし六か月ごとの十分な眼科的検査が必須である、と述べている。
(二二)ジンら(一九七五年、〈証拠略〉)
  キノリン類及びフエノチアジン類の網膜色素上皮に対する毒作用について一般に記述したもので、クロロキンについては、総投与量三〇〇g未満の患者については網膜症例の報告はほとんどないし、総投与量が一〇〇g未満の患者についてはただ一件の症例が報告されているにすぎない、としている。
(二三)ロロ(一九七五年、〈証拠略〉)
  医薬品の副作用についての解説書中、抗マラリア剤についての部分であつて、一日二五〇mg未満の投与ではク網膜症の発生は報告されていないとし、一九六四年から一九七一年までの間の四〇〇症例を観察したある研究では三八例のク網膜症が見られたが、治療期間一年、総服用量一〇〇g以下での発症例はなかつた、としている。
(二四)ユルマンら(一九七六年、〈証拠略〉)
  著者らは、クロロキン療法を受けたことがある慢性関節リウマチ患者二七〇例について検査を行つたが,ク網膜症患者はそのうち大量投与を受けた七四歳の婦人一例のみであつたとして、年間一〇か月、一日二五〇mgの用量を超えず、患者が五〇歳以下で網膜に影響する何らかの疾患を患つていなければ、クロロキンが網膜障害を引き起こす危険性は、長期治療においいてすらきん少ないし皆無であろう、としている。
  一方、著者は、黄斑部のわずかな変性は黄斑病という概念に含まれ、ク網膜症とは区別すべきものと考えているが、視力の減退を伴つた黄斑症のひん度は服用量一〇〇g以下の群で二%、六〇〇g以上の群では一七%であつて、服用量の増加に伴つて増加し、総計二〇例であつたこと、これらのうち一五例について悪い方の眼の中心視力は〇・六以下であつたことを報告している。 
(三五)WHO「国際旅行者へのマラリアの危険に関する情報」(一九七六年、〈証拠略〉

  ク網膜症の危険は、クロロキンの総服用量が塩基として一〇〇gを超えた場合に生じるものと考えられている、と述べている。
(二六)サムズ(一九七六年、〈証拠略〉)
  著者は、一般に、クロロキンの投与期間が一年以下で、総投与量が一〇〇g以下の場合には、ク網膜症の危険は極小か存在さえしないだろうとし、二、三の例外を除き、報告例の大部分は、総量約三〇〇g以上のクロロキンを三年以上にわたつて投与されたものである、としている。
(二七)マークスら(一九七九年、〈証拠略〉)
  著者らは、クロロキン治療を受けている二二二例のリウマチ性疾患患者を観察し、このうち二二名の患者はク網膜症と考えられ投与を中止されたが、そのうち一名のみに視力、視野の低下をみたのみであつたこと、この患者は一日平均六〇〇mg、総服用量九九〇gの大量投与を受けていたことを報告し、クロロキン治療による眼障害の危険性は低い、としている。
2 考察
  前記1において摘示した(一)ないし(一四)の文献に〈証拠略〉を併せ考えると、クロロキンの服用量の多寡並びに服用期間の長短とク網膜症の発症との間には相関関係の有無が明らかでなく、せいぜいマラリアの予防又は治療のための短期間少量の服用ではク網膜症は発生せず、したがつて右の程度であれば安全であると言えるのみであつて、右の程度を超える場合、つまり長期連用する場合の安全限界値を提示することは不可能であること、殊に我国では外国に比較すると少量の服用で発症している例が多く、その原因については人種差も問題となりうること、また、小児は成人より少量短期間の服用でク網膜症が発現する可能性があること、服用後発症までの期間は一定せず、服用開始後一年未満で発症する例がある一方、服用を中止してから数年を経て発症する例もあり、個人差が大きいこと等の事実が認められる。
  前記1の(一五)ないし(二七)の文献中には、右認定に反し、クロロキンの服用量について安全限界値が存在することを示すかのような記載があるけれども、次の諸点に照らすと右各文献の記載はにわかに採用することができない。
  すなわち、(一五)、(一七)、(一八)及び(二四)の文献は、結局いずれも自験した症例の観察を基にして安全性を設定しているにすぎず、右の安全量が普遍的な妥当性をもつことについての確たる根拠を示しているわけではない。
  また、右のうち(一五)、(一七)及び(二四)の文献は、ク網膜症の概念を前述の今日多数の医師によつて採られている共通の見解より狭く解釈している嫌いがあり、(一五)においては二例に黄斑部色素沈着が、(一七)においては一一例に網膜の病的所見が、(二四)においては総服用量一〇〇g以下の群でさえその二%に視力減退を伴つた黄斑部変性が見られたにもかかわらず、著者らがこれを重視していないのは問題であろう。
  そして、(一六)の文献は、右の(一五)の文献を引用して安全量の設定をしているにすぎず、(二〇)及び(二六)の文献は、安全量設定について特にその根拠を示していない。また、(二〇)の文献は、眼科医の手になるものではない。それゆえ、これらの文献も安全量を合理的な根拠をもつて提示したものとは言い難い。
(二二)の文献は、総投与量一〇〇g未満の患者についての症例報告が一件しか発見できなかつたことを、(二三)の文献は四〇〇症例を観察したある研究において服用期間一年、総服用量一〇〇g以下での発症がなかつたことをそれぞれ報告しているにすぎず、積極的に安全量を提示したものではない。
(二七)の文献も自験例では大量投与を受けた一名のみにク網膜症の発症をみたことを報告し、クロロキンによる眼障害の危険性は低いとしているにすぎないものである。
(一九)、(二一)及び(二五)の各文献は、いずれもむしろクロロキン使用の際の危険量を示したものであつて、右の量以下では使用が安全であることを主張しているものではない。このことは、(二五)の文献とほぼ同一の趣旨から書かれたと思われる(七)の文献との対比によつても明らかである。
四 早期発見法
  外国文献23、62、28、29、36、42、47、48、49、50、51、63、57、日本文献2、9、82、84、92、95、97、101、102、104、106、〈証拠略〉を総合すると、次の事実が認められる。
  後述のように、ク網膜症はある程度病変が進行したものでは非可逆的であり、かつ、現在においても有効な治療方法が確立されていないため、眼底所見、視力、視野等に明らかな異常が見いだされる以前にこれを発見するための眼科的検査方法が早くから(外国文献23は一九六二(昭三七)年に書かれたものである)研究され始め、ERG(網膜電位図)やEOG(眼球電位図)等の光刺激に関連して起こる電気現象の検査、各種の色覚検査、蛍光眼底撮影、赤色光使用による網膜感度の測定等種々の検査法が内外多数の研究者によつて試みられてきたが、いずれの方法もいまだ十分な成果を収めておらず、今なおク網膜症の早期発見、すなわち、視力低下等の自覚症状が発現する前に網膜変性を発見することは、非常に困難であるとされている。
五 ク角膜症との関係
  外国文献12、57、日本文献45、85、96、〈証拠略〉を総合すると、次の事実が認められる。
  ク角膜症とク網膜症との関係については、前者が後者の前駆症状であるというような関係はなく、前者と後者との発生の間にと相関関係は見いだされていない。しかしながら、ク網膜症とク角膜症が同一の患者に併存することはク網膜症の早期段階においても進行した段階においてもありうる(ただし、ク角膜症の発生率はク網膜症のそれよりはるかに高く、本節第三の三において述べたとおり、クロロキン投与患者のほぼ三〇%から四〇%に認められると報告されており、また、極めて少量かつ短期間の服用により発症が可能である―外国文献9、12、31、日本文献21、33、25、35、43、45、46、102。一〇六例のリウマチ患者を観察した木村千仭らの報告《外国文献43》によると五g以下の服用で一五・八%の患者に、四週以下の服用で二二・七%の患者にそれぞれ角膜障害が認められたという。)し、ク網膜症の診断を下すに当たり、その患者に以前にク角膜症が存在した事実を、病変とクロロキンとの関係を推認させる一つの根拠とみることは許される。
六 病理及び発症機序
  ク網膜症は、進行すると失明もしくは失明に近い状態となり、クロロキン服用中止後半年以上経過した後に発症した例や一度ク網膜症に罹患するとクロロキンの服用を中止しても進行する旨の報告もあること、クロロキンが視機能にこのような重大な損傷を与える原因として、一説では、クロロキンが眼のメラニン系に長期間にわたり特異的に蓄積し、溶出が緩慢であること、網膜色素細胞のメラニン色素に親和性を有し、そこでのタンパク合成を阻害することによるといわれていることは、原告らと被告製薬会社及び同国との間で争いがなく、右の争いのない事実に外国文献35、40、41、43、54、56、60、64、日本文献65、80、103、107、109、〈証拠略〉を総合すると、以下の事実が認められる。
  動物実験では、クロロキンの投与により、まず色素上皮細胞の著しい腫張及び網膜内層への移動と細胞内に多くの層状構造物や油滴状顆粒の出現がみられ、ついで杆体、錐体の変性をきたす。網膜内層の変化は外層に比し軽度で時期も遅い。なお、有色種の方が無色種より網膜変化を起こしやすく、起こす時期も早い。
  ヒトの網膜の剖検では、色素が網膜外層へ移動し、外顆粒層、外網状層に色素含有細胞の蓄積がみられ、杆体、錐体が変性している。
  ク網膜症の発症の機序については、クロロキンがメラニンと著しい親和性を有することから、クロロキン服用により第一にクロロキンが網膜色素上皮のメラニンと結合して色素上皮細胞の代謝を阻害し、その結果続いて杆体、錐体も破壊されるとの説、クロロキンはメラニンと結合し、生体内特に網膜色素上皮で、紫外線あるいは近紫外線の存在下において、チオール基を持つ酵素群と反応しその活性を低下させることにより、細胞変性をきたすとの説等があるが、一方、クロロキンとメラニンとの結合は網膜症の第一次的原因ではなく、むしろクロロキンの蛋白合成阻害あるいは種々の酵素、核酸反応阻害等の作用が重要であるとする説、第一次的な変性部位についても、網膜色素上皮ではなく、視細胞であるとする説等も存在し、いまだに定説が確立するには至つていない。
七 予後
  外国文献12、30、32、35、40、42、53、59、日本文献46、84、90、93、99、104、106、114、〈証拠略〉を総合すると、以下の事実が認められる。
  ク網膜症の予後については、まれには視力、視野にやや改善をみたとの例(日本文献106)、視力にやや改善をみたとの例(日本文献84―ただし、視野は全例において悪化している。)も散見されるが、多数の例においては予後は非常に悪く(日本文献90、93、99、104、114、〈証拠略〉)、殊に、やや視力等に改善をみたとの例も長期観察の結果を報告したものでないことを考えると、その後の症状の推移については改善の方向に向かうものかどうか疑問があり、現に前記文献のいずれもがク網膜症の不可逆性を明言している。この不可逆性の原因については、クロロキンが組織中に高濃度で、しかも長期にわたつて存在することとの関係が示唆されている(外国文献30、35、59)。
  ただ、病変のごく初期で自覚症状のまだない段階においては投与中止により病変が消失したとの報告(外国文献32、42、〈証拠略〉)もあるが、一方右の段階で投薬を中止しても病症が進行したとの報告(日本文献104等)もあり、投薬を中止すれば病症が改善する明確な段階を特定することはできない。いずれにしても、前記のとおりク網膜症の早期発見が非常に困難であり、かつ、明らかな他覚、自覚症状の現れた段階では既に病変は非可逆的であることから、定期的な眼検査を行つていても病変の進行を必ずしも阻止できるとは限らないといえる。
  病変の進行の経過については個人差があり、一定の傾向はないが、那須欽爾(日本文献114)は、六年以上の経過観察を行つた六例について、服用中止後六年以上の後一二眼中七眼で中心視力が急激に低下したこと、また視野についても半数以上の例でこれとほぼ時期を同じくして中心の残存視野が失われ、輪状暗点から巨大な中心暗点に移行したことを報告し、このことから「従来、クロロキンに犯されにくく、2〜3度と小さいながらも視野を残し、視力も保たれると考えられていた中心窩の錐体も、六年以上を経過した後、ついには、抵抗性を失い、失明状態に陥る傾向が見られた。」とし、中心視力の残存しているク網膜症患者の予後についても楽観はできないとの意見を述べている。
  また窪田靖夫(〈証拠略〉)も、長期経過観察を行つた一一例中六例で投薬中止後も病症の進行、悪化を認めたこと、またブルズ・アイの時期を超えて、なお投薬の続けられた症例では、例外なく投薬中止後も病症が進行したことを報告し、この時期を超えて投薬が続けられること、投与を中止しても変性の進行性が強く、しばしば失明に至る程予後は不良となるので、網膜症の早期発見が重要であるとの意見を述べている。
  これらの文献及び前記の各文献(日本文献90、93、99、104)から、ク網膜症は投薬中止後も長期にわたつて進行することがしばしばあり、重症例では失明に至ることさえまれではないことが明らかであるというよう。
八 治療法
  ク網膜症に対する有効な治療法は現在でも見いだされていないことは原告らとの被告製薬会社及び同国との間で争いがなく、右の事実と外国文献30、日本文献18、102、103、〈証拠略〉を総合すると、次の事実が認められる。
  ク網膜症の治療については、早くも一九六三(昭和三八)年にルービンらが塩化アンモニウムの投与(クロロキンの体内からの排せつの促進)及びブリテイツシユ・アンチルイサイト(BAL)の投与(クロロキンを組織結合から分離させる目的)を提案しており、その後末梢血管拡張剤の使用等も試みられているが、その効果には疑問があり、結局現在に至るもなお有効な治療法は見いだされていない。これは、いつたん破壊された視細胞(杆体、錐体)、神経節細胞、双極細胞等の網膜の神経細胞の再生が困難であることに起因するものと考えられる。
第二節 原告ら患者のク網膜症罹患
第一 ク網膜症と類似疾患との鑑別
一 はじめに
  原告ら患者がク網膜症に罹患した事実については、被告Y7がその対応する原告X2(世帯番号42)の罹患事実を認めているのを唯一の例外として、その余の被告らは、その対応するすべての原告ら患者につきク網膜症罹患の事実を争つており、時としては、網膜色素変性症、腎性網膜症その他の病名を挙げて、原告ら患者の眼障害が右の疾患によるものと主張し、ク網膜症とこれらの疾患との鑑別の必要性を強調し、また、本件原告ら患者がク網膜症に罹患していると認められる場合であつても同時にこれらの他種疾患が競合していることもあるとして、眼障害に対するこれら疾患の寄与の割合を考慮することの必要性を説いている。
  そこで、以下、視覚に障害を来す主要な他の疾患につき、その病像とク網膜症の病像の主な相異点を論じ、両者の鑑別について考察することとする。
二 網膜色素変性症
1 〈証拠略〉によると、次の事実を認めることができる。
  内外の文献によつて、ク網膜症と病像が酷似していて、これと最もまぎらわしい疾患とされているのが、網膜色素変性症である。本症は遺伝性の疾患であり、劣性遺伝によるものが多いが、まれには優性遺伝によるものもある。
  身長わい小、難聴、ろうあ、精神薄弱、肥満、性器発育不全等の他の遺伝性・変性疾患を合併していることが少なくない(一説によれば、本症の患者の約半数は身長がわい小であるという。)。
  発生のひん度については、日本においては三四〇〇人から八〇〇〇人に一人ないしそれ以下といわれている。
  初発症状で、しかも特徴的な症状は夜盲であり、一〇歳ごろに自覚するものが多い。
  視野は、最初は輪状暗点を示すことが多く、次いでこれが内外方へ拡大し、高度の求心性視野狭窄となる。しかし、中心視力は比較的長く良好に保たれることが多い。
  ERGには初期から異常が現れ、ある程度病状が進行するとERGは消失する。
  眼底所見では、乳頭は黄色萎縮を示し(視神経萎縮)、動脈は細く、赤道部は緑色調や青色調等を帯び、周辺部にかけて多数の骨小体様の黒色色素斑が表在性に現れ、血管に付着しているものが見られるのを特徴とする。
  このような網膜の変性は赤道部に初発し、やがて周辺部や中心部へ進展して行くのが通常である。
  色素斑の発生のない無色素性の場合もあるが、これも長い経過中には徐々に色素の発生をみることが多い。
  組織学的には、変性は杆体と色素上皮に始まり、やがて錐体と脈絡膜に及ぶ。
  症状の進行は一般に極めて緩徐であり、約三〇ないし四〇年の経過をたどつて進行することが多い。しかし、進行度には個人差があつて一概には言えず、四〇ないし五〇歳代で失明又はこれに近い重篤な視覚障害を来す例が多いが、中には晩年まで比較的良好な視機能を保持する例もある。
2 ク網膜症と網膜色素変性症との差異、鑑別について触れた内外の文献の記載を要約すると、以下のとおりである。
(一)オークンら(外国文献62)は、ク網膜症は網膜色素変性症に比し、
(1)暗点がより中心性である。
(2)暗順応はク網膜症では後期に侵される。
(3)ERGでは錐体の喪失の方が杆体のそれより大きい。
(4)周辺には色素変性が出るのが非常に遅い。
と述べている。
(二)ウエツターホルムら(外国文献40)は、色素顆粒の存在部位が異なり、網膜色素変性症では色素顆粒は血管の周囲や内網膜層に集積する傾向があるのに対し、ク網膜症においては外網膜層にとどまる傾向があるとしている。
(三)ベルンシユタイン(外国文献43)は、ク網膜症でも色素斑が見られることはあるが、網膜色素変性症に特有な、大きく又は広範囲な骨小体様の色素斑はク網膜症で見られず、また組織学的にもク網膜症では色素移動は内顆粒層を越えて広がつておらず、血管周囲の色素蓄積もないことを指摘している。
(四)武尾喜久代ら(日本文献18)は、前述のオークンらの所説を引用し、また、自験例においてクロロキンによる角膜混濁があつたことを一つの鑑別のよりどころにしたと述べている。
(五)吉川太刀夫(日本文献84)は、ク網膜症では網膜に骨小体様の色素沈着を来したという報告はないとしつつも、ベルンシユタインが一九六八年の文献において発病後五、六年するとク網膜症でも骨小体様の色素沈着が起こつてくる可能性があると述べているとしている。
(六)柳沢仍子ら(日本文献85)は、進行したク網膜症は網膜色素変性症にかなり近い所見を呈するが、前者では骨体小様の色素斑が見られることはないとする(自験例でもごま塩状の異常色素沈着は認めたと言う。)
(七)中島章ら(日本文献102)は、ク網膜症でも網膜、特に黄斑部に色素斑が現れるが、網膜色素変性症のように血管に沿つてはつきりした色素斑を形成することはないと言う。
(八)窪田靖夫(〈証拠略〉)は、網膜色素変性症では初期においても黄斑部の輪状混濁やブルズ・アイは決して見られないとし、またク網膜症の末期でも網膜色素変性症との鑑別は困難ではない、すなわち、ク網膜症では骨小体様の色素出現はなく、色素出現はあつても、後極部に淡褐色の色素が不規則にわずかに出現するのみである、と言う。
  また、ク網膜症でしばしば認められるa、b波減弱、律動様小波消失、b波頂点延長等のタイプのERGは網膜色素変性症では極めてまれであること、ク網膜症ではかなり進んだ段階に至るまで光覚が比較的良く保たれているのに、網膜色素変性症では初期から光覚が高度に侵されることが多いことを指摘している。
(九)小沢哲磨ら(〈証拠略〉)は、ク網膜症では、ERG反応が強く侵されているにもかかわらず、暗順応の機能が比較的良いことを指摘し、この点が網膜色素変性症との鑑別に有用である、と言う。
  また、網膜色素変性症の患者がクロロキンを服用しク網膜症を合併するに至つた自験例について述べ、一般に網膜色素変性症では、黄斑部は最後まで障害されることが少なく、高度の視野狭窄に至つても視力は比較的良く保たれているのに、本症例では、まだ骨小体状の色素が多数には集結してない病期にあるにもかかわらず、黄斑部の異常が著しく、これに対応してクロロキン内服後視力が低下していることを指摘し、「本症例の場合のように(ク網膜症が)網膜色素変性症と合併した場合においても、その鑑別は、異なつた臨床単位のものとして分離が可能なように思われる。」と結んでいる。
3 以上を総合すると、ク網膜症と網膜色素変性症の鑑別については以下のようにまとめられる。
  眼底所見は、初期においてはかなり異なるが、かなり進行した症例では、両者は類似した所見を呈することもある。その場合、網膜色素変性症の特徴である骨小体様の色素斑が多数出現し、血管に付着しているものが見られるとの病像がク網膜症では通常見られないことが、両者を識別する大きな鑑別点となる。
  組織学的にみると、網膜色素変性症では色素は内網膜層に蓄積する傾向があるのに対し、ク網膜症ではより外層にとどまる傾向があり、内顆粒層を越えての色素移動はない。
  その他の所見では、ERGにつき、ク網膜症においてしばしば認められるa、b波減弱、律動様小波消失、b波頂点延長等の所見は網膜色素変性症では極めてまれであること、ク網膜症ではかなり進んだ段階(この段階ではERGは強く侵されることが多い)に至るまで光覚(暗順応)は比較的良好であるが、網膜色素変性症では早期に光覚が強く侵されることが重要な相違点である。
  その他、症状の一般的経過、進行、発病の時期、クロロキン内服と症状の関係等の総合判断も意味がある。
  また、無色素性の網膜色素変性症との鑑別も、色素斑以外の点の鑑別により可能である。
  なお、オークンらは、ク網膜症では暗点がより中心性であるとの点を鑑別点として挙げているが、この点については、前記のようにク網膜症においても周辺視野狭窄を視野異常の主症状とすることがありうるので、これを鑑別点として掲げるのは妥当ではなく、他の文献も視野の点にはほとんど触れていない。
三 ブルズ・アイを呈する他疾患
  〈証拠略〉によると、以下の事実が認められる。
  ブルズ・アイはク網膜症のみに見られる症状ではなく、他の多くの眼疾患においても認められることがある(ボネ(〈証拠略〉)は、「この概念は、しばしば、黄斑部色素上皮のびまん性疾患の初期段階を捕らえるものにすぎない。」と言う。)。
  したがつて、ブルズ・アイが眼底に認められたというだけでは、ク網膜症の診断を下すことはできない。
  ブルズ・アイが認められたことが報告されている他の疾患は、スターガルト病、錐体ジストロフイー等の遺伝性疾患が多いが、老人性黄斑部変性、眼底黄斑症等の後天性の網膜変性症でも見られることがある。遺伝性疾患の場合には、家族にも何らかの眼障害が認められることが多い。
  しかしながら、これらの眼疾患とク網膜症とは、ブルズ・アイが見られることがあるという点を除いては臨床像が明らかに異なるので、他の所見を加えて判断すれば鑑別は困難ではない。
  したがつて、前述のごとく、ブルズ・アイが認められたということだけからク網膜症との診断を下すことはできないが、同様に、ブルズ・アイが認められたということだけからク網膜症以外の疾患であるとの診断を下すこともできない筋合であつて、他の所見と総合的に判断する必要があるのである。
四 高血圧に関係する網膜症
  〈証拠略〉、日本文献45、85、96を総合すると、以下のとおり認められる。
1 概説
  高血圧に関係する眼底病名については、高血圧性網膜症、動脈硬化性網膜症、腎性網膜症(以上はいずれも慢性腎炎にみられうるものである。)、全身性エリテマトーデスに起因する網膜症等種々のものがあり、その概念についてもいまだ十分な見解の統一をみていない。
  要するに、高血圧に関係する網膜症を、本態性高血圧に起因するものと、各種の疾患(例えば腎炎)を原因とする二次性高血圧に起因するものとに分類しているのが現状であり、その病像は程度の差こそあれかなり似かよつたところがある。
  これらの疾患のうち被告らによつて本件原告ら患者の眼障害の原因として具体的に主張されているのは、腎性網膜症及び(悪性)高血圧性網膜症であるが(腎性網膜症の主張が大部分であり、高血圧性網膜症のみの主張は多くない。また「腎性ないし高血圧性網膜症」という包括的主張も多いので,一応慢性腎炎において見られうる網膜症の主要なものである前記の三疾患の病像について説明する。エリテマトーデスに起因する網膜症については、特定の原告ら患者についての具体的主張はない。)、ここでは説明の便宜上これら疾患の病像の基本である高血圧性網膜症から論ずることとする。
2 高血圧性網膜症、悪性高血圧性網膜症
  前者は次の掲げるキース・ワグナー分類の3ないし4群、次に掲げるシヤイエ分類の高血圧変化三ないし四度、硬化性変化二ないし四度に相当するものであり、後者はこれに乳頭浮腫の加わつたもの(キース・ワグナーの分類の4群相当)である。 
(図1)キース・ワグナー分類
(図2)シヤイエ分類
  自覚症状は初期にはほとんどなく、眼底検査で偶然に発見されることが多い。ただし、黄斑部に病変が初発すれば最初から視力障害を訴える。後期では眼底所見は広範となり、これに伴つて種々の視力障害を訴える。
  悪性高血圧性網膜症は比較的若年者、中年者に多くみられ、高齢者にはまれである。その予後は極めて悪く、一年内に八〇ないし一〇〇%が死亡するという。
  なお、高血圧症における高血圧性眼底の発見ひん度は一般に極めて高く、血圧亢進者の大多数(八〇ないし九〇%)にみられるが、その大半はほぼキース・ワグナー分類の1ないし2群に相当するものであつて、この眼底を高血圧性眼底と呼んでいる。
  すなわち、高血圧があり、血管系の変化(硬化・狭細・口径不同・側線)があり、網膜面に出血・硬性白斑及び静脈〔枝〕閉塞に基づく軟性白斑等を認めても、動脈の著しい狭細、網膜浮腫・乳頭浮腫・典型的な綿花白斑を認めない眼底を高血圧性眼底と呼び、その全身状態も、安静を守れば血圧は下降するものであり、健康状態は良好である。
  一般的にキースワグナー分類の1・2群を良性群、3・4群を悪性群として大別するが、良性群と悪性群、また3群と4群の鑑別は比較的容易であり、1群と2群の鑑別は比較的困難である(しかし、大局的に見れば1群・2群はいずれも良性群なので、予後の判定にさほど差し支えはない。)といわれている。
  以下、悪性群に属する網膜症を通常の高血圧性網膜症と悪性高血圧性網膜症とに分けて、眼底の特徴的な所見を略述する。
(一)高血圧性網膜症
  動脈に種々の硬化変化や細動脈の狭細化が起こつており、口径不同、動静脈交差現象、反射増強、迂曲等が見られる。静脈系には、怒張、口径不同(部分的拡張)等が見られる。
  進行してくると、網膜は少しく浮腫状態となり、これに伴つて乳頭像がわずかに不明瞭となり、網膜のところどころに灰白色の斑状部が現れ、あるいは乳頭の周囲に放線状の細い線が見えてきたり、血管の輪郭が不明瞭になつてきたりする。
  出血は、一般に後極、特に乳頭周囲に多く、初めは表在性線状・火炎状で主要血管に近く現れる。しかし、後には円形・点状で深在性を示し、また眼底のどの部分にも見られるようになる(組織学的には、前者は毛細血管性―表在性の出血であるが、後者は神経繊維層より外層《深層》の出血であり、吸収が悪く、したがつて組織障害を起こしやすく、視力に対する予後が良くない。)。
  各種出血は位置によつて視力に影響を与える。すなわち、出血が黄斑部に起これば視力は非常に悪くなるが、出血が黄斑部を避けている場合には、視力には何ら障害を与えないことが多い(本人には何ら自覚症状がないが、他疾患の診断等のために眼底を検査すると小出血を発見することはしばしばあるという。)。
  白斑も特徴的所見である。血圧亢進の重症型では軟性の綿花状白斑(白い綿をちぎつて置いた感じのする白斑で、組織学的には神経繊維の節細胞状肥厚であるという。)が現れ、特に乳頭―黄斑部を中心として多い。一般に表在性である。出血を伴うことがある。
  硬性白斑(円形又は不正形で、大きさはさまざまであり、光つていて境界が鮮明である。病理学的には、出血や浮腫、滲出物の吸収した跡にグリア組織が増殖したもの、類脂肪含有の蛋白質又は脂肪顆粒細胞の集団等によるものであるという。)も認められる。多くは深く網膜にはまりこんで見られ、血管の下に位置する。眼底後極部に多いが、時には周辺まで広く分散して見られる。黄斑部では特有な形状を示し、星芒状白斑(黄斑部に中心窩反射を中心に白線が放射状に並んでいるもので、殊に後述の腎性網膜症に多く見られる。)と呼ばれる。
  以上、高血圧性網膜症では動脈の著名な硬化性変化・狭細化、綿花状白斑、出血等の症状が見られ、特徴的な眼底所見を呈するのであるが、これらの症状はいずれも本症のみに限られた特有の所見ではないから、診断に当たつては総合的に症状を判断する必要があることはいうまでもない。
(二)悪性高血圧性網膜症
  眼底所見は右の高血圧性網膜症の所見に加えて乳頭浮腫が加わる。周囲の網膜浮腫も一般に著明で、著しいときは網膜が剥離している。
  その他の所見は高血圧性網膜症に準ずるが、病像の及ぶ範囲はしばしば限られており、乳頭とその付近の所見のみが顕著な症例がまれでない。若年に発病した悪性高血圧の初期では特にそうである。
  しかし、詳しく観察すれば、細動脈系の著しい狭細化、多数の綿花状白斑、大小さまざまで多数に現れる硬性白斑(乳頭周囲の輪状配列、黄斑部の星芒状白斑)等の所見が認められる。出血斑も時には広範かつ多数に見られ、閉塞した細動脈の付近に放線状に配列していることもある。
3 動脈硬化性網膜症
  血圧亢進が久しく持続し、網膜動脈系に硬化が発生して数年を経た患者に発生する網膜症である。
  眼底所見は以下のとおりである。
  網膜血管系に著しい硬化を認め、口径不同、銅線もしくは銀線動脈、白鞘形成、動静脈交差現象が明白であり、細血管枝は硬化して迂曲を示す。
視神経乳頭は、境界が多少明瞭を欠く時もあるが、それ以外の変化はなく、後期には多少の萎縮を伴う。いずれにせよ網膜及び乳頭に浮腫を全く認めない。
  特徴となる硬性小白斑は、主として眼底の後極部に現れ、円形・境界明白で散在性(時に輪状あるいは星状)に配列する。まれにもやや大きい白斑も見られる。
  出血斑も、散在性で小さく、主要血管との関係は一定していない。表在性のこともあり深在性のこともある。
  以上のように、動脈硬化性網膜症は、網膜動脈には著しい硬化所見と出血、白斑を認めるが、網膜浮腫、綿花状白斑(軟性白斑)、乳頭浮腫を全く欠き、網膜動脈系で広範に著しい痙縮像が認められない網膜症であり、また、しばしば片眼性である(症例の四五%に及ぶという。)
  その発生については、網膜静脈閉塞症の陳旧化した場合や、高血圧性網膜症が血圧の降下後本症の病像へ変化したものと考えられる場合が多く、高血圧↓網膜動脈硬化に続いて徐々に本症が発生する場合は比較的まれであろうといわれている。
  本態性高血圧症例の眼底検査によつて偶然発見された場合には、本症はキース・ワグナー分類2群に分類されるが、ある患者に高血圧性網膜症を認めて経過を観察中、次第に本症に移行した場合には、キース・ワグナー分類3群として取り扱われるという。
  なお、本症は、これに続発して網膜前出血、網膜静脈血栓、網膜動脈塞栓等の大出血や血流遮断が起こると視力に大きな影響があるが、そうでない限り自覚症状もないことが多い。
4 腎性網膜症
  腎性高血圧に伴う高血圧性網膜症の一種(特殊例)とみてよいものであり、窒素血症に血圧亢進が加わつているときに起きる。眼底病変がかなり特徴的で通常の高血圧性網膜症と若干の相違を示す。
  その眼底所見は極めて特徴的なものであつて、乳頭の強い浮腫混濁、星芒状白斑及び多数の綿花状白斑の存在並びに出血が認められ、成書にも、例えば、「その特徴は、乳頭浮腫が強く、その浮腫は混濁し、網膜の微小血管の走行などが不明瞭となり、綿花様白斑の数が多く、乳頭周囲や眼底後極に密集して現れやすい。」旨(〈証拠略〉)、「両眼性に起こり、乳頭には混濁・浮腫・腫張を認め、乳頭周囲の網膜にも浮腫混濁があり、後極部の網膜は全体として薄く灰色を帯びて正常の網膜に見られる生き生きとしたつやを失い、びまん性の混濁の中に出血や綿花状白斑を認め、血管系には細動脈硬化性の諸変化がある。黄斑部には中心窩を取り巻いて星芒状白斑を生ずることがしばしばあり、極期には動脈は極端に細く、網膜は暗くしばしば暗青緑色調を帯びて混濁肥厚し、網膜剥離をみることもある。要するに細動脈硬化を伴つた視神経網膜炎の所見で、特に動脈が異常に狭小なのが最初から目立つている。視力障害は必ず伴つており乳頭浮腫の有無が判定の鍵である。」旨(〈証拠略〉)、「本症は原則として両眼が侵される。本症の特徴は乳頭炎と網膜の浮腫であり、それに星芒状白斑・綿花状白斑・出血斑・血管変化が加わる。乳頭は発赤し混濁しており、混濁が高度の場合には乳頭上の血管の分岐すら分からないことがある。一般に乳頭の境界は不鮮明である。黄斑部に中心窩反射を中心に早線が放射状に並んでいる。一般には小出血と混在して綿屑状白斑が散在している場合が多く、硬い感じの小円形白斑が散在していることもしばしばある。血管は一般に動脈硬化が高度であつて細小となり、銅線状あるいは銀線状を呈し、またしばしば交差現象が見られる静脈は怒張していることが多い。常に刷毛状の小出血が白斑、主として綿屑状白斑と混在している。」旨(〈証拠略〉)記述されている。
  自覚症状としては、出血・白斑の状態により視力視野の障害を訴え(この点は高血圧性網膜症と同じ)、網膜剥離を起こした場合には相当大きな視野欠損が起きる。
  慢性腎炎に明白かつ高度の網膜症が発生したときは、腎炎が末期に入つたことを示し、その後の生存期間の平均は四・〇ないし四・三か月であるといわれ、悪性高血圧性網膜症の平均生存期間が一三か月であるのと対比すれば、はるかに短い。
  慢性腎炎では、その久しい経過中、反復して眼底を検査しても遂に眼底が正常である例は約一〇%にすぎないといわれ、大半の例ではある時期に眼底に何らかの病変を認める。

 しかしながら、管理のよい慢性腎炎はある程度の高血圧はあつても眼底は長く高血圧性眼底(キース・ワグナー分類の1ないし2群)の状態にとどまり、細動脈硬化性の変化はそう著明でないことが多く、したがつて視力、視野等の異常を示すことはない。
5 全身性エリテマトーデスに起因する網膜症
  本症は、全身性エリテマトーデスによる高血圧症に基づく場合と、血圧は正常であつても全身エリテマトーデス自体による発生する場合とがある。
  前者は要するに高血圧症の網膜症の一種であり、また、後者は細動脈の閉塞による出血を特徴とするものであつて、その眼底所見は出血を特徴とするかなり特異な症状を持続的に呈する。
6 ク網膜症との鑑別
  以上に述べたように、前記2ないし5の各疾患はいずれもク網膜症とは異なる特徴的な眼底所見を示すものであり、一回限りの眼底検査によつては鑑別し得ない場合であつても、繰り返し検査を行い、症状の経過を観察することにより、右各疾患とク網膜症との鑑別は比較的容易に行うことができるものである。
  すなわち、病理学的にはク網膜症が色素上皮層、視細胞等の網膜外層の変性疾患であるのに対し、高血圧性の網膜症はいずれも血管性の病変であつて、侵される部位も態様も異なつている。そこで、高血圧性の網膜症では出血、白斑及び乳頭浮腫が継続して広範に現れることが多いのに対し、ク網膜症では出血や白斑等が認められるのはまれであつて、これらが見られても比較的一過性であり、症状全体の推移の中で小さな部分を占めるにすぎない。その上、前者では血管性の病変であるため病変の現れる部位が限定されないが、後者では、病変が黄斑部に初発して周辺部に広がつて行くものが多い等、病変の現れる部位に規則性や特徴がある。
  なお、前述のように慢性腎炎の大半の症例には、その長い症状の経過中、何らかの眼底変化が現れることがあるというのであるから、これによる網膜動脈の幾分の狭細化及び硬化現象がまま見受けられるのは当然のことである。しかしながら、症状が高血圧性眼底の段階にとどまつている限り視機能にほとんど影響はなく、それが腎性網膜症又は(悪性)高血圧性網膜症に進行し、重篤な眼障害を呈するに至つた場合には、右各網膜症の基本となる腎障害はいずれも非常に予後が悪く、殊に前者の場合人工透析等を早急に行わない限り四か月程度で死亡することが多い(ただし、人工透析を行つても必ず症状の回復をみるとは限らず、なお悪化することも多い。)ので、この点からもク網膜症との鑑別は可能であるということができる。
第二 ク網膜症の認定基準
一 ク網膜症の診断基準と診断方法
  〈証拠略〉を総合すると、次の事実が認められる。
  ク網膜症の診断のためには、従来のク網膜症の報告例とおおむね矛盾しないような形の網膜の変性があること及びクロロキン製剤の服用歴があることの二点をもつて医学上は十分とされている。
  ク網膜症は、変性疾患の一つであつて、変性疾患は、細菌等による感染症の場合等と異なり、その原因を厳密な意味で科学的に確定することは必ずしも容易とは言えない。しかしながら、クロロキンによる網膜変性は、網膜変性疾患一般の中でもかなり際立つた特徴を有しているので、病変部の状態だけでなくクロロキン製剤服用後における眼障害の発症とその症状経過、所見の推移等を加味して全体的に判断すると、相当程度の蓋然性をもつてク網膜症の診断を下すことが可能である。
  ク網膜症の診断のためには、まず、網膜の変性を確認することが必要である。その手段として各種の検査を行うが、基本的に必要なのは、視力、視野、眼底の検査であり、眼底検査に異常があり、視野検査においてそれに対応した箇所に暗点が証明されれば、網膜の変性を確認することができる。更に、眼底所見を記録するためには眼底写真を撮影したり、補助的な検査としてERG測定、場合により色覚検査等を行うこともある(これらの検査の中ではERG測定が比較的重要である。)が、いずれもあくまで網膜の変性とそれがク網膜症の特徴を有するものであるか否かとを確認するための手段であり、それらの検査の一つでも欠けば、正確な診断が不可能になるというようなものではなく、順天堂大学においても、ク網膜症の診断のために視力、視野及び眼底の検査並びにERG測定は行つているが、蛍光眼底撮影や暗順応検査は余り実施していない。
  診断に当たつては、殊に眼底所見が重要であり、〈証拠略〉には、「クロロキン網膜症の診断は、もしある程度以上病変が進行したものであれば、特異な臨床像を見ることにより、多くの場合、むしろ容易である。…診断の根拠は、主として眼底所見によるものである。従来記載されている所見に類似したものであり、いずれも病変がかなり進行したものである。これらの症例の診断は極めて容易であるといえる。いずれもクロロキン製剤を3〜5年のかなり長期間服用し続けている。」との説明があり、また〈証拠略〉には、「昨年度の本班報告において、クロロキン網膜症類似の眼底変化を示す遺伝性の変性疾患についての報告を行つた。その中でクロロキン網膜症でのみ発現する特異な症状はないが、全体としては握すると、クロロキン網膜症と、他の変性症の鑑別が可能であることを示したが、本症例の場合のように網膜色素変性症と合併した場合においても、その鑑別は、異なつたクリキカル・エンテイテイ(臨床単位)のものとして分離が可能なように思われる。」との説明がある。
  その診断は、特殊な技術、経験を要するものではなく、ク網膜症についてのある程度の知識があれば、通常の眼科医にも可能なものである。
  もちろん、網膜変性に対応する眼底所見が従来の報告例と余りにもかけ離れているものであれば、診断は比較的困難となるが、反面このことのみでク網膜症を否定することもむずかしい。
  また、クロロキン製剤服用以前になんらかの眼障害があつたことが証明された場合は、右疾患と網膜変性との因果関係が問題になるが、逆に、服用前に眼が正常であつたことが明確であれば、その事実によつて、ク網膜症の診断の確度は非常に高くなると言いうる。
遺伝関係については、家族に遺伝性の網膜変性疾患があること等が証明された場合、診断は慎重になされるべきではあろうが、家族に遺伝性疾患があつても必ずしも本人にもそれが発生するとは限らないので、この事実のみからク網膜症を否定することはできない。
 以上のように認められるところ、〈証拠略〉には、その「クロロキン網膜症の診断」の項に、眼底の精密な検査の外に蛍光眼底撮影、定量視野の測定、ERG測定、暗順応検査、色覚検査等の実施が不可欠であるかのような記述があるけれども、これを、同一の著者によつてほぼ時期を同じくして書かれた日本文献108の記述と対比してみると、〈証拠略〉の右記述は結局右のような各種検査がク網膜症の早期診断に有効であることを強調しているものにすぎず、相当程度に進行した網膜変性をク網膜症と診断するについても前記の諸検査の実施が不可欠であるとする趣旨ではないものと解される。このことは、右記述の前段において著者の引用している文献がすべてク網膜症の早期診断に関するものであることから明らかである。そして、他に前段の認定に反する証拠はない。
二 ク網膜症罹患の認定とその資料
1 クロロキン製剤の服用事実の認定
  第一節において述べたように、クロロキンの服用量及び服用期間とク網膜症の発症との間には相関関係の有無が明らかでなく、その安全限界値を提示することはできない。したがつて、ある患者についてク網膜症との認定を下すにつき、その前提として要求される同人のクロロキン製剤の服用歴としては、ある程度の期間にわたつてある程度の量のクロロキン製剤の服用があつたことをもつて足りるというべきである(もちろん、それが例えば全体で数日間の服用といつたような極端に短い期間であつたときは別である。)。そして、右服用事実の証明については、投薬した医師がカルテに基づき作成した投薬の期間と量を明示した投薬証明書又は右医師の証言が最良の証拠資料であるとことはいうまでもないが、種々の事情からこれが得られない場合もままありうるのであつて、そのような場合、クロロキン製剤の購入先の薬局又は薬店の証明書、本人の服用の記憶、その記憶に誤りのないことを裏づける種々の補助証拠とその他右服用の事実をうかがわせる間接証拠による証明も許されることはいうまでもなく、ただ証拠価値の評価の問題が残るにすぎない。
2 医師の診断書の証拠評価
  原告らのク網膜症罹患の事実の有無の法的判断に当たつても、医師の臨床診断の場合と同様、その証明は相当程度の蓋然性あるをもつて足り、一〇〇%の科学的厳密さによる証明を要しないものと解するのが相当である。その判断の最も有力な資料となるのは、眼科専門医による診断であるが、診断書の証拠価値を吟味する際には、次の点について留意する必要がある。
(一)診断書の文言
  本件において原告ら患者のク網膜症罹患の事実を証明するため原告らの提出した診断書のうちには、診断結果の記載として、「クロロキン網膜症の疑い」又は「クロロキン網膜症が最も疑われる」等、断定を避けた表現が用いられているものがあるが、このことのみによつて直ちにその診断の確度が低いということはできない。なぜならば、前述のようにク網膜症のような変性疾患の場合には、その診断は、科学的に厳密な意味で一〇〇%の確実性をもつて下すことはできず、臨床的には蓋然性が高いということをもつて満足せざるを得ないところから、一応、診断医が断定を避けて「疑い」等の文言を付する場合のあることが考えられ、また、通常医師は右のような意味合いで「疑い」等の文言を使用することが多いことから、その文言に必ずしも否定的なニユアンスはないことが、〈証拠略〉によつても認められるからである。
(二)診断書の記載内容
  原告ら提出の診断書中には、統一診断書として視力、視野、眼底所見の症状の推移の記載があるものの外に、症状の詳細な記載のないものや判断の根拠が明示されていないものもある。しかし、後者のような診断書であつても、そのことのみによつて価値が低いものと一概に論定することはできない。
  一般に眼科医その他の医師の作成する診断書には診断結果の根拠の記載のないものも多く存在することは、〈証拠略〉によつても認められるところであるし、責任ある眼科医であれば、通常右のような診断を下す前提として、網膜変性を確認するために必要な各種の検査を行い、また、各種の先天性、後天性の網膜疾患、特に投薬原疾患に起因する網膜疾患(〈証拠略〉によると、眼科医はク網膜症の診断に当たつて、内科の既往歴には特に注意するものであることが認められる。)等との鑑別診断を行つていると考えられるからであり、また、このことは、症状の推移等について詳細な記載のある診断書の場合には、より確実に言えることであるが、そうでない診断書の場合にも、検査の方法についての記載や他疾患との鑑別についての記載がないからといつて診断医がそれらを行わなかつたとは通常考えられないからである。
第三 原告ら患者のク網膜症罹患の有無に関する当裁判所の認定
  原告ら患者と原告らとの続柄(患者本人又は配偶者もしくは父母兄弟姉妹等の別)が原告ら主張のとおりであること、原告ら患者がそれぞれの主張の原疾患を有していたことは当事者間に争いがなく、第一節第二ないし第四並びに本節第一及び第二において認定判断したところに基づき、本判決理由末尾添付の別紙個別損害認定一覧表(以下「個別認定表」という。)掲記の各証拠を総合して考察すると、原告ら患者各人につき個別認定表「クロロキン製剤の服用状況」欄、同「投薬原疾患名及び病状経過」欄、同「眼障害の発症及びその後の病状経過」欄及び同「現在の病状」欄記載の各事実、すなわち、原告ら患者は、それぞれ同表記載のとおり、原疾患治療の目的で各病院又は診療所からクロロキン製剤の投与(処方)を受け、又は薬局から直接購入して、これを服用したところ、視力の低下及び視野の欠損を主症状とする眼障害が発症するに至つたが、その後の病状の経過及び現在の病状は同表記載のとおりであることが認められる外、右の原告ら患者各人の眼障害は、いずれも個別認定表記載のクロロキン製剤の服用に起因して生じたク網膜症によるものであることが認められる(なお、前述のように原告らと被告Y7との間では原告X2のク網膜症罹患の事実について争いがない。)。
  以上の認定に反する当事者の主張中主要なものについては、これを採用しない理由を同表の「付加説明」欄に判示した。
  なお、個別認定表世帯番号68の患者である原告X3については、同表において認定説示したとおり、同原告がキドラを服用した事実を認めるに足りる証拠がない。
  したがつて、原告X3、同X4、同X5及び同X6の本訴各請求中被告Y4に対する部分は、その前提を欠くことに帰するので、その余の争点につき判断するまでもなく失当として排斥を免れないものである。
第三節 クロロキン製剤による眼障害の医学的知見
第一 外国における医学的知見
一 別紙外国医学論文一覧表記載の各文献が存在することは、原告らと被告製薬会社及び同国との間で争いがない。
  そこでまず、一九五九(昭和三四)年までに公にされた各文献の内容を眼障害を中心に要約すると、次のとおりである。
1 外国文献1―一九四八年
  幾つかの四―アミノキノリン化合物の毒性の研究報告で、毒性効果のうち最も目立つたのは、その一つ(SN七六一八)を服用した三二人のうち一八人に眼の症状(眼がおかしい、重く感ずる、視覚がぼんやりしている、うち一人は朦視を訴える)が現れたことで、これは、投与量を一日四〇〇mgに増加すると現れた,と報告している。
  なお、右のSN七六一八は、アメリカの抗マラリア研究調整委員会が抗マラリア剤の開発研究で、各種の化学物質の中から選定した物質であり、後日クロロキンと命令された。 
2 外国文献2―一九四八年
  抗マラリア剤である七―クロロ―四―アミノキノリン(SN七六一八)、すなわちクロロキンが重篤な毒性をじやつ起することなくマラリア抑制剤として長期間投与しうるか否かを確認する目的でなされた研究報告である。
  従来、クロロキン塩基量は、マラリア治療用として三日間で一・五g、抑制用として一週当たり〇・三gが適量とされている。そこで、囚人各二〇人のグループを二つ作り、一年間一つのグループには七七日間毎日クロロキン塩基〇・三g(七七日間合計二三・一g)、その後一週間に一回同塩基〇・五gを投与し、他のグループには週同塩基〇・五gを投与して観察したところ、前者の半数に視覚症状(近くの物から遠くの物に素早く焦点を移すのに難渋する)、視力障害等が現れたが、投与量を週〇・五gに減量すると視覚症状は消失した。後者のグループでは視覚症状が時折みられたにすぎない。したがつて、この研究の条件下では、クロロキンは、前記の適量が投与されているときは安全な抗マラリア剤である、と結論づけている。
3 外国文献3―一九五七年
  クロロキン製剤は皮膚疾患治療にも使用されるようになつたが、著者(ゴールドマン)らが見てきた過去四年間のこの薬剤に対する諸反応を振り返つて見た報告である。
  慢性かつ難治性の皮膚症に用いられる他の化学療法剤と比較すると、クロロキンは比較的毒性が低い化学物質であると信じられてきたし、実際クロロキン剤が過去一〇年間マラリア抑制計画に使用されてきたが、マラリア治療計画の多くは短期間であつて皮膚科疾患の場合とは全く異なることを忘れてはならない。皮膚科医にとつての問題点は、主として慢性的な毒性に関する問題である。
  著者らが得たクロロキンに対する薬物反応の一つのグループ(小さな、もしくは不快な反応のグループ)のうち最もやつかいな徴候は眼症状であるが、これはどの例でも完全に消失した。亜急性テリテマトーデス患者二名では最初クロロキンが重篤な眼底変化を引き起こすことが懸念されたが、これは証明できなかつた。この患者の双方共に視野の重篤な狭窄が引き起こされた。
  結論として、クロロキンは、実際の皮膚科治療で一般に使用されているが、その長期にわたる治療経過にもかかわらず比較的毒性は低い、という。
4 外国文献4―一九五七年
  著者(キヤンビアギー)は、全身エリテマトーデス患者を約一年間観察し経過を知る機会を得、エリテマトーデス患者に発生することが報告されている眼障害のうちのいろいろな症状が観察されてきたが、著者が知る限りではこれまでに報告されていない眼底変化を示した一例を報告したものである。
  患者(三七才の女性)は、リン酸クロロキンを二五〇mg一日二回投与されていたところ、一九五五年三月になるとあらゆる物が暗く見えると訴え、同月八日眼検査の結果わずかな表在性の角膜混濁及び虹彩の下半分に両眼性びまん性の萎縮又は形成不全があつた。クロロキンは、眼障害の原因であるかも知れないという疑いで中止された。一九五五年六月再入院し、ヒドロキシクロロキン(ブラキニール)が漸増投与され、同月末両側黄斑部に乳頭よりやや小さめの黒点が出現し、その黒点の中央に早期萎縮と思われる小さな白色部分が現れ、七月一七日萎縮範囲は拡大し、濃い色素縁で囲まれた。右眼下部耳側四分の一の赤道近くに綿花様滲出斑が現れ、左眼底下方周辺部には網膜表層に位置する小さな色素顆粒がみられた。同じく左眼乳頭から二乳頭径下の下鼻側に小さな色素斑が存在した。九月再検査時に黄斑部萎縮は拡大し、以前同様の色素縁がみられ、両側中心窩に小さな赤い部分が認められた。綿花状滲出斑は消失していた、視力は右眼2040、左眼2070で、視野は中心、周辺共に一〇度まで狭窄していた。
  しかし、著者は、クロロキンを中止しても改善しなかつたので、右の網膜病変の原因要素としてクロロキンは除外することができると思う、と述べている。
  ところが後日―一九六四年―右症例がク網膜症であることが病理学的に確認されている(外国文献43)。
5 外国文献5―一九五八年
  最近になつて、特にテリテマトーデス等の疾患の治療に使用されるクロロキンの泰効性が大量の実験的使用を促し、ために眼症状がそれ以前に増して現れるような傾向にあり。著者(ホツブスとカルナン)は、クロロキンの服用からもたされる最も油断のならない、そして一時的でない状態に注意を向けた(その出現は投薬の期間も量もかなり個体差がある。)それは、充血性の緑内障を思わせるような暈輪と角膜上皮層に特徴的な沈着物とを伴つた視力障害である。
  クロロキンの投薬を受けた三〇人の患者を調べた。うち二八人(数週間から二年間にわたる治療期間中か、それが終つた直後に調べた人の数)のうち、一九人は、眼がかすんだり、もやがかかつたようになる(うち四例)、眼がかすんだり、光線の周りに色のついたリングが出現する(うち三例)、等の症状を訴えた。細隙灯顕微鏡で調べたところ、右二八人のうち二二人に角膜変化がみられた。
  クロロキン治療の間、これら変化が徐々に進行するのがみられたし、治療を中止した時もつとゆつくりとした変化の消退が幾つかの例でみられた。このことは、それらの変化がクロロキン治療によつて起こつたということを確実ならしめる。これらの進行に必要な時間と使用量の関係等はまだ明らかでない。しかし、我々が観察中の少なくとも一例は、それら変化によつて次第に視力を失つて行くのかも知れないことを示唆している。それゆて、これら評価の定まつていない(非常に貫重な)治療をする間は、注意深い眼科的監視が必要である、と述べている。
6 外国文献6―一九五八年
  著者(カルキンズ)は、種々の診断名でクロロキン治療を受けている七つの臨床例を報告している。
  ある型の視覚障害(「眼の上に薄膜があるようだ」「眼の上のかすみ」「日光の下でのまぶしさ」「光の周りの暈輪」など)がすべての症例において存在し、そしてすべてに両側性の角膜上皮変性が現れている。中止された症例では自覚症状も客観的な角膜の変化も顕著に改善し、完全にきれいになつている。ずつと続けられている一症例では角膜の変化は非常にゆつくりではあるが進行している、という。
7 外国文献7―一九五八年
  ぼやけた視覚をもたらす角膜上皮の変化(角膜上皮に不連続な混濁化を示す)が関節炎やテリテマトーデスのためリン酸クロロキン(アラーレン)を服用した一〇人の患者に起こつた旨の報告で、この変化は、薬剤治療の中止で可逆的であるようである。すべての患者が視覚上で不満を訴えていたわけではないが、すべての患者は生体顕微鏡で角膜異常を示していた、と述べている。
8 外国文献8―一九五九
  一九五八年四月二六日のロサンゼルス皮膚科学会とメトロポリタン皮膚科学会ロサンゼルス支部との合同会議でのシユテンベルグらの報告である。
  円盤性エリテマトーデスの患者(三二才の女性)に一九五三年三月クロロキン二五〇mg毎日二錠投与し始め、臨床的には確実に良くなつたが、一九五四年六月髪の基部二分の一インチが明るいハチミツ色になつたので、クロロキンの投与は中止されたところ、エリテマトーデスが再燃したため再びクロロキンが投与され始めた。一九五八年一月二三日患者の視力不明瞭が分かり、クロロキンは一日一錠まで減らされ、同年二月二六日完全に投与を中止した。
  眼底検査の結果、両眼に黄斑の変性があることが分かり、中央視の能力を減少させていた。網膜の病変と失明がまず永久的らしい……、と述べている。
9 外国文献9―一九五九年
  前記外国文献5と同様、ホツブスとカルナンが三〇人の患者を観察した結果の報告である。
  抗マラリア剤で治療した場合角膜変化が発生する患者の割合は不明であるが、二つの型で現れる。
  第一は、一時的な浮腫が急性の重い朦視を生ずる型で、これは敏感な患者に毒作用として発現し、第二は、もつと持続的な形で視力に影響を与える不透明な物質の角膜上皮下の潜行性沈着物によつて特徴づけられる型である。クロロキンの場合は少くとも角膜変化が普通規則的な形で発現するように見えるが、単純な角膜薄えいとして存在するのかも知れない。
  その後(この報告書が準備されて以降)の観察によつて、これら薬剤の大量投与治療を受けた患者に高い割合で角膜変化が発生することが確認された。この観察は、更にまた網膜変性さえも予見されること、そのうち幾つかは重篤な永久的視覚障害を結果することを示唆している、という。
10 外国文献10―一九五九年
  マラリアの抑制又は治療に用いられる量では、クロロキン及びその誘導体の中毒作用はごくわずかで、その有用性を損なうものではなかつた。一方、大量作用ではより重篤な副作用の起こることがクロロキン使用の当初から知られていた(アービングら一九四八年―外国文献3。)エリテマトーデス、リウマチ様関節炎でもその有効量は一般にマラリアに対する一般使用量を超えて多く、かつ、より長期にわたつて投与されるので、中毒作用が報告されても驚くに当たらない。
  最近我々(ホツブス、ソルズビー、フリードマン)は、少なくともある症例では明らかに非可逆性の視覚障害をきたす、極めて重大な特徴をもつ変性を認めた。これらの患者もまたエリテマトーデス及びリウマチ様関節炎のためクロロキン化合物の治療を受けていた。
  これらの症例(著者らが観察した三つの症例)における眼障害の重要な共通した特徴は、黄斑部障害、網膜血管の狭窄化とそれが引き起こす暗点及び視野欠損である。症例1(及び第四例―一九五八年五月王立医学会の皮膚科領域で検討されたもので、夜盲症、暗点、視野欠損、網膜変性の発症については、症例1と極めて似ているが、その状態は更に重篤で、事実上失明している。)の網膜色素沈着は、動脈の狭細化、網膜浮腫で始まり、周辺及び中心部の色素沈着へと進展する網膜症のより進行した段階をよく示すものかもしれない。我々はこの障害が永久的なものかどうかは分からないが、今日までの経過は自然寛解はありそうもないことを示唆している。
  これら三症例の網膜変化は、クロロキン化合物による治療後、それぞれ三年六か月、二年九か月、三年目に発症している。その重症度は使用量とある程度の関連性を示している。すべて使用量は一日一〇〇mgないし六〇〇mgであつた。薬剤中止後症状の改善は今のところなかつたが、障害の進行は止つた。それゆえ、これら変性が基礎疾患の経過に基因することはありそうもなく、特にこれが(症例1)治療中止により著明に再発していることからなおさらである。我々はこの状態を薬剤投与の結果であるとする方が妥当だと考える。
  特異体質がキニーネの場合と同様、合成抗マラリア剤による網膜反応に一役買つているかもしれない。侵されるのはごくわずかの症例にすぎないから。
  合成抗マラリア剤による視覚障害についての公表された記述では、我々の患者にみられたような特徴をもつ症例を見たことがない。しかしシユテンベルグら(一九五九年―外国文献8)によつて報告された症例は、同じ型のものであろう。ゴールドマンら(一九五七年―外国文献3)により報告された長期クロロキン治療後の重篤な視野欠損は同じような機序を示唆するものである。
  硫酸クロロキンでウサギに網膜変性を作ろうとする我々の試みは不成功であつた。この否定的事実は、他の薬剤の非中毒量一回静注でウサギに実験的に起こされる網膜障害について知られていることと対比して評価する必要がある。したがつて、クロロキンは、ピペリジエチルクロロフエノチアジン(この物質は、精神病治療を受けている患者に色素沈着を伴う網膜障害を起こすが、動物に対してはそのような作用がないことが知られている)に類似した発現をすると思われる。臨床所見は、クロロキンおよびピペリジエルエチルクロロフエノチアジンのヒトの網膜に対する影響は血管痙縮に基づくものであることを示唆している。このことは我々の否定的な実験(右動物実験)結果を説明するものである。
  以上の根拠により、ここに述べた網膜症は、クロロキン化合物によりじやつ起されたものである。クロロキンによつて発生することが知られている角膜変化は、他の合成抗マラリア剤でも起こるので、これらはまた関節炎やテリテマトーデスの治療に必要量投与されると、いずれにせよ網膜変性をじやつ起する可能性がある。これら疾患の治療が中止されることはありそうもない。にもかかわらずこのような治療は不必要に続けないことが賢明であるようである。使用期間を短くし、定期的な眼科検査を行つてコントロールすべきである、としている。
11 外国文献11―一九五九年
  右10の論文の読後にその掲載された「ランセツト」誌に寄稿したフルドの手紙であつて、次のようにいう。
  数年以上観察され続け、そして一八か月以上の長期間、大量のクロロキンを与えられた一〇〇名以上の患者のうち、ホツプスらによつて述べられたものに匹敵する眼に重大な併発症をもつ一例を経験した。
  二年半にわたり硫酸クロロキンの投与を受けた婦人の両眼に乳頭の蒼白と中等度の動脈狭窄(部分的な視神経の萎縮)が確認された。両黄斑部にはつきりとした円板状の変性があり、両眼に中心性絶対暗点があつた。クロロキン中止後六か月になつても眼はよくならず、本が読めないし、対象物のそばでないと何もはつきり見ることができない。
  ランセツトの論文を読み終え、おそらくは非可逆的な眼の変化は、二年半にわたる抗マラリア剤クロロキン治療による直接の結果であることを少しも疑わない。
  リウマチ様関節炎やエリテマトーデス等のクロロキン治療は、むやみに長く引くべきでないというホツプスと共同研究者らの意見に完全に同意する。私はこれらは一八か月間の治療を上限と考える。活動性リウマチ関節炎のほとんどの患者がクロロキンから受けた利益は、これまで報告された副作用に疑いなく勝つているが、長期間の抗マラリア剤治療を受けたすべての患者を監視することが望ましく思われる。
二 以上の各文献によると、次のような事実が認められる。
1 クロロキンがマラリアの抑制又は治療に用いられている量以上に長期大量に使用されることにより眼に対する副作用が起こることは、既に一九四八(昭和二三)年の段階で知られていた。エリテマトーデス、リウマチ様関節炎等の治療にクロロキンを用いるとき、一般にクロロキンのこれら疾患に対する有効性がマラリアに対する一般使用量を超えて多くなり、かつ長期にわたつて投与が必要となる。それゆえ、右疾患の治療にクロロキンを使用する場合の問題点は、主として慢性的な毒性に関する問題と認識され、そして右疾患にクロロキンが用いられるからには、眼に対する重篤な副作用が現れても不思議ではないと考えられていた。
2 かくして、早くも一九五七年には、証明はできなかつたものの、クロロキンが重篤な眼底変化(視野の重篤な狭窄)を引き起こすことが懸念され(外国文献3)、同じ年にクロロキン治療を受けた患者の網膜変性の症例(ただし、著者はクロロキンを中止しても網膜変性が改善されなかつたので、クロロキンをその原因から除いているが、後日ク網膜症と確認された。)が報告されている(同4)。そして一九五八年には、クロロキンと角膜症の因果関係が医学的に確立し、その治療の期間中は注意深い眼科的監視が必要と考えられるに至つていた(同5ないし7)。
3 一九五九(昭和三四)年になつて、クロロキン服用者に非可逆性の網膜障害が発症した旨の、あるいは非可逆性を示唆する網膜変性が予見される旨の各報告がなされ(同8、9および10)、かつ、クロロキン治療を受けた患者に現れた網膜症がクロロキン化合物によつてじやつ起されたと結論づけた論文(同10)がランセツト誌上に発表された。
  右ホツブスらの論文は、クロロキンと網膜症との間の因果関係を初めて認めたものであることは明らかである。確かに、ホツブスらは、右時点で動物実験においてクロロキンによる網膜症の発現に成功しなかつたし、症例ごくわずかなゆえに特異体質も一役買つているかも知れないと述べているが、前記の各文献と関連づけてみると、右論文は、既に一九五九年の時点で少なくともクロロキン化合物と網膜症との間の医学的因果関係をほとんど疑いない程度に証明した論文と評価することができるのであつて、医学、薬学に携わる者、クロロキン製剤を製造販売する者等にとつては決して無視することのできない重要な論文であつたと解せられ、また、この時点で既に、不必要な長期治療を戒める意見出ていて、定が期的眼検査によるコントロールの必要性が述べられていたことは注目に値するものといわなければならない。
三 その後一九六二(昭和三七)年までに公にされた外国文献の要旨は、以下のとおりである。
1 外国文献12―一九六一年
  クロロキンは角膜変化に対し明らかに責任があり、その発生率は、約三三・三%であるが、網膜障害は、角膜変化よりもはるかに低いひん度で起こることは明らかである。角膜の変化と違つて網膜の変化は大多数の場合、その変化が検出された段階では非可逆的であると思われるから、網膜の変化の発生率が低いことは幸運である。以前報告した(外国文献10)四例の網膜症(動脈の狭窄、浮腫、数例では色素障害)が再確認され、ほとんど非可逆的であることが分かつた。暗順応測定は、初期段階で網膜症検出に有効であることが証明されなかつた。
  角膜沈着物の治療は不必要であるように思われ、網膜症状の治療はほとんど効果がなかつたようである。しかし、これらの薬剤を大量投与せねばならない場合、治療期間は限定されねばならず。もし長期治療が必須であれば数週間の投与中止期間を設けて治療を中断すべきであると忠告できるように思われる、としている。
2 外国文献13―一九六一年
  エリテマトーデス一二か月以上クロロキン治療を受けた患者(五五才の男)に、網膜血管は狭く、両黄斑を囲む細かい色素沈着物の集まりがあつて、両眼の視野にはつきりした傍中心性輪状絶対暗点が認められた旨の報告。眼の症状は軽減されず、暗点は恒在的で、かつ絶対暗点である、という。
3 外国文献14―一九六一年
  エリテマトーデスでクロロキン治療を受けた患者の四例に、クロロキンによつて(情況証拠はクロロキンのせいであると思われる。)網膜症があつた旨の報告で、この型の網膜症には永久かつ重篤な視覚損傷の危険を伴うという立場から、抗マラリア剤治療を受けている患者に対し完全な眼科的監視が要請される、とする。
4 外国文献15―一九六一年
  著者らは、長期間(二年半)リン酸クロロキンを服用したリウマチ様関節炎の患者にホツブスらの報告(外国文献10)と同様の変化を観察したという。すなわち、視野欠損、中心視力の低下、角膜沈着物及び著明な動脈狭窄と黄斑の浮腫からなる網膜症で、視野欠損が明らかに永続的である。そして、著者らは、長期リン酸クロロキン治療を受けている患者は、特に重点的に細隙灯でまた検眼鏡検査や視野検査を含む定期的検査を受けるべきである、としている。
5 外国文献16―一九六一年
  クロロキンで長期治療中の患者に永久的な網膜変化とこれに伴う著しい視覚障害が発生したという証拠を更に追加する目的でこの報告をする(と著者らはいう)。
  文献を再調査すると、クロロキン治療によると思われる網膜変化の報告(すなわち、外国文献4、8、10及び11の六例の報告)が見られる。そして、クロロキン治療の結果、網膜の障害を伴つた三症例(リウマチ患者二例、エリテマトーデス患者一例)をここに追加して報告する。
  これら網膜の変化は長期クロロキン治療を受けたリウマチ様関節炎、エリテマトーデス患者らに起こつたという理由で、我々は、この薬剤が原因作用物としてかかわつているに違いないと考える。永続的な網膜変化をもたらす可能性は、全身性疾患のためクロロキンを処方するすべての医師によつて、その治療効果より重要視されるべきである、と述べている。
6 外国文献17―一九六一年
  エリテマトーデスで長期(約六年)クロロキン治療を受けた患者に網膜症(脈絡膜血管がはつきり見られ、網膜動脈はまつすぐで細く、乳頭は蒼白で、黄斑浮腫があり、両眼底に不規則なまだら模様の色素沈着もあつた。)が生じた旨の報告である。
  視野はひどく狭まり、眼底像は網膜色変性症に似ていて、変化は永久的である。エリテマトーデス、リウマチ様関節炎の治療でのクロロキンの投与量は、マラリアに用いられる量を超過することはしばしばであり、またずつと長期間続用される。それゆえに、その毒作用がしばしば報告されるのは驚くべきことではない。右症例で、薬の中止は、この二年間、視覚の改善をもたらさなかつた。この間、皮膚の状態は症度が変化した。そのことが視覚障害はエリテマトーデスのせいでないことを示した。長期間の治療の後、症状が比較的突然に始まることは、網膜効果がたまたまの例にしか起こらない特異体質によるものであることを暗示する、としている。
7 外国文献18―一九六二年
  リウマチ様関節炎患者に一年間にわたり一日二五〇mgのクロロキンを投与した後に至り、両網膜の乳頭及び黄斑部は正常であつたが、中心部に暗点が出現した旨の報告である。
  マラリアの治療のための投与量は、抑制のための週二五〇mgから急性発病の治療のための三日間で一五〇〇mgにまでわたつている。毒作用はこれらの投与量では、めつたに起こらない。リウマチ様関節炎、エリテマトーデス等の治療では一日五〇〇mgに至るはるかに大量に何か月とか何年もの長期間投与される。毒作用が起こることは意外ではない、
と述べ、長期のクロロキン治療によつて起こるかも知れない視覚障害に関する文献(外国文献5、10等)を総覧した後、クロロキンの長期投与を処方するすべての医師は、重篤な永久的視力喪失の可能性に気づくべきである、と警告している。
8 外国文献19―一九六二年
  リン酸クロロキン投与による視覚障害が文献に記録されてきたが、ごく最近では、脈絡・網膜症を含んでいる。過去二年間に、我々は更に四人の患者を診たが、そのうち三人は、我々がクロロキンにより起こると信じている一つの型の脈絡・網膜症を発現し、他の一人はクロロキンにより発生するのと同様の症状を発現した。クロロキンを処方されているリウマチ患者の数の多さを考えると、この重大な合併症の可能性を警告することは適切であるように思える。三人の患者は、クロロキンの投薬中止にもかかわらず重篤な進性の病変を示した。効果的治療法は知られていない、と述べている。
9 外国文献20―一九六二年
  抗マラリア剤であるクロロキン又はヒドロキシクロロキン治療を少なくとも二か月間受けた三八人の患者の四二%に眼症状、四四%に角膜感度の低下、八四%に角膜上皮沈着、三九%に水晶体混濁、二〇%に眼底障害、八%に視野欠損等があつた。なお、ヒドロキシクロロキンを服用した二人の患者は、眼の異常や症状はなかつた。眼底障害は、黄斑部に主に見られ、非特異的性状の不規則な色素沈着性まだらかる成る。黄斑障害がある二人の患者は、中心視野が狭くなつていたが、予期された中心性とか中心周擁型の暗点はなかつた、とするものである。
10 外国文献21―一九六二年
  クロロキンがリウマチの治療において抗マラリア治療よりもはるかに大量に、かつ、はるかに長期間用いられていることから、我々はこれまでにほとんど知られておらず、よく理解されていなくて、しかももし早く見つけなければ永久の著しい視力喪失が起こりうる潜在的危険のある幾つかの網膜変化を見始めている。ここに報告する患者にみられた検眼鏡的像は,ホツブスら(外国文献10)の報告した第一症例と色素沈着を除いて同じであつた。
  結論として、長期クロロキン治療を受ける者は、だれでもその治療期間中、定期的な検眼鏡的検査と周辺及び中心視野の測定を受けることが勧められる、としている。 
11 外国文献22―一九六二年
  クロロキンの使用の結果発生する角膜変化は、今はよく知られている。クロロキンによる網膜変化は、幸いにしてずつと少ないものであるが、重篤な視覚障害を伴う非可逆的変化に至るので、やはり非常に重要である。しかもそのための効果的治療法は、今のところ全くない。我々は、過去一八か月間に見た二つの新しい網膜損傷症例を報告する。網膜変化は、発生すると永久的であるように思われるので、最も早期の徴候に備えて監視が継続されねばならない、とするものである。
12 外国文献23―一九六二年
  クロロキンによる網膜症の発病は突然である。患者は種々の眼障害を自覚することもある。もし薬が急性段階で中止されれば、わずかな機能回復があるかも知れないが、非常に無視できない網膜障害が起こり、しかも非可逆的である。我々の患者の一例は、投薬中止後、数年たつてもなお視機能が徐々に低下している。その合併症がまれであることとクロロキンには一般的に認められた価値があることから、この副作用が重篤であるにもかかわらず、その継続使用が正当化されている。眼障害が始まる前に何か電気生理学的異常が見つけられるか否かを決めることは検討の価値がある。そのためにはEOGの方がERGより役立つかも知れない、と述べている。
13 外国文献24―一九六二年
  ニバキン(硫酸クロロキン)による治療で発生した網膜症二例を報告する。我々はホツブス(外国文献10)やフルド(同11)の症例と併せて右二症例を検討すると、臨床像が十分確立しているかどうかについて若干の疑いが残つているものの、これら両者に共通の症状が数多く存在しているようであり、これは病歴と併せて、クロロキンが網膜症を誘発した可能性を強く示唆している。これらの例における予後は好ましくないとみなされなければならず、改善はほとんどみられなかつた。このようにクロロキン化合物による長期間治療は、ひどく危険を伴い、我々の意見では、可能な限り避けるべきである。それでもこの治療がある程度長引きそうな場合、眼底と視野に特に注意を払つて、定期的な眼の検査をすることが得策であるように思う、と述べている。
14 外国文献25―一九六二年
  長期間にわたつてクロロキン治療を受けた患者では、角膜の変化は普通のことであり、角膜障害は、薬の使用を中止すると幸いにも病変は可逆的に回復するということが分かつている。しかしながらクロロキンによる網膜障害はまれにしか起こらないけれども、非可逆的であることが判明している。このような繁用薬に対する後者の反応に促されて、障害の検眼鏡検査の類似性を実証する眼底写真を添えて三つの症例を追加報告する。いずれも両側性の黄斑部変性である。これら障害は、検眼鏡検査的には全く同様であり、同円心的色素沈着部位を伴い、「ドーナツ」または「金金」に似ている。網膜変化は非可逆的である。クロロキン治療を受けているいかなる患者も、眼症状の最も早期徴候段階で、速やかに眼科的に診断されるべきである。角膜変化が現れただけでも臨床的注意は必須である。もし眼底変化が認められるなら、この薬は中止さるべきである、としている。
15 外国文献26―一九六二年
  クロロキン治療(リン酸クロロキン毎日五〇〇mg投与)を受けたエリテマトーデス患者(四〇才の男性)に、ほんの一五か月間で視覚障害(眼底鏡的変化はないが、ひどい視野欠損)が生じたことの報告である。
  この眼障害の原因は分からない。ク網膜症の初期の相を表しているかも知れない。長期クロロキン治療を受ける患者は、網膜変化だけでなく、視野欠損についても定期的にチエツクされるべきことが提案される、と述べている。
16 外国文献27―一九六二年
  クロロキン治療に伴う両側性黄斑部性の一つの症例を報告したもの。
  クロロキンの皮膚病やリウマチへの使用は、この薬の使用範囲を拡げ、そしてマラリア抑制に対して処方される投与量よりはるかに過度に投与されるようになつた。クロロキンの潜在的毒性、特に眼に対する毒性に関心が増加してきたのは、クロロキン使用の拡大と時を同じくしている。
  クロロキンに因果関係があると疑われている眼に対する副作用として、調節障害(外国文献2、6)、角膜障害、網膜障害がある。
  結論として、抗マラリア剤は、将来大いに使用される非常に有益な薬剤であるといえるであろう。可逆、非可逆的な毒性のゆえに、患者はこの薬を使う間は、眼科医に診てもらうべきである。非可逆的眼底の変化をもたらす薬の毒性に関する文献中の諸症例を再検討してみると、時間的要素が最も重要であるように思える。同一患者を同一薬による長期投与にさらさないような治療方法が考慮さるべきである。不都合な毒性が、いまだに報告されているので、年余にわたる治療が必要なら、ある抗マラリア剤から他の抗マラリア剤へ断続的に切り換えることが適切かも知れない、とするものである。
四 以上に見たとおり、一九六一年、一九六二年(昭和三六、三七年)当時、数は少ないがクロロキン治療を伴う網膜症の症例報告が相次いで公表されており、しかもクロロキンと網膜症との間の因果関係を否定した見解もしくはこれにいささかなりとも批判的な見解は全く見当たらない。この時期では、いまだ動物実験での網膜症の発現はみておらず(それに成功した報告は、一九六四年に発表されている―外国文献64)、クロロキンによる網膜症の発症機序に関する医学的知見も確立されてはいない(第一節で詳述したとおり今日もなお同じである。)が、前述した文献の著者ら(ほとんどの者がホツブスらの外国文献10を引用したり、これを自己の症例と対比検討したりしている。)は、エリテマトーデスやリウマチ様関節炎のクロロキン治療によつて網膜症の発生する可能性を疑つていない。そして、ク網膜症の非可逆性、進行性、その治療方法のないことについても、既にしばしば言及し、非可逆の変性を生ずる前に網膜症を発見する眼科的検査方法を提案したり、クロロキン治療中の眼科的検査、監視の必要性、あるいは不必要な長期投与は避けるべきこと等を述べているのである。
  一九六三年、一九六四年(昭和三八、三九年)に入つても、ク網膜症の報告が発表されているが、このころになると、ほとんどクロロキンと網膜症との間に因果関係の存在することを当然の前提として、その早期発見方法の研究報告(外国文献28、29、36、42、45、47ないし49、63等)、ク網膜症の医学的知見の要約等に関する研究報告(同33、50、62等)、ク網膜症のひん度、期間、投与最との関係に関する文献(同32、51、63等)、ク網膜症の発生機序に関する研究(同35、37、40等)、ク網膜症の病理学的所見(同41、43等)及びクロロキンの胎児に及ぼす影響についての研究(同52)などが公にされている。のみならず、ク網膜症の危険と対比して、クロロキンをリウマチ様関節炎の治療に用いることに疑問を提起する文献(同53)すら発表されている。
五 その他の外国の文献―NND、SED、PDR等
  〈証拠略〉によれば、NND、PDRは、「公定書」に準ずる書であり、NNDは、アメリカで入手できる単味の薬品のうち、アメリカ医師会が評価したものを収載した権威ある最新情報の提供を狙いとし、アメリカで発売されている薬品が同国でどのように評価されているかを知ることができる書であること、PDRは、一応アメリカの効能書集で臨床医が十分な新薬情報を得るようになることを目的としていること、SEDは、アメリカ、イギリス、ヨーロツパ等の第一次刊行物を基に作られ、図書作成上オランダが保健省の協力を得て一九五五年以降発行されている書であること、右三者は、製薬会社が新薬開発の過程で参照すべき情報資料の一つであつて、製薬会社の安全性担当者が常に繁用していること、NNDは、大学病院、臨床研修指定病院で常備すべき書であつて、一般病院でも常備するのが望ましいとされており、PDRはすべての小病院、診療所にも常備すべきであるといわれていること、またSEDは、副作用等に関し大学病院、臨床研修指定病院には常備し、一般病院、小病院、診療所にも常備することが望ましいとされている書であることが認められる。
  また、〈証拠略〉によれば、遅くとも昭和三七年以降厚生省当局はNNDを各国の薬局方とともに、日本薬局方と並ぶ公的資料と考え、その旨関係業者に公表してきたこと、更に、厚生省薬務局長が昭和四四年一二月二三日の通知(請求の原因第一の五)を発した際、参考とした資料中に、PDR(ただし一九六八年一九六九年の各版)及びSED(ただし一九六四年版)が含まれていたことが認められる。
1 NND(〈証拠略〉)
  一九四八(昭和二三)年版から一九六〇(昭和三五)年版までは、リン酸クロロキンの副作用として「軽い頭痛、掻痒症、視力障害、胃腸障害が起こる。投薬が長期になれば霧視とピント合せの困難が観察される場合がある。どの反応も重大でなく、いずれも可逆性である。」と記載されていた。一九六一(昭和三六)年版及び一九六二(昭和三七)年版になつて、「調節障害による一時的な霧視が観察されている。角膜上皮の浮腫や混濁のような角膜の病変は、暈輪や霧視のような自覚症状を伴うものも細隙灯検査で見つかつている。投薬開始後数週間から数年後に始まるこれら病変は可逆性と考えられていた。しかしそういつた病変がいつたん発生したら、各症例につき投薬の中止による利益と、投薬の継続から生ずるかも知れない治療上の効果とを比較考量せねばならない。
  何人かの患者では、長期療法が網膜細動脈の狭細化、網膜浮腫、黄斑部変性、暗点視、視野欠損で特徴づけられる。非可逆的らしい網膜損傷とも関係づけられている。白血球減少症、重篤な皮膚発疹、角膜または網膜の病変は、投薬中止の指標である。」旨記載され、そして一九六四年版にも同旨の記載がある(〈証拠略〉)。
  なお、一九六五年版には、「数か月または数年のクロロキンによる治療の後に時々起こる網膜変化と視覚障害は、より重篤なものである。これらの副作用は早期に発見すれば時として可逆的であるが、通常非可逆的であり、治療中止後に進行することもあり、またあるいは失明に至るかも知れない。したがつて、クロロキンの大量長期投与により期待される利益とその危険とを慎重に比較考量しなければならない。もしかかる治療を行うことにした場合には。眼科的評価を繰り返し行うことが必須である。サリチル酸剤が十分に奏効する慢性関節リウマチ患者には、本剤を使用してはならない。」とある。
2 PDR(〈証拠略〉)
  リン酵クロロキン(アラーレン)につき、一九四八年版から一九五五年版までは特に副作用の記載はなく、一九五八(昭和三三)年版で、視力障害等の副作用が記載されているが、これは投与中止あるいは減量によりしばしば一過性であるか軽減するとされていた。
 一九六二(昭和三六)年版には、トリテイス錠(リン酸クロロキン一二五mg、サリシルアミド三〇〇mg、アスコルビン酸五〇mg)につき、注意として、「網膜症の徴候に備えて定期的な眼検査をすべきである。角膜浮腫とか不透明化の徴候があれば投薬を中止せよ。不必要な投薬を長期化しない。」と記載されている。そして一九六三(昭和三八)年版になると、リン酸クロロキンについて、その副作用として「角膜変化として一時的な浮腫あるいは不透明な上皮の沈着物が、自覚症状(暈輪、ピント合せ困難、霧視)を伴うかあるいは伴わずに何人かの患者の主体顕微鏡(細隙灯)検査で記録されている。夜盲症の症状と暗点視野を伴う網膜変化(血管狭細、黄斑部病変、乳頭の蒼白、色素沈着)はまれにしか起こらないが、多くは非可逆的であると報告されている。数例では、網膜変化なしで視野欠損が出現した。
  長期治療が予想されるときは、開始時及び定期的に眼検査(細隙灯、眼底、視野)をすることが勧められる。角膜変化が発生したなら(それは可逆的と考えられる。)、治療を継続して得られるかも知れない利益と投薬を中止した方が得策かどうかが比較考量されるべきである。」と記載されるに至り、以後の版では、網膜症の病像が更に具体的になり、また予防の眼検査の期間とか、投薬中止の指標(例えば、何らかの視野狭窄やあるいは網膜変化を暗示する視覚症状が発生したならば、即時中止するなど)等がよひ詳細に記載されるようになつた。
3 SED(〈証拠略〉)
  一九五八(昭和三三)年版には、クロロキンの副作用で眼障害に関しては、「嘔気、めまい、頭痛と視野損傷が皮膚炎と同じ位(一二五人の患者の三五%)しばしば起こつた。」と書かれている程度であるが、一九六〇(昭和三五)年版のクロロキン、硫酸塩、二リン酸クロロキンの眼の項に次のような記載がなされた。
  「クロロキンによる視覚異常で最も普通に記述されるものは、霧視と調節の速度低下であり、薬こ中止によつて可逆的である。リウマチ性の痛みのためにクロロキンを投薬した後、両眼性眼内転筋麻痺の四例があつた。薬の中止の結果三週間以内に回復した。
  エリテマトーデスのためにクロロキンで(継続して数年)治療していた三二才の女性において、恐らくクロロキンによる(確かではないが)両眼性の黄斑部変性となつた。別の報告では、黄斑部の病変や狭細化した血管によつて起こされた暗点視と視野欠損を記述している。一人の患者では網膜色素沈着が進行した。薬を中止しても現在までのところ、これに引き続いて改善されるということはないが、病変は進展を中止した。」
  その注で、ホツブスらの外国文献5、10などが引用されている。
  そして、一九六三(昭和三八)年版には、眼に対する副作用として、「様々の型の視覚障害が、たいていは長期投薬の後に報告されている」としてうえ、調節障害、角膜変化、網膜変化に分類して詳述している。網膜変化に関する部分を要約すると以下のとおりである。
  網膜変化(しばしば非可逆的である。)も報告されている。暗点を伴う網膜変化が報告された(外国文献18、22)。三例とも網膜障害は永久的と思われた。
  網膜変化、視野狭窄、黄斑部変性とけいれん性の網膜血管がクロロキンで治療中のエリテマトーデスの四人にあつた(外国文献14)。別の症例では、三ないし六年間のクロロキン使用後に視力が減退し、中心視力は完全に失われた。眼底変化は中心窩とその周囲で見られた。完全な視力喪失を伴う永続性の網膜変化もまた報告されている。皮膚疾患で二年半クロロキン投薬後、四二才の女性に両眼性の黄斑部変性が進行した。両眼性の傍中心、中心暗点が検出された。数年後黄斑部の病理は本質的に変化のないまま残つた(外国文献27。)
  視野欠如の一例においては、中心視の減退、角膜沈着物と著しい細動脈狭細や黄斑部の浮腫からなる網膜症が、リウマチ様関節炎のためリン酸クロロキンを二年半投薬後進行した(外国文献15)。
  クロロキン透発性の網膜障害の三例を追加する。典型的な網膜変化は、周辺部と黄斑部での色素変化を伴う狭細化した細動脈である。全例に見られた視野変化は傍中心暗点かあるいは輪状暗点であり、これは周辺部にまで拡大しており中心視力を幾分損失している。全身性疾患のためにクロロキンを処方する医師は、永久的な網膜変化を引き起こす可能性があることを、治療上の利益と比較考量しなければならない(外国文献16)。
  視力喪失は永久的と思われるので、クロロキン透導体による長期治療中の患者は、細隙灯、検眼鏡と視野の検査に特別な重点をおいて定期的眼検査を受けるべきである(外国文献15。)
4 ハンドブツク・オブ・ポイゾニング(〈証拠略〉)
  一九六三(昭和三八)年(第四版)のキニーネ、キナクリン、クロロキンの項に、その病理学的所見として「肝臓、腎臓、脳、視神経における変性がある。」とし、臨床所見の慢性中毒の欄で、「クロロキンは、……角膜の病変からくる霧視、水晶体混濁、そして黄斑部変性を含む網膜障害を引き起こす。」と記載されている。
  そして、一九六六(昭和四一)年の第五版では、右の記載のうえ、更に「網膜の障害は、普通非可逆的である。胎児の障害も報告されている。」旨の記載が加わり、また、「仮性同色性色覚検査板は、網膜症の早期検出のための予検(スクリーニングテスト)として使用することができる。」と記載している。
5 グツトマン・ギルマン薬理書(〈証拠略〉)
  一九六五(昭和四〇)年の第三版において次のように記述がある。
  クロロキンは、リウマチ様関節炎、円盤状エリテマトーデスの治療には、一般にマラリア予防あるいは治療に用いられる量により更に大量の投与が必要であり、かかる大量投与での毒性についての適切な考慮もまた必要である。
  ヒトでは、クロロキンはキナクリンより毒性は少なく、より耐薬性がある。急性マラリア発作の治療に用いられる投与量では、軽度の、しかも一過性の視力障害等を起こすことがある。マラリア以外の疾患に長期間治療する場合、クロロキンを数か月ないし数年にわたり、一日二五〇mgから七五〇mgを投与することがある。このような長期治療では、それほどひん発するものではないが、網膜症が起こることが知られている。
  クロロキンは、妊娠中で胎児異常を起こす危険のあるときは、マラリアとかアメーバ性肝炎の予防あるいは治療のように正当な理由のないかぎりは投与してはならない。
6 ケミカル・アブストラクト(〈証拠略〉)一九六〇(昭和三五)年八月二五日号
  同書には、「リウマチ関節炎に対するキノリン治療によつて起こる視力障害及び眼変化」
として、ドイツのマルクスらの症例報告が次のとおり要約して掲載され、かつ、ホツブスらの前記外国文献5及び10が引用されている。
  「リウマチに抗マラリア剤(クロロキン、アモデイアキン及びメパクリン)を用いて長期の治療を受けた二四名の患者で、これら抗マラリア剤あるいはそれらの代謝物質が眼組織に沈着することが証拠づけられた。………投薬中止六か月後に角膜沈着が減少するのが何人かの患者で認められた。キノリン塩基かアクリジン誘導体あるいはそれらの代謝物質が酸性ムコ多糖体と合体して眼組織に可逆性の複合体を形成する可能性が示唆された。」
第二 我国における医学的知見
一 クロロキン製剤による眼障害に対し、我国において昭和四〇年末までに報告され、もしくは刊行された文献の要旨を以下に述べる。
1 日本文献111
  昭和三二年に発表された慢性エリテマトーデス二〇例に対しレゾヒンを投与した治験報告論文であるが、クロロキンの副作用についてアーヴイングらの報告(外国文献2)等の概要を紹介し、視力障害が認められたと報告されている旨記している。結論で、副作用については文献上も重篤なものは知られておらず、我々も経験しなかつたが、ほとんど全例において睡眠障害を認めたと述べている。
2 日本文献1及び3
慶大の中野彊は、昭和三七年九月二三日の第四一一回東京眼科集談会(第一三八回千葉眼科集談会合同)において、慢性円板状エリテマトーデスの治療でレゾヒンを昭和三七年二月まで約六年間内服した患者(五五才の男子)の両眼眼底に動脈の狭細、黄斑部に暗赤色の混濁とその周囲に色素沈着があり、視野は両眼とも明瞭な輪状暗点、暗順応の障害を認めたと報告し、本症例は、クロロキン剤の長期内服による中毒症状と考えられ、従来報告されているクロロキン網膜症の症例と思われると述べた。
  同集談会において、東大の佐藤清裕も慢性円板状エリテマトーデスでレゾヒン二〇〇mgないし六〇〇mg平均三〇〇mgの内服を続けていた三四才の女子にみられた網膜症(眼底症状として乳頭蒼白、黄斑部浮腫、網膜全体の汚ない灰白色変性、網膜細動脈の狭細が特有であり、視野では輪状暗点と周辺狭窄が認められた。)を追加報告した。
  そして、中野らは、前記症例につき論文を発表した(外国文献1)。その要旨は次のとおりである。
  近来、諸種の膠原病の治療に副腎皮質ホルモン療法が優れた成果を示している。一方、抗マラリア剤もある種の膠原病、特に慢性型エリテマトーデス、リウマチ様関節炎の治療に用いられ、しかも長期連用されることが少なくない。しかし、抗マラリア剤が副作用として中毒症状を呈することは、従来から注目せられてきたところである。
  クロロキン療法中に見られる眼病変として、従来、角膜変化と眼底変化が報告されている(外国文献5、10、12)。本邦では、まだ眼底変化の報告例はないようである。
  本症例(前記報告例)の患者は、慢性エリテマトーデスに罹患しているが、エリテマトーデスにおいて本症例のごとく両側黄斑部の変性所見を主とした眼底変化は、従来報告されていないようである。また、眼底所見、視野及び暗順応検査所見等から、本例はクロロキン内服によつて起こつた眼底変化と考えられる。
  自覚的及び他覚的に本症の改善をみた例はない。多くは非可逆性変化と考えられている。
  本剤の長期連用には十分本症の発生に注意すべきものと考える。
3 日本文献2
  金沢大の米村大蔵外一名は、昭和三六年一二月一〇日開催の第一七〇回金沢眼科集談会で、クロロキン製剤(レゾヒン)を内服させた患者三例において、視力、視野、角膜所見及び眼底所見に何ら特記すべき変化を呈しないのに、ERGに変化が認められたとし、レゾヒン投与に際しERGは、視力、視野、光覚並びに眼底及び角膜所見の変化に先立ち、変化を呈しうることが明らかになつた旨報告した。
  これは、クロロキン製剤によつて角膜変化や網膜変化が起こることを当然の前提とした報告とみてよいであろう。すなわち、網膜症の早期発見に関する報告と解せられる。
4 外国文献4
  永田誠外三名は、昭和三七年一一月二五日に開かれた京大眼科同窓会第一三回総会において、慢性ロイマチス性関節炎のため約二年前からレゾヒン一日に二五〇mgから五〇〇mgを内服していた五〇才の男子の視野が、両眼とも中等度に狭窄し、眼底には視神経乳頭の混濁と、やや著明な動脈狭窄を認め、網膜は全般的に混濁萎縮し、あたかも無色素性網膜色素変性症に類似し、二か月後視野狭窄は更に進行した旨の症例報告をした。
5 日本文献5、6及び7
  三重大の金子和正外一名は、昭和三八年三月一七日に開かれた第二二〇回東海眼科学会及び同年五月二六日の京都眼科学会で、慢性リウマチ性多発性関節炎治療中の二八才の女子患者にレゾヒンによつて起こつた(レゾヒン総量一五六・六gを使用開始後五か月を経て)と思われる角膜障害の一例を報告し、この症例を基に論文(日本文献5)を発表した。
  右論文中に、合成抗マラリア剤であるリン酸クロロキン製剤、特にレゾヒンによる長期間治療中眼科領域にみられる副作用としては、主に網膜障害と角膜障害が知られ、外国では多数の症例報告があり、特に角膜障害に関しては外国文献6、12等の詳細な記載があり、我国でも大木(後記日本文献8)の報告がみられる旨の記載がある。
6 日本文献8
  この「臨床眼科」一七巻三号(昭和三八年三月)は、昭和三七年一一月大阪で開催された日本臨床眼科学会の特集号であり、同学会における東邦大の大木寿子の報告である。クロロキン(レゾヒン)で治療を受けた二名に網膜変性が、一名に角膜変性がそれぞれ認められた旨の詳細な症例報告を行つているが、その要旨は以下のとおりである。
  レゾヒンは最近ではリウマチ、エリテマトーデス、腎炎等、いわゆる膠原病に対する抗炎症剤としての有効性が認められ,広く治療に応用されるようになつた。しかし、その有効性が認められるとともに、副作用として二、三の特殊な症状が眼に現れることが知られるようになり、かつ、多くの報告がなされ、最近ではメーヤー、ペンマー等がクロロキンの副作用を可逆的な角膜の変化及び不可逆的な網膜の変化に分け、後者を防ぐためには、常に眼科的観察を必要とすることを報告している。
  クロロキンは、諸種皮膚疾患、寄生虫疾患等、諸種疾患に投与して効果を認められているが、内服の形式で、相当長期間、時に数年にも及び投与して奏効するのであり、その間には種々の副作用の起こることが報告されている。重要な変化として、網膜の変化が挙げられる。最近クロロキン長期投与で網膜黄斑部に、おそらく中毒性変化と思われる病巣を生じ、特異な視野の変化をきたすことが、外国文献7、10、11、12、21、22、25等その他多くの人々によつて、次々と報告され、我国でも二、三の報告例を見ている。 
そして、網膜変化や、その変化をきたすメカニズムが段々明らかになつてきた。網膜変化の主なものは、動脈狭細、浮腫、色素沈着等であり、ホツブスにより網膜動脈の狭細が強調されているが、私の症例でも、二例とも、網膜動脈狭細が認められており、更に黄斑部の変性様病巣及び色素沈着が著明に認められた。
  網膜変化の初期症状としては、夜盲及び視力障害があるが、無症状に経過するものもあるので、特に眼科的観察が必要である。
  クロロキンは、安定な抗炎症剤であるが、長期間の使用で初めてその目的を達しうるものである。したがつて、その経過中においては、クロロキンの薬理学的性質上、副作用が見られることは、また当然である。更に、その変化は可逆的又は不可逆的な変化であるといわれるゆえ、何らかの方法により、この不可逆的変化を早期に発見しなければならぬ。この目的の上で、私は、クロロキン投与により生じたと思われる症例を観察し、一方においては、病理学的あるいは生理学的に検討してみた結果、症例群においては(例えばブタゾリジンの副作用下における等)ある種の眼底疾患、又は角膜における変化が完全に修復していない時にクロロキンが投与されると、比較的早期にクロロキンの副作用が生ずるように観察された。また網膜における変化が、動物において、種属的に異つても、電気生理学的に多少の変化をきたすことを認め、これらから不可逆的変化の早期発見を引出しうる可能性のあることを確信するものである。
  なお、同学会において、京大の上野一也が前記日本文献4の症例を追加報告した。
7 日本文献9
  金沢大の島薗安雄外四名は、第三二回北陸神経精神科集談会(昭和三七年の後半に開催されたものと思われる。なぜならば、同文献が昭和三八年一月発行されているからである。)において、最近、難治性のてんかんに対してリン酸クロロキン(レゾヒン)がしばしば用いられるようになつたが、投与が長期間にわたる際には角膜のみならず網膜の変化も現れることが知られているので、我々は六例のリン酸クロロキン服用者について網膜電位図を反復記録した結果、三症に変化を認めた旨報告した(なお、網膜電位図に変化が現れても、それ自体だけでは有害と言えない。回復の可能性、機能障害について更に詳しく検討したいと思う、との追加報告もしている。)。
8 日本文献10
  岩手医大の新律重章は、昭和三七年九月三〇日の第一一四回岩手眼科集談会で、慢性腎炎の治療のためキドラを服用した二名の患者に角膜症がみられたことを報告した。
9 日本文献113の1ないし3(いずれも雑誌「臨床皮膚泌尿器科」)
  第一七巻二号(昭和三八年二月発行)に「クロロキン網膜症の予防」と題して外国文献23の要旨が紹介されている。
  第一七巻四号(昭和三八年四月発行)には、「トリアムシノロン局所注射による円板状紅斑性狼瘡の治療」と題してスミスとローウエルの文献が紹介され、「慢性円板紅斑性狼瘡は一般に合成マラリア剤によつて治療されている。これによると皮膚変色が著しいことがあり、重篤な眼症状を残すこともある。」と記載されている。
  第一八巻三号(昭和三九年三月発行)に「皮膚病治療剤としての抗マラリア剤」と題するラーブの文献紹介があり、「クロロキンは初め考えられていた程無害ではない。もちろんクロロキンは以前使われたアテブリンよりは無害であるが、それでも眼及び血液の変化をきたすことがある、それゆえ長期の大量投与に当たつては副作用に留意しなければならない。近来作られたクロロキン誘導体(ニバキン、プラキノール、アモデイアキンその他)はクロロキンに抵抗性の皮膚疾患に有効であるが、副作用についてはクロロキンと同様である。」と記されている。
  第一八巻七号(昭和三九年七月発行)には、「日光に対する保護」と題する注釈文献が紹介されており、「クロロキンは紫外線発ガンにある程度阻止的に作用するようであるが、これの長期服用は重篤な眼障害を起こすことがある。」と記載されている。
  なお右の第一七巻二号と第一八巻三号にはいずれもキドラの、また第一八巻三号にはレゾヒン、エレストールの各広告も掲載されている。
10 日本文献11、20及び27
  熊本大の田中留志男は、昭和三九年六月二八日の第三四回九州眼科集談会等で、ネフローゼ型腎炎のため入院治療中クロロキン製剤(キドラ)約一〇〇gを服用していた三八才の男子患者に両眼とも角膜に黄味がかつた灰白色のびまん性の顆粒状の沈着物様混濁を認めた旨報告し、クロロキン剤の長期服用者は、患者の訴えに注意しながら観察する必要があると考えると述べた。
  なお岡村良一は、「当教室外来ではクロロキン製剤による眼障害例の経験はない。整形外科領域での報告によるとレゾヒンによる眼障害はあるが、キドラにはないといわれている。」と追加意見を述べている(日本文献11)
  田中は、右症例につき論文を発表した(同20)。要旨は以下のとおりである。
  クロロキン製剤を長期間服用することによつて生ずる眼科的な副作用は角膜障害と網膜障害が知られている。前者について、外国では外国文献6、12等の詳細な報告があり、我国においても前記の日本文献8、6等がある。このクロロキンとオロトン酸との合成剤、クロロキンデイオロテート(キドラ)による角膜障害について最近新律が二例報告している(前記日本文献10)が、私もキドラによると思われる角膜障害の一例を経験した。同じクロロキン製剤の副作用として網膜障害があり、夜盲、視野の異常が挙げられているが、本例では暗順応検査は行つていないが、視野の異常は認められず、また眼底にも全く変化はなかつた。
11 日本文献12
  名古屋市の大矢徳治外一名がリウマチ様関節炎でクロロキン(キドラ、レゾヒン、エレストール、CQC)投与中に発病した角膜障害の一例を報告した旨述べられている。
12 日本文献13、26及び29
  金沢大の倉知与志、米村大蔵らは、昭和三九年一〇月ごろ第三〇回日本中部眼科学会において、次のような報告をした。
  クロロキンによる眼障害は、一九四八年以来しばしば報告されている。角膜の変化は、クロロキン内服中止後は消失あるいは著しく改善されるので、著しい視力障害を残すことはない、一方、長期間にわたり大量に摂取されたクロロキンは、網膜の不可逆的な変化をきたすことが報告されている(外国文献4、10、12、16、21、27、40、42及び62等)。我国における本症の報告は少ないので、我々の三例(いずれもク網膜症)の経験をまとめて報告する。
  実験的にク網膜症を作る試みをホツブスらはウサギを用いて(外国文献10)、オークンら(同62)はラツトを用いて行つたが、いずれも成功しなかつた。クロロキンが網膜症をきたす機序の詳細は、なお不明のようである。
  ク網膜症の早期診断のため、目下試みられているのは、暗点及び眼圧の検査、ERG、暗順応シキイ値測定、EOG、色覚検査などである。
  黄斑の混濁、モトリング、輪状暗点及びERG所見、特に律動様小波の消失が、本症診断上有用と思われる。
  クロロキンは、種々の膠原病及びてんかんなどに対する有効性のゆえに、しばしば長期にわたつて連用されているが、網膜症をじやつ起する危険がある。ゆえにクロロキン内服者は、眼科的検査をひん回に受け、本症の発生予防、あるいは早期発見に努めるべきである。
  右報告後の討論で、千葉大の窪田靖夫は、「クロロキン網膜症の二例についてその眼底写真とERGを供覧する。第一例においては律動様小波の著明な減弱を認めたが、第二例において律動様小波は明瞭に認められた。クロロキン網膜症において律動様小波は必ずしも常に消失するとは言えない。」と述べている。
  米村らは、右三例のク網膜症の症例報告を第一八三回金沢眼科集談会でも行つている(うち一症例は一八一回当集談会で報告済みという。)。そして同会の席上、「クロロキンの網膜障害は、主として網膜のどの部位に起こるのでしようか。」との秋谷鎮雄の質問に対し、米村は、「我々はクロロキン網膜症の患者剖検例あるいは動物実験例を持たないので、我々自身の意見を述べることはできない。」と答えている。
  また米村らは、和三九年一〇月一一日開催された第一八回北陸医学会総会眼科分科会・第一八四回金沢眼科集談会においても、前記三症例の報告を行つたが、その席上で松田直也は、「クロロキン網膜症の予防、並びに早期診断法はいかん。」と質問し、米村らは、予防法として、「クロロキン投与をやめる。」、早期発見方としては、(1)視野中央の輪状暗点、(2)黄斑部のモトリング・グラニユラリテイ、(3)ERG所見、(4)初期には中心視力が比較的よく保たれていること等が早期診断に役立つと思われる、と答え、倉知与志は、次のような追加意見を述べている。すなわち「本剤を連用しながら、その副作用を完全に予防するという方法は、現在のところ、遺感ながらないのではあるまいか、したがつて、予防としては、余り長期にわたり連用しないこと、更にはこのようなものを使用しないことになるかと思う。やむをえず連用するときは必ず一〜二か月に一回は眼科的検査を行うことが大切である。そして、多少怪しいと思われる症状が出たら即座に本剤を中止せらるべきである。
13 日本文献14
  長年、慢性腎炎を患つている患者であるが、両眼の虹輪視及び朦視を主訴として来院、所見として、眼圧は正常、眼底正常なるも、角膜内皮の浮腫、デスメ膜のしわがあり、これは、内服薬の副作用によるものではないかと考え、内科医の緊密なる協力のもとに種々検討したところ、キドラであることが判明したとの記載がある。
14 日本文献15
  昭和三八年一一月二七・二八日開かれた第九回防衛衛生学会において、緒方鐘らは次のような報告を行つた。
  クロロキン並びにその誘導体は、抗マラリア剤としてのみならず、最近ではエリテマトーデス、リウマチ様関節炎、腎炎等いわゆる膠原病の治療にも広く応用されるようになつてきた。しかしその有効性とともに長期投与による副作用として眼症状、主に網膜障害及び角膜障害が知られるようになつた。今回私共の外来でエリテマトーデスのレゾヒンによる治療経過中に網膜障害を認めた患者について、その視野並びに暗順応についての時間的変化を観察した。その結果初診時の視野並びに暗順応の異常はレゾヒン中止とともに日を追つて回復する傾向が認められた。ク網膜症は、可逆性変化・非可逆性変化のいずれともいまだ確認されていない。しかし本症では視野並びに暗順応においてその可逆性が認められたが、これが決定は今後の経過観察にまつほかない。
15日本文献16及び17
  日本内科学会の第一九回中国四国地方会(昭和四〇年六月以前に開催)で、岡山大平木内科の大村郁郎外三名は、気管支ぜん息に対するクロロキン療法の結果を報告するとともに、「副作用は、投与例の九・八%に認められ、消化器症状、神経症状、眼症状などが主なものであつた。またクロロキンによつて起こるといわれる網膜症については、自覚症状は全く認めないが、眼底に変性のある三名についてその原因を検討中である。」旨報告した。なお、同人らは昭和三九年一一月二〇日開催の第一四回日本アレルギー学会総会においても同旨の報告を行つている(〈証拠略〉)。
  また、前記内科学会中国四国地方会において、中電病院の三谷登らは、リン酸クロロキン長期使用の慢性関節リウマチ患者に網膜障害を認め、「文献からみても、リン酸クロロキン長期連用例には約三%に非可逆的網膜障害が発生するといわれ、われわれの症例は二年五か月連用した後、特有の網膜障害を発生しており、長期連用時には定期的な眼科的検査が必要なことを強調する。」と報告した。
  この報告に対し、岡山大平木内科の守谷欣明は、「本症のごとく高血圧症を合併し眼底に変化を伴う場合、クロロキン網膜症と診断しうる根拠、又はクロロキン網膜症の特徴といつたものがあれば教えて下さい。私達は気管支ぜん息患者にクロロキンの長期療法を行つているが、現在までに数十例中三例に網膜変性を認めたため投薬を中止してその経過を観察している。」旨質問と事情説明をし、中電病院の野村盛三が「リン酸クロロキンによる眼底所見の特徴は、(1)細動脈狭細化著明、(2)網膜が汚くなり、(3)斑点は浮腫・蒼白となるようである。」と答えている。
16 日本文献18及び28
  東大の武尾喜久代外一名は、昭和四〇年の第四二九回東京眼科集談会で、慢性腎炎の治療のため、二年間にわたりキドラを約二五〇g内服した患者(二六才の男子)に角膜混濁及び網膜症が生じ、内服中止後も網膜症は進行し高度の視野狭窄を来した旨報告し、同症例に関する論文も発表したが、同論文中に「本症例は二年間キドラを内服している。キドラは従来のクロロキン製剤より胃腸障害等の副作用を少なくしてあり、本剤による眼障害はまだみられていなかつたが、やはり例のクロロキン製剤と同じく発現することが分かつたので、その使用には特に注意を要する。また障害の早期発見には定期的に検診を行い、角膜等に変化がみられたら直ちに中止しなければならないと思う。」と記されている。
  なお、右症例では、投薬中止三か月後から自覚症状が発現しており、その後進行し続けて失明同様に至つている。
17 日本文献19、34及び40
  熊本大の徳田久弥外三名は、昭和四〇年一月一五日の第四三三回熊本眼科集談会で、「クロロキンの長期連用によつて起こる角膜症に網膜障害を併発することはすでに報告されているが、最近、角膜症を合併しない、定型的なク網膜症の一例を経験した。患者は五〇才の男子で、慢性腎炎の軽快後自分でキドラの内服を始め、三年間の内服後、いわゆるク網膜症を起こした。」と報告し、そしてまた「本症例は初め網膜色素変性との鑑別に迷つたが、特異な所見からク網膜症と診断した。本例で特記すべきことは、色覚が極度に侵されていることと、暗順応機能の低下がよく改善されたということである。今までの報告では全く不可逆であるとされているが、多少とも症状の改善をみているので、経過を観察して行きたい。」と追加報告し(なお、同症例は、第三五回九州眼科集談会でも報告している。)、更に右症例につき論文をも発表した。
18 日本文献21及び33
  熊本大の岡村良一外三名は、その自験した一五例の定型的なク角膜症の症例を前記第四三三回熊本眼料集談会で報告し、論文にまとめて発表した。
19 日本文献22
  昭和三九年度京都眼科学会で、神戸医大の松野千枝子外一名は、「一九五九年にホツブスらが膠原病の治療にクロロキン製剤の投与を長期にわたり受けている患者の網膜に変化を来したのを見いだして以来、二十数例の報告があるが、私達も、六年来リウマチ様関筋炎を患い、その間三年四か月にわたりクロロキン製剤を内服した後視力障害を来し、両眼に黄斑部変性、網膜動脈の狭細、乳頭の萎縮像、視野の著しい狭窄、暗順応の軽度低下等定型的なク網膜症の眼症状を呈した症例を経験した。」と報告するとともに、クロロキン製剤の連用に際して定期的な眼科的検査の必要性を述べた。
  そして、同会において、三宅勝が「三年前から腎炎でレゾヒン(一日二五〇mg)内服を続けていた二三才の女子、また四年前から腎炎でキドラ内服を続けていた二二才の男子が、いずれもク網膜症を来した。」との追加報告をした。
9 日本文献25及び35
  東大の井上治郎外一名は、昭和四〇年三月二五日の第四三二回東京眼科集談会で、「東大病院物療内科と提携し、リウマチ様関節炎患者一〇〇名の眼障害の発生ひん度を調べた。角膜障害は二九%に認められた。二九名中半数以上には自覚症状がなかつたが、虹視、霧視を訴えた者もある。レゾヒンとキドラでは差がなかつたが、男女別では男の方が、年令別では高年者に角膜障害の発生が多く認められた。一〜二年間の投薬期間の症例と全内服量一〇〇〜三〇〇gの症例に角膜障害の発生ひん度が最も多く、投薬期間及び全内服量と角膜障害の発生ひん度は比例関係にはない。クロロキンは現在広く使用されているので、虹視、霧視を訴えて来た患者の中にはクロロキン角膜障害もあることを念頭に入れる必要がある。」旨の報告をし、更に論文にして発表した。同論文中で、「また、より重篤な網膜障害もあるが、これについてな追つて報告する予定である。」と述べている。その報告が日本文献38である。
21 日本文献24
  レゾヒンを連用した三例の眼科的所見を述べたもので、「第一例は、レゾヒンを二年間連用(計四八八・八g)して網膜症を発症した。三例中二例において、視力、視野、光覚、角膜及び眼底に何ら特記すべき変化を呈しない時期においても、ERGの変化が認められた。ERGはクロロキン網膜中毒の早期(眼底変化が著明になる以前)発見に有用である。」という趣旨の論文である(なお、著者は前記日本文献4と同じ。)。
22 日本文献32及び39
  広島大の細川裕は、昭和四〇年度京都眼科学会で、慢性関節リウマチのため昭和三六年五月から約三年にわたつてエレストール(クロロキン量として計二六三g)の投与を受けた五六才の男子に網膜症が発生した旨報告し、更に岐阜医大の加藤融も一例を追加報告した。
  そして、三谷登、細川裕らは、右症例につき論文を発表した(日本文献32で、この論文が掲載発刊されたのは、昭和四一年に入つてからである)。著者らは、同論文において、「この網膜障害は現状においては非可逆的病変と考えられる。リン酸クロロキンの長期使用等には定期的の血液像及び眼科的検査が是非必要なことを強調したい。かかる不幸な症例が将来再び発生しない様に願つて本報告を記し……」と述べている。
23 日本文献112、〈証拠略〉
  昭和四〇年に刊行された雑誌「リウマチ」第六巻一号である。
  昭和三九年の第八回日本リウマチ学会総会のシンポジウム(クロロキン・ブタリゾン等の基礎と臨床)の講演抄録が掲載されていて、その中に「……副作用としてはこの程度(すなわち、クロロキンの適量、一日二〇〇〜三〇〇mgの意)の使用量ではほとんど問題にならないが、唯一の眼症状が問題である。角膜病変三・三%、網膜病変は六・七%にみたが、この点は前述の佐々木、間、七川と異なるので今後十分検討すべきである。これに関してはドクター・ロザーミツチから、アメリカでは網膜病変一〇〇〇〜一五〇〇例に一人となつているが、クロロキンの使用が増してくる現状では、将来多少増加するのではないかとの警告が述べられた。」旨の記載がある。
  この記載部分は、証拠上断定できないが、その記載の文面等からみて、右シンポジウムにおける各講演者の報告、意見等を要約したものと推測される。すなわち、同シムポジウムの一般講演において、阪大の七川歓次外は、「副作用は五八例中一一例(一八・九%)で集計報告の一四・五%と類似し、胃腸障害、視覚障害(網膜に変化を認めた例はない。)、皮膚障害で、いずれも薬剤中止により消退した。」と、また、東大物療内科の佐々木智也及び間得之は、「副作用としてはいずれの群も胃腸障害が最も多い。……なお網膜変病は一例もなかつた。」とそれぞれ報告したのに対し、東北大の岡崎太郎が、「クロロキンは遅効性であるが、副作用は極めて少なく基礎的長期療法としては好適であるが、最近重篤な眼病変が警告されている。我々の調査(三〇例)における発現率は角膜病変三・三%、網膜病変(早期)六・七%のきん少であるが、定期的眼科受診によつて重篤化の防止に努めるべきであろう。」と報告していることからみても、前記推測に誤りはないと思われる。24〈証拠略〉(間得之外「慢性関節リウマチの薬物療法」日本臨床第二一巻六号、昭和三八年六月)
  同書中に、クロロキン製剤の副作用として、「視障害(重篤なものとして角膜症、網膜症の報告もある)」として、外国文献15と25が参考文献に引用されている。
25〈証拠略〉(杉山尚外「リウマチの薬物療法」診断と治療第五三巻一号、昭和四〇年一月)
  同書の副作用の「(3)クロロキンによる眼障害」の項に以下のような記載がある。
  一九五九年ホツブス(外国文献10)がクロロキン療法による永久的視力障害(網膜障害)を発表して以来、同一症例が相次いで報告され、クロロキンによる重篤な眼副作用として一躍世人の注目を浴びるに至つた。わが国では昨年(昭和三九年)第八回日本リウマチ学会総会のシンポジウムで私どもの報告に対し初めてクロロキン眼障害が討論されたが、今後更に慎重に検討さるべき重要な問題である。クロロキンの眼障害は角膜障害と網膜障害であつて、これら病像はホツブス、オークンら多数の報告者(外国文献5、6、10、12、31、50、62等)によつて詳細に記載されている。
  角膜障害のひん度は高率にみられるが、薬剤の使用中止によつて比較的速やかに消失するので、臨床的意義は少ない。これに反して網膜障害は進行性で薬剤の中止によつて視力障害は改善されず、非可逆的病変として重要視されている。網膜障害の原因は不明だが、眼の色素組織における高度クロロキン沈着が化学的に証明されている。現在まで既に世界で一〇〇例以上報告されているが、その発生ひん度に関しては大件一〇〇〇〜二〇〇〇例中一例以上には発生しないであろうと推定されている。
  私どもの調査成績ではリン酸クロロキン、オロチン酸クロロキン一日五〇〜三〇〇mgずつ服用患者三〇例中角膜障害一例、網膜障害二例で、発生と服用期間、年令などには一定の関係はみられなかつた。本調査では網膜障害の発生がかなり高率であるが、これらはいずれも無自覚で眼底所見は黄斑部限局の初期病変である。現在経過追跡中であるが、既に一例では服用中止後の病変消失がみられた。永久的障害を残すものと警告された網膜障害も、その後の調査によれば初期の場合には可逆的であることが最近ワインストツク、クルーズら(外国文献47、49)によつて報告されている。上述のように私どもも一例にこれを確認したが、リウマチのクロロキン療法の存廃にかかわる重要な問題であるだけに更に検討を重ねて報告したい。
  要するに、クロロキン療法に当たつては大量長期服用は避け、網膜の変性所見が認められる者は除外し、三〜六か月ごとの定期的眼科受診によつて無自覚の初期網膜病変、視野欠損などの早期発見に努めて網膜障害の予防に万全を期すべきであろう。
26〈証拠略〉(「リウマチ入門」アメリカ・リウマチ協会編、日本リウマチ協会訳昭和四〇年九月)
  同書の訳者らの「はじめに」の記載によれば、同書は、現在ほとんど全世界で読まれている権威ある入門書であることが認められ、そして同書中には、以下のような記載がある。
  リン酸クロロキンでしばしば起こる眼症状は角膜浸潤による角膜疾患で可逆的である。不可逆的な網膜疾患はまれで、薬をやめた後も進行する網膜変性と視力喪失を伴う。胃腸管の,角膜の、そして恐らく網膜の中毒は薬量と関係のあるものなので、慢性関節リウマチの治療にリン酸クロロキンは毎日二五〇〜五〇〇mg、硫酸ヒドロキシクロロキンは毎日二〇〇〜四〇〇mgの少量が勧められる。抗マラリア剤を使用するか否かを決める場合、今までにはなかつた不可逆的な網膜疾患が起こり得るのに、あえて有用と判断できるのかという疑問が起こる。危険が大きすぎて、医療には向かないと考えている医師もいる。
27〈証拠略〉(「今日の治療指針」石山俊一外編集昭和三九年)
  皮膚筋炎の項で、クロロキン製剤(レゾヒン、キドラ、CQC)の副作用として「角膜、網膜にクロロキンが沈着して弱視を来すとの報告があるが、ごくまれである。」旨の記載がある。 
28 日本文献115、〈証拠略〉
  昭和四一年に刊行された雑誌「リウマチ」第六巻三号であるが、昭和四〇年の第九回日本リウマチ学会総会の講演(シンポジウム1「関節リウマチの治療に於ける最近の動向」)抄録が掲載されている。
  同シンポジウムで、東大物療内科の間得之は、「クロロキン角膜症は投薬中止によつて消失するが、網膜症は非可逆的との報告が大多数で、そのひん度は……いずれにしても網膜症の症例は世界で既に一〇〇例を越えており、本邦では筆者の知り得た範囲でも、既に一三例が数えられ、かかる点より注意を喚起したい。」と述べている。
  東北大の杉山尚、岡崎太郎も「クロロキン網膜障害はその永久的視力障害が報告されて以来一躍世界の注目を浴び、現在盛んに討論されている。我々の調査では、無自覚で眼底所見が黄斑部眼局の色素異常を示す初期病変であれば可逆的である。したがつて、クロロキン療法に当たつては、定期的眼科受診を実施してその早期発見に努めるべきである。本問題はクロロキン療法の存廃にかかわる重要な問題であるだけに、今後更に広範囲な調査が必要であり、また網膜障害の診断基準の確立が重要であると考えている。」と報告している。
  また、同シンポジウムで、熊本大木千仭外は、クロロキン剤使用の関節リウマチ患者一〇六例中、角膜障害二八例(二六・四%)を認めたが、網膜障害は一例も認めなかつた。クロロキンにより角膜障害は意外に多く、本剤使用に当たつては定期的な検眼、それによる投与量及び期間の調整が必要であり、この変化は可逆的であるが、放置すれば重篤となりうるので注意せねばならない、と報告している(日本文献30と同じ。)
二 以上、我国において昭和四〇年末までに報告もしくは刊行された文献の各要旨をいささかくどいぐらいに羅列してきた。これで分かるように、我国では昭和三七年九月に中野らによつて初めてク網膜症の症例報告がなされたのであるが、以来昭和四〇年末までにも合計十数例が報告されたり、文献に記されたりし、しかも主要な外国文献が引用、紹介され、中には既にク網膜症の早期発見方法に関する論文等も公にされており、そして重要なことは、だれ一人としてクロロキンと網膜症の因果関係を疑つてはいない。
  そして、昭和四一年以降も別紙日本医学論文一覧表記載の各文献、または一々要旨はここで記述しないが、その外にも〈証拠略〉等枚挙にいとまがない程の各文献が、ク網膜症について触れているのである。
第三 結論
  かくして、以上の内外の文献等を総合して検討する限りでは、次のとおり言えるであろう。
  外国では、昭和三四年までに、ホツブスらの論文等で非可逆性の重篤な網膜障害がクロロキン化合物の長期大量治療によつてまれではあるが発生することがほとんど疑う余地なく明らかになつていた。したがつて、我国の製薬会社が後述する義務を十分履行していたならば、遅くとも昭和三五年には、人種差とか我国の生活社会環境を考慮に入れても、クロロキン製剤の長期連用によつて網膜障害の発生することを予見することが可能であつた。
そして、昭和三七年末の段階で、中野らの症例報告により、我国においてもクロロキン製剤によつて網膜障害の発生することが実例をもつて証明されたのである。
第四節 クロロキン製剤の有効性と有用性
第一 我国におけるクロロキン製剤の再評価
一 医薬品再評価の実施の経緯と再評価の方法及び判定基準
  〈証拠略〉によれば、次の事実が認められる。
1 厚生大臣から医薬品の有効性、安全性に関する再検討につきかねて意見を求められていた薬効問題懇談会の昭和四六年七月七日付け答申に基づき、厚生大臣は、昭和四二年一〇月以降に承認された新医薬品を除くすべての医薬品(日本薬局方収載の医薬品も含む。)について、その有効性と安全性を再検討することとなつた(ただし、再検討の対象範囲に入る医薬品であつても、関係業者が今後とも製造販売する意思があるものとして申請した医薬品に限つた。)。
2 その再検討の具体的な方法は、専門調査会が膨大な数に上る再検討対象医薬品の個々について自ら前臨床試験又は臨床試験を実施しその有効性を検討することは不可能なため、当該医薬品の製造業者又は輸入販売業者に、まずその効能又は効果につき自己評価させ、有効と認める事項を申請させ、その申請の際に製造業者らが収集整理して提出した資料に基づいて専門調査会が再検討をするというものであつた。
  かくして、クロロキン製剤については、厚生省薬務局長は昭和四七年七月一五日都道府県知事あてにその再評価のための資料を同年一〇月一五日までに関係業者に提出させるよう通知を発し、昭和五一年七月二三付日けの「医薬品再評価結果―その九」において再検討申請にかかるクロロキン製剤(被告Y1はエレストールにつき、また被告Y3はキニロンにつき各再検討の申請をしなかつた。)の再評価判定がなされた。
3 その再評価判定は、およそ次のような基準でなされたものである。
(一)まず、各適応(効能または効果)ごとに、「有効性の判定基準」に基づいて、有効性の判定((a)有効であることが実証されたもの、(b)有効であることが推定できるもの、(c)有効と判定する根拠がないもの、の三段階の区分で判定)をし、次にその判定の結果と医薬品の有する副作用(種類、程度、ひん度、発現予測の可能性、治痛の奏効性を考慮する。)等を勘案して「総合評価判定(有用性の判定)基準」に基づいて有用性の判定((a)有用性の認められるもの、(b)適応の一部について有用性が認められるもの、(c)有用性を示す根拠がないもの、の三区分の判定)をする。
(二)「有効性の判定基準」として、(a)有効であることが実証されたもの、とは、適切な計画と十分な管理による比較試験(これは、少なくとも、対象疾患に関する経験ある医師による試験、対象疾患に関する十分な施設における試験、試験目的にそつた患者の適切な選択、比較される群の無作為割付け、適切な評価項目の選定、評価に際しての偏りの排除、妥当な用法・用量、投与期間、適切な標準治療又はプラセボの選択、の各事項について注意が払われているものでなければならない。)の結果により有効と判定されるもの、並びに従来知られている疾病の症状及び経過を明白かつ異論なく軽減又は短縮すると認められるもの(例、麻酔剤、抗がん剤、ビタミン、ホルモン等欠乏症治療剤、化学療法剤等)を意見し、(b)有効であることが推定されるもの、とは、計画管理などの点で不十分な比較試験であつても、有効とみなしうるもの(五分の四以上の委員の同意が得られたもの。)、従来知られている疾病の病状又は経過を軽減又は短縮すると推定されるもの(五分の四以上の同意が得られたもの。)及び有効であることが実証されたものとして全員の同意が得られなかつたが、なお三分の二以上の同意を得られたものを意味し、それ以上は、(c)有効と判定する根拠がないもの、とされた。
(三)「総会評価判定(有用性の判定)基準」として、(a)有用性が認められるもの、とは、各適応症が「有効性の判定基準」の(a)又は(b)と判定れ、かつ、有効性と副作用を対比して有用(副作用が有効性を上回らない)と認められた場合を意味し、(b)適応の一部について有用性が認められるもの、とは、適応の幾つかが右有効性基準(a)又は(b)と判定され、かつ、有効性と副作用とを対比して有用と認められるが、残りの適応が右有効性基準(c)と判定された場合及び各適応が有効性基準(a)又は(b)と判定され、かつ、有効性と副作用とを対比して適応の一部が有用と認められる場合を意味し、(c)有用性を示す根拠のないもの、とは、各適応が右有効性基準により(c)と判定された場合、有効性と副作用とを対比して各適応が有用と認められない(副作用が有効性を上回る)場合及び右有用性の基準で(a)又は(b)であつてもその投与方法、含有量又は剤型から見て存在意義の認められない場合を意味していた。
二 クロロキン製剤の再評価結果
  前述の昭和五一年七月二三日付け「医薬品再評価結果―その九」において、クロロキン製剤が腎炎(争性腎炎、慢性賢炎)、妊娠腎についてその尿蛋白の改善には有効性が認められるが、有効性と副作用を対比したとき副作用が上回る場合があるので、有用性は認められないと判定され、また、てんかんについては有効と判定する根拠がないとされたことは、原告らと被告製薬会社及び同国との間で争いがないところ、前掲証拠によると、製剤の種類別に見た右再評価結果の詳細は次のとおりであることが認められる。
1 オロチン酵クロロキン(キドラ)
  キドラの各適応中、慢性関節リウマチについては、有効であることが実証されたもの、慢性円板状エリテマトーデスについては、有効であることが推定できるもの、てんかんについては、有効と判定する根拠がないもの、とそれぞれ判定され、前二者の適応は有用性も認められたが、慢性腎炎及び妊娠腎については、その尿蛋白の改善につき有効性は認められるが、有効性と副作用を対比したとき、副作用が上回る場合があるので、有用性は認められないと判定された。すなをちキドラは、総合評価判定で、適応の一部について有用性が認められるものとされた。
  ただし、用法及び用量につき、慢性関節リウマチに使用する場合「本剤は他の薬剤が無効な場合のみに使用すること。オロチン酸クロロキンとして、通常成人初期一日六〇〇mgを標準として経口投与し、年令、症状により適宜増減する。効果が現れたら(通常一〜三か月後)減量し、維持量として一日二〇〇〜四〇〇mgを経口投与する。なお、投与開始後三〜六か月たつても効果が現れない場合は投与を中止すること。」と、また慢性円板状エリテマトーデスに使用する場合、「他の薬剤が無効な場合にのみ使用し、一〜二か月以内に効果が現れない場合には投与を中止すること、オロチン酸クロロキンとして、通常成人一日二〇〇〜六〇〇mgを二〜四回に分割経口投与する。なお、年令、症状により適宜増減するが、体量一kg当たり一日九mgを超えないことが望ましい。」と、それぞれ条件が付されている。
2 リン酸クロロキン
  適応中、マラリアと慢性関節リウマチについては、有効であることが実証されたもの、慢性円板状エリテマトーデスについては、有効であることが推定できるもの、てんかんについては、有効と判定する根拠がないとものと判定され、前三者の適応は有用性も認められ(なお、慢性関節リウマチと慢性円板状エリテマトーデスの用法及び用量については、キドラと同一の条件)、急性腎炎、慢性腎炎及び妊娠腎による尿蛋白の改善並びにネフローゼに有効性は認められるが、副作用が上回る場合があるので、有用性は認められないと判定された。
3 コンドロイチン酸クロロキン(CQC)
  適応中、慢性関節リウマチについては、有効であることが実証されたもの、慢性円板状エリテマトーデスについては、有効であることが推定できるものと判定され、それぞれ有用性も認められた(ただし、その各用法及び用量はキドラと同じ条件)が、腎炎による尿蛋白の改善及びネフローゼについては、有効用は認められるものの、副作用が上回る場合があるので、有用性は認められないとされ、総合評価判定では、適応の一部について有用性が認められるものとされた。
第二 外国におけるクロロキン製剤の評価
一 アメリカ及びイギリスにおける実情
  〈証拠略〉によれば、次の事実が認められる。
1 アメリカにおいては、リン酸クロロキン及びリン酸クロロキン錠が合衆国薬局方(USP)の第一四版(一九五〇年一一月七日から有効)に収載されたが、引き続き第一七版(一九六五年九月一日から有効)、第一八版(一九七〇年九月一日から有効)及び第一九版(一九七五年七月一日から有効)にも、抗マラリア、抗マメーバ、エリテマトーデスの治療薬として収載されてきており、そしてFDAは、一九七一(昭和四六)年に、国立科学院、国立研究協会の医薬品薬効研究グループの報告に基づき、リン酸クロロキン(アラーレン)がマラリアのみでなく、円板状、全身性エリテマトーデス及び関節リウマチにも有効であると結論づけた。
2 イギリスでも、同国薬局方(BP)の一九五三年―一九五五年追補(一九五六年三月一日から有効)に、マラリア、アメーバの治療薬としてリン酸クロロキン及びリン酸クロロキン錠が収載されて以来、一九六三年の薬局方(一九六四年一月一日から有効)、一九六八年の薬局方(一九六九年三月三日から有効)、一九七三年の薬局方(一九七三年一〇月一日から有効)にも、いずれもマラリアのみでなく、円板状エリテマトーデス(一九六八年の薬局方以降はエリテマトーデス)及び関節リウマチの治療薬として収載されてきた。
二 エリテマトーデス及び関節リウマチに対する有用性の国際的承認
  事実摘示第二節末尾添付の外国医学論文一覧表及び日本語医学論文等一覧表記載の各文献その他被告ら提出の医学文献を見ても、クロロキン製剤がエリテマトーデス及び関節リウマチに効果がないとする説やその効果を疑つている説は見当らず、かえつて、いずれもこれらの疾患に対し有効であるとする説ばかりである。したがつて、エリテマトーデス及び関節リウマチに対しクロロキン製剤が有効であることは確立した見解であると称して差し支えない。
  ところで、ク網膜症が知られるようになつて、その重篤性に照らしクロロキン製剤の有用性に疑問を呈する者も一部に現れた(例えば、外国文献53、〈証拠略〉)が、それにもかかわらず、FDAが前記結論を出し、今なお依然としてUSP、BPにリン酸クロロキンが収載され続けていること等にかんがみると、エリテマトーデス及び関節リウマチに関する限り、クロロキン製剤の有用性は国際的にも一般に承認されているものと解せられる。
第三 腎炎及びてんかんに対する有効性と有用性
一 腎炎に対する有効性と有用性
1 前記再評価は、クロロキン製剤が腎炎(急性、慢性腎炎、妊娠腎―以下単に「腎炎」というときは、こられすべてを含む趣旨である。)の「尿蛋白の改善」には有効であると判断している。
  ところで、諸外国で腎炎をクロロキン製剤の適応症として承認している国は一つもない(この点原告らと被告国との間で争いがない。)。クロロキン製剤が腎炎に対しても効果があるとして販売され、臨床上腎炎治療薬として使用されたのは我国のみである。
  そこで、被告Y1が我国で初めてレゾヒンの適応症に腎炎を加え、同Y2がこれを販売した昭和三三年以降のクロロキン製剤の腎炎に対する効果についての医学界の動向をここで簡単に触れておきたい。
(一)〈証拠略〉(日本内科学会雑誌第四七巻第八号昭和三三年一一月)
  神戸医科大学第二内科の藤田嘉一外は、昭和三三年六月一五日開催の第三五回(内科学会)近畿地方会において、以下の報告をした。
  抗マラリア剤“クロロキン”を各期腎炎患者一〇例に用いて左記のような結果を得た。
(1)急性腎炎五例(うち男三例)には平均三〜四週間服用させたが、二〜三週間後に効果発現し、尿蛋白、沈渣、その他の症状も著明に改喜され、なお、うち一名は特に腎機能の改善をみた。
(2)慢性腎炎三例(うち男一例)では尿蛋白には三例共効果が現れ、うち一例に特に著劾があつたが、沈渣には三例共著効はみられなかつた。
(3)ネフローゼ腎炎二例(うち男一例)のうち一例は尿所見が著明に改善されたが、他の一例は何ら著変をみなかつた。
(4)副作用は胃腸障害、心悸亢進、眼の違和感等が認められたが、投薬を中止する程のことなく続行した。
  これが、我国において、クロロキン製剤の腎炎に対する効果を肯定した最初の公式な報告発表であつた。その二か月後の同年八月に被告Y1がレゾヒンの適応症に腎炎を加えた。この点は、後述のとおり一個の問題であろう。
(二)〈証拠略〉(「腎炎の薬物療法―特にクロロキン療法に就いて―」辻昇三外綜合臨牀第七巻一二号昭和三三年一二月)
  辻昇三外前記(一)の報告を行つた神戸医科大学第二内科のスタツフが、(一)の報告症例を中心としてまとめた論文であり(なお、医療機関たる被告国の被用者である★和★一良医師も名を連ねている。)、これを要約すると次のとおりである。
  汎発性糸球体性腎炎(以下腎炎と略す。)の発生病理については、連鎖球菌感染の際に、ある種の菌種の菌株では菌体中に催腎炎性物質を含むものがあり、この催腎炎性物質が生体内で遊離すると、その特有の二重性格、すなわち一方では生体内の毛細血管構造に定着すると同時に他方ではその生体に対して抗原性をもつているところから、抗体の生産を促し、そこに発生して来る抗体が相当量に達すると、毛細血管に定着している抗原性物質との間に、抗原抗体結合を起こし、その結果がアレルギー性毛細血管炎となつて激発する。ここに発生した毛細血管炎の臨床像が人類腎炎である。
  かように、疾患の本態についてはかなり解明されているが、さて治療法となると、二〇世紀の半ばを過ぎて、なお我々は本世紀初頭と大して変ることがない位置にいると言わなければならない。事実、安静及び食餌療法を除くと、本質的な適確な治療法を我々は知らないと言つてもよい。
  我々の教室では年来この難治の、殊に急性期を過ぎて慢性期に移行しそうな症例の治療法を研究している。近来、リウマチ性関節炎にも奏効すると称せられているクロロキンを、同じ発症機序が予想される腎炎に使用してみた。当初大して期待していなかつたが、現在までの経験からみると予想をはるかに超えて、薬剤として最も優秀な成績を得たので、例数はまだ十分ではないが、諸家の追試を期待して(注、傍点は当裁判所が付したもの。以下同じ。)、ここに報告する次第である。
  我々の内科に入院中の腎炎患者一〇名に、レゾヒンもしくはアラーレン(主にレゾヒン使用)を通常一日一錠(二五mg)を服用させた。その結果を、使用量、効果発現日及び腎の局所炎症所見として最も信頼できる蛋白尿及び尿沈渣所見に対する効果、副作用の各面から総括すると左表(後記「クロロキン治験例総括表」1ないし4、6ないし9、11及び12)のようになる。急性腎炎の四例の治療のはかばかしくない例に使用した結果何れも極めてよく奏効したとの印象を受けた。慢性腎炎の各例においても大なり小なり効果を認めた。ネフローゼ加味腎炎の比較的新鮮な症例の蛋白尿その他に対しては、一例で奏効し、他の一例で無効であつた。
  効果の発現は主として蛋白尿及び尿沈渣の改善となつて現れるが、症例によつてはこれと同時に一般状態もよくなり、気分もそう快となりあるいはけん怠感の消失を訴えるものもあつた。クリアランス法による腎機能検査を治療前後に行つた例を述べると、慢性例二例、急性例一例に於て改善がみられた。
  副作用については、めまい及び眼のチカチカする感じ等の神経症状等が見られたが、何れもごく軽度であり、かつ一過性で一〜二日の休薬で消退するものが多く、したがつてクロロキンの長期療法に支障を来すようなことはなかつた。また持続療法によつて副作用の消失する場合すらあつた。この点は既にエリテマトーデスあるいはリウマチ性関節炎の治療に際して長期療法が行われている点からも安全な療法と言つてよい。
  次に作用機転について考えてみると、クロロキンについても、特別の研究をしている訳ではないが、最も確実に効果の現れる所は尿中の蛋白及び沈渣所見の改善であるから、クロロキンの主な作用は糸球体毛細血管構造に結合してそこに起こつている治り難い炎症性反応を直接に安定(鎮静)せしめる点にあると考えている。これらの点については更に電子顕微鏡検査等によつて確める計画である。
  急性腎炎の治癒し難く慢性症に移行する憂いのあるもの及び急性腎炎後遺症として軽度の蛋白尿を残す慢性腎炎症例は最も適用範囲に属するとの印象を受けた。いずれにしても薬物療法の可能性の極めて少ない腎炎の糸球体病変に奏効する薬品を得たことは腎炎の治療に対し希望を与えるものである。
(三)〈証拠略〉(「糸毬体炎の治療に就て」辻昇三日本腎臓学会誌第二巻二号昭和三五年四月)
  辻は、同論文で、前記一〇例に更に三例(後記「クロロキンの治験例総括表」5、10及び13の三例)を加えて報告し、「効果の発現は、やはり七日〜一〇日前後から始まり、長期持続療法により確かに糸球体に奏効するとの臨床的印象を受けた。殊に沈渣所見の改善は早期から始まる。最もよい適応性は急性期から慢性期への移行症ではないかと考えている。」と述べている。また、「最近になつてクロロキン製剤の新しい型のものとしてヒドロキシクロロキンが発場したのでこれについても短期間であるが臨床的実験を行つている。まだ結論は得難いが、療法開始後三週間の成績は二、三の症例について例示(次に掲げる「ヒドロキシクロロキン治験例総括表」)するとここにもやはり効果がみられるようであるが、他のクロロキン製剤との優劣はにわかに決し難い。用量は一日二錠である。」という。そして結論として、「以上病巣清浄、断食療法を含む降圧療法、副腎皮質系ホルモン及びクロロキン等の抗炎症例の併用と、従来よりの安静、食餌療法との併用によつて、腎炎の治癒をかなり促進する可能性があると考えられる。なお、治療法の目的はもちろん完治にあるが、最近の腎機能検査法の結果からみると、糸球体炎の治癒いかんは当然のことながら腎流血量及びGFRの多寡と平行する感がある。流血量及びGERの比較的低くないものは治りやすく、かつ、病勢の停止の希望は多いが、治療上の目標を完治という線から病勢の停止という線にやや引き上げて考えてみる必要があることを痛感している。上記に書き連ねた療法も、病勢停止、患者の腎不全に至るまでの期間の延長という意味から応用を考えてみると、従前に比しての治療法の進歩があるということを確信し得るのではないであろうか。」と述べる。
  なお、クロロキン製剤が右のような効果を有するのは、これら薬剤が腎糸球体基底膜に特異な親和性を持つ点にあると考える旨説明している。
クロロキン治験例総括表
ヒドロキシクロロキン治験例総括表
(四)〈証拠略〉(「腎炎の治療」辻昇三外 綜合臨牀第九巻第五号 昭和三五年五月)
 腎炎の急性期、回復期(慢性移行期―慢性期)エリテマトーデス腎炎及び腎盂腎炎のそれぞれの治療法を述べた論文であるが、右回復期のクロロキン療法につき、前記(二)及び(三)と同趣旨のことを記述している。
(五)〈証拠略〉(「リン酸クロロキンによる腎炎の治療経験」大伴清馬外 日本臨牀第一八巻第七号 昭和三五年七月)
  要旨次のとおりの記述がある。
最近、腎炎の発病機構により考察して、クロロキンの腎炎に対する応用が試みられるようになつた。すなわち、辻教授は一〇名の急性及び慢性腎炎患者にクロロキンを使用して相当の効果を挙げ得たことを報告している。
  私共も腎炎(急性腎炎二例、亜急性腎炎一例、慢性腎炎一一例、計一四例にリン酸クロロキン(レゾヒン)を投与して、蛋白尿の全く消失したものが六例、減少三例、不変五例、尿沈渣中の赤血球が全く消失したもの五例,減少六例、不変二例、P・S・P、糸球体ろ過値、腎血流量については、大部分が正常値か、又はこれに近い値に改善されるのを認めたが、残留窒素の値に著変を認めない、という治療成績をみた。
  本剤の腎炎に対する治効機転は、主として罹患局所である腎系球体毛細血管構造に起こつている治癒し難い炎症性反応を直接に鎮静せしめる点にあると考えられている。この点に関しては、私共の実験でかなりの症例に蛋白尿の減少ないしは消失、尿沈渣所見の改善、糸球体ろ過値の正常化を認めたところからして、一応首肯しうるところである。 
  また、蛋白尿の消失、尿沈渣の改善等の認められる時期は各例によつて異なり、わずか一四例の治療成績であるので確定的なことは言えない。
  腎炎に対するクロロキンの投与は長期間、大量に行わねばならないものであるから、副作用は特に少ないものが望ましい。
  本実験中に蛋白尿及び尿沈渣所見の改善を認めた数例において、クロロキン投与を中止とすると数週間後再び蛋白尿、尿沈渣中の赤血球が出現するのを観察した。このことは蛋白尿、赤血球が陰性化しても、なおかつ本剤の使用を続けた方がよいことを示す。しかしクロロキン投与によつて蛋白尿、赤血球が陰性化してから、なおどの位の量、期間の継続が必要であるかは今後の研究をまたねばならない。
(六)〈証拠略〉(「糸球体腎炎尿所見におよぼす各種薬剤の影響―第一報 ルチン剤、グリチルリチン剤およびクロロキンの影響」若林麟之助 綜合臨牀第九巻第一一号 昭和三五年一一月)
  その要旨は次のとおり。
  腎機能検査法としては、各種薬剤によるクリアランス法、色素排せつによる機能検査法等があるが、最近は腎生検により病理組織学的にその本態を解明しようとする方向に向かつている。しかし我々実地医家が簡単に、またどこにおいても行いうる方法としては従来の尿所見を基礎とする検査が最良と考えられる。
  エリテマトーデスに効くクロロキンは同じくアレルギー性と考えられる急性腎炎に対しても何らかの効果が期待しうるのではないかとの予想の下に、辻はクロロキン剤であるレゾヒンを一〇例の本症に使用し、尿所見の改善を見たのみならず、慢性化したものにおいても蛋白尿の減少、尿沈渣の軽快を見ている。かつその作用機転としては主に糸球体毛細血管における炎症性変化を阻止するためであろうという。
  我々は五例の急性及び慢性腎炎にこれを追試してみた。その結果、五例のうち有効二例、無効一例、効果の判定できなかつたもの二例であつた。わずか五症例であるから確かなことはいえないが、クロロキンが時に有効と思われる例もある。
  以上が、昭和三三年六月辻を中心とする神戸医科大学第二内科が我国で初めてクロロキンの腎炎に対する奏効性を提唱して以降昭和三五年末までに(なお、同年一二月一六日キドラの製造許可がなされている)公表された治験論文のあらましである。症例数は全部合計してもわずか三八例であつて、これら論文を通続する限りでは、昭和三五年段階でもいわば臨床試験的領域から一歩も踏み出していない観があり、当時、少なくとも後述するとおり、リン酸クロロキンの効能・効果として腎炎が「医学薬上一般に承認されている」適応症の範囲に含まれていたと解するのは困難であるうに思われる。もつとも、被告Y4が同年九月キドラの製造許可申請の際に依頼し収集したオロチン酸クロロキンの腎炎に対する効果に関する治験成績(〈証拠略〉)はそのころ存在していたと思われるが、これらは末公表の報告であつたことが明らかである。
  そして、クロロキン製剤の腎炎に対する効果を肯定する文献は、右キドラの治験成績報告の外、昭和三六年以降昭和四〇年まで多数公表されている(例えば、リン酸クロロキンについて〈証拠略〉、オロチン酸クロロキンについて〈証拠略〉コンドロイチン硫酸クロロキン、つまりCQCについては〈証拠略〉)。また昭和四八年までに同旨の外国(ドイツ、フランス及びソ連邦)の論文も公表されている(〈証拠略〉)。
  しかし、わが国の右の各治験成績報告、論文を総合すれば、クロロキン製剤が腎炎に効果がみられる主たる、そして顕著な作用は、やはり蛋白尿の改善(消失あるいは軽減)にあつたことが明らかである。
2 ところで、〈証拠略〉によれば、次の事実が認められる。
(一)腎臓そのものに原発する病気としては腎炎(急性及び慢性腎炎)とネフローゼ(又はネフローゼ症候群)があるが、いずれも腎組織中の糸球体が主として侵される疾病である(それゆえ、医学識上正確には、腎炎は「糸球体腎炎」という。)。なお、ネフローゼは、当初これが糸球体の病変でなく尿細管の変性であると考えられたため、そう名付けられたのであるが、その後これもまた主症変が糸球体にあることが分つてきたものである。
(二)急性腎炎は、溶血性連鎖状球菌その他の細菌の感染後、抗原・抗体に補体が一緒になつて免疫複合物が糸球体壁に沈着して発病するが、大多数(小児では八〇%以上、成人でも約六〇%前後)は安静と食餌療法で完全に治癒する。
  慢性腎炎は、急性腎炎から移行するものと、原因不明のものとがあり、その臨床的病型にはいろいろな型(例えば、潜在期、進行期、ネフローゼ期、慢性腎不全期)があり、各型が相互に重なり合つたり、他の型に移行したりする。慢性腎炎は悪化すると尿毒症になり、人工腎臓の助けを借りないと、ついには生命を維持できなくなる。その各症状に応じて安静、食餌療法を中心に薬物療法(対症療法)を行うのであるが、いまだ、慢性糸球体腎炎そのものを治癒させたり、もしくはその進行を抑制する画期的治療法はない。腎炎の特徴的な症状は、蛋白尿、浮腫及び高血圧である。
  ネフローゼ症候群には、腎臓が原発の一次性ネフローゼ症候群(七〇〜九〇%と圧倒的に多い)と他の種々の原因疾患が腎臓を侵して発症する二次性ネフローゼ症候群があるが、どちらも症状は同じで、それは、高度の蛋白尿及び浮腫並びに低蛋白血症を特徴とする(原因いかんを問わず、かかる共通の症状を呈するので、ネフローゼ症候群という。)。
(三)以上の腎臓疾患による蛋白尿の発生機序については、まだよく分かつていない点もあるが、大体次のような要因のいずれかによるものと考えられている。
  1糸球体からの蛋白質ろ過量の増加、2尿細管再収吸の低下、3血漿蛋白質に糸球体透過性の大きい異常蛋白質の存在、4尿細管及びそれ以下の尿路からの蛋白質の分泌などがそれであるが、これらの要因は単独にも、あるいは二つ以上が同時に存在することもある。
  蛋白尿の程度は、原因疾患の種類、病期、軽重によつて大きく変化する。蛋白尿を左右する要因として第一に考えられるのは、糸球体からのろ過と尿細管からの再収吸量の変化(糸球体から大量の蛋白が漏れ出るため、尿細管が蛋白を完全に再吸収できないことによる。)であり、更に血漿アルブミン量の動きも大きな影響を与えている。したがつて、蛋白尿の程度が軽くなることは、腎臓の病変の改善による場合もあるが、また血漿アルブミン量の低下や、機能廃絶の状態になつた糸球体が増加して糸球体からのろ過度が全体として減少するなど、病変の進行による場合もあり、臨床的には蛋白尿の程度だけからは腎臓疾患の続過や予後を判断し得ない。蛋白尿の意義は、主として腎炎の「発見」にある。つまり、蛋白尿の程度が軽くなることと糸球体の病変を治すこととはイコールではない(クロロキンについては、はじめからそういう議論をしてきたけれども、……と上田が発言している。〈証拠略〉)。それゆえ、蛋白尿は腎炎のある側面を表現するにすぎないから、蛋白尿だけを治療の対象にしてもあまり意味がない。ただ、蛋白尿が出でいる腎炎で、他に根本的に治療する方法がないので、対症療法として蛋白尿を改善する薬剤を使うことは臨床上やむをえない場合もあり、患者に対する精神的効果も無視し得ないであろう。また蛋白尿が消失することは、急性腎炎ではこの「病気」が軽くなつたことを意味し、他の疾患でもその患者によつては「病気」の消長と密接な関係がある。
3 以上に見てきたところによると、クロロキン製剤は、腎炎の病変そのものを治す効果を有していなかつたものであり、決して腎炎の原因治療剤ではなかつたといえる。
  そして、前述のとおり、クロロキン製剤が腎炎に効果がある旨の治験報告等が多数発表されるかたわら、他方では、昭和三六、七年ごろからこれに対し批判的な意見や、反対に無効という意見等が述べられていることも無視することができない。
  すなわち、〈証拠略〉(日本腎臓学会誌第四巻第一号 昭和三七年一月)によれば、昭和三六年の第四回日本腎臓学会総会において、糸球体腎炎三二例にプレドニソロン、クロロキン(キドラ)、ATP等を投与して臨床的諸相に及ぼす影響を検討し、更に投与前後の組織学的変化を比較して報告(クロロキン使用例では急性糸球体腎炎二例にやや有効、三例に無効、中間期糸球体腎炎では三例に尿蛋白の減少、コレステロール値の低下を認めやや有効であつたが、二例では無効)した東京慈恵医大上田泰らに対し、阪大中検の阿部裕は、「腎炎の治療剤の効果判定は慎重であるべきことはお説のとおりで(注、傍点は当裁判所が付したもの。以下同じ)、クロロキン、ATP等の作用が既知の生理化学の理論によるものではなさそうな点も勘案して、これら薬剤の生作用を明らかにして三剤の比較をするより、むしろ適応を決め、併用を試みることも今後の問題ではないか?」と発言し、順天堂大の大野亟二は、いずれもクロロキンオロテート(キドラ)を腎炎に使用した三つの治験報告(いずれの報告も、全部もしくは一部有効という)。に対して、「……私共も過去二年間クロロキン製剤を短には一か月長きは六か月以上にわたつて使用したが、結果論的には効果をほぼ認め難かつた。プラシーボをおいてもつと厳密に効果をうんぬんすべきものと思う。」と述べている。
  そして、右報告の一つに対し、上田泰も「糸球体腎炎の治療に薬剤を使用した際に、腎機能特に腎イクアランスの変動をいう場合は慎重を要する。」と批判し、右治験報告者の一人である市立堺病院の王子喜一は、「急性腎炎は自然治癒もあり、演者も言いましたように、問題もあり、治効の決定をもとより差し控えたい心構えであります。演者にありますように、影響をみたもので治癒ということは更に検討を要することであり、論外であると思います。……」と追加発言している。
  更に、右三つの報告に関し、京大内科の前川孫三郎は、「キドラの治療効果は辻君らの同僚で批判的な経験を重ねていますが、今の情況では効くとも効かないとも判定出来ないのです。これは十分慎重のつもりでまだ発表の域でありませんが、そう一気に結論を急がずにおやり願いたいと思います。」と述べ、そして最後に、辻昇三は次のような発言をしている。「クロロキン療法の効果については色々と意見の一致しない点もあるが、アテブリユルに続いて本療法に移行したきつかけは、これら薬品はいずれも小血管病変を含むいわゆる膠原病に対して使用されているものであり、毛細血管炎、殊に毛細血管外鞘炎とも考えられる腎炎に対しても効果を期待した訳である。緩徐に作用する薬品であるから、適応例に限界があるが、ステロイド療法等と併用することにより将来性を期待しているものである。」
  次に、〈証拠略〉(日本腎臓学会誌第五巻第一号昭和三八年一月)によれば、第五回日本腎臓学会総会(昭和三七年一〇月開催)において、順天堂大の山川邦夫、大野亟二外は次の報告を行つている。
  急性腎炎三名、慢性腎炎一九名、ネフローゼ症候群に一名に、投与量は原則としてクロロキン一日三〇〇mg以上六〇〇mgまで、コンドロイチン硫酸四g以上、使用期間は一四日から五二五日にわたつて投与した治療成績は、慢性腎炎一九名中、全部に無効、殊に九例で蛋白排せつ量の増加等増悪の状態を示し、ネフローゼ症候群一名についても全く無効、3急性腎炎三例では、無効一例、二例については蛋白排せつ量の減少をみたが、他の臨床検査と併せて考えると自然治癒と思えるものであつた。
  かように報告したうえ、大野は、更に「コンドロイチン硫酸製剤及びクロロキン製剤の腎疾患に対する有効性はまことに疑問である。慢性腎炎に対してはほとんど全部無効、急性腎炎例で使用中増悪を見た例すらあつたので、これら薬剤の臨床効果の再検討の必要がある。」と追加して述べている。
  もつとも、右報告に対し、東大小児科の高津忠夫は、「クロロキン製剤の製剤が無症候性の蛋白尿に効いた例があるゆえ、私どもは無効とは思つていない。」と発言している
  右の事実から、昭和三六、七年の日本腎学会におけるクロロキン製剤の腎炎に対する効果をめぐつて論争の一端が明らかとなる。要するに当時における一般に承認された知見ないし医学界の大勢を占める意見を一言でいえば、京大の前川発言に尽きる。すなわちクロロキン製剤が効くか効かないか今の情況では判定できない、結論を急がずおやり願いたい、という段階であつたのである。しかるに、このころ既に腎炎を適応とするレゾヒン、キドラ及びキロニンが国内で販売されていたのであつて、それらの販売開始は、当時の情勢の下ではいささか性急に失したのではないかという疑問が生ずる。
  大野らの無効論は一応別として、当時の腎臓学会の大勢は、クロロキン製剤を用いると尿蛋白の消失あるいは減少を来すことはある、という前提で前記の論争をしていたことが分かる(阿部、大野、上田、王子の前記各発言参照。)。つまり、尿蛋白の改善という効果が現われるのは、そもそもクロロキン製剤が腎炎の病変それ自体を治したからなのか、それともそうではなくて、ただ単に尿蛋白の改善を来しただけなのか、という論争であつたといつてよい。したがつて、ころころは、クロロキン製剤による尿蛋白の改善イコール腎炎の病変治癒か否かが論じられていつ(〈証拠略〉)、まだいずれとも判定できないという情況にあつたといえよう。
  なお、〈証拠略〉によれば、被告Y4、同Y5及び同Y2は、当時日本腎臓学会の特別会員であつたことが認められるから、前述の学会の動向をよく承知していたものと推認しても誤りはないであろう。
4 次に、ここで腎疾患の薬物療法に関する一般の医学文献に触れておく。
(一)〈証拠略〉(いずれも、石山俊次外編集の「今日の治療指針」である)。
  まず、昭和三六年版には、「急性腎炎」「ネフローゼ症候群」の治療薬としてクロロキン製剤は取上げられていない。昭和三七年版に、「急性腎炎」の薬物療法として、「レゾヒン、キドラなどを用いることを推賞している人もある。蛋白尿や赤血球に対し多少好結果をみることもあるが、腎炎の経過に対して果たして有効かどうかは不明。しろ蛋白尿だけがなかなかとれない例に試用してみる程度」とあり、「慢性腎炎」について薬物療法の多くを期待し難いが、規則的な生活を守らしめるために、投薬することがあるとして、「クロロキン量として一日二〇〇〜三〇〇mgを投与する。……投与期間は年余にわたる。」と、ネフローゼ型腎炎につき、「プレドニソロン系またはACTHの無効例には、クロロキン化合物の長期投与を試みることもあり……」と書かれている。昭和三九年版の「急性腎炎」の項にクロロキン製剤の記載はなく、「慢性腎炎」の項に、蛋白尿に対する薬剤コンドロイチン、クロロキン剤などは、ときに有効であるが大きな期待はできない、としている。また「ネフローゼ症候群」について、ステロイド無効例にクロロキン剤(リン酸クロロキン、オロトン酸クロロキン、コンドロイチンクロロキン)が有効なことがあり、一日二錠を投与し、有効例には長期(2分の1〜一年)使用する、とある。また昭和四一年版の「急性腎炎」の項にはクロロキン製剤の記載がない(同項の執筆は辻昇三が担当)。そして「慢性腎炎」の潜伏型の薬物として、「この型の尿蛋白は、あまり神経質になつて不安を抱く必要はなく放念しておいてよいが、やはり患者も医師もできることなら蛋白尿を消失させたいと願うのは当然であるので、効果は不適確であるが、血管の透過性を低下させようとの理論からビタミンCの大量、ビタミンP、アドレノクローム剤などを用い、あるいは腎炎を抗元抗体反応に類似のものだとの仮定に関連してクロロキン製剤を使用したり……いずれにしても数か月以上の相当長期に亘つて服薬せしめる。」と記述されている。なお「ネフローゼ症候群」にはクロロキン製剤の記載がない。また昭和四二年版になると、「急性腎炎」「慢性腎炎」のいずれの項にもクロロキン製剤がその治療薬として登載されていないだけでなく、急性腎炎につき「発症した腎炎に対して直接有効な薬物は知られていない。ゆえに腎炎自身の経過に直接有効な薬物療法は、ない。」といい、慢性腎炎の項においても、「糸球体腎炎には期待すべき薬剤はない。」と断言している。そして、「ネフローゼ症候群」の項では、各種薬物療法を述べた後、一番最後に、「その他」として、「リン酸クロロキン、コンドロイチン硫酸等の使用せられることもある。」とのみ書かれている。
(二)〈証拠略〉(「臨床医の治療法―指針と処方」長畑一正昭和四一年六月)
  腎疾患の薬物療法として、ステロイド及びACTH療法等を述べた後、「その他」で、「レゾヒン、アテブリンなのどクロロキン製剤などが用いられることもあるが、効果が少ない。」と論じている。
(三)〈証拠略〉(沖中重雄改訂「内科書」下巻(改訂三六版)呉建外昭和四一年一月)
 ネフローゼ症候群の治療を考える場合には、腎病変それ自体に対する治療、腎臓の病変によつて起こる種々の症状に対する治療、腎臓の病変の間接的影響や合併症に対する治療等につき各個別的に対策を樹立する必要があり、腎病変それ自体に対する治療として、現在最も大きな関心を持たれているのは、副腎皮質ホルモン、ACTHであり、これらに次いではリン酸クロロキンなどの合成剤及び網内機能抑制剤であろとし、「最近、抗マラリア剤として知られているリン酸クロロキンおよびその誘導体がネフローゼ症候群に対して有効であると報告され、ことに副腎皮質ホルモン無効例について有効な場合があるといわれて注目を惹いたのであるが、実際問題として副腎皮質ホルモンに代りうる程の有効性を認めることは困難であつて、その補助剤として、あるいは副腎皮質ホルモンの投与中止する場合の脱却剤として用いられることが多いようである。一日量二〇〇〜三〇〇mgを長期に亘つて連用することが出来る。」とある。
  なお、同書の四三版(昭和四六年一月)にも同じ記述があつて、その後に、「本剤を使用する場合、眼の網膜に特殊の極めて難治の合併症が起りうることを念頭に置く必要がある。」と注意を促している。
(四)〈証拠略〉(「実地医家のための新しい薬物療法《その薬理作用を中心に》」昭和四四年三月)
  参考の欄に、「元来マラリア治療剤として知られていたクロロキン製剤が最近、膠原病、腎炎に対して用いられるようになつたが、蛋白尿の著しい改善が報告されている一方、かえつて使用後悪化した例も多い。我々は本剤の腎炎に対する使用に関しては、現在批判的な考えでいる。」と述べている。
5 更に、国民医薬品集、日本薬局方の解説書等を概観すると、リン酸クロロキンの適用又は応用として、腎炎、ネフローゼの記述をしているのは、南江堂昭和四〇年発刊の「第七改正日本薬局方註解第一部」のみであつて(〈証拠略〉)、その余では全く取り上げられていない。すなわち、「第二改正国民医薬品集注釈」長沢佳熊昭和三四年(〈証拠略〉)、「第二改正国民医薬品集註解」南江堂 昭和三四年一〇月(〈証拠略〉)、「第七改正日本薬局第一部解説書」広川書店 昭和三六年(〈証拠略〉)、「第八改正日本薬局方第一部解説書」広川書店 昭和四六年(〈証拠略〉)、「第八改正日本薬局方註解」南江堂 昭和四八年(〈証拠略〉)には記載がない。
6 以上いろいろと述べたが、要するに、腎疾患に対するクロロキン製剤の効果は、「蛋白尿の改善」に尽きるものであつて、それゆえ腎疾患の一つの特徴的な症状である蛋白尿の軽減又は消失を目的とする対症療法剤としてのみ意義がある場合はあつても、決して原因療法剤(腎の病変自体を直接治す働き―もちろん人体の自然的治癒を介して―をする医薬品、〈証拠略〉)ではない。このことは昭和三六、七年の腎臓学会における論争点になつていて、当時既に、というよりはむしろクロロキン製剤が腎に使われ始めたその初期のころに、その効果につき否定し、又は疑問を呈し、又は批判する見解も、多数とはいえないにしても公然と存在していたのであつて、クロロキン製剤が腎の治療になくてはならない必要不可欠な医薬品であるとは、医学上一般普遍的に認識されていなかつた、ということだけはおそらく疑問の余地なくいえるものと解せられる。
  そうだとすると、ク網膜症のように重篤、不可逆の副作用のあることが判明したならば、このことのみから直ちに腎疾患に対するクロロキン製剤の有用性は否定されてしかるべきものというべきであろう。
  また本来、医薬品の効果というものは、製薬会社がそれを一般大衆に向けて発売し使用される前の段階で、自らの管理のもと厳格にして十分な前臨床の、臨床各試験を行つて、その効果、範囲、程度を確認は握してから発売しなければならないことは当然の事理である。ところが、前述のようにレゾヒンは辻教授のほんのわずかな治験報告があつた時期に早速腎炎をその適応に加えており、キドラ、キロニンにあつても前記論争の決着もみない時期(キドラは昭和三六年一月、キロニンは同年一二月)に腎炎の薬として発売されており、このように販売がまず先行し、製薬会社が発売前に自ら行うべき前記の試験に代えて、いわば一般に使つてもらつて効果の有無を実地に試してもらうという、全く前後が逆の現象が見られるのは、理解に苦しむところといわなければならない。
  更にここで述べておくが、〈証拠略〉によれば、被告Y4は、昭和三七年二月ごろまで医学雑誌である「薬局」、「日本腎臓学会誌」及び「臨床皮膚泌尿器科」にキドラの広告として、「腎疾患の治療に新威力!」という見出しで、「キドラ錠は全く新しい化合物クロロキン・オロテートの作用により、腎疾患の治療で最も厄介とされている尿蛋白を消失・軽減し、腎細胞を賦活して腎機能を改善する原因療法剤です。長期に連用しても胃腸障害や機能低下のおそれがありません。」と宣伝し(昭和三七年三月以降の右各誌及び医学雑誌「リウマチ」の広告で、右の「腎細胞を賦活して腎機能を改善する原因療法剤」という文言が削除されている。ただし、長期に連用してもうんぬんの文章は依然続いている。)、また、昭和三六年五月一一日(夕刊)、一九日及び二〇日(いずれも朝刊)の各読売新聞上にも、「医家に謹告 新しい腎臓病の原因治療薬が出来ました」との見出しのもとに「キドラは腎臓病最大の悩み『尿蛋白の流出』を防ぎ腎細胞の働きを活発にします。いままで腎疾患の原因治療剤はほとんどなかつたのですが、キドラの出現によつて明るい希望がもたらされました。……」と広告したことが認められる。そして、〈証拠略〉(Y4薬品社内報第三号 昭和三七年一一月)には、「腎に異常があるときの判定とされ、その減少が治癒のめやすであるとされている重要な二点、即ち尿蛋白と尿沈渣の減少が明らかに示し出されており、……このことはキドラの直接的な根本療法の効果を正しく現わしているものと言えよう。」と記述されている。しかし、前述のとおり、そもそも右の尿蛋白等の減少が腎病変の治癒によるものか否か昭和三六、七年の腎臓学会で争われていたのであり、そのことは同学会の特別会員であつた被告Y4も承知していたはずであるし、更には当時、そしてその後も、キドラが腎臓病の原因治療薬であることを医学薬学上根拠づける研究等も全くないのである。キドラの製造許可申請に添付したというその治験症例報告(〈証拠略〉)にも右のような見解など見当たらない。反対にその一報告(〈証拠略〉慶応大学医学部内科相沢豊三外)は,「蛋白尿は腎炎の三大徴候の一つであり、また治癒傾向が始つても最も最後まで残る厄介な症状である。腎炎そのものの経過はセルフ・リミツテイングなものであり、薬剤の効果をうんぬんする際に注意を要するが、多くの例(尿蛋白に対し一〇例有効)では、本剤投与を端緒として尿蛋白の減少が起こる。」(傍点は当裁判所が付したもの。)と述べ、尿蛋白の減少と腎炎そのものの経過に対する効果とを意識的に区別して報告しているようである。ともあれ、前記広告は、キドラの効果を無責任に誇大した用語を使用して表現したものと評さざるを得ない。
7 キロロキン製剤の腎に対する効果は以上のとおりであつたが、原告らは、更に、クロロキン製剤がかえつて腎毒性を有し、腎疾患を増悪させたと主張する。 
  そこで、右の点について検討するのに、動物実験では、クロロキンによつてラツトの心臓筋肉繊維、肝臓、脾臓、膵臓に障害が発生する外、腎臓にも、環状腎尿細管の肥大化、腎曲細管上皮に非第一鉄化合物性、非脂肪性の色素が存在し、軽度から中程度の脂肪分の増加が認められた旨の報告(外国文献68―一九四八年)、光学並びに電子顕微鏡的観察で、ラツトの腎髄質細胞にクロロキンによつて「生理学的退行性変性」が引き起こされ、その変性の初期段階(八時間以内)で発生する自食性空胞では、細胞質の小部分が分離するにつれその構造は消失し、自食性空胞が徐々に骨髄様体の様相を呈する残余体に変化して行く旨の報告(外国文献69―1及び2―一九七二年)、同じくラツトの近位尿細管部みられた脂肪変性及びミエリン体の散在は、腎毒性を示唆するように思われる、もしくは腎機能に影響を及ぼしている旨の報告(〈証拠略〉)等があり、これらの報告は、クロロキンがヒトの腎組織に対しても何らかの好ましくない影響を及ぼすことを推測させるものと一応いえるけれども、ヒトに対する腎毒性を確認するに足りる医学、病理学上の根拠はいまだ知られていないようである。
  もつとも、日本文献106、〈証拠略〉(「クロロキン網膜症の臨床像」窪田靖夫 眼科第一八巻第二号昭和五一年)、〈証拠略〉によれば、我国におけるク網膜症報告を分析すると、その罹患者の基礎疾患は、慢性腎炎が六〇%以上を占め、圧倒的に多いこと、疫学的にみて、腎機能中程度障害例にク網膜症発症ひん度が高く、かつ重症なものが多く、腎障害の程度と網膜症のひん度・重症度は、ある程度平行している可能性があること、少なくとも、特に腎機能不良の症例では、網膜症発病の極めて早期の段階でこれを発見してクロロキン投薬を中止しても、網膜症が高度に進行することが多く、その進行、悪化が著明であること(それゆえ、窪田前掲は、ク網膜症による失明を防止するには、第一に腎機能の不良な症例にはクロロキンを使用しないことが必要であると述べている。)が認められる。
  そして、右のとおり、腎炎患者にク網膜症が多いことについては、窪田は、腎炎患者に特にそれが発症しやすいというより、クロロキンが腎炎に対しひん用されたためと考えられると言い、普天間稔(前記日本文献106)は、腎炎では腎機能低下のためクロロキン排せつ量が減少し体内への蓄積が増すことが考えられ、また腎炎では網膜症が発生しやすい要因も推測されると述べていて、そのいずれが真の原因であるのかは右の証拠のみによつては断定できないものの(ただし、窪田も、腎炎患者のク網膜症の進行、悪化が著明な理由として、「腎機能不良の場合、クロロキンの排せつが当然不良となり、網膜に蓄積される量が多くなるから」と述べている。)、後記第五節において述べるとおり、厚生省薬務局長が昭和四四年一二月に「……重篤な腎障害のある患者に対し本剤を用いる必要がある場合には、慎重に投与すること。……」等のクロロキン製剤の使用上の注意事項を通知し、被告製薬会社の能書等にも同一事項が記載されるに至つたこと、〈証拠略〉(「医薬品の使用上の注意」編集医薬品情報研究会昭和四七年)にも右と同一の記事が掲載され、〈証拠略〉(「新薬の副作用の処置」阿部裕監修 昭和四六年)には同趣旨の、そしてまた〈証拠略〉(「医師・薬剤師のための薬物の副作用」高杉益充昭和四七年)には腎疾患患者には「避けたほうがよい」旨の各記述があること、以上の各事実に第一節第二で認定したクロロキンの薬理作用並びに証人中島章の証言を総合して考えると、原告らのいうがごとく、クロロキン製剤がかえつて腎機能を悪化させるものであるとは断定し得ないけれども、クロロキンそのものの体内蓄積傾向に加えて、もともと腎機能が低下しているためクロロキンの排せつ量も健康体より少なく、したがつてその体内蓄積量が増えるであろう腎疾患を有する者に対しクロロキン製剤を用いることは、他の疾患患者に比し、ク網膜症に罹患する危険性が大であつた可能性を否定することができないだかりでなく、網膜症の進行と悪化を強める危険が多分にあつたといつてさしつかえない考えられる。
  そうだとすると、ク網膜症という副作用の存在を考慮するとき、クロロキン製剤の腎疾患に対する有用性は極めて疑わしく、同製剤の腎疾患に対する効果が前述の程度にとどまるものであることを併せ考えると、その有用性は、否定されて当然といえるであろう。
二 てんかんに対する有効性と有用性
  原告は患者のうち、基礎疾患がてんかんであつた者は亡X8(世帯番号20)のみであり、同人はそのてんかん治療のためレゾヒン2を服用し、その結果ク網膜症に罹患したことは、前述したとおりである。それゆえ、本件では以下てんかんについてはレゾヒンを中心に検討することとする。
1 被告Y1がレゾヒンの適応症にてんかんを加え、同Y2がこれを販売したのは昭和三六年四月以降である。
  ところが、そのころ、すなわち昭和三六年四月一日発刊の「脳と神経」第一三巻四号(〈証拠略〉)に、弘前大学医学部神経精神科教室の和田豊治外は、「難治てんかんのレゾヒン治療」と題して、「長期間にわたり種々の抗てんかん剤を服用したにもかかわらず発作の完全なる抑制をみるにいたならかつた難治の側頭葉てんかんで、けいれん、精神運動、ドロツプ発作等を示した二例にレゾヒンを付加投与したところ、劇的効果(両例とも発作の完全消失と同時に脳波の正常化」)をもたらした」旨の発表を行つたが、著者らは、イタリアのバスケスの症例報告(〈証拠略〉一三例の小発作型のてんかん児のうち一〇例に他のてんかん剤とアタブリン及びレゾヒンを併用し極めて効果があつたという趣旨の論文)を引用し、てんかんの患者に抗マラリア剤であるレゾヒンを使用し効果がみられたという報告は本邦では皆無で、最近のイタリアの右文献しか知らないと記述している。つまり、レゾヒンがてんかんに効果がある旨の報告が我国で初めてなされたのは、和田らの右論文であり、かつ当時イタリアの右論文以外に海外の文献にも同旨の報告等はなかつたのである。
  そして、和田らは、昭和三六年四月一一日第五三回日本精神神経学会総会で、「現在まで二〇例の症例について最長六か月間、主としてレゾヒン付加の術式でその経過を観察しているが、そのうち著効のみられたもの一五例、一二例には発作の完全な消失がみられ、脳波の正常化も著しい。もちろん中には不変のものもあつた。逆に悪化例は一例もなかつた。……このようにレゾヒンがてんかんの治療にとつて効果的であるが、その使用価値の是非について我々は現在行いつつある更に多くの試用例を基にして検討を加えるつもりである。」旨報告した(〈証拠略〉精神神経学雑誌第六三巻第四号昭和三六年三月)。
  いずれにしろ、昭和三六年四月の時点では、以上の治験報告しかない。これで、てんかんが当時の医学薬学上一般に承認されているレゾヒンの効能・効果の適応症に含まれるといえるのであろうか。これが到底肯定できないものであることは、後述するとおりである。
2 その後、同年五月一一日の日本小児科学会第六四回総会で、中央鉄道病院の土屋与之外が、「てんかん患児二〇例に抗てんかん剤とクロロキン(レゾヒン・キドラ)を併用し、全体的にみて、有効、やや有効とも各三五%であつた。クロロキン単独投与の三例でも全例に脳波異常の明らかな改善と臨床所見の好転を認めている。」旨報告し(〈証拠略〉日本小児科学会雑誌第六五巻第九号昭和三六年九月)、更にその後、和田らは、前記報告の続報として、同年一一月一日発刊の「脳と神経」第一三巻第一一号(〈証拠略〉)に、これまでの間に試用した九〇例の治療成績をここに改めてまとめて報告し、「発作の完全抑制三四%を含む著効例が四二%であるが、その内訳はけいれん発作群が二三%、小発作群が五三%、精神運動群が九〇%であつて、特に精神運動発作てんかんに効果が著しかつた。」と記述している。しかし、この時点でも、まとまつた治験症例報告を行つているのは、右の二医療機関にすぎない。いまだ、いわば臨床試験的領域にとどまつていた時期と解すべきであつて、医学薬学上の一般的評価という観点からみれば、同年四月ころと大差がないであろう。
3 その後、クロロキン製剤のてんかんに対する効果について、医学薬学界ではどう受けとめていたのか、証拠がないので判然としない。ただ、甲し第三、第四号証の各一ないし六によれば、被告Y4が昭和三八年八月一〇日厚生大臣に対しキドラの効能にてんかんの追加承認申請をしたところ、その際審議に当たつた中央薬事審議会の調査会は、てんかんに効くことにつき証明が足りない(思いつきの効果は認めない)と厚生大臣に答申したことが認められるところ、このことは、クロロキン製剤のてんかんに対する効果の消極性の一面を物語つているのかも知れないし(なお、被告Y4は、その後再び同じ申請をして昭和三九年一一月一三日その承認を受けたことは前述した。)、また、前掲の国民医薬品集、日本薬局方の各解説書等のいずれにも、リン酸クロロキンの適用または応用として、てんかんは明記されていない。ただし、〈証拠略〉(「てんかん―治療の方法とコツ―」中川秀三外診療第一七巻第五号 昭和三九年五月)には、クロロキン製剤(レゾヒン、キドラ)が「代用薬および補佐薬」の項で取上げられ、「大発作や小発作に他剤と併用して有効なことがあり、脳波改善の作用もある。」と記述され、また、大発作及びけいれん重積症の治療に、他の薬剤で完全に発作が消失することが多いが、単に期間が延長したり、軽い不全型発作に変つたという場合もあり、「かかる際にはミノアレビアチンを併用するか、ダイアモツクス、クロロキン剤、GABOBなどの補佐薬を加えてみることである。」と記されているから、右当時、クロロキン製剤をてんかんの併用薬あるいは補佐薬としての限りで、しかも唯一のものではなく複数の薬剤のうちの一つとして、効果を肯定する見解もあつたといえよう。
4 かくして、前記再評価結果において、てんかんに対しては、リン酸クロロキン及びオロチン酸クロロキンが有効と判定する根拠がないものと評価された。その評価の手続、方法は、専門調査会(当該医薬品と直接間接に関係のある専門家で構成される)で自らが有効性の実験をするのではなく、再申請する者が整理提出した資料によつて専門調査会が判断する、というものであつた。したがつて、被告Y1及び同Y4は、当然自己が収集整理したてんかんに関連する資料を提出したはずであり(現にいかなる資料を提出したかは証拠上不明。)、少なくとも被告Y1は前記の各報告、論文、同Y4は昭和三九年の追加承認時に添付提出したという〈証拠略〉の治験症例報告等をそれぞれ提出したであろうと推測できる。にもかかわらず、右のように評価されている。このことは、前述した「有効性の判定基準」(本節第一の一の3(二))から明らかなとおり、クロロキン製剤のてんかんに対する効果につき適切な計画と十分な管理による比較試験がなされていなかつたし、不十分な比較試験であつたがそれでもなお有効とみなすこともできず、またクロロキン製剤が従来知られているてんかんの症状及び経過を明白かつ異論なく軽減あるいは短縮すると認めることも、そのように推定することさえもできないうえ、有効であることが実証されているものとして委員の三分の二以上の同意も得られなかつたことを意味している。そうだとすると、結局のところ、昭和三六年四月ごろはもちろんのこと、その後も、てんかんがレゾヒン(リン酸クロロキン)の効能・効果として一般に医学薬学上承認されていたとは解しえないといつてよいであろう。したがつて、右のように有効性の認められない以上、もはや有用性の有無について論ずることは無益である。
五 付言するが、キドラのように、厚生大臣が過去にてんかんの効能追加を承認しておきながら、再評価によつてその効能の有効性を否定することは、特別の事情(例えば、承認時の医学薬学上の知見では有用性が認められたが、その後の医学薬学の進歩発展の結課、再評価時点での知見では有効と認められなくなつた、というような事情)がない限り、厚生大臣は、自己がかつて行つた承認処分の誤りを認めたに等しい。なぜならば、薬事法上、厚生大臣に医薬品安全確保義務の有無はさておき、医薬品の有効性の確認義務(もとより高度の専門的な裁量権を有するが)は当然あると解せられるからである。もつとも、本件では、てんかんの治療のためキドラを服用しク網膜症に罹患した者は幸いなことに一人もいないから、右処分の当否には立入る必要がない。
第五節 被告製薬会社の責任
第一 薬局方収載医薬品の安全性に対する公的保証の有無並びにその適応性の範囲
一 薬局方収載医薬品の安全性に対する公的保証の有無
  旧法三〇条一項は、厚生大臣は、「医薬品の強度、品質及び純度の適正」を図るために、薬事審議会の意見を聞いて、日本薬局方、国民医薬品集又はこれらの追補(すなわち「公定書」、同法二条八項)を発刊し、公布しなければならないと定め、同条三項で、公定書に収められた医薬品は、その強度、品質及び純度が公定書に定める基準に適合するものでなければ、これを販売等してはならないと定めている。
  現行法も同一の規定を置いている、すなわち、厚生大臣は、「医薬品の性状及び品質の適正」を図るため、中央薬事審議会の意見を聞いて、日本薬局方を定め、これを公示する(同法四一条一項)ものとし、日本薬局方に収められている医薬品であつて、その性状又は品質が日本薬局方で定める基準に適合しないものの販売等を禁止している(同法五六条一号)。そして、現行法は、旧法によつて発刊され公布された日本薬局方と国民医薬品集を現行法上の日本薬局方とみなし(同法附則八条)、かつ、国民医薬品集を廃止して、日本薬局方に一本化している。
  〈証拠略〉によれば、国民医薬品集は、医薬品の急速な発達に応ずるため日本薬局方を補足する目的で旧法の下で設けられたもので、日本薬局方と表裏一体の関係にあつたこと、そもそも日本薬局方が制定されるに至つたのは、有効な医薬品は純良な品質を保有するものであることが不可欠であるところから、一般に治療上用いるに必要な強度、純度及び品質の基準を定め、これを法的に強制することを目的としていたこと、昭和三〇年の第二改正国民医薬品集には、薬局方に収載予定の医薬品、薬局方から削除されたものでなお市場性大なる医薬品及び薬局方収載に準じ重要な医薬品が収載されたが、その際、まだ日本薬局方に収載されていないが、国際薬局方(IP)、英国薬局方(BP)、米国薬局方(USP)、等に収載されている品目であつて繁用されているものは、これをほとんど収載する方針が採られたため、燐酸クロロキンも右国民医薬品集に収載されるに至つたこと、その燐酸クロロキンの項には、性状、確認試験、純度試法、乾燥減量、貯法及び常用量(一回〇・二五g、一日〇・五g、なお常用量とは、普通に用いられる成人の薬用量のことであり、薬用量とは薬効を呈する量、すなわち治療上用いる量を意味する‖〈証拠略〉)がそれぞれ記載されていることが認められる。
  その後も、リン酸クロロキンが第七及び第八改正日本薬局方に引き続き収載されているが、その記載の内容は、いずれも右と同一である(〈証拠略〉)。
  以上の薬事法の規定並びに日本薬局方制定の趣旨から明らかなとおり、旧法の公定書及び現行法の日本薬局方(以下、単に「薬局方」と略す)。は、その収載医薬品の性状、品質の基準のみを定めたものにすぎない。したがつて、その基準に適合した医薬品は、通常その常用量を用いれば治療に効果があることを前提として、性状、品質の面では安全であり、欠陥がないということ、すなわち、その面では不良品でないということが保証されていると言えるけれども、当該医薬品に治療上目的とした効果以外の好ましくない結果、つまり副作用があるか否か、あるとすればそれはどういう副作用なのか、という面での安全性については薬局方は一切関知していないのであるから、一部被告らが主張するように、薬局方収載医薬品なるがゆえに副作用の面での安全性が公的に保証されているなどとは決して言えない。このことは、前述のとおり、再評価の際に、薬局方収載医薬品もその対象とされたことにかんがみても明らかである。
  もつとも、薬局方収載医薬品の製造につき、これを厚生大臣の承認を要する事項から除外し、各種試験資料の提出を不要としたのは、「局方収載品が主として繁用されている医薬品であり、すでに安全性、有効性などについて経験的に周知のものとの考え方が基本的に存在するのだろう。」という見解もある(〈証拠略〉久保久苗「薬物療法における安全性の確保」)。しかし、この見解は、薬局方収載医薬品の有効性はともかくとして、その副作用の有無という安全性について、薬事法上薬局方収載外医薬品の製造承認の際の厚生大臣の安全性確保義務の存在を当然の前提とし、これとの比較のうえで右のように述べていることが明らかであるが、右の厚生大臣の義務の存在自体が後述のとおりそもそも疑問なしとせず、むしろ否定されねばならないし、また、なるほど繁用されている医薬品であれば、経験上その安全性(例えば、副作用の有無、種類、程度等)について周知な画も多くなるであろうが、そのことのゆえにその製造が厚生大臣の承認を要する事項から除外されたものとも考えられない。
  いずれにせよ、薬局方収載の医薬品であるからといつて、副作用の面での安全性が公的に保証されているわけではないのであるから、薬局方収載の有無は医薬品を製造(輸入販売)する製薬会社の後記安全性確保義務の内容、程度等にいささかの影響も及ぼすものではない。
二 薬局方収載医薬品の適応症の範囲
  既に認定したとおり、薬局方自体はその収載医薬品の適応(効能、効果)について何ら触れていない。しかし、薬局方の性質、目的に照らせば、厚生大臣は、薬局方に収載するからには、当然当該医薬品につきある特定の適応を念頭に置いていたはずである。そして、第一節第一で述べた争いのない事実に〈証拠略〉(米国薬局方)、〈証拠略〉(英国薬局方)及び〈証拠略〉(国際薬局方)を総合すると、厚生大臣が第二改正国民医薬品集に燐酸クロロキン及び燐酸クロロキン錠を収載した当時念頭に置いていたものと考えられる適応性は、マラリアは当然として、それ以外せいぜいエリテマトーデス、アメーバ症位のものであつたことが認められる(もつとも、厚生省の「伝染病及び食中毒統計概況年計分」によると、我国におけるマラリア患者数は、昭和二一年は二万八二一〇名で、その後減少し、昭和二八年は一六八名、昭和二九年三三七名、昭和三〇年六六名にすぎず、その後昭和三一年の四七名をピークに更に激減し、以後年間一〇名前後―ただし昭和四八年は四二名―であることが甲た第四二号証により認められる。)。
  ところで、薬事法上、薬局方収載医薬品の製造(輸入販売)業の登録(旧法二六条一項、二八条)又は許可(現行法一二条、二二条一項)を受けた者は、その医薬品の適応に関しては、これを規制する条文がないから、厚生大臣の法的な規制を全く受けないで、自由に適応を変更したり、追加したりすることができる。
  他方、薬局方収載外の医薬品の製造(輸入販売)の許可(旧法二六条三項、二八条)又は承認(現行法一四条一項、二三条)を受けた者が、その許可又は承認にかかる適応(効能、効果)を変更したり、許可又は承認外の適応を追加する場合には、これについて厚生大臣の許可(旧法施行規則二三条、二四条、二六条)又は承認(現行法一四条二項)を受けることを要する。
  このように、適応(効能、効果)の変更、追加に関する法的規則は、薬局方収載医薬品とそうでない医薬品との間で以上のような差異がある。しかし、薬局方収載医薬品であつても、無制限に適応を広げて行つて良いはずはなく、医薬品という人体に作用する物質の特性からして、そこにはおのずと限度があつて然るべきである。厚生省当局は、旧法、現行法を通じ、昭和二四年ごろから一貫して、薬局方収載医薬品の効能、効果、用法、用量、使用期間等の表示は、「医学薬上認められている範囲」内に限る旨関係業者に指導してきている(〈証拠略〉)。薬局方収載外の医薬品の法的規制と対比して考えると、薬局方医薬品時に予定し有効とみられた適応以の適応を追加することができるのは、厚生大臣の法的な規制を必要としない程度に、その適応に対する有効性が医学薬学上一般に承認されている場合に限ると解すべきである。したがつて、そのような場合(具体的に言えば、例えば、医学薬学上当該適応に対する効果が公知であるとか、少なくとも、医学薬学の関係者の多数がその効果を疑つていないような場合)に当たらないのに、薬局方収載医薬品(本件ではレゾヒン1・2とキニロンが問題となる。)の製造(輸入販売)業者が当該医薬品の適応をみだりに拡大して添付文書等に表示することは、虚偽又は誤解を招くおそれのある事項の表示を禁止した旧法三四条、現行法五四条の規定に違反する疑いがあるものといわねばならない。
  また、ある適応に効果があつても、その副作用等との対比上その適応に対する有用性が否定される場合に当該適応を添付文書等に表示することも、前同様薬事法違反の疑いがあるものと解すべきである。なぜなら、有用性がない以上、その適応が医学薬学上一般に承認される範囲に属するとは到底言えないからである。
三 レゾヒン及びキニロンの薬効の誇大表示
  ところで、前節第三の一及び二において詳述したとおり、レゾヒンの適応にてんかんを加えた昭和三六年四月当時、てんかんに対するリン酸クロロキンの効能、効果、すなわち有効性が医学薬学上一般に承認されていたとは到底解せられず、したがつて、これを適応症として表示して販売したことは薬事法に違反する疑いがあつた。
  また、レゾヒン1の適応に腎炎を加えた昭和三三年八月ごろ、腎炎が適応症として医学薬学上承認されるに至つていたかどうか問題なしとしないが、遅くとも我国で初めてク網膜症の症例が報告された昭和三七年末以降は、クロロキン製剤の腎炎等に対する有用性は否定されるべきであつたと解するのば相当であるから、右日時以降のレゾヒン及びキニロンの腎疾患関係の疾病を適応とした表示販売は、医学薬学上一般に承認された範囲を超えるものとして、同じく薬事法に違反する疑いがあつたものというべきである。
  もとより、右に指摘した薬事法違反の点は、これに関係した被告製薬会社の本件における不法行為法上の責任と直結するものではないが、これが被告製薬会社のク網症についての結果発生回避義務の内容と無縁のものでないことは、後述するとおりである。
第二 医薬品の危険性
一 化学合成物質の医薬品としての特質
被告製薬会社の注意義務を論ずる前提として、化学合成物質たる医薬品が本来帯有している危険性について言及しておく必要がある。
  人類は,有史以前から、疾病の治療又は予防のために呪術、祈とう等の迷信ないし宗教的手段に頼る以外に、動植物の一部分及びそれから抽出した有効成分並びに鉱物の粉末その他の無機物質を医薬品として利用してきた。それらの中には薬効のないものや人体に有害な副作用をもつものも少なくなかつたと想像されるが、幾世代、幾世紀にわたる使用経験から、有害無益なものは次第に排除され、姿を消すに至つた。そのため、昔から現在に至るまで使用されている医薬品は、その有効性に疑わしいものあつても、従来の使用態様の範囲内においては、その安全性は、いわば歴史による検証を経たものとして、ほぼ確立しているものと言つて差し支えない。 
  ところで、近代に入り自然科学の発達に伴い、医薬品の精製方法が進歩し、有効成分の分析により化学構造式が決定され、原材料から、より純粋な形で有効成分が抽出され供給されるようになるとともに、その薬理作用についても研究が進み、極量も次第に明らかにされるに至つたが、今世紀になると多くの有機化合物について人工的な合成が可能となり、天然自然界に存する物質と化学構造成を同じくする合成物質が大量かつ比較的安価に供給されるようになつた。
  そればかりでなく、現代では、天然自然界には存在しない新規な化学物質(クロロキンもその一例である。)が次々と合成され、その物質の薬理作用が研究されており、薬効を有することが発見された化学物質については先を争つて医薬品としての製法特許又は物質特託許が出願され、これと並行してその工業化、製品化が図られているのが現状である。
 以上は当裁判所に顕著な事実であるが、右のようにして化学的に合成された物質は、それが新規物質である場合には、医薬品として使用した場合の副作用については人類は全く末経験であり、また、従来知られていた物質であつても、天然自然に産出するものと異なり医薬品として全く純粋な、換言すれば濃厚な形で、しかも比較的安価に供給されるため、従来の経験により安全性の確かめられた用法、用量を超えて過度に人体に適用されるおそれがあることは見やすい道理である。
  医薬品の人体に対する副作用は、次の世代に対する影響をも考慮するとき、これを見極めるために少なくとも使用開始後三〇年の年月を要するであろう。この点において化学合成物質は、今後予想される使用態様の下での安全性につき長年にわたる「歴史の検証」を経ていないものがほとんどであり、未知の危険をはらんでいるものと言つても過言でないのである。
  しかしながら、未知の副作用の一般的な危険が否定できないとのゆえをもつて、現に薬効の認められる化学合成物質の医薬品としての使用を断念するのでは、医学及び薬学の進歩は期待できないこともまた白明であろう。医薬品の有用性はその有効性と副作用等による有害性の比較衡量の上で決定されるものであり、右の有効性、有害性はその時々における医学及び薬学の最高水準に照らして判定されるべきものであるから、化学合成物質が一般的に未知の副作用の危険性を帯有しているということは、それだけでは当該物質の医薬品としての有用性を否定する根拠とはなり得ない。
二 医薬品の危険性についての留意事項
  したがつて、問題はむしろ右の未知の副作用の危険について、どのような点に留し、どのような考え方をもつて対処すべきか、という点にあるように思われるが、この点につき現在一般に承認されている考え方は、〈証拠略〉を総合してみると、以下のように言いうるであろう。
1 病気の治療や予防に用いられる医薬品たる化学合成物質ら、本来生体のある組織器管に対し特異に作用するからこそ薬効が生ずる。だから、それはそもそも生体にとつて歓迎されざる異物であり、その医薬品が目的とする効果たる有効性とその効果以外の副作用等の有害性とが相伴い、両者は表裏の関係にあつて、“両刀の剣”のようなものである。選び方、使い方、使う量を誤れば、毒でしかなくなる。
  このような危険物を、人道的・科学的に使用して人体に活かすのが薬である。どうしても医療に必要とするだけの有用性が大きければ、その持つ有害性をわきまえて使用し、有害性を発現させることなく、いかに使うかが重要である。
2 医薬品は、その開発段階において十分注意して動物実験、臨床実験を行つても、その副作用の発現を未然に防止しえない場合がありうる。この段階で、一般には薬用量を守つて使用されている限り副作用は問題にならないですむように配慮されているが、それにもかかわらず、いまだ完全に副作用を防止することができない。それは、毒性を調べる段階で、生体のすべての枢要な器管や機能に対する化学物質の影響の評価が、生体の複雑さのゆえに、常に欠落する危険あり、動物実験では、種差、株差の存在が副作用の予知を困難ならしめ(医薬品を人に与えたときに起こりうる副作用を一〇〇%予知することのできる動物実験の体系はいまだ存在しない)、また、現実に使用する患者には個体差があることなどによる。すばらしい薬効のみで、副作用の全くない医薬品を人類はいまだ手に握つていない。
  更に、医薬品は、一般には副作用を発生することが知られている量より格段に少ない安全な領域で日常薬用量が定められ、投与期間についても副作用の使用目的によつて常識的な配慮がなされているが、広く副作用が使用される場合、常識的に要請される使い方と著しく異なつた使い方がなされ、それによつて副作用が発生する可能性が常に存在している。
3 視覚神経系は、人の感覚器として最も重要でなものであり、種々の異なつた組織が入り組んだ複雑な構造をもつていて、網膜と脳とは近縁であること、多くの自律神経未端が分布していること、血管が豊富に分布していること、体表にあつて調べ易く、敏感な感覚器管であること等の理由から、古来多くの医薬品の副作用が報告されてきたが、視覚神経系に作用を及ぼす医薬品は決して少なくないので、特に注意を要する
第三 被告製薬会社の注意義務
一 総説
  医薬品の製造又は輸入を業とする者は、人の病気の予防、治療に供する目的とはいつても、その反面、前述のような本質的に人の身体、健康に有害な危険が顕在もしくは内在する化学物質たる医薬品を製造、輸入し、そして販売して当然利潤を得ているのであるから、その製造、販売等に伴う法的責任は非常に重いものであるといわざるをえず、薬事法の諸規定を遵守しなければならないのは無論のこと、その時々の最高の医学、薬学等の学問技術水準に依拠して、医薬品の最終使用者である患者らに対し、その本来の使用目的(治療効果)以外の働き、作用による危険を未然に防止するよう努めなければならない注意義務があり、その注意義務の内容も医薬品の開発、製造段階から販売使用後の段階までにわたる広範なものであると解される。
  以下、副作用の防止の点を中心にして、右注意義務の具体的内容を述べる。
二 製造販売開始までの間の注意義務
  まず、開発段階では、目的とする化学物質とその類似周近物質につき内外の文献調査を行い、更に十分な前臨床試験、臨床試験をふまえて、医薬品としての有効性はもちろん、その安全性を確認し、もつて副作用の有無、程度等を予め知り尽しておくようにする義務がある。この段階で既に重篤な副作用のあることが判明したならば、これを製造販売してならないのは当然で、もしどうしても副作用にもかかわらず医学上の必要価値があるという場合には、その副作用の種類、程度、ひん度、重篤等をできるだけ正確に、そして回避できるならその方法等を医師や患者に伝達する体制を整えてから販売すべきである。
  先行する同種化学物質が医薬品として既に数年使用され、これに重篤な副作用の症例報告等を見聞しないからといつて、後に開発する製薬業者の右の義務が軽減されたり、消減したりすることは絶対にない。
三 製造販売開始後における注意義務
  次に、開発から製造までの間調査研究や各種試験では予知できず、臨床使用の段階で判明する副作用が常に十分ありうる。したがつて、製薬業者は、安全かつ有用との認識のもとに医薬品の販売を開始した後も、その副作用について継続して調査をする義務がある。長年の使用経験中に重篤な副作用の症例が現れなかつたとの事情があつても、このことにより安全性が定着したとの先入観にとらわれて、右継続的調査義務を怠ることは許されない。要するに、医薬品が販売され使用されているうちは右の副作用調査義務は常時存在する。その間、製薬業者は、当該医薬品に関する医学、薬学その他関連科学分野における内外の文献、報告等の資料を調査して副作用情報を常時収集するよう努めねばならず、課査の対象となる文献、報告等の資料の範囲は、当該医薬品の適応分野(例えば、内科、皮膚科等)に限らず、眼科領域にも及ぶと解せられる。このことは、前述のとおり、医薬品の眼に対する副作用も決して少なくなく、古来その副作用が文献に記述されて来たという事実に照らしても一般的に肯首できるものであるばかりでなく、本件にあつては、クロロキンが視機能に対し何らかの影響を及ぼすことのあることは早くから、すなわち前記外国文献一及び2等に記されているように発売の当初から知られていた以上、右のように解して当然とさえいえる。それゆえ、眼科領域の文献までも調査することは合理的にみて期待できなかつたという趣旨の一部の被告製薬会社の主張は、到底採用することができない。
  このように、製薬業者には副作用の継続的調査義務があるが、販売後当初知られていなかつた副作用情報を入手したときは、速やかにこれに対処すべく調査検討に着手し、副作用の発生を回避する可能な限りの措置を講ずべき義務を負うに至る。
  すなわち、右の副作用情報とは、当該医薬品によつて特定の副作用が発生するという因果関係を疑わせる一応の理由があるものであれば足り、製薬業者は、このような情報を得たならば、漫然他人による副作用の症例報告とか基礎医学的実験報告の蓄積を待つているのではなく、直ちに自らが、あるいは他の研究機関等に依頼して、その時点までの臨床上の諸報告、内外の文献を精査することはもちろん、必要に応じ動物実験、当該医薬品服用者の病歴及び追跡調査等を実施して、医薬品と副作用の因果関係の有無、副作用の程度等の解明、確認に着手すべきであり、場合によつては、例えば報告された副作用が人の生命や身体に重大な危険を及ぼす種類のものであれば、右の解明、確認に先立つて、とりあえず一時的に当該医薬品の出荷販売の停止措置を講ずることが要請されることもある。
  そして、このような解明、確認のための調査、研究の結果、その医薬品と特定の副作用との因果関係が医学、薬学その他関連科学上合理的根拠をもつて完全に払しよくされない限り、重篤度、発生ひん度、可逆性か否か等の当該副作用の特質とその医薬品の治療、予防上の必要度等を比較考量したうえ、警告にとどめるか、適応の一部を廃止するか、あるいは全面的に出荷販売を停止し流通している医薬品を回収するか、情況に応じていずれかの措置を講ずる義務がある。
  以上のように、当裁判所は、製薬業者は当該医薬品との因果関係を疑うに足りる相当な理由のある副作用情報を得たときには直ちに右因果関係の有無の検討に着手すべきであり、かつ、その疑いが医学等の見地から完全に払しよくされない限り結果回避措置に踏み切るべきであると解するのであるが、製薬会社は、確かに一面では医薬品の供給によつて人の生命、健康の維持、増進に貢献していることは否めないけれども、反面では本質的に人の生命、健康に危害を及ぼす危険をはらむ化学物質を医薬品として商品化すべく製造(輸入)し、そして販売することにより利益を挙げることを事業目的としているうえ、その商品たる医薬品に宿命的に多かれ少なかれ存在する副作用を事前又は事後に知りうる施設と能力を有する(逆に言えばそのような施設及び能力を有しない者は、医薬品を製造したり販売したりする資格はないというべきであろう。)のに対し、当該医薬品を投与され服用する側の一般大衆は、製薬業者からの情報を信頼する以外に安全性を確認するすべがなく、自らが副作用を知り防衛するなどということは期待しうべくもないことであつて、このような両者の立場や能力の相違にかんがみ、そして何よりも人の生命、健康の大切さを考えるならば、製薬業者の医薬品の製造販売上の注意義務については前述したように解するのが相当と考えられるのである。
  被告Y1及び同Y4は、医薬品の副作用の疑いが動特実験や病理学的、生化学的な検討など基礎医学的研究によつて科学的根拠をもつて合理的には推認されるものと評価された段階で、はじめて製薬業者はこれに対処する法的義務を負うと主張しているが、これでは遅きに失することが明らかであり、むしろ右のような疑いが科学的根拠をもつて否定されない以上は、直ちに結果回避措置を講ずべき義務が生ずるものといわねばならない。
四 輸入業者及び販売元業者の注意義務
以上の説示は、医薬品の製造販売業者に典型的にあてはまることであるが、自ら医薬品の製造を行わない輸入販売業者にも等しく妥当するといてる。このことは、薬事法が医薬品についての各種許可、承認に関し製造業者と輸入販売業者とを同等に取扱つていることからみても明らかであろう。
  ただ、輸入業者は医薬品の開発製造の過程に関与するものではないから、この点で注意義務の内容がやや変質するにすぎない。すなわち、輸入業者は輸入販売の開始に先立ち、輸出製造元に対し当該医薬品の開発過程における必要資料の開示を求め、物質自体についての科学的資料や前臨床試験及び臨床試験結果等の資料を自己の責任で検討し、疑義があれば自ら内外の文献調査や試験などを実施して、その有効性並びに副作用の有無、程度等を確認する義務があるというべきである。
  次に、被告Y2が同Y1の輸入し(レゾヒン)、又は製造し(エレストール)たこれらクロロキン製剤を、また被告Y6が同Y3の製造したキニロンを、それぞれ国内で一手に販売していたことは、前記のとおり争いのないところであるが、被告Y2は、医薬品の開発製造に何ら関与しない販売業者には、その保管、管理面での責任はあつても、医薬品の安全性に関する責任はないと主張する。しかしながら、被告Y2と同Y6は、ともに前記の各医薬品の販売元として我国における同商品の流通根源に位置し、そもそも右被告らの販売活動なしには同商品は最終使用者の手に一切渡らないのであるから、生産者と消費者との中間にある単なる卸小売業者とは全く異質の、まさに生産者に準ずる立場にある者と評価できるといえよう。そして、製造業者に前述した医薬品の安全性確保のための種々の注意義務が課せられるのは、製造業者がただその製造開発の過程に関与するからではなくて(このことは、輸入販売業者にも前記義務が課せられることにかんがみても明らかである。)、前述のとおり、医薬品というそれ自体に危険性をはらむ商品を販売して利潤を挙げている者とそれを使用する、あるいら使用せざるを得ない最終利用者である一般大衆との立場、利害等の相違や安全性確保能力の有無等を考し慮た結果に基づく衡平の見地に立脚するものである。この見地からみると、販売元である右被告らも製造著者や輸入販売業者と少しも違わないといえるし、医薬品を国内の流通に置くという点では、輸入販売業者と実質的には同等と解せられる。したがつて、右被告らは、輸入販売業者の前記注意義務と同じ内容の安全性確保義務を負うと解すべきである。
  被右Y2が自己の責任否定の裏付けとして提出している〈証拠略〉の厚生省薬務局長通知及び薬事法の解釈は、販売元としての販売業者の法的責任の有無には何ら触れていないのであつて、その責任を否定しているとは解せられない。したがつて、前記のように解しても、右の通達等と少しも抵触するものではない。
  なお、被告Y1と同Y2は、レゾヒン、エレストールを含むバイエル医薬品の学術宣伝、情報収集等の事務は昭和二九年八月以降被告Y1の一部門であるバイエル薬品部が、昭和三七年七月以降はバイエル薬品会社がそれぞれ行つてきたと主張し、これにそう証拠として〈証拠略〉があるが、医薬品の安全性に関する前記注意義務は、当該医薬品の製造(輸入販売)業者及び販売元としての販売業者の各自が負つている義務であつて、その義務の一部である副作用収集活動を自己の都合上第三者に対し委託すること(すなわち、バイエル薬品部は被告Y1の企業内の一部門であるから、同被告にとつては特にいうべきことではないが、被告Y2との関係では同被告は右事務を被告Y1に委ねたことになり、また、昭和三七年七月以降にあつては、被告Y1も同Y2もその各右事務をバイエル薬品会社に委託したことになる。)は、一向に差し支えないといえようが、対最終使用者との関係においては、法的に何ら影響はなく、右委託の事実をもつて自己の責任が解除されるいわれないし、バイエル薬品部(つまり被告Y1)及びバイエル薬品会社の情報収集活動は、それぞれ、被告Y2の義務に属する事務、あるいは被告Y1及び同Y2の義務に属する事務の各履行補助者としての活動にすぎないといえる。それゆえ、これら委託関係者間の内部関係は別として、対最終使用者との関係では、当該医薬品の副作用収集義務の履行の有無とか副作用の知、不知といつた責任要件に含まれる主観的、客観的事項は、右両被告を中心に考えれば足りるものといわなければならない。
第四 被告薬製会社のク網膜症の予見
一 動物実験によるク網膜症の予見可能性
  被告Y1が昭和三〇年から昭和三三年にかけてレゾヒンにつきエリテマトーデス、慢性関節リウマチのような長期の治療を要する膠原病や腎炎をその適応症に加えて発売した慢性毒性試験を行わなかつたことは、原告らと被告Y1、同Y2との間で争いがない。
  しかしながら、前記のとおり、ある医薬品を人に投与した場合に起りうる副作用を動物実験によつて一〇〇%予知することはできないし、現在もそういう体系はできていないといわれている。
  そして、〈証拠略〉(いずれも、厚生省薬務局監修の「医薬品製造指針」、前者は昭和三七年版で、後者は昭和四一年改訂版)及び〈証拠略〉(薬務の評価(2)「前臨床試験および臨床薬理試験」医薬品開発基礎講座昭和四八年)によれば、昭和三六年以前に、臨床使用に先立つて長期の動物実験を行う必要があるという意見を少なくとも公表した者はなく、医薬品に対する安全性への認識は副作用による犠牲の代価として得られたもので、その結果として毒性試験の重要性が認識され、かつ実施されるに至つた(長期毒性試験の意義の第一は、医薬品が人に連続して与えられたときに、もし有害な影響が生ずるとすれば、それはどういうものかを予知せしめることにある。)こと、厚生省当局も、昭和三七年以降、新医薬品製造承認申請の際には、長期間連用されるものは必ず慢性毒性資料も考慮すべきであるとするようになり、更に昭和四一年以降、遅くとも後述の「医薬品の製造承認等に関する基本方針について」が発出されたころまでには、毒性に関する資料については、急性毒性資料のみでなく、慢性毒性資料も考慮すべきで、後者についてはその試験のもつ意味からみて、単にある一定量のみの試験だけでなく、出来うる限り投与量を段階的にとり、期間も少なくとも三か月、必要と認める場合には六か月以上継続すべきであり、これら毒性試験において、異常と思われる所見が得られた場合には更に精密な観察とそれに対する考察が加えられていなければならない、とするに至つたことが認められる。
  このように、現実上の問題として(したがつて製薬会社の義務の有無とは無関係だが)、昭和三七年以降我国で動物による長期毒性試験の重要性が認識されるようになつたと言えるが、他方、仮に現在の時点でクロロキン製剤が開発され安全性が検討されたとしても、ク網膜症を動物実験で予知し得たかと考えると悲観的にならざるをえない、という見解(〈証拠略〉)があり、そして、外国では、意図的に動物にク網膜症を発生させようと試みて、不成功に終つており(前述のホツブスらが昭和三四年に試みた。外国文献10)、成功したのは昭和三九年で(同46)、しかも成功した者の一人は、動物にク網膜症を発生させることは概して極めて困難であると述べている。(〈証拠略〉、昭和四二年)。
  以上のとおりだとすると、被告Y1、同Y2に対し、レゾヒンの適応にエレストール、慢性関節リウマチのような長期の治療を要する膠原病や腎炎を加えて、同被告らがこれを販売した昭和三〇年ないし昭和三三年ごろの段階で、動物実験によつて右各疾患の治療に見合う期間の慢性毒性試験を行うべきことを期待することは不可能であつた公算が大であり、また仮に同被告らが右動物実験を行つたとしても、その実験結果からク網膜症の発症を予知することはできなかつたものと考えざるを得ない。
二 外国文献によるク網膜症の予見可能性
  第三節第一において認定したところによれば、我国の製薬会社としても、昭和三五年(昭和三四年一〇月発刊の「ランセツト」外国文献10及び11の入手に要する時間を考えても、遅くとも昭和三五年一月)以降、クロロキン製剤の連用による網膜症の発症を予見することは可能であつたと解せられ、年を追うごとにその予見可能性は濃厚に、すなわち、見することが容易になつていつたものといわざるをえない。
三 被告製薬会社がク網膜症を予見した時期1 被告Y1は、昭和三六年初頭までにバイエル薬品部がドイツ・バイエル社から外国文献1、2及び10を入手し、昭和三七年一一月にはバイエル薬品会社から大木らの症例報告(日本文献8)を入手したことを自認し、被告Y3及び同Y6も昭和三六年一二月のキロニン発売当時主に外国文献2、5、7、10及び11を検討したことを認めているから、クロロキン製剤を長期連用するとク網膜症が発生する場合のあることを右被告各社の代表者は右各日時ごろ現実に認識していたものと推認するのが相当である。
  ところが他方、被告Y4は、キドラ発売の昭和三六年一月ごろはむろんのこと、昭和四二年三月までク網膜症は知らなかつたといい、また被告Y5もCQC発売の昭和三八年三月当時これを知らなかつたと主張している。昭和三八年三月というと、我国の国内でも既にク網膜症の報告があり、海外では相当数の文献が現れていたのであるし、昭和四〇年以降に至つては内外にク網膜症に関する多数の文献等が蓄積されているのであつて、こういう中にあつて、リン酸クロロキンと類似化合物であるオロチン酸クロロキン(キドラ)、コンドロイチン酸クロロキン(CQC)等の製剤の製造会社が昭和三八年三月当時あるいは昭和四二年までク網膜症を知らなかつたなどということは、全く信じられないことである。
2 右の点はひとまずおくとして、まず被告Y5のCQCの広告内容を見ておこう。
  〈証拠略〉によれば、被告Y5は、次のような内容のCQCの広告を次の雑誌に掲載したことが認められる。
(一)広告内容
  本品はクロロキン塩基とコンドロイチン硫酸とを化学的に結合させたものでそれぞれの単独投与にまさる相乗効果が期待される。
  非常に毒性が弱いので大量・長期投与に適す。従来のクロロキン製剤では相当高率に副作用(主として胃障害、稀に神経障害、網膜障害)が現われるが、CQCでは稀に軽度の一過性胃障害を認めるに過ぎない。
  効果はやや遅効性であるが適確に現われる。長期投与が望ましい。(傍点は当裁判所が付したもの)
(二)掲載雑誌
(1)「日本腎臓学会誌」第五巻第二号(昭和三八年四月)及び第四号(同年一〇月)並びに第六巻第一号(昭和三九年四月前後)から第一一巻第六号(昭和四四年一一月)までの各号
()「リウマチ」第四巻第三号(昭和三八年九月)及び第四号(昭和三九年二月)、第五巻第一号(同年一〇月)及び第三・第四合併号(昭和四〇年三月),第六巻第一号(同年八月)、第二号(同年一二月)、附録号(昭和四一年四月)及び第四号(同年一一月)、第七巻第二号ないし第四号(昭和四二年)、第八巻第一号ないし第四号(昭和四三年)、第九巻第一号ないし第四号(昭和四四年)並びに第一〇巻第一号(昭和四五年五月)及び第二号(同年七月)
(3)「診療」第一七巻第二号(昭和三九年二月)、第四号(同年四月)、第六号(同年六月)及び第八号(同年八月)
(4)「日本整形外科学会雑誌」第三七巻第一号ないし第三号、第五号、第八号、第九号及び第一二号(昭和三八年)、第三八巻一号、第三号、第五号、第七号及び第九号(昭和三九年)、第三九巻第一号、第三号、第五号、第七号及び第一二号(昭和四〇年)、第四〇巻第一号、第三号、第五号、第七号及び第一一号ないし第一三号(昭和四一年)、第四一巻第一号ないし第九号(昭和四二年)、第四二巻第一号ないし第一二号(昭和四三年)、第四三巻第一号ないし第一二号(昭和四四年)及び第四四巻第一号ないし第五号(昭和四五年)
(5)「皮膚科の臨床」第一〇巻第一四号(昭和四三年)、第一一巻第二号ないし第一二号(昭和四四年)及び第一二巻第二号、第四号及び第七号(昭和四五年)
(6)「臨床整形外科」第三巻第五号ないし第一二号(昭和四三年)、第四巻第一号ないし第一二号(昭和四三年)及び第五巻第一号ないし第七号(昭和四五年、第七号は七月)
(7)「臨床皮膚泌尿器科」第一九巻第一〇号ないし第一二号(昭和四〇年)及び第二〇巻第一号ないし第一二号(昭和四一年)
(8)「臨床皮膚科」第二一巻第一号ないし第三号、第六号、第一二号及び第一三号(昭和四二年)、第二二巻第一号ないし第一二号(昭和四三年)、第二三巻第一号ないし第一二号(昭和四四年)並びに第二四巻第一号ないし第一二号(昭和四五年)
  このように被告Y5は、右の各医学雑誌に昭和三八年三月CQCを発売して以降昭和四五年の秋ごろまで約七年間の長きにわたつて(なお、それ以後も右の各雑誌にCQCの広告を出してはいるが、前記内容部分は削除されている〈証拠略〉)、自社のCQC以外のクロロキン製剤にはその副作用としてまれに網膜障害が現れる旨の広告宣伝をしてきたのである。これでは、被告Y5の主脳部がCQCの発売当時に少なくともCQC以外のクロロキン製剤によつては網膜症が発生しうることを認識していたと認めざるをえないのは当然と言えよう。この点に関し、被告Y5は、要するに「網膜障害」の内容を知り、かつ十分に検討したうえの表現ではなく、安易にこの言葉を使つたのだと弁解しているが、当時の文献等の集積状況、〈証拠略〉によつて認められるY5の企業規模(昭和二五年一〇月三〇日設立され、資本金が昭和三四年当時金九八〇〇万円、昭和四〇年当時金三億六七五〇円)や文献、資料の設備、その収集能力並びに同被告が後記医薬品安全性委員会の委員であつたこと等にかんがみると、右主張は到底採用できるものではない。
3 また、前掲の各証拠によれば、CQCの右内容の広告が載つていた「日本腎臓学会誌」の第六巻第一号ないし第七号、「臨床皮膚泌尿器科」第一九巻第一〇号ないし第二〇巻第一号、「リウマチ」第六巻附録号に被告Y4がキドラの広告を掲載していたこと、同じくCQCの右広告の載つていた「リウマチ」第四巻第三号及び第四号、第七巻第四号、第九号第一号ないし第四号、第一〇巻第一号及び第二号、「日本整形外科学会雑誌」第三七巻第二号、第三号及び第五号、「臨床整形外科」第三巻第五号ないし第一二号、「臨床皮膚泌尿器科」第一九巻第一〇号ないし第一二号に、被告Y1及び同Y2のエレストール、レゾヒンあるいは被告Y2独自の医薬品の各広告が掲載されていたことが認められる。 
  そうすると、被告Y4の代表者は、右のY5の広告のみからでも、遅くとも昭和三九年四月頃にはクロロキン製剤によつて網膜障害の現れることを知つていたものと推認することができる。被告Y2(クロロキン製剤の副作用を終始知らなかつた旨主張している。)の代表者についてもまた右と同じことが言える。
4 次に、〈証拠略〉を総合すれば、以下のような事実が認められる。
(一)東京医薬品工業協会(いわゆる東薬工)の機関誌である「東薬工会報」(会員への連絡、情報の交換、海外主要国の薬事々情や関係資料をも収集、整理して会員等に供する目的で刊行されているもの。)の第八八号(昭和三五年七月)に、ランセツト(一九五九年発刊の第二巻。なお、外国文献10及び11も同年発行のランセツト第二巻に掲載されているのであるが、いずれも号数が違うだけである)に掲載されたカーズリーらのヒドロキシクロロキンによる関節炎の治療効果に関する報告が紹介されていて、副作用については要旨次のような記載がある。すなわち「本剤で治療を行つた四〇コースの中、八名の患者は若干の中毒症状を呈した。主な中毒症状は、消化不良、嘔吐、めまい、頭痛、視覚障害である。目のかすみ、暈輪はわるずかに八名に現れただけであつたが、角膜混濁は三二名中一四名に見られた。……しかし、角膜混濁に対しては、十分注意しなくてはならないと警告している。」
(二)ところで、サリドマイド事件を契機に世界各国で医薬品の安全性確保が問題となつて、その安全対策がとられ、アメリカではハンフリー上院議院を中心として上院で医薬品の問題が討議されたり、我国でもその対策の一環として中央薬事審議会に医薬品安全対策特別部が設けられるなど(詳細は後述)したが、製薬業界でも自主的に、医薬品の安全性対策に関する意見の交換、海外における関係資料の収集や海外の同種機関との連絡を行う目的で、東薬工、大阪医薬品協会(いわゆる大薬協、被告製薬会社はすべて同協会の会員)の各委員からなる東西合同の「医薬品安全性委員会」が設けられ、大薬協側からは被告Y2、同Y1、同Y4及び同Y3もその委員となり、昭和三九年五月一五日の第六回委員会からは被告Y5も大薬協側の委員に加わつて、昭和三八年六月二〇日の第一回を最初に、以後およそ二か月おきに委員会が開催され(なお、同委員会は、昭和三九年九月一五日の第八回以降は東薬工、大薬協の上部団体である日本製薬団体連合会、すなわち日薬連の下部組織として運営されるようになつた。)その時々の、内外の副作用情報の報告、FDA等海外機関の特定の医薬品に対する副作用警告やその規制の動向等の報告、関連資料の配付、これら報告に関する検討、更には我国の医薬品安全性対策や薬務行政の動向に関する意見の交換、厚生省当局による要望のとりまとめ等広範な活動を行つてきた。
  そして、厚生省当局は、右安全性委員会発足の当初から毎回必ず公務として、その懇談会(安全性委員会そのものではない。)に、時には薬務局長、大概は薬務局製薬課長や同課の事務官、技官が出席し、医薬品の各種情報交換、薬務行政上の措置の連絡等の場としてこれを利用していた。
(三)昭和四〇年一月二一日開催の第一〇回安全性委員会において、同会の福地信一郎委員長は、「昨年一〇月ごろにハンフリー上院議員から送付されてきたアメリカ上院議院における医薬品問類についてのレポートを見ると、多数の医薬品の安全性問題が取上げられている。」旨の説明報告をしたが、同会には、被告Y1からは★坂★祐取締役外二名、被告Y2からは★藤★男医薬事業部学術部長、★原★生物研究所第二研究部長、被告Y3からは★岡★郎医薬事業部副事業部長兼技術部長、被告Y4からは★谷★造常務取締役生産部長、オロチン酸クロロキンの製法の発明者で、当時研究室次長の★本★美、被告Y5からは★★がそれぞれ委員として出席していた。
  そして、アメリカ合衆国議会上院における「政府活動調査委員会行政改革国際機構小委員会」議長ヒユバード・H・ハンフリーの一九六三年第八八回議会の聴聞記録第三部には、FDAが一九五五年に着手した文献調査と病院診療所からの収集を主とする医薬品副作用報告計画(ARRP)のことが述べられており、その第五部には、NINDB(国立神経疾患失明研究所)のク網膜症の症例報告、FDAがアラーレンにつきウインスロツプに対し行つた<行政的規制の経過、ウインスロツプが一九六三年一月作成し医家向けに発送したいわゆるデアー・ドクター・レター(請求の原因第四・二・4参照。なお、ウインスロツプが一九六三年一月作成の原告らの主張の右医家向け警告書を全米の医師等に発送したことは、原告らとの被告製薬会社及び同国との間で争いがない。)が載つているほか、ク網膜症に関する、例えばその早期発見法や発生機序に関する「メデイカルレタ」一九六二年一二月二一日号、「JAMA」の一九六三年六月八日号及び同年七月二〇日号等が証拠資料として示されているとともに、米国国立医学図書館が一九六四年三月三日付けで作成したク網膜症に関する文献表(そこには、外国文献2、3、4、8、9、11、14、15、16、19、21、22、23、24、25、27、28、29、30、33、36、37、40、42、57、前述のカーズリーの報告や日本文献1、8等も登載されている)が添付され、そして、右第三部は昭和三八年四月五日に、右第五部は昭和三九年一一月一一日に、いずれも昭和三一年九月五日の日米間の「公の刊行物の交換に関する取極」(交換公文)によつて日本の国立国会図書館が米国から受領している。
  なお、前掲〈証拠略〉によれば、同証(「各国の医薬品安全対策事情」の薬局の領域第一二巻第一〇号、昭和三八年一〇月)の著者である平瀬整爾薬務局製薬課長は、その記載内容からして、当明右上院の討議内容を了知していたことが明らかである。
(四)そして、ウインスロツプが前記レターを発送するまでの経経のあらましは以下のとおりである。
  ウインスロツプは、一九五九年五月二二日のFDAの、アラーレンの製品説明書にリン酸クロロキンによつて角膜症が発生する事実を記載せよとの勧告に基づき、同年六月一二日外国文献3、5、6、7、前記カーズリーの報告等を引用して右説明書の改訂をFDAに申請し、かつその承認を得て、同年一一月作成の説明書にその旨並びに暈輸が発生したなら定期的眼検査をし、その症状によつては投与量を減少し又は投薬を停止すべきである旨記載した。
  次いでウインスロツプは、一九六〇年五月一八日FDAに対しアラーレン、プラキニール(硫酸ヒドロキシクロロキン)につき、眼障害を記載した文書をその二つ折、説明書の中にそう入することを約し、そのそう入文書の原案において、角膜症(外国文献5、6、7を引用)の外、アラーレンについて「網膜血管の反応が、おそらく特異体質に関連しており、そしてキニジン、サリチル酸塩、その他のある物質で観察されるものに匹敵するのであろうが、エリテマトーデスあるいは関節炎の治療のために最低三年九か月、毎日一〇〇〜六〇〇mgを服用していた三人の患者で発生したと報告された(外国文献10引用)。黄斑部の病変と狭細化した網膜血管及びそれらが引き起こす暗点視と視野欠損は投薬を中止すると進行を停止した。もし暈輸、ピント合せの困難、あるいは霧視が発生したら、定期的に眼を検査すべきである。……今日まで、何らかの角膜あるいは、網膜変化が、ブラニキールだけを服用していた患者において発生したとは報告されていない。」と記述したのであつたが、FDAは、同年六月三日ウインスロツプに対し、ホツブスらの右論文は、「角膜変化がヒドロキシクロロキン(プラニキール)だけを服用した患者ではいまだかつて報告されたことはない。」との右記述に反するもので、右記述は適切な改訂が必要であると注意指摘したうえ、これら薬剤の安全なる処方を確保するため、上記重要情報を医師に伝達すべき諸措置が直ちにとられねばならないと信ずると通告した。ウインスロツプは、FDAに右指摘点の誤りを認め、遺感の意を表し、かような経過を経て、アラーレンの製品カード、二つ折りには右原案と大体同文の記載がなされたが、一部が、例えば「黄斑部病変と狭細化した網膜血管とそれらによる暗視点と視野欠損は明らかに非可逆的であつたが、治療の中止で進行を止めた。今日まで何らかの網膜変化がプラキニール……だけを服用していた患者に発生したことは執告されていない。しかしながら、更に臨床上の経験を積めば、そのような副作用がどのような4―アミノキノリン化合物でもまれに起こることを示し得るかも知れない。」というように記載を訂正、追加された。(この訂正追加記載は、前述のホツブスらの論文と対比して読むと、その内容に忠実に従つていることが明らかであつて、このことからも、昭和三五年の時点で既に右論文の学問的価値はもはや否定したり、無視したりすることのできないものであつたことが十分にうかがえるであろう。)
 その後、一九六二年八月二日FDAとウインスロツプとの間でアラーレンの説明書改訂の話し合いがもたれ、ウインスロツプは、同年八月八日FDAの提案にそつた添付文書、製品カードと製品説明書の原文と網膜毒性についての公刊された報告類をFDAに提出したが、原文の網膜障害に関する記載は次のとおりであつた。すなわち「網膜変化は網膜血管の狭細化、黄斑部病変(浮腫領域、萎縮、異常な色素沈着)、乳頭の蒼白、網膜色素沈着からなり、多分特異体質あるいはその他の未知の要因によるであろうが、長期クロロキン治療(通常は二年あるいはそれ以上)中に発生するまれなものとして報告されている。それらの大部分は非可逆的であると見られている。これらの合併症は、キニーネ、キニジン、サリチル酸や幾つかのその他の物質で観察されるものと比較可能であり、その薬剤の直接的な毒作用とは思われない。なぜなら数人の患者は六年以上にわたつて網膜変化の進展を伴わず五〇〇g(二五〇mgを二〇〇〇錠)程服用したからである。夜盲症と視野欠損を伴う暗点視の他覚的な症状は、例てば単語が消えることによる読書困難、対象が半分しか見えないこと、もやのかかつた視力と眼前の霧をもたらした。視野欠損は、ほとんど常に二年あるいはそれ以上の間治療をした患者のみ発生したし、網膜症を 伴つていたが、網膜(眼底鏡的な)変化を伴わない暗点視の三症例が報告されており、一年あるいはおそらくそれ以上の治療の後である一人を含んである。これらの症例は、この薬剤に長期治療中に初期変化を検出するための定期的な視野検査を勧めるべきことを強調している。現在に至るまでプラキニールだけを服用している患者に網膜変化又は異常な視野変化が発生したことは報告されていない。しかしながら、より臨床的な経験を積めば、そのような副作用が4―アミノキノリン化合特のどのようなものでもまれに発生することが示されているかも知れない。どのような抗マラリア化合物によるものでも長期治療が考えられたら、最初と定期的な眼科学的な検査(細隙灯、眼底、視野検査を含むを勧める。角膜変化が発生したなら(それは可逆的であると考えられ、時としては治療を継持してさえ消えて行く。)薬剤を中止することの利益と、各々の症例において治療の継続から生じ得る治療上の有益とを比較考量すべきである(時としては重篤な再発が中止後にある)。視野あるいは網膜変化の証拠がある時は、薬剤の投与は即時中止すべきである。」というかなり詳細な改訂原文であつた。
  それにもかかわらず、FDAは、同年一〇月五日ウインスロツプに対し次のように改訂するよう案を示した。すなわち、それは、
(1)右原文中で、網膜症については特異体質だけでなく、総投与量並びに直接的毒性作用にもおそらく関係するものとして記述さるべきである。この毒作用が「通常二年以上」(の投与)後生ずるという点は、数か月から数年以内にも発生すると変えられるべきである。網膜障害の内容についても完全に記述し「網膜血管」の狭細はなく、「網膜細動脈」の狭細とし、また、単に「乳頭の蒼白」というだけでなく、斑点状の網膜色素沈着、視神経萎縮を含めるべきである。
(2)視野欠損は、中心周囲型と輪状型とがあり、位置としては典型的には側頭部に出現する。これは視力喪失と同様、投薬中止後も進行していく可能性があるということが強調されなければらない。視野欠損は「大部分は非可逆」という代わりに、実際上非可逆と記述されるべきである。単に「望ましい」ということではなく、当初の基準と最少限専門家による検眼鏡検査、細隙灯検査、視野検査を含む三か月ごとの完全な眼検査の「必要性」が明確に強調されなければならない。
(3)プラキニールも網膜病変、視野変化、失明をじやつ起し、あるいは増悪させることがあることが認められるべきである。「現在に至るまでプラキニールだけを服用している患者に網膜変化又は異常な視野変化が発生したことは報告されていない。」という文章はもはや正しくない。
等々の厳しい、かつ、きめ細かな勧告案であつた。
  かくして、ウインスロツプは、同年一一月二三日FDAに対し、アラーレンの製品解説書、添付文書、製品カードを改訂し、FDAの右勧告指示に全面的に従つて、網膜に副作用が発生するという警告を強調して記載した旨伝え、同時に改訂済みの右解説書を添え状(つまりドクター・レター)と同封して全米の一般開業医、専門家、整骨医を含む約二三万二〇〇〇人の実務家に対し郵送するとして、右添え状の文案を提出したが、これに対してもFDAは、同年一二月一二日ウインスロツプに右文書と封筒にそれが何であるかわかる様に「薬品警告」と記し、併せてその文書の目的がリン酸クロロキンの眼に与える影響に関する危険性を医家に警告することにあることをはつきり示しているように冒頭部分を書き直すべきであること、貴社が勧めている眼科的検査の重要性を強調すべきであることを勧告している。
  およそ以上のような経緯のもとに前記デアー・ドクター・レターが発送されたのであつた。
(五)さて、ここで再び前記医薬品安全性委員会の活動内容にもどるが、その第一二回委員会は昭和四〇年五月一八日に開かれた。
  ところで、同委員会の懇談会に出席した薬務局製薬課長豊田勤治(昭和三九年八月から昭和四二年九月まで同地位にあり、昭和四五年一一月から薬務局参事官、昭和四八年八月から昭和五〇年四月まで薬務局審議官)は、昭和三九年九月ころ以降リウマチの治療のためレゾヒンを買薬し服用していたところ、昭和四〇年四月ごろ医薬品安全性委員会の委員長である福地信一郎から同年三月に開催された日本リウマチ学会で不可逆性のク網膜症の症例報告があつたとして、その報告の抄録を受取つたので、自分の視力が同年一月ごろから急に衰えたのもレゾヒンのせいかも知れないと思い、その服用を止めたものであるが、右懇談会の席上、ク網膜症の症例報告のあつたことと自己の右体験を述べ、かような医薬品を一般薬局で自由に手に入れることができてよいものか否か、この安全性を今一度確める必要があるか否か薬務当局も考慮中であり、企業側でも情報があつたら当局に知らせてほしい旨述べた。
  そして、同日の委員会には、被告Y1(★坂外二名)、同Y2(★藤、★原)、同Y3(★岡外一名)、同Y4(★谷、★本)及び同Y5(★川)の委員がいずれも出席した。
  また、昭和四〇年七月八日の第一三回委員会、あるいは遅くとも同年九月二一日開催の第一四回委員会で、「資料三八」としてFDAのARRB(副作用報告係)月報(一九六四年六月)が出席委員に配付され、同書には、リン酸クロロキン“アラーレン”の副作用として、黄斑部変性及び網膜周辺部の変性一例、網膜の黄斑部変性が記載されていた。
  なお、第一四回委員会には、被告Y1(★波、★川)、同Y2(★藤)、同Y3(★川外二名)、同Y4(★谷、★本)及び同Y5(★木広研究所長外一名)の委員がいずれも出席した。
  更に、昭和四一年一一月九日開催の第二一回委員会では、「資料八五」として「新薬の副作用に関する資料」高杉益充外月刊薬事第八巻第一〇号(昭和四一年一〇月)が配付されなが、そこには次のような副作用の記載があり、そして同委員会には、被告Y1(★坂外一名)、同Y2(★藤、★尾外二名)、同Y3(★川、★井)、同Y4(★本)、同Y5(★常)の委員が出席していた。
(図三)寄生動物に対する薬
  以上の認定事実によれば、被告製薬会社は、その自主的な組織である医薬品安全性委員会の活動を通しても、昭和四一年末までに何度もク網膜症を知る機会があつたのであつて、そうであるからにはその機会にク網膜症の情報が自社の出席委員を通じて最高主脳部に伝達されたものとみるのが自然であり、それにもかかわらず昭和四二年三月までク網膜症のことを知らなかつたとの被告Y4の主張は、誠に信ずるに足りないと言わざるをえない。
5 むしろ、〈証拠略〉によれば、被告Y4は、昭和三五年一月三〇日オロトン酸(オロチン酸と同じ)クロロキンの、同年三月二七日グルクロクロンン酸クロロキンの、また昭和三六年五月一一日クロロキンペクチン酸塩の各製法特許の出願をし(前二者の発明者は★本★美、後者のそれは同じく被告Y4の研究員である★誠二)、それぞれ認められて登録されたのであるが、その願書に添付した「発明の詳細な説明」において、いずれも要するに、クロロキンの副作用(食欲減退、船酔症状等と記してある)の除去を目的として新しい化合物の合成に成功した旨記述してきたこと、★本は、オロチン酸クロロキンの合成研究に先立ち、出発原料の物理化学的物質を当時のケミカル・アブストラクト等で調べたことが認められるところ、被告Y4がこのように特許出願の段階でクロロキンの副作用除去を強調している以上、その各合成研究、開発の際に、クロロキンの副作用につきかなり調査したはずだといわれても仕方がないであろうし、いかに控え目にみても、クロロキンペクチン酸塩についての特許出願時までには、★本が調べたというケミカル・アブストラクト位は参照していたであろうと思われ、したがつて、右特許出願時、すなわち昭和三六年五月までには、同書の一九六〇年八月二五日号を調査したものと推測される。そしてそこにはホツブスらの論文(外国文献10)も引用されている。
  そして、被告Y4の最高主脳部は、自社の研究部員の発明につき会社として特許出願を行うべきか否かの決裁をする際に当然当該発明の内容につき主務者の報告を求めるであろうから、その際ク網膜症の存在について認識する機会が十分にあつたものと推認しても誤りはない。
  以上、諸般の事実に照らせば、被告Y4薬品の代表者においても、昭和三六年五月ごろには、クロロキン製剤を長期連用すればク網膜症の発生しうることを認識していたものと認められる。
第五 クロロキン製剤による眼障害に対する被告製薬会社の処置並びに同製剤に対する公的規制措置
一 公的規制措置
  被告製薬会社がク網膜症についてどのように対処したかを述べるに先立ち、ここで便宜上、厚生大臣及び厚生省当局がクロロキン製剤に対してとつた規制措置について簡単に触れておく。
1 厚生大臣は、昭和四二年三月一七日現行法施行規則の一部を改正して、クロロキン、ヒドロキシクロロキン、それら塩類及びそれらの製剤を劇薬に指定する(省令第八号)とともに、昭和三六年厚生省告示第一七号の一部を改正し、クロロキン、その誘導体、それら塩類及びそれらを含有する製剤を要指示医薬品に指定し(告示第九六号)、これを同年四月一七日から適用した(ただし、同年九月一七日までは現行法五〇条九号の規定は適用しないものとした。)。
2 その後、昭和四四年一二月二三日厚生省薬務局長は、各都道府県知事にあてて、クロロキン、その誘導体又はそられ塩類を含む製剤につき、「本剤の連用により、角膜障害、網膜障害等の眼障害が、……あらわれることがあるので、観察を十分行ない、異常が認められた場合には投与を中止すること。なおすでに網膜障害のある患者に対しては本剤を投与しないこと、すでに肝障害又は重篤な腎障害のある患者に対し本剤を用いる必要がある場合には,慎重に投与すること。……」等の使用上の注意事項を定めたので、医薬品製造業者、輸入販売業者、薬局及び医薬品販売業者等を指導し、その周知徹底を図るよう通知した(薬発第九九九号)。
(以上1、2の事実は、原告らと被告製薬会社及び同国との間で争いがない。)
3〈証拠略〉を総合すると、次の事実が認められる。 
  厚生大臣は、昭和三七年以降我国においてもク網膜症の症例報告が増加してきた(その時の厚生大臣の認識件数は、昭和三七年一件、昭和三八年四件、昭和三九年二件、昭和四〇年九件、昭和四一年八件)ので、放置しておいては被害が増大するとの認識に立ち、クロロキン製剤を劇薬、要指示薬とすべく、遅くとも昭和四二年の初めごろにその準備を着手し、クロロキン製剤を、慢性毒性の強いもの、すなわち、長期連続投与した場合機能又は組織に障害を与えるおそれのあるもの(劇薬指定規準第二)として、具体的には重篤な網膜障害を伴うとの理由で、劇薬に指定するとともに、使用期間中に医学的検査がなければ危険を生じやすいもの(要指示薬基準第二)として、要指示薬とした。このことは、薬事公報(昭和四二年三月一二日)に掲載され、かつ、薬務局長から各都道府県知事あてに通知(同年三月二七日薬発第二〇五号)された。また前記「使用上の注意事項」については、既に昭和四四年五月一六日の段階において関係メーカー間の折衝で製薬会社側の一応の文案ができていて、その後、医薬品安全性委員会と厚生省側との検討のうえ定められ、これが、後記のとおり被告製薬会社の各能書等にも記載されたのみならず、昭和四五年二月二一日発刊の「日本医事新報」に、スルフアミン製剤等の使用上の注意事項(2)4として掲載された。
二 能書等の添付文書に眼障害、特にク網膜症の警告の記載の有無
1 レゾヒン及びエレストール
(一)レゾヒンの能書
(1)レゾヒン1の昭和三〇年九月発売以降昭和四二年七月までの能書、レゾヒン2の昭和三五年一〇月発売から昭和三七年一月までの能書には、いずれも副作用として眼障害の記載はない。
(2)レゾヒン2の昭和三七年二月以降昭和四二年五月までの能書に、「本剤は腸溶性のため胃障友はほとんど見られないが、体質によつてはまれに下痢などの胃障害または眩、頭重、悪心、眼精疲労様症状などの神経症状も連用時には見られることがある。しかし、概して一過性で一時休薬することにより、数日以内に消失することが多い。」との記載がある。
(3)昭和四二年八月以降のレゾヒン1及び同年六月以降のレゾヒン2の各能書になつて、初めて「長期連用の際まれに見られる眼障害(角膜症、ごくまれに網膜症)を早期発見するため、三〜六か月おきに眼科的検査を行うことがのぞましい。」と記載されるに至つた。
(4)昭和四五年五月以降の能書(1、2共通)の用法・用量の項に、「なお、本剤の連用による角膜障害、網膜障害等の眼障害を防止するため、本剤を長期連用する場合には、三〜六か月おきに眼科的検査を行うことが望ましい。」と記載され、そして使用上の注意として、前記薬務局長通知にある使用上の注意事項と同一記載がなされた。
(5)昭和四八二月以降の能書(1・2共通)になつてからは、更に眼障害の予防の具体的方法が記載されるようになつた。
(二)レゾヒンの二つ折
(1)レゾヒン2の昭和三六年七月以降の二つ折に前記(一)と(2)と同一の記載がある。
また、昭和三九年九月以降のレゾヒン(1・2共通)の二つ折には、「長期連用中に、かすみ目、強い眼精疲労などの症状があらわれたならば、精密な眼科検を行うことが望ましい。かかる症状は、特別に治療を施さなくても、通常は、休薬によつて消退する。」と記載されている。
(2)昭和四〇年六月以降の二つ折(1・2共通)は、副作用として「レゾヒンを長期間投与する際にクロロキン剤に共通して、角膜沈着(ごくまれに網膜沈着)が人により生じ、眼精疲労、まぶしさ、かすみ目などの症状を伴う。これらは通常治療中止後四〜八週間で消退する。眼症状を早期に発見するため、長期連用者には三〜六か月おきに眼科的検診を行なうことが望ましい。」と記載されるとともに、使用上の注意として、「長期連用の際、時としてみられる眼障害(角膜症、まれに網膜症)を早期発見するため、三〜六月おきに眼科的検査を行なうことがのぞましい。」と書かれている。
(3)そして、昭和四五年五月以降の二つ折(1・2共通)には、右(2)の副作用の記載のほか、前記通知の使用上の注意事項と同一記載が加わる。
(三)エレストールの能書と二つ折
(1)昭和三五年一月発売から昭和四五年八月までの能書に眼障害の記載はない。
(2)ただ、昭和四四年七月以降の二つ折には、「本剤は本来、長期連用する性質のものではないが、連用の場合、人によりクロロキン剤に共通にみられる角膜障害、網膜障害等の眼障害がみられることがある。従つて観察を十分行ない、異常が認められる場合は投与を中止すること。」と記載されている。
(3)昭和四五年九月以降の能書と昭和四六年一月以降の二つ折に、レゾヒンの能書(4)と同一の記載がなされるに至つた。
  (以上(一)ないし(三)の事実は、原告らと被告Y1及び同Y2との間で争いがない)
(四)ところで、〈証拠略〉並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実も認められる。
  前記のレゾヒンの昭和四八年二月以降の能書に記載された眼障害予防の具体的方法とは、その原文を摘記すると以下のようなものであつた。
「1)本剤の連用により、眼障害〔角膜表層の混濁(可能性)、網膜変性(非可逆性)〕があらわれることがあるので、次のような注意をはらい、視力障害の早期発見に努めること。
(1)本剤の投与に際しては、次の点を患者に十分徹底させること、
ア 本剤の投与により、ときに視力障害があらわれること、
イ この視力障害は、早期に発見し投与を中止すれば、可逆的であること、
ウ この視力障害は、新聞を片目ずつ一定の距離で毎早読むことによつて早期に発見できること、
エ 視力の異常に気づいたときは、直ちに主治医に申し出ること、
(2)本剤の投与開始前に、あらかじめ少なくとも視力検査及び外眼検査を実施すること、開始前の検査で異常が認められた場合には、適当な処置を講じたのち、本剤を投与すること。投与中は定期的に眼の検査を行ない、異常が認められた場合には、投与を中止し精密な検査を行なうこと。
  なお、簡便な眼の検査としては、次のような方法がある。
ア 試視力表を用いる視力検査
イ 指を用いる視野狭窄検査
ウ 中心暗点計による検査
エ 外眼部の視診
オ 眼底検査
カ 色盲表による検査
2)視力障害は本剤の投与中止後においてもあらわれることがあるので、引き続き観察を行なうことが望ましい。
3)本剤を腎機能障害のある患者に対して用いる場合には、排泄遅延がおこることがあるので、とくに視力障害に注意すること。」
  また、レゾヒンの昭和四五年三月以降の二つ折(1・2共通)には、「眼障害」として独立の項が設けられ、「本剤による角膜障害は、ほとんど視力障害を伴わず、又、投与中止により自然に消退する可逆性変化であるといわれている。主な自覚症状は虹視(裸電球の周りに虹が見えると訴えるるもの)、霧視(眼がかすむと訴えるもの)などであるが、約半数はこれらの自覚症状があらわれてこない。
  網膜障害の発生率は低率であるが、網膜障害は大体において不可逆的と考えられている。しかし最近の見解によると、早期に発見すれば変化は可逆的であり、投与中止により回復する望みがあるといわれている。
  網膜症状の初発症状として一般に広く認められているものは、黄斑部の変化および視野における傍中心暗点である。その他ERG、EOG、色覚検査などが早期診断に有効であるという報告もある。
  角膜・網膜症状を早期に発見するため、長期連用の際には、三―六か月毎に眼科的検査を行うことが望ましい。
  検査の結果、異常が発見されたならば直ちに投与を中止すること。」
と記載(原文では、傍点部分は太字)されていた。
2 キニロン
(一)昭和三六年一二月の発売から昭和四二年二月までの能書に、「……かなりの用量を一年以上連用すると、視力障害……があらわれることがあります。こられの副作用は一般に治療継続と共に減少することが多く、また副作用が生じても使用継続することが出来る場合が多いので、就寝前に服用するとか……などである程度防ぐことができます。しかし本剤は医師の指導で服用することが望ましい。」と記載されている。
(二)昭和四二年三月以降昭和四五年二月までの能書には、「……また稀に視力障害が……あらわれることがありますが、多くは大量に一年以上長期連用した場合にみられるものです。……これらの場合には用量を減ずるか、休薬することにより大部分は容易に消失します。」とある。
(三)昭和四五年三月以降の能書に、右(二)の外、前記厚生省薬務局長通知の使用上の注意事項と同一の記載がなされた。
(以上(一)ないし(三)の事実は、原告らと被告Y3及び同Y6との間で争いがない。)

3 キドラ
(一)昭和三六年一月の発売以来昭和四二年四月までの能書等に眼障害の記載はない。
(二)昭和四二年五月以降の能書に、「また、本剤を長期に使用する際に定期的に眼症状の検査を行なうことが望ましい。」とのみ記載された。
  なお、同年七月以降の製品説明書にも「本剤を長期にわたり使用する際には、定期的に眼科的検査を行うようにして下さい。」とある。
(三)昭和四五年三月以降の能書及び同年八月以降の製品説明書に、使用上の注意として、前記原生省薬務局長通知の使用上の注意事項と同一の記載がされるに至つた。
(四)そして、昭和四七年五月以降には、右(三)の使用上の注意の外、後記の「クロロキン製剤使用時の視力検査実施に関する注意事項」(以下、「視力検査実施事項」と略す。)との同一の記載が加わつた。
(以上(一)ないし(四)の事実は、原告らと被告Y4との間で争いがない。)
4 CQC
(一)昭和三八年三月の発売から昭和四五年五月までの能書には眼障害の記載はない。
(二)昭和四五年六月以降の能書には、使用上の注意として、前記厚生省薬務局長通知の使用上の注意事項と同一の記載がなされた。
(三)昭和四七年九月以降の能書には、右使用上の注意のほかに、後記の「視力検査実施事項」と同一の記載が加わつた。
(以上(一)ないし(三)の事実は、原告らと被告Y5との間で争いがない。)
  三 被告製薬会社らの「クロロキン含有製剤についてのご連絡」と題する文書の配布
  〈証拠略〉並びに弁論の全趣旨によれば、前記厚生省薬務局長通知に基づき薬事関係者に行政指導が行われたにもかかわらず、その後の副作用調査の結果で(中央薬事審議会医薬品安全対策特別部会の会長名で、昭和四七年二月五日各モニター病院に対しクロロキン製剤の副作用を同年三月一五日までに報告するよう依頼したところ、この間に一四件のク網膜症の報告があつた。)、厚生省当局はク網膜症がなお増えていると認識し、中央薬事審議会の副作用調査会に諮つて、次のような「視力検査実施事項」を定め(もつとも、同調査会の委員であつた中島証人は、右注意事項でク網膜症を完全に防止できるとは思つていなかつたが、少なくとも副作用を念頭に入れず漫然使用することを防ぐという点で意味があり、かつ何もしないよりは良いと考えていたと証言している。)、クロロキン製剤を製造販売している被告Y1、同Y3、同Y4及び同Y5外一二社(バイエル薬品会社を含む)を指導し、右各社連名の、右「視力検査実施事項」を記載した「クロロキン含有製剤についてのご連絡」と題する文書一二万通を作成せさ、これを各社の関係医療機関等に送付させるとともに、昭和四七年四月二〇日発刊の「日医ニユース」に、「―医家に謹告―」なる見出しの下に右文書の内容を掲載させたことが認められる。
  「視力検査実施事項」の内容は次のとおりである。
1 本剤の連用により、眼障害〔角膜表層の混濁(可逆性)、網膜変性(不可逆性)〕が現れることがあるので、用法・用量に注意し、次の(1)の要領による検査を投与前および投与中定期的に実施し、視力障害の早期発見に努めること。もし異常が認められた場合には、直ちに投与を中止し、適当な措置を講ずること。
(1)眼の検査には次の方法がある。
ア 試視力表を用いる視力検査
イ 指を用いる視野狭窄テスト
ウ 中心暗点計によるテスト
エ 外眼部の視診
オ 眼底検査
カ 色票による判別テスト
  なお、視力検査は投与前から必ず実施し、その他の検査についても、できるだけ実施することが望ましい。
(2)本剤の投与中は、以上の検査に加えて患者に毎朝新聞を一定の距離で片眼ずつ見させて、視力の異常に注意させること。
2 視力障害は本剤の投与中止後においても現れることがあるので、引続き観察を行うことが望ましい。
3 本剤を腎機能障害のある患者に対して用いる場合には、排せつ遅延が起こることがあるので、特に視力障害に注意すること。
第六 被告製薬会社の前記各処置に対する評価とその注意義務違反の具体的内容
一 ク網膜症の発生に対する被告製薬会社の寄与
  ここで、もう一度ク網膜症の特質を要約しておく。
それは、失明又はこれに近い状態に至る不可逆性の重篤な眼障害である。ひとたび発症すると、投薬を中止しても進行することが多く、眼の自覚症状なしに突如発症することもあり、また、服用をやめた後になつて初めて発症することもある。早期に、すなわち網膜の変性(眼底、視力、視野等の異常)が現れるより前に、眼の異常を発見し投薬を中止すれば、可逆的な例もあるが、その早期発見の確実な検査方法はいまだなく、しかも、この障害に対する治療方法も見いだされていない。
  以上のことは、既に昭和三七年までの時点で、文献上、特に外国文献において、ほとんど余すところなく記述されている。昭和三四年に早くも定期的眼検査の必要性が叫ばれ、その後も同様であり、角膜変化が生じた段階でも注意が必須といわれ、網膜に異常が現われたときは投薬を中止すべきであるとされ、更にクロロキン治療は可能な限り避けるべきであるとか長期投与をしないよう考慮せよとかさえしばしば述べられていたのである。
  思うに、ク網膜症の発症の態様が右のようなものであるとすると、クロロキン製剤を長期に連用すれば、人によつては、その服用の前後もしくは服用中に十分適切な眼科的検査をしてもク網膜症の発生を防止することができない、すなわち、長期に連用するからには、人によつてはク網膜症が不可避的に発生する可能性がある、ということになる。
  要するに、ク網膜症は、失明又は失明に近い状態に至る重篤なもので、不可逆で進行性の、そして治療不可能な障害であるうえ、その発症を完全に予防し回避する医学的手段方法もないという障害なのである。
  右のような恐るべきク網膜症は、クロロキン製剤を長期連用する限り、その発生の危険性が常時存在していたのである。しかるに、被告Y4及び同Y5は、かえつてその当初の能書等で、キドラ、CQCの長期連用を勧めていた(この点は、原告らと右両社間で争いがない)。すなわち、被告Y4は、能書上では昭和四七年四月まで、製品説明書では一貫して、疾患の性質上、長期内連が望ましい旨記載し(〈証拠略〉)、また、前節第三・一・6で指摘したように長期連用しても差し支えない旨の広告をしていたし、被告Y5も昭和四五年六月までの能書、そしてパンフレツトに、長期継続投与が望ましいと記載し(〈証拠略〉)、かつ、本節第四・三・2で述べたような内容の長期投与が望ましい旨の広告を医学雑誌に掲載していた。
  思うに、そもそもエリテマトーデスや関節リウマチのような膠原病の治療の場合、その疾患の性質からして、必然的に治療が長期にわたらざるを得ないことは、これまでに記述した文献でしばしば指摘されているところである。そして、腎炎等の腎疾患関係の場合も同様であつて、クロロキン製剤を腎疾患の治療を用いるようになつた当初から、その長期継続治療とか、大量投与が前提となつていたのである(第四節第三・一・1の各文献参照。)それゆえ、クロロキン製剤で以上の各疾患の治療効果を期待するからには、わざわざ長期連用を勧めるまでもなく、その投与が長期化し、薬量と大量化することが臨床上当然予想されていた事態であつたといえよう。
  レゾヒンやキニロン等の能書には、確かにその長期連用を直接勧めるような文言の記載はないけれども、結果は同じであつたと言えるであろう。例えば、キニロンの能書及びパンフレツト(〈証拠略〉)には、「本剤は遅効性であり、継続服用を必要とすることが多く、時として胃腸障害のために継続困難なことが少なくありませんから、その欠点を補うため、『キニロン錠』は、腸溶性の糖衣錠になつています。しかも……胃腸障害もきわめて少なく、連用による充分な治療効果が期待できます。」と冒頭に記され、そして、用法・用量欄では、リウマチ様関節炎については継続投与の必要を、エリテマトーデスについては一か年又はそれ以上の継続投与で再発を防止することがそれぞれ記述されていた。
  また、レゾヒンについても、関節リウマチに関しては、その長期投与によつて本質的な治療効果が期待できるとして、継続投与の必要性を述べており(〈証拠略〉)、そして、エレストールについては、確かに、レゾヒンの効果発現が比較的遅いため、その効果発現までの期間(投与後数週間)を速効性のエレストールで補うことを目的として、リウマチ熱、リウマチ様関節炎の治療に用い、治療開始後、通常四〜八週間を経て、自覚症状が消退し、他覚症状にも改善の兆しが見られたら、徐々に減量し、レゾヒン単独療法(その長期療法あるいは長期投与可能で再発率の少ないレゾヒン単独療法と表現している)に移行するとしていて(〈証拠略〉)、エレトールそのものの長期連用は予定していなかつたともみられる反面、レゾヒンの長期療法への移行を勧めるとともに、前述の能書、二つ折りの眼障害の記載(本節第五・二・一・(三))のごとく、エレストール連用の場合も予期していて、全くこれを禁じていたわけでもない。
  要するに、能書等の記載はともかく、クロロキン製剤を用いて以上の各疾患の治療効果を挙げるためには、その投与、服用が当然長期化するものであつた。したがつて、このこととクロロキンの薬理作用(第一節第二で指摘した排せつの緩徐性と体内蓄積性)を併せ考えると、その長期投与、服用により大最のクロロキンが体内に残存することになるのは明らかであり、ましてや、排せつ能力の乏しい腎疾患患者の場合、ますます体内蓄積傾向を強めることになつたはずである。そうすると、治療上の効果の面で長期連用が必要であつたとしても、やはりこれを勧めることは、一層ク網膜症の発生に拍車をかける結果となつたことは否定できないと言えよう。
二 結果回避のため講ずべきであつた措置(その一)
  クロロキン製剤は、これを連用するときは前述のような副作用を伴う医薬品である。そうだとすれば、その副作用とその各適応に対する効果、医療上の必要度等(第四節参照)とを対比して考えると、その危険性にもかかわらず有用性が肯定しうるのは、せいぜいエリテマトーデス、関節リウマチのみであつて、腎炎、ネフローゼ等の腎疾患に関しては、遅くとも我国におけるク網膜症の症例報告があつた昭和三七年末の時点で、医薬品の安全性を確保すべき高度の注意義務を負つている被告製薬会社としては、ク網膜症の発生を未然に防止するために、レゾヒン、キロニン及びキドラの適応から腎疾患関係の疾病を削除すべきであつたと解すべきであるし、これら疾病を適応とするCQCの発売を差し控えるべきであつたといわざるをえない。
  ましてや、レゾヒンの適応にてんかんを加える(昭和三六年四月)ことは到底許されなかつたはずであり、少なくとも、亡X8(個別認定表世帯番号20、以下に記する番号はすべて世帯番号である。)がてんかんの治療のためレゾヒン2の投与を受け始めた昭和四四年二月までに、これをレゾヒンの適応から排除しておくべきであつた(なお、前述のとおり、レゾヒンのてんかんの適応表示、昭和三七年以降のレゾヒンとキニロンの腎疾患の各適応表示は、いずれも薬事法に違反する誇大表示の疑いを免れず、したがつて、この点からも適応からの排除が要請される)。
  もし、被告製薬会社が右の各措置を講じていたならば、亡X8がレゾヒンの投与を受けることもなく、また腎疾患の治療のため、多くの原告ら患者(個別認定表1、3、6ないし13、15、17、18、19、22、25、26、28、29、31、ないし36、38、40、41、42、46、48、49、50、52ないし54、56、58、63、67、69、70、72、73、77、80ないし83、85ないし88の各患者)
も、昭和三八年以降クロロキン製剤の服用をすることもなかつたから、当然ク網膜症に罹患することもなかつたのである。
  のみならず、腎疾患関係の治療で、既に昭和三七年末までにクロロキン製剤を投与されていた亡X9(個別認定表2)、X10(同47)、X11(同51)、X12(同55)、X13(同62)、亡X14(同66)及びX15(同79)、も昭和三八年以降クロロキン製剤の服用をやめていたならば、同表で各認定した昭和三七年末前後のその服用期や量、同人らの眼の自覚症状の発症時期等にかんがみると、おそらくク網膜症に罹患することはなかつたと解せられる。
  また、原告ら患者中腎疾患関係の治療のため、昭和三七年末以前にクロロキン製剤の服用を始めていた者は、右の七名を除く個別認定表14、16、23、39、43、45、57、61、64、65、68及び71の各患者である(この時期発売されていたのは、レゾヒン、キドラ、キニロンの三種であつたが、キニロン服用者は右各患者のうち一人もいないし、また昭和三七年末までに服用を終えていた者もなく、いずれも昭和三八年以降にも期間の長短の差こそあれ、クロロキン製剤の服用を続けている。)
  ところで、前述したとおり、被告製薬会社は、昭和三五年一月にはクロロキン製剤を長期連用すればク網膜症が発生することを予見することが可能であつたと解せられるし現に被告Y1代表者は昭和三六年初頭に、被告Y4代表者は遅くとも昭和三六年五月ごろまでに右のことを認識していたのである。
  そうだとすると、前述したク網膜症の重大性とクロロキン製剤の腎疾患に対する効果、医療上の価値等を比較検討するとき、被告Y1及び被告Y4は、右の事実を認識した昭和三六年の段階で、ク網膜症に関する外国文献の精査、長期の慢性毒性の動物実験の実施はもちろん、人種差や社会生活環境の違いによるク網膜症の危険の有無等を研究し解明に努め、確実に安全であるとの用法・用量、手段等の医学的知見をいだくまでの間一時的に(もつとも、前述の如く長期連用する限り、絶対に安全な用法・用量も回避方法も現時点ですら明確になつていないのだから、一時的といつても、本件の場合は、いわば永久的という結果に帰するが、)、腎疾患関係の疾病を適応から削除する措置を講ずべきであつた。このことは被告Y2についても基本的には同様である。被告Y2代表者がク網膜症の発生することのある事実を認識した時期は、前認定のとおり昭和三九年四月以前というのみ、昭和三六年中であつたか否かは明らかではないが、同被告が自社に課されている副作用情報の調査収集義務を尽くしていたとすれば、昭和三五年中に既にク網膜症の発生が予見可能であつたことは前叙のとおりであるから、同被告に対して結果回避のため昭和三六年以降腎炎の適応につき前記一時的削除措置を講ずべきことを要求しても,右は不可能を強いることにはならない。
  いずれにせよ、右の各社が昭和三六年中に腎疾患を適応から削除(なお、被告Y4に関しては、当時慢性腎炎のみがキドラの適応であつたから、それはキドラの発売停止を意味することになる。)していたならば、右患者らのうち個別定表14、23、24、39、43、61、65、68の各患者はレゾヒン、キドラを服用することもなく、したがつて、ク網膜症に罹患することもなかつたし、その余の同表16、45、57、64及び71の各患者についても、同じく右時点以降の服用を中止していたであろうから、そうすると、その各個別認定表記載の服用期間、その量、自覚症状発生時期等の事実にかんがみれば、おそらくク網膜症に罹患することはなかつたものと推認されるのである。 
三 結果回避のため講ずべきであつた措置(その二)
  本件原告ら患者らのうち、エリテマトーデスの治療のためクロロキン製剤を服用した者及び関節リウマチの治療のためクロロキン製剤を服用した者は、前者は個別認定表5、21、37、44、60及び75、後者は同表27、30、59、74、76、78及び84の各患者あるが、エリテマトーデス及び関節リウマチに関連して、被告製薬会社の具体的な義務を論ずる前に、以下の点を留意しておく必要がある。
  まず、右患者らがエリテマトーデス又は関節リウマチの治療のため服用したクロロキン製剤は、レゾヒン、エレストール又はキドラに限られている。そしてキドラ服用者は個別認定表44及び78の患者二名のみで、その服用を開始した時期は、昭和三八年三月以降である。
  次に、被告製薬会社においてク網膜症の発生を予見することが可能となつたと解せられる昭和三五年一月以前に、既にクロロキン製剤(レゾヒン1)の服用を始めていた患者は、個別認定表27(昭和三四年一〇月から服用)、同60(同年春から服用)の二名のみであるが、右予見可能時までに同人らがク網膜症に罹患していたことを認める証拠は全くない。
  また、前記行政指導に基づき被告製薬会社らが昭和四七年四月に実施した「クロロキン含有製剤についてのご連絡」の発送、その日医ニユースへの掲載、同一内容の警告の能書への掲載(キドラ)並びにレゾヒンの昭和四八年三月以降の能書への掲載といつた各処置が、右患者らのク網膜症罹患防止には全然役に立たなかつたことが明らかである。すなわち、個別認定表5、21、27、30、37、44、59、60及び75の各患者は、右時点まで服用をやめていたし、その余の同表74、76、78及び84の各患者は、確かに右時点以降もなおエレストールの服用を継続してはいるが、そのころまでにもはや長期にわたつてこれを連用していたから、右の各警告(それがク網膜症の防止に有効であると仮定しても)に従つた処置を受けても、ク網膜症の防止には手遅れであつたばずである。
 ところで、クロロキン製剤のエリテマトーデス及び関節リウマに対する医療上の有用性が否定できないとすれば、なおのことその副作用警告は十分かつ正確に使用者らに伝達されなければならない。したがつて、被告製薬会社としては、その時々の最高の科学的知見に基づき、最大限度副作用の発生を回避できるよう医師及び患者らに対し警告、指示等を与える義務のあることは当然といえるのであつて、我国でク網膜症の症例報告が現れた昭和三七年末以降、被告製薬会社としては、その製造し、輸入し又は販売するクロロキン製剤につき次のうな措置を詳講ずべき義務があつたと解する。
  すなわち、医師、患者らに対し、まず第一に、
(一)人によつては、長期連用するとク網膜症に罹患するおそれがあること、
(二)ク網膜症の重大性、すなわち、失明又は失明に近い状態に至る重篤かつ不可逆の障害で、発症すれば治療の方法がいまだないこと、
  を警告し、その発症の危険性と重篤性を十分に認識させ、それにもかかわらず医師をして原疾患治療の必要上やむを得ず投与するか否かを、また患者においてはその危険性を受入れるか否かを、各自熟慮する機会を与え、更に、投与、服用が原疾患の治療上やむを得ないと判断される場合であつても、
(三)不必要かつ漫然たる長期大量の投与、服用は絶対避けるべきこと、
(四)服用の前後を問わず、定期的な専門家による眼科検査を必ず行うこと、
(五)何らかの眼の異常を自覚し、又は検査で異常が発見された場合(角膜の異常が生じた段階でも)、直ちに投与、服用を中止すべきこと、
  等を適確に指示し、この警告、指示を法定の添付文書である能書に記載するのは当然のこと、その他適切な手段方法で医師及び患者らに確実に伝達すべきであつた。
  昭和三八年初頭までに、被告Y1、同Y2及び同Y4が以上の警告、指示を伝達していたならば、右患者のうち、個別認定表21、30、44、59、74、76、78の各患者は、あるいはクロロキン製剤を投与されたり服用することがなかつたかも知れず、少なくとも眼に対する注意を怠つての漫然長期にわたる投与、服用は避けていたであろうから、ク網膜症に罹患することもなかつたであろうと推察されるし、また、同表84の患者も、それ以前の服用期間、量等同表記載の認定事実にかんがみ、ク網膜症に罹患することを回避しえた可能性が強いと解せられる。
  更に、被告Y1及び同Y2は、昭和三五年一月にはク網膜症を予見することが可能であつたのであるから、そして、この時期の医学上の知見として少なくとも前記(一)ないし(四)の警告、指示は十分なしえたものと解せられるから、これを医師及び患者に伝達すべき義務があつたし、そうしていれば、前記同様個別認定表5、27、37、60、75の各患者もク網膜症に罹患することを回避できたであろうと言うことができる。
四 被告製薬会社の副作用についての警告・指示義務違反
  以上のとおりであるとすれば、前述したレゾヒン、エレストール及びキドラの能書等の記載がいかに不十分かつ不徹底で、しかも時期を失したものであつたかは明らかであろう。
1 まず、レゾヒンについて言えば、「網膜障害」(又は網膜症」)という文言が初めて使用されたのは、昭和四〇年六月以降の二つ折(レゾヒン1・2共通)においてであり、法定の添付文書である能書に、右の文言が早期発見のため三〜六か月おきに眼検査を行うのが望ましいとの記載とともに現れるのは、昭和四二年六月以降(レゾヒン2)及び八月以降(同1)においてである。しかも「不可逆」性が記述されたのは、更にずつと後の、能書上では昭和四八年二月以降、二つ折でも昭和四五年三月以降であつた(ともに1・2共通)。
  レゾヒン2の昭和三七年二月以降の能書及び1・2に共通の昭和三九年九月以降の二つ折には、確かに「眼精疲労様症状」あるいは「強い眼精疲労」なる記載はあつたが、これらの文言から重篤かつ不可逆な網膜障害を読み取ることは到底できないし、しかも前者の場合、「眼性疲労様症状」は神経症状の一例として掲げられているとみられ、また後者にあつては、「強い眼精疲労」などの症状が現れたならば「精密は眼科的検査」を行うことが望ましいと記述しながら、それに続いて、「かかる症状は、特別に治療を施さなくても、
通常は、休薬によつて消退する」とも併記されていて、通常は一過性であることがむしろ強調されていて、折角の「精密は眼科的検査」も影が簿れてしまつている。
  そして、これら能書、二つ折につき一貫して言えることは。眼科検査の必要性が強く要求されていないで、望ましいという弱い表現に終つていて、網膜障害の重大さ、恐ろしさが読む側に少しも伝わつてこない点である。
  もつとも、前記昭和四五年三月以降の二つ折には、ク網膜症の症状、特徴がやや具体的に記述されているが、そもしこれがク網膜症の警告として何らかの意味があつたと仮定しても、その当時なおエリテマトーデス、関節リウマチ関係の治療のためにレゾヒンを服用していた者は、前記患者中原告X16(個別認定表21―エリテマトーデスの治療でレゾヒン2を昭和四三年二月二七日から昭和四六年四月六日まで投与された)のみであつて、同人は、その時までには既に約二年もの間レゾヒンを服用していた以上、右の警告も時期を失し、同人のク網膜症を予防するものとしては全く役立たなかつたと考えられる。
2 次に、エレストールであるが、「網膜障害」なる文言は、昭和四四年七月以降の二つ折に初めて記載され、「従つて観察を十分行ない、異常が認められる場合は投与を中止すること」と併記され、能書に同趣旨の記載がなされたのは、昭和四五年九月以降である。
 そして、〈証拠略〉によれば、その能書、二つ折には遂に一度も「不可逆」という文言あるいは眼科的検査の必要性が記載されるに至つていない。また、右能書及び二つ折も重篤なク網膜症の警告としては具体性に欠け、決して十分なものとは解しえない。のみならず、関節リウマチの治療でエレストールを服用した患者は、個別認定表74、76、78及び84の各患者であるが、右の能書、二つ折記載の当時、74の患者を除くと、三名とも既に短い者でも約三年もの間エレストールを服用していたのであるから、右記載による警告は同人らに関しては無意味であつたおそれが多分にある。
3 次に、キドラについて述べるが、前記のとおり、エリテマトーデス、関節リウマチの治療でキドラを服用した者は二人だけで、一人は昭和四一年二月二日から同年五月四日まで(個別認定表44)、他は昭和三八年三月五日から同年一二月二四日まで(同78)、それぞれ服用したところ、この間のキドラの能書、製品説明書にはク網膜症はもちろんのこと、副作用としてそもそも眼障害には全く触れていない。したがつて、これ以上論ずるまでもないが、若干付言すると、能書上に「網膜障害」という文言が載つたのは昭和四五年三月以降であり、それ以上、すなわち昭和四二年五月以降の能書には、「また、本剤を長期に使用する際に定期的に眼症状の検査を行うことが望ましい」と記載されている(同年七月以降の製品説明書にも同趣旨の記載がある。)のみである、ところで、〈証拠略〉によれば、右の文章は、従前の用法・用量欄の中に、ただ一行か二行、同一活字を用いて特段の人の眼につくような工夫もなく、挿入されたもので、その記載方法の不適切さは言うに及ばず、突如かような一節が加わつても、その文面自体からは何ゆえに定期的な眼症状の検査が必要なのか、「眼症状」とは一体何か、直ちに理解しかねるものである。右文章はク網膜症を警告する趣旨のものとしては不十分極まりないものとのそしりを免れない。
4 なお、キニロン及びCQCの能書の記載は本節第五・二・2及び4において認定判示したとおりであつて、これもレゾヒン、キドラと同様に不十分かつ不徹底な警言との批判を免れ得ないと思われるが、本件においてエリテマトーデス、関節リウマチの治療のためキニロン又はCQCを服用した患者はなく、その服用者はすべて腎疾患関係の者であり、そして、この関係ではク網膜症を回避する適切な措置としては適応からの排除以外になかつたと考えるので、右能書の記載の当否にはこれ以上立ち入らない。
  ただ、次の点を医薬品の製造又は輸入販売業者(以下「製薬業者等」という。)の行うべき副作用の警告・指示義務の全般に関連して付言しておく。
  すなわち、例えば、被告Y3及び同Y6は、前述した昭和四五年三月以前の能書の記載でク網膜症の警告として十分であつたとし、その理由として、要するに1「眼障害」といえば、専門の眼科医による眼科検査を当然期待している趣旨であり、2当時既に臨床経験の多いクロロキン製剤についてはさまざまな情報が存在し医師も相当の知識をもつている状況にあつた、からという。
  しかし、まず1についていえば、確かにクロロキン製剤の適応領域は内科等の眼科とは無関係な診療科目である点からみて、専門の眼科医の検査を期待していたものと読めなくもないが、そもそもその検査を当然に期待しているように能書に記載されていたかと言えば決してそうではない。内科医、整形外科医等に対し、「ク網膜症」それ自体の症例等を開示し、その重篤性を示唆し、単に「眼障害」という抽象的表現では、(しかも、キニロン以外の能書等にみられるように「眼科的検査が望ましい」という表現では)、当然の眼科的検査を期待した記載とは到底読めないであろう。
  次に2の点であるが、一般的に言つて、通常の医師であるならば、その時々の医学薬学の様々な知識を製薬業者等の情報のみならず、他の情報源(例えば、論文、雑誌、学会等)からも得るであろうし、まさにそうあるべきが理想であろう。〈証拠略〉によると、昭和五〇年以前は、全体的に見て、医薬品の情報源として添付文書である能書を利用し又はこれを重視する医師は、意外に少なく、大体他の情報源を利用する者との中間、多く見ても中間を上回る程度であつたようである。いずれにせよ、医師は、終始自己の責任で治療行為に携わるのであるから、いかなる情報源からであれ、自己の医学知識及び診療技術の向上に努めるはずである。しかし、そうであるからといつて、製薬業者等に課されている、自らが製造(輸入)し、販売する商品としての医薬品の安全性確保義務自体には、いささかの影響もないはずである。製薬業者等は、医師が他の情報源から知識を得ているであろうとの期待、予測等を口実として自己の右義務の履行を免れることは許されないところであつて、まず自らの義務を履行すべきであり、副作用の警告等も、最低限度薬事法が添付を義務づけている能書にこそ真つ先に記載すべきものである。
  また、右警告の記載方法についても、通常の医師なら知つているはずだとして、いたずらに抽象化、簡略化することは許されないと解する。なぜならば、本来製薬業者等が副作用の警告伝達義務を負うのは、究極的には、もつぱらそのと医薬品を服用、使用する医学薬学の知識のない患者本人の生命、身体、健康をその副作用の危険から防止することにあることはいうまでもないところ、例えばクロロキン製剤のような医療用医薬品にあつては、患者の服用の過程に専門家である医師の投薬行為が先行、介在するのが普通であろうが、そうでなく、いわゆる素人療法として患者本人が買薬服用する場合もまれではないであろうし、また、医師にもいろいろあつて、必ずしもその時代の平均的な医師として要求される知識を修得していない者もあり得るから、平均的医師のみを念頭に置いた記載内容では、前述の危険防止に万全を期することができないからである。
第七 故意・過失
一 企業活動による加害行為と法人自体の故意過失
  原告らは、製薬会社の企業活動は、これに関与する人員も多く、職務分掌も複雑かつ専門化しており、活動全体の過程で多数人の協同による意思決定が作用するから、このような企業活動の結果第三者に損害を与えた場合には、不法行為法の分野にあつてはむしろ企業構成員の不法行為を媒介としてではなく、当該企業活動それ自体を不法行為として捕らえて、民法七〇九条により直接法人に不法行為責任を認めるべきである旨主張する。
  しかしながら、不法行為の主観的構成要素である故意又は過失とは自然人の精神的容態であり、法人の不法行為法上の故意過失とは法人の機関、株式会社にあつては代表取締役の故意過失を意味する。株式会社の代表取締役と被用者(その他の役員及び従業員)とは、同じく企業の構成員ではあつても、その不法行為法上の地位が異なる。すなわち、代表取締役が職務を行うにつき故意又は過失により他人に損害を加えたときは、商法二六一条三項、七八条二項の準用する民法四四条一項の規定により会社が損害賠償責任を負い、代表取締役以外の企業構成員が会社業務の執行につき故意又は過失により他人に損害を加えたときは、民法七一五条一項の規定により会社が損害賠償責任を負うが、右各損害賠償責任はその発生要件及び効果を異にしている。そのため、訴訟法上も法人に対する民法四四条に基づく請求と民法七一五条に基づく請求とは訴訟物を異にするものと解されている(最高裁判所昭和二九年(オ)第六三四号、昭和三一年七月二〇日第二小法廷判決、民集一〇巻八号一〇五九頁参照。)。原告らの主張は、要するに、加害行為が大規模法人の企業活動による場合には、企業構成員のうちだれに故意過失があつたのかを特定して主張立証することが困難であるから、法人それ自体に故意過失があつたものとして取扱うのが損害賠償を請求する側にとつて都合がよいというに帰するものであるが、これを肯定するには様々な理論上の問題点を克服しなければならない。第一に法人の代表機関の故意過失とは別個に法人自体の故意過失というものが存在し得るか否かが問題となる。また、法人に民法七〇九条により直接不法行為責任を認める場合、同条に基づく損害賠償責任と民法四四条一項に基づく責任及び民法七一五条に基づく責任との相互関係いかんが訴訟物の異同もからんで問題となる。更に、法人の規模の大小により法人自体が民法七〇九条による責任を負う場合と負わない場合とが考えられるが、その限界を画する基準が明確でない。その外、実践的な見地からも、企業活動に伴う加害行為が代表取締役の故意過失によるものか、あるいは被用者の故意過失によるものかを識別するとこの困難な事例がそれ程しばしばあるとは考えられないし、被用者の故意過失を問題とする場合には、氏名まで遂一特定する必要はなく、会社の事業のいかなる部門を担当する者であるかを特定すれば足りると解されるのであるから、代表者又は被用者のいずれに故意過失があるかを特定しないで不法行為に基づく法人の損害賠償責任を肯定することを許容せざるを得ないような切実な実務上の必要性があるとはにわかに認め難い。
  以上のとおりであるから、原告らの主張は単なる便宜論にすぎず、これを肯定し得る根拠を欠くものであつて、到底採用することができない。したがつて、本件においては原告らは被告製薬会社の不法行為責任につき代表取締役の職務執行についての故意過失と被用者の会社業務執行についての故意過失とを選択的に主張しているものとして取り扱うこととし、以下、項を改めてこれらの者の故意過失の有無について順次考究する。
二 製薬会社等に要求される医薬品の安全性確保義務の履行責任者
  医薬品の安全性確保のため製薬会社等に要求される注意義務の内容については本節第三において詳述したところであるが、製薬業者等が株式会社である場合には、会社の企業活動を通じて右の注意義務を履行すべき第一次責任を負う者は企業運営の最高責任者である代表取締役である。会社がこれから製造し、そしくは輸入販売しようとする医薬品又は現に製造し、もしくは輸入販売しつつある医薬品についての副作用情報の調査収集及び予見される副作用と当該医薬品の有効性との対比検討等専門的分野にわたる事項については、代表取締役が直接その衝に当らず、その業務を専門家による補佐機関に分掌させることを妨げないけれども、補佐機関を利用する場合には、企業の全能力を挙げて調査検討を行い、いささかでも有効性や副作用に関係のある情報等は漏れなく会社主脳部まで到達するような社内組織の整備及び執務態勢の維持管理が不可欠であり、この整備等の業務は代表取締役が自ら実施すべきもので、他人まかせにすることは許されない。そし、企業の全能力を挙げて調査検討を実施したとすれば当然副作用の有無及びその程度等を予見し得たのに、代表取締役がこれを予見しなかつたときは、代表取締役において前記のような社内組織の整備及び執務態勢の維持管理を怠らなかつた事実を証明しない限り、右予見しなかつたことにつき同人に過失があるものと推定するのが相当である(右の怠らなかつた事実が証明されたときに初めて被用者の会社業務執行についての故意過失が問題となるであろう。)。また、副作用が予見される場合の結果回避義務の内容は、例えば製品の出荷販売の暫定的又は永久的停止、能書の改訂による副作用警告のように、会社の業務執行の重要部分にかかわる問題であつて、結果回避措置は代表取締役の行為を通じて実現される性質のものであるから、副作用を予見したのに適切な結果回避措置が講ぜられなかつたときは、特段の事情のない限り代表取締役は右の不履行につき少なくとも過失があるものと見るのが相当であり、何らかの事情により代表取締役に過失の認められない場合においてのみ、被用者の故意過失の有無を問題にすれば足りるものと解する。
三 故意責任の有無
  原告らは、被告製薬会社には故意責任があると主張する。確かに、被告製薬会社の各代表者は、前記の各時点でいずれもク網膜症の発症しうることを認識していものであるが、しかし、医薬品の性質にかんがみれば、単にその副作用を認識していたというだけでその故意責任を肯定することはできず、やはり結果発生(ク網膜症の罹患)を意図していたか、少なくとも結果発生を認容していたことが必要であると解する。
  しかるところ、被告製薬会社の各代表者において、ク網膜症の発症を意図して、殊更クロロキン製剤を輸入、製造、販売し、又は、殊更腎炎及びてんかんを適応から排除せず、もしくは殊更ク網膜症の情報を伝達する措置を講じなかつたことを認めるに足る証拠はないし、また前述のように不十分、不徹底にして時期を失するものであつたとはいえ一応被告製薬会社が前記の警告措置を講じていることに照らすと、原告ら提出の証拠をもつてしても、被告製薬会社の代表者がク網膜症の発生することを認容して、右の作為又は不作為に出たことを認めるには足らない。また、右の作為又は不作為が被告製薬会社の被用者の故意に起因するものであることを認めるに足りる証拠もない。
四 過失責任の有無
  民法七〇九条にいう過失とは、結果発生の予見(認識)又は予見可能性を前提とするその結果発生回避義務違反である。
  これまでに種々述べてきたが、被告製薬会社の当時の各代表者にはその職務を行うにつき原告ら患者に対するク網膜症罹患の結果発生回避義務違反があつたことは明白である。すなわち、てんかん及び腎疾患関係では、これをクロロキン製剤の適応から排除し、関節リウマチ、エリテマトーデスの医薬品のための使用については、ク網膜症に罹患するのを未然に防止する義務があつたのに、これを怠つた点において、過失の責めを免れないのである。
  しかも、その義務懈怠の程度・態様も重大であるといわねばならない。まず、被告製薬会社では、ク網膜症を予見し得た時点以降はもちろん、その各認識の時点でも、ク網膜症に対する実験、研究等を実施した形跡は見当らず、対外的にこれを警告する等の措置も全く講じていない。次に、我国にク網膜症が発症した旨の報告発表のあつた昭和三七年末の時点で(このころ我国での症例報告はほんの数件であつたが、外国では前記外国文献によつても約五〇件近い症例報告が発表されていたし、人種差という点を重大視するとしても、第一節第四・三・2の認定事実から明らかなごとく、外国人よりも日本人の方が短期、少量のクロロキンでク網膜症に罹患する危険性があつたことも忘れてはならない。)、単に内外の文献を収集し調査研究しただけでも、ク網膜症の重篤性、不可逆性、ひとたび罹患すると治療方法がないこと、その早期発見方法のないこと(少なくとも、この時点ではその早期発見の方法が確立していなかつたし、現在も事情は変らない)、あるいは不必要な長期医薬品は避けるべきこと等は十分に知り得たはずであるし、それゆえ昭和三八年の早い段階で既に被告製薬会社としては前述の警告、指示の措置を講ずることが可能であつといえるのみでなく、ク網膜症というものがかような重篤かつ恐るべき障害であるという認識に立つて、改めててんかんや腎炎に対する効果、治療上の必要度等を見直していたなら、容易にその有用性の否定に思いたつたはずである。しかるに、被告製薬会社は最終まで腎疾患,てんかん(ただしてんかんは被告Y1及び同Y2のみ。)を適応から排除しなかつたし、前記時点で警告等の措置も講せず、年を追つて徐々にク網膜症の罹患者が増えつつあつたにもかかわらず、時期を失した不十分で不徹底というべき警告を積み重ねるのみで、被告Y4及び同Y5にいたつては、腎疾患患者に対しかえつて長期連用を勧めてク網膜症罹患の危険性を助長させるような結果をもたらし、なお右時点から約一〇年にもわたつてクロロキン製剤の輸入、製造、販売等を続けてきたものである。このような義務の不履行は、高度な医薬品安全性確保義務を負う被告製薬会社として到底許されないことであつて、その各代表者の職務執行上の過失は重大なものと評価せざるをえない。
  そして、右のような被告製薬会社代表者の重大な過失によつて原告ら患者がク網膜症に罹患したことは前述したとおりであるから、被告製薬会社は、商法二六一条三項、七八条二項の準用する民法四四条一項の規定により、原告らの被つた後記損害を賠償する義務がある(被告製薬会社の責任と医師の責任の関係は後述する。)。 
第八 被告製薬会社の責任相互の関係
一 製造(輸入)業者の責任と総販売元業者の責任
  被右Y1は、その輸入又は製造にかかるレゾヒン及びエレストールについて、前説示の過失により適応からてんかん、腎炎患を排除することなく、あるいはク網膜症の十分、適確な副作用警告をせず、これらを被告Y2に売渡し、被告Y2も同じく過失により右各措置を講ずることなくこれらを国内で一手に販売し、よつて原告らの患者のうちレゾヒン等を服用した者をク網膜症に罹患せしめたのであるから、右両社の過失ある所為は、共同不法行為に該当することが明らかである。
  このことは、キニロンを製造した被告Y3とそれを一手に国内販売した被告Y6の責任相互の関係にも同じく妥当する。
二 複数の製剤服用による罹患と関係被告製薬会社の責任
  次に、原告ら患者の中には、製造販売会社の異なるクロロキン製剤を同時に又は時に異にして服用した結果ク網膜症に罹患した者もいる。すなわち、個別認定表1、4、13、28、36、39、4042、44、53、56、71、78及び79の各患者である。44はエリテマトーデス患者、78は関節リウマチ患者であり、他は腎関係の患者である。
  これらの患者がそれぞれ服用したクロロキン製剤の関係被告製薬会社の責任相互の関係も、やはり共同不法行為となると解する。なぜならば、右患者らは、各被告製薬会社の前記過失により本来講ずべき措置の講ぜられていない製剤を同時又は異時に服用することによつてク網膜症に罹患したのであり、そして各被告製薬会社は、全く同一適応の疾病の治療薬として各クロロキン製剤を製造販売していたからには、人によつては他社製造販売にかかるクロロキン製剤を同時に、あるいは時を異にして服用することのありうることを当然予見し得たであろうからである。
第六節 被告国の責任(医療機関設置者としての責任を除く。)
第一 薬事法の目的及び性格並びに反射的利益論の当否
1 薬事法の目的及び性格
  薬事法(旧法と現行法―昭和五四年法律第五六号による改正前のもの―とで大差はないと考えられるので、以下、現行法を中心に述べる。)は、憲法二五条一項の生存権保障規定を受けて更にこれを発展させた同法二項の「国は、すべての生活部面について……公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」とする国の政治的責務の実現のために制定された法律の一つである。
  ところで、薬事法は、右の「公衆衛生の向上及び増進」を達成するための法技術的手段として、直接個々の国民と衛生を対象とせず、「医薬品……に関する事項を規制し、その適正をはかる……」(一条)と規定しているように、医薬品という物質を中心としてその取扱う関係業者等に対する各種規制(取締)によつて、公衆衛生、すなわち国民の生命・健康の維持・増進を図るという建前を採用している。そして、その主要な取締規制である薬局方収載外医薬品の製造承認(一四条)、医薬品製造業、輸入販売薬の許可(一二条、二二条。なお旧法の薬局方収載医薬品の製造業、輸入販売業の登録《二六条一項、二八条》。)、薬局開設の許可(五条)及び販売業の許可(二六条、二八条、三〇条、三五条)等はいずれも、いわゆる講学上の「許可」に該当し、一般的な禁止の解除と解せられるから、薬事法は、基本的には警察取締法規としての性格を有しているものと見ざるを得ない。しかも、その取締規制は、憲法二二条一項の定める職業選択、職業活動の自由保障の要請とかねあい上、薬事法七五条、七九条の規定からうかがえるように、消極的な取締を念頭に置いているものと言えよう(最高裁判所昭和四三年(行ツ)第一二〇号、昭和五〇年四月三〇日大法廷判決、民集二九巻四号五七二頁参照)。
二 薬事法に基づく医薬品の適正な規制によつて個々の国民の受ける利益と国家賠償法による保護
  薬事法の性格が前示のようなものであるとすれば、同法の定めるところにより厚生大臣の行う薬事行政も、基本的には消極的な警察取締作用と観念し位置づけざるを得ない。しかし、その作用の究極的な目的は、あくまでも国民の生命、健康に対する危険を防止し、その維持増進を図ることにあることは否定できないし、真の意味での国民の生命、健康の維持増進というものは、社会を構成する個々の国民のそれなしにはありえないはずであつて、両者いわば表裏一体の関係にあり、両者あいまつて初めて公衆衛生の向上、増進に資すると解せられるうえ、厚生大臣の承認、許可等の法的規制を受け、そして現に薬事法上の種々の規制(例えば、販売方法の制限|三七条、医薬品の取扱規制|五〇条ないし五八条、九四条、広告方法の制限|六六条ないし六八条、行政庁による監督|六八条ないし七七条等)の下に流通している医薬品を使用する者は、抽象的な「国民」一般ではなく、まさしく個々人の国民でしかありえないから、薬事法に基づく医薬品の適正な規制によつて個々の国民の受ける利益は、単なる反射的な利益ではなく、国家賠償法上保護された法的利益に該当するものと解するのが相当である。
  したがつて、誤つた規制のもとに流通に置かれた医薬品を個々の国民が使用することにより生命、健康が害された場合において、その規制の誤りが厚生大臣の故意、過失に基づく薬事法上の義務違反と評価されるものであるときは、その義務違反と生命、健康の侵害との間に相当因果関係が認められる限り、国は、国家賠償法一条によつてその被つた損害を賠償する義務があることは当然である。
第二 医薬品の安全性確保に関する厚生大臣の権限と責務
一 総説
  薬事法には、医薬品それ自体の安全性の確保に関し厚生大臣の具体的な権限及び責務を定めた明文の規定は全くない。
  すなわち、同法によれば、日本薬局方は、医薬品の「性状及び品質」の適正を図るため、厚生大臣がこれを定めて公示するものであり、これに収める医薬品の収載基準も、日本薬局方第一部には主として繁用される原薬たる医薬品及び基礎的製剤を、同第二部には主として混合製剤及びその原薬たる医薬品を収める旨規定されているのみである(四一条一、二項)。保健衛生上特別の注意を要する医薬品についても、厚生大臣は、その「製法、性状、品質、貯法」等に関し必要な基準を設けることができるにすぎない(四二条一項)。また、厚生大臣は、薬局方外医薬品の製造承認の際にも「その名称、成分、分量、用法、用量、効能、効果等を審査し、品目ごとにその製造についての承認を与える」ものとされているのみである(一四条一項)。もとより特定の医薬品に対する薬局方収載後又は製造承認後における副作用の調査追跡に関する規定もなければ、現に販売されている医薬品に重大な副作用のあることが新たに判明した場合に厚生大臣の執りうる措置についての規定も欠けている。
  ところで、医薬品は、本来生体にとつては異物であり、その目的とする効果とともに副作用もあり、両者は「両刃の剣」のような関係にあるし、選び方、使い方、使う量を誤れば毒でしかなく、そのうえ、いかに開発段階で十分な試験を経ても、ある副作用をその段階で知り得ないこともありうるものである(第五節第二・二参照)。
  そしてまた、特定の化学物質又は生物学的物質の医薬品としての価値は、時代時代における医学薬学等の自然科学の進歩発展と密接に結びついているのであるから、ある医薬品の評価(効果、医療上の必要性の程度、副作用の有無、種類、程度、有用性等)は、決して一義的で固定的なものではなく、多かれ少なかれ、進歩発展する医学薬学等の自然科学的知見と無関係ではありえず、右評価はその時代の自然学学的知見と歩調を共にするものと解せられる。薬事法が、厚生大臣に対し、少なくとも十年ごとに薬局方の全面にわたつて中央薬事審議会の検討が行われるように、その改定について同審議会に諮問すべきことを義務づけている(四一条三項)のは、右評価の科学的進歩発展に基づく変遷性を同法が薬事行政に反映させようとしていることの一つの表れと言えよう。
薬事法が自らその規制対象とした医薬品は、以上のような特性を有している。したがつて、薬事法の解釈及び薬事行政は、医薬品のこのような特性に対応してなされることを、法は期待しているというべきであろう。
二 安全性確保のための調査義務と調査権
  以上のように見てくると、薬事法は、医薬品の性状及び品質面での安全性の確保を主目的とするだけでなく、付随的ながら医薬品の人体に及ぼす作用面での安全性の確保をも目的としているものと解されるので、後者の面での安全性について同法は厚生大臣が無関心であつてよいとは決して考えていないものと思われる。
  日本薬局方には、収載医薬品の性状、品質、貯蔵法等の基準のみならず、当該医薬品の、例えば「常用量」も定められているがこれは、すなわち成人がその量を服用すれば効果があることを示す反面、それを超えると人体に有害な場合がありうることをも同時に示しているといえるし、また、医薬品の製造承認の際に、厚生大臣は、用法、用量、効果、効能等を審査するのであるが、用法、用量の適否は、申請にかかる適応に対する効果発現の点に配慮して審査が行われるべきであることは当然のことながら、それと同時に、むしろ必然的に、その用法、用量における人体に対する副作用等の危険の有無をも考慮して判断されねばならないはずである。現に厚生省当局も、製造承認申請の際に申請者に提出を義務づけている臨床実験に関する資料は、「申請品目が実際に応用されて如何なる効果、あるいは如何なる副作用を示すかを明らかにするもので効果判定に際して重要な資料である。」と説明している(厚生省薬務局監修「医薬品製造指針」昭和三七年度版及び昭和四一年度版|甲さ第四号証、同第六号証)。要するに、医薬品というものの性質上、その承認の際には、効能、効果ばかりでなく、その副作用の有無等も必然的に審査せざるを得ないのである。
  もつとも、先に述べたような薬事法の消極的な警察取締法規性並びに同法が医薬品それ自体の安全性の確保に関する厚生大臣の具体的な権限及び責務を明文をもつて規定していないことにかんがみると、薬事法は、厚生大臣に対し、特定の医薬品を日本薬局方に収載し、又はその製造の承認を行うに当たり自ら積極的に資料を収集して当該医薬品の一般に知られていない副作用の有無、程度等を調査する義務や、薬局方収載又は製造承認済みの医薬品について副作用の追跡調査を行う義務等を課してはいないものと解するのが正当であつて、昭和五四年法律第五十六号による改正後の薬事法の安全性に関する新たな諸規定(一条、一四条二項、一四条の二及三、七二条の二等)と対比するとき、ますますそのように解せざるを得ない。
  そうだとすると、薬事法は、厚生大臣に対し、薬局方外医薬品の製造承認を行うに当たり自ら当該医薬品の安全性の調査確認のため資料を収集する義務を課すことはなく、ただ申請の際に提出された基礎実験、臨床実験に関する資料に基づき、それによつて当該医薬品の有効性、副作用の有無等を、そして最終的には有用性を審査し、承認の可否を決すれば足りるとしているものと解せられるが、しかし、やはり右の限度では安全性の有無に関し審査する義務はあるといわざるを得ないし、そうであるならば、厚生大臣に対し、少なくとも承認申請についての審査に必要な限度で、安全性の確認及び確保のための調査権限(例えば、安全性に疑義がある場合、申請者に釈明を求め、必要な実験資料等の提出を促したり、命じたりする権限)は当然付与されているものと解すべきであろう。
三 事後的に副作用が判明した場合の有用性の見直し等の権限 次に、薬局方収載時又は製造承認時に知られていなかつた副作用が後日判明した場合、明文の規定はないけれども、
条理上、厚生大臣には次のような権限はあると解される。
  すなわち、厚生大臣は、その副作用を知つた時に(前述のとおり、厚生大臣には安全性の追跡調査等の義務はないから、「知つた時」とは、文字どおり事実上認識した時と言わざらるをえない)、改めてその副作用の重篤度、発生ひん度等を加味したうえで当該医薬品の有用性を再評価し、その有用性が否定される場合には、これを日本薬局方(なお、日本薬局方の公示は、薬事法の授権に基づく同法を補充する法規命令である|同法四一条一項、国家行政組織法一四条一項)から削除し、又は製造承認の全部もしくは一部(例えば、ある適応に関してのみ)を撤回する権限を有し、また、副作用の存在にもかかわらずなお有用性を否定し得ない場合には、製造業者等に対し消費者に向けて当該副作用の適正な警告措置を執るよう命ずる権限を有するものと解すべきである。
  なぜならば、医薬品の特性上、そこには常に未知の副作用の発現可能性とその評価の変遷性が内在するのであるから、かかる医薬品の適正規制を対象としている薬事法は、厚生大臣に対し、過去のある時点における判断あるいは評価に安んずることなくその時代時代における科学的知見に応じた薬事行政を行うよう期待しているものというべく、また、薬事法の消極的な警察取締法規性は、そもそも憲法の職業上の自由権保障とのかねあいにその基盤を置いていると解せられるが、医薬品の副作用によつて国民の生命、健康に対する危険性が顕在化したような場合、今まさに保護さるべきは国民の生命、健康でなければならず、その前には営業活動の自由も一定の譲歩を余儀なくされてもやむを得ないところであり、したがつて、厚生大臣に前述のような規制権限を認めることは、薬事法の性格からくる消極性と少しも矛盾しないし、その明文規定の欠如が厚生大臣の右規制権限の行使を禁ずる趣旨であるとは到底考えられないからである。
四 厚生大臣の権限不行使と職務上の義務違反
  前示のように、厚生大臣には医薬品の安全性確保のため薬事法の解釈上又は条理上本項前記二及び三の諸権限があるものと解すべきであるが、この権限を行使するかどうかは、事柄の性質上本来は厚生大臣の自由裁量に属するものといえよう。しかし、例外として、既にある医薬品の重篤で無視できない副作用によつて国民の生命、身体、健康が現に侵され、将来もその危険性があることを厚生大臣又はその補助機関が認識した場合で、当該医薬品の製造業者等が自らの第一次的で固有の義務の履行を怠り、自発的に結果回避の措置を講ずることなく放置し、そのため、結果の回避には厚生大臣の規制権限の発動以外にあり得ない事情に至り、そして国民も厚生大臣の右限の行使を信頼し期待しているような状況にあるときは、もはや厚生大臣には右裁量の余地はなく、一義的に、前記三の規制権限の客観的に適切な行使が義務づけられるものと解すべきである。したがつて、このような例外的な場合において厚生大臣が右の規制権限の適切な行使をしないときは、その不作為は職務上の義務違反となり、違法性を帯びるものといわなければならない。
第三 厚生大臣の具体的な義務違反の有無
一 はじめに
1 前節までに認定判示した事実のうち今後の検討に必要な部分を整理して更に考察を加えると、次のように言うことができる。
(一)本件原告ら患者がクロロキン製剤を服用し治療をめざした疾患は、大別して腎疾患、てんかん、エリテマトーデス、関節リウマチの四つである。したがつて、以上の四つの疾病以外の適応については、本件で直接関係がないので、ここでは触れる必要がない。
  クロロキン製剤は、てんかんに対し有効でなく、腎疾患関係の疾に対しては有用性がない。その有用性は、高度な医薬品安全性確保義務を負う被告製薬会社の責任の面では、昭和三七年末の段階で確定的に否定さるべきであつた。
  しかし、重篤なク網膜症発生の危険にもかかわらず、クロロキン製剤のエリテマトーデス、関節リウマチに対する有用性は否定できない。
(二)てんかん患者は、亡X8(個別認定表20)のみで、同人はその治療のためレゾヒン2を服用していた。それゆえ、同じくてんかんをも適応としていたキドラの厚生大臣の追加承認(昭和三九年一一月一九日)の適否は、本件では直接関係がないので、ここでは触れない。
  エトテマトーデス患者は、原告X17(同5、レゾヒン1服用)、同X16(同21、レゾヒン2)、同X18(同37、レゾヒン1)、同X19(同44、レゾヒン1、キドラ)、同X20(同60、レゾヒン1)及び同X21(同75、レゾヒン1・2)であつた。
  関節リウマチ患者は、亡X22(同27、レゾヒン1・2)、原告X23(同30、レゾヒン1)、同X24(同59、レゾヒン1)、同X25(同74、エレストール)、同X26(同76、エレストール)、同X27(同78、キドラ、エレストール)及び亡X7(同84、エレストール)であつた。
  その余は、すべて腎疾患関係の患者である。これら患者中、当然のことだが、エレストールを服用したものはいない。
(三)ところで、薬局方収載医薬品(クロロキン製剤について言えばリン酸クロロキン)の製造(輸入)は、製造業(輸入販売業)の登録を受ければ足りる(旧法二六条一項、二八条)。レゾヒン1、2及びキニロンがこれに当たる。そして、その効能、効果、用法、用量もしくは使用期間等は、医学薬学上一般に承認されている範囲内であれば、厚生大臣の法的規制なしに、業者が適宜表示して販売することが可能である。もし登録業者が右範囲を超えて表示販売したときは、薬事法上の義務違反となる(旧法三四条、現行法五四条)。レゾヒンのてんかんの適応表示がまさにこれであつた。
  なお、薬局方収載医薬品のある適応に対する有用性が否定される場合、本件に即していえば、レゾヒン、キニロンの腎疾患の適応の表示販売についても、やはり右義務違反に当たるものと解すべきである。有用性がないということは、適応、用法、用量、使用期間等の全対的評価において、その適応が医学薬学上一般に承認される範囲にあるとは決して言えないからである。
  右の製造業及び輸入販売業の登録も講学上の「許可」と解されるが、これはいわゆる事業許可である(旧法施行規則一三条)から、許可基準は、もつぱら業者の人的、物的施設の適否が中心であつて、医薬品の安全性とは無関係である。したがつて、厚生大臣が薬局方収載医薬品の安全性に直接かかわりをもつとすれば、その収載時の収載後副作用が判明した時以外にない。
  ところで、リン酸クロロキンについては、ク網膜症の危険を伴うにもかかわらず、マラリア、エリテマトーデス、関節リウマチ等の治療には有効であり、その医療上の有用性は否定することができない。そうすると、厚生大臣がリン酸クロロキンを昭和三〇年三月一五日の国民医薬品集に収載し、そしてその後も第七及び第八改正日本薬局方にそれぞれ収載したこと自体にはなんら違法とみるべき点はないはずである。それゆえ、リン酸クロロキン(リゾヒン、キニロン)に関しては、有効性、有用性が医学薬学上承認されていない適応が表示販売されていることに対して、厚生大臣はいかなる権限を有し、かついかにそれを行使すべきであつたか、という問題が残るのみである。
  この点については、厚生大臣は、薬事法違反を理由に製造業者、輸入販売業者に対しその業の登録、許可を取り消すこと(許可の撒回)及び期間を定めて業の全部又は一部の停止を命ずることができる(旧法四六条、現行法七五条)。そうである以上、最少限その適応の削除を命ずる権限も当然認められると解する。
(四)次に、エリテマトーデス、関節リウマチに対するクロロキン製剤の有用性は認めざらを得ないのであるから、これを適応としたエレストールの製造許可(昭和三四年一一月九日)及びキドラのエリテマトーデス適応追加承認(昭和三八年一二月一三日)は、仮に厚生大臣に安全性確保義務があるとの前提に立つても、違法と評価さるべき点はないと言えよう。なぜならば、有用性が肯定される限り、許可、承認は許されるはずであり、残るのは副作用警告に関する点のみであるからである。
2 以上に考察したとおりであるとすれば、厚生大臣の処分もしくは権限との関係において、本件で問題として以下で論ずべきことは、まず第一に、慢性腎炎を適応とするキドラの製造承認(昭和三五年一二月一六日)、キドラの妊娠腎適応追加承認(昭和三六年一一月六日)、腎炎・ネフローゼを適応とするCQCの製造承認(昭和三七年三月三一日)の適否であり、次には、厚生大臣の前述した諸権限(副作用判明後、条理上肯定される製造許可・承認の全部または一部を撤回する権限、薬局方収載医薬品たるリン酸クロロキンについての薬事法違反を理由とする業の登録・許可を撒回する等の権限)の不行使の適否にのみ集約されるはずである。
3 そこで、右の第一の論点について考えると、前記のとおり、薬事法厚生大臣には製造の許可・承認時に自ら積極的に申請にかかる医薬品の安全性確保のための調査を実施しなければならない義務はないし、そしてまた、右キドラ及びCQCについての許可・承認の際に被告Y4及び同Y5から各提出された資料(〈証拠略〉)によりれば、キドラ、CQCともいずれも主に尿蛋白等尿所見の改善に効果があり、重篤な副作用はないものとするものばかりであつて、ク網膜症の発症の可能性を示唆もしくは疑わせる資料は一つもないから、右資料に基づき、厚生大臣が右許可・承認したことについては、その当不当の問題は別として、これを違法とすべき根拠は見いだし難いものというべきである。
  次に、右の第二の論点、すなわち、副作用判明後におけるクロロキン製剤についての各種規制権限の不行使の適否であるが、この点については項を改めて順次検討することとする。
二 医薬品の安全性に関する厚生省の対応と動向
  第五節第四・三・4において認定したとおり、厚生省の薬務局製薬課長であつた★田勤治は、昭和四〇年五月一八日に開催された製造会社の自主的な機構である医薬品安全性委員会の懇談会に公務として出席し、同所で自己のレゾヒン服用体験と同年四月に入手した資料に基づき、ク網膜症に言及するとともに、クロロキン製剤を要指示薬にするか否か検討中であり、製薬会社も資料があれば提出してほしい旨要望する発言をしたのであるが、右発言前後の厚生省における医薬品安全性対策の動き等を、まずここで述べておく。
〈証拠略〉を総合すると、以下の事実が認められる。
1 いわゆるサリドマイド事件は、世界的に薬害に対る関心を高めるに至つた。我国においても、厚生省が昭和三七年六月からサリドマイドの対策を検討してきたが、その結果他の医薬品についても安全性に心配が生じた。そこで厚生大臣は、昭和三八年三月その諮問機関である中央薬事審議会に対し医薬品の安全性確保の方策について諮問し、その意見に基づき医薬品の安全性確保のための専門部会として,同年三月八日中央薬事審議会に専門委員三〇名をもつて構成される「医薬品安全対策特別部会」が設置された。同年三月一九日開催のその第一回部会で、特に医薬品の胎児に及ぼす影響が取り上げられ、新医薬品については胎児への副作用も併せて考慮すること、新医薬品以外の医薬品については、その副作用に関する情報の収集、評価を行つて対策を検討するとともに、諸外国との連絡を密にすること等が審議答申された。
  この答申を受けて、厚生省では、昭和三八年四月以降原則としてすべての新医薬品の承認に当たつて、従来の基礎実験資料に加え、当該医薬品の胎児に及ぼす影響を考慮するために、一定の基準による動物実験成績をも申請者に提出させることにした(昭和三八年四月三日厚生省薬務局長通知、昭和四〇年五月二八日同局製薬課長通知)。 
2 国家行政組織法上の行政機関の一つであり、かつ薬務行政をも掌握する厚生省の当時の内部組織、機構を見ると、薬務局の製薬課が医薬品(生物学的製剤及び衛生材料は除く)の製造業の許可及び製造の承認の事務を、同局企画課が医薬品の輸入販売業の許可及び輸入の承認の事務を、同局監視課が不良又は不正表示の医薬品や医薬品の広告等の取締に関する事務をそれぞれ所掌していた(厚生省組織令《昭和二七年政令第三八八号》参照)。そして、昭和三八年以降、医薬品の安全対策に関する事務は、事実上薬務局製造課が中心となつて掌握してきた。かくして、昭和三八年には各種医薬品安全対策費の予算を計上し、昭和四〇年度予算として、国立衛生試験所に毒性研究部の新規施設費約七〇〇〇万円、製造課に医薬品の副作用調査費一一〇万円等が認められるに至つた。
  ところで、右厚生省組織令は昭和四六年に一部改正され、薬務局製造課は製薬第一課と製薬第二課に分かれ、製薬第二課が「医薬品の効能、効果及び副作用に関する調査を行なう」(同令三五条の三)と定められた。更に昭和四八年にも同令の一部改正があつて、製薬第一課が「審査課」と、製薬第二課が「安全課」と各改称され、安全課が「医薬品の効能、効果、性能及び安全性に関する調査を行なう」(同令三五条の二)と定められた。
3 昭和四一年一二月には、増大する医薬品の副作用について対処するため、医薬品安全対策特別部会の下部組織として、九名の専門家で構成される「副作用調査会」が設置され、同調査会で、後記の副作用モニターによつて収集された情報を評価するのみでなく、WHOや諸外国からの通報等従来のルートによる情報も含め、医薬品の安全性に関する全般的な問題が審議されることになつた。
  かくして、同年一二月一六日に開かれた右調査会の第一回会議で、医薬品副作用調査の実施等について検討がなされ、その審議などを経て、WHOの昭和四〇年五月二〇日の決議(加盟国が国内医薬品モニタリング制度を実施するよう求めた決議)を受け入れ、同年度に予算も認められて、昭和四二年三月から我国でも国内における副作用モニター制度が実施される運びとなつた。
  更に同年九月、厚生省は、いわゆる「医薬品の製造承認等に関する基本方針」を定め(昭和四二年九月一三日厚生省薬務局長通知)、これによつて新医薬品の製造承認申請の際に添付する必要のある資料内容の強化とその細部にわたる明確化を図るとともに、新医薬品について、その製造承認を得た者は、現行法七九条の条件としてその後二年間当該医薬品の使用の結果生じたとみられる副作用に関する情報の収集とその報告を義務づけることとなつた(なお、右期間は、その後改められ、昭和四六年六月以降は三年間となつた。)

4 以上の組織・制度面での改革で医薬品の安全性に対処するかたわら、厚生省は、昭和四二年ごろまでに、個々の医薬品の安全性についても、関係業者等を指導勧告するため以下のような措置を講じた。
(一)薬局局長は昭和二六年六月二六日、グアノフラシン点眼剤の副作用(まつ毛及び眼★皮膚の白変)の発生を断つ必要があると認め、開係業者に右点眼剤の製造中止、製回回収を指示するとともに、一般人、医師等に対しても注意喚起の措置を執るよう各都道府県知事あてに通知した。
(二)医務局長及び薬務局長は昭和三一年八月二八日、ペニシリン製剤の副作用(ショツク死)の防止につき必要な注意事項を定めて、これを関係業者等に指導するよう各知事あてに通知した。
(三)薬務局長は昭和四〇年二月二〇日、アンプル入りかぜ薬(ピリン系製剤)の服用者の死亡事故が続発したため、各知事にあてて、その関係業者に対し、アンプル入り医薬品等の使用に当たつては特に副作用による事故防止のため、表示、能書等の添付文書にアレルギー体質者がこれを服用しないよう赤字等で分かりやすく記載すること等の措置を執ることの指導を、薬局及び販売業者に対し、一般消費者に販売するに当たつては特にアレルギー体質の有無、添付文書の熟読、用法・用量の厳守等の使用上の注意事項を十分解説して販売することの指導をそれぞれ行い、かつ一般消費者に対する広報活動をするよう通知した。しかし、それでも死亡事故が続いたので、薬務局長は、同年二月二三日各知事にあてて、同剤につき明確な学問的結論が出るまでの間、社会不安を除去する緊急処置として、製薬業者に対し同剤の一般消費者への販売を自粛することに協力方を指導するよう通知し、同時に同日付けで東薬工にも同旨のことを申入れ、更に同年三月一日各知事及び東薬工あてに、右自粛方を要望したにもかかわらず実効がないこと、この際その趣旨を再確認して製品の回収及び返品を配慮されたい旨通知した。
  そこで、関係業者は協議の結果同年三月三日右要望に協力することになり、同年三月九日日薬連の名議で厚生大臣に対し右回収に伴う経済的損失の救済等を要望した。
  そして、厚生省は、同年五月七日中央薬事審議会の意見に基づき、アンプル入りかぜ薬の製造、販売を禁止する措置を執つた。
(四)薬務局長は昭和四〇年一一月九日、各知事にあて、前述のアンプル入りかぜ薬と類似成分のアンプル入り解熱剤(身体が弱ついる時に服用するとシヨツク死する危険性がある)につき、関係業者に対しその製造を直ちに中止すること、市販中の同剤は昭和四一年三月まで売つてもよいが、この場合、かぜの際の解熱剤に用いてはならない旨の注意書を添付すること、昭和四一年三月以降は速やかに同剤を回収することを指導するよう通知した。
(五)薬務局長は昭和四〇年一一月一八日、メクリジン、クロルサイクリジン、サイクリジン及びその塩類を含有するすべての製剤(船酔い止めの薬品)について、WHOの医薬品情報No5(動物実験の結果で催奇形作用のあることが判明し、FDAは、同剤を妊娠又は妊娠可能な婦婦人が服用すると胎児に有害な作用を及ぼるす危険性があるとして、医師の監督がなければ使用してはならない旨の警告を発したという情報)に基づき、各知事にあてて、同剤の容器もしくは被包又は添付文書に、使用上の注意として「妊娠又は妊娠の可能性のある婦人は、この薬の服用については必ず医師と相談すること」という事項を明確に記載すること、既に出荷されている当該医薬品については、速やかに、その販売に当たつては右注意事項を記載した文書を併せて交付できるよう措置することを製造業者等に指導し、また販売業者にも販売の際には同旨の注意を行うことを指導するよう通知した。
  なお、その当時米国でも我国においても、実際には同剤による被害は発生していなかつた。
(六)厚生省は、精神科の医師等から甲状腺製剤(シロキシン製剤で、本来は甲状腺治療薬だが、これをやせ薬として使用)の副作用として頭痛、めまいの外に重篤な精神分裂とか躁うつが発症する旨の情報を入手したので、検討の結果、厚生大臣は昭和四一年二月一二日乾燥甲状腺、ヨウ化カイゼン、ヨウ化チロジン、ヨウ化チロニン、ヨウ化レジチン及びそれらの誘導体、塩類の製剤を要指示薬に指定し、そして薬務局長は、同年三月二日各知事あてに関係業者をして次のような使用上の注意事項を記載させるよう指導されたい旨通知した。すまわち、(1)心悸亢進、脈搏増加、不眠、発汗、頭痛、めまい等の副作用が生ずることがある。使用期間中にこれらの徴候が現れた場合は、甲状腺機能が異常に亢進しているおそれがあるので、医師に相談すること、なお連用すると離人症状、精神分裂症状態、躁うつ症等重篤な障害を起こすことがある。(2)高令者、動脈硬化症、腎炎、糖尿病には禁忌である。
(七)厚生省は昭和四〇年九月ごろ、眼科医等からナフアゾリン及び塩酸フエニレフリンを含有する点眼剤によつて二次充血の副作用が多く発生している旨の情報を入手した。そこで薬務局長は、専門家の意見に基づき、昭和四一年三月一二日調剤専用及びそれ以外の各点眼剤の配伍基準量等を定めるとともに、各知事にあてて、ナフアゾリン又はその塩類を含有する点眼剤の容器もしくは直接の被包又は添付文書等に「(1)本品は過度の使用によりかえつて充血を招くおそれがあるので、定められた用法を厳守するとともに長期連用は避けること。(2)数日間使用しても症状の改善がみられない場合は、使用を中止して医師に相談すること。」という使用上の注意事項を記載すること、既に製造(輸入)された点眼剤で、在庫中のもの及び出荷されたものにかかる添付文書等に記載すべき注意事項については、当該点眼剤の交付の際に所定の事項を記載した文書を同時に交付する方法でも妨げないこと等を関係業者に指導するよう通知した。
  なお、右通知にかかる使用上の注意事項について、日薬連は同年三月二二日厚生省に対し、「本剤は規定の用量で十分効果があり、過度の使用はまれに充血を招くことがありますから、定められた用法をよく守つてご使用下さい。なお、暫く続けてご使用になつても、もし充血が去らないような場合には、点眼を一時中止して、医師又は薬剤師にご相談下さい。」なる注意書で差し支えない旨了解願いたいと要望したが、薬務局長は翌日右の「まれに」の表現は不適当として右要望を受け入れなかつた。
(八)その後、昭和四三年五月にクロラムフヱニコール等の抗生物質の副作用問題が生じ、薬務局長は、同年八月一四日右につき使用上の注意事項を定め関係業者を指導するよう各知事あてに通知したが、これを契機として、厚生省は、医薬品の使用上の注意事項を整備する必要を感じ、医薬品全般についてその適正な注意事項を添付文書等に記載させるべく検討を開始した。
  なお、その後においても、厚生省は個々の医薬品に対する製造中止等の指導を行つている(例えば、昭和四四年七月のアミノ塩化第二水銀の製造中止、同年一〇月のポリビニルピロリドリンの使用禁止、昭和四五年五月のキシリツト及び同年九月のキノホルムの使用禁止など)。
5 また、承認段階でも、副作用を理由に厚生大臣が決裁を保留していた医薬品もあつた。
  すなわち、昭和四〇年一一月当時製薬会社数社からDMSO(ジメチルサルフオキサイド、鎮痛消炎剤)の承認申請がされていたが、米国における動物実験でその副作用として視力障害を発症する旨の報告があり、その報告を基にFDAがその臨床試験を中止するよう指示したとの情報をFDAから得たので、厚生省では右数社に対し慎重に実験を行うよう指示し、厚生大臣はその承認をしなかつたところ、右関係会社でも実験を中止した。
  更に厚生大臣は、その当時既に承認申請がされていた経口避妊薬に対する決裁を長期間留保していたが、それは副作用として視力障害の外に血栓症が起こるおそれがあるためであり、いまだその承認をしていない。
  以上1から5までの事実が認められるところ、医薬品の安全性対策に関する厚生省における組織・制度の充実・発展は、薬事法及び厚生省設置の目的、趣旨に当然合致するものと言いうるうえ、厚生省が現実に行つてきた数々の前認定の措置も、薬事法の解釈上及び条理上認められる厚生大臣の前記安全性確保のための権限の存在を厚生大臣自らが肯定していることの重要な証左というべきであつて、右各措置は、右権限に根拠を置いているとみるほかなく、被告国が主張するように権限の裏打ちのない単なる行政指導と解するのは、実態に則して考えると正しくないといえよう。
三 クロロキン製剤の安全性に関する厚生省の対応
1 本件訴訟(第一事件)が提起された昭和五〇年に至るまでの間に厚生省がクロロキン製剤に対して執つた措置は、第五節第五・一及び三において説示したとおり、(1)昭和四二年三月一七日の劇薬、要指示薬指定(ただし適用は同年四月一七日からで、現行法五〇条九号の記載義務は同年九月一七日まで免除。)、(2)昭和四四年一二月二三日の使用上の注意事項に関する薬務局長通知(その注意事項は製薬会社側の医薬品安全性委員会と厚生省との検討のうえで定められた。)及び(3))昭和四七年四月の「視力検査実施事項」の定めであつた。
  そして、右(3)の措置が原告ら患者のク網膜症罹患の防止には全く何の役にも立たなかつたことは、既に第五節第六において指摘したところである。
2 ところで、〈証拠略〉によれば、次の事実が認められる。
  昭和四〇年五月以降にも、クロロキン製剤の新薬の承認や適応症追加の申請が数社から出されていたが、ク網膜症が判明したため、厚生省当局はその審査及び承認を保留していた。そして、★田製薬課長は、昭和四二年三月二四日開催の第二三回医薬品安全性委員会の懇談会にも出席し、同所でク網膜症に言及し、クロロキン製剤の劇薬、要指薬指定にも触れるとともに、申請にかかるクロロキン製剤については目下審査中であると述べた(もつとも、その後新たな承認がなされた形跡はない)。
  また★田課長は、同年七月二一日開催の同委員会懇談会でも、特にク網膜症に注意するよう意見を述べ、「リン酸クロロキンの含有製剤として、リウマチの事後療法剤として、プレドニソロン(副腎皮質ホルモン剤)との合剤(エレストールのこと)があります。リン酸クロロキンとして二五〇mgを連続投与し、リウマチには相当長期間服用する場合があります。そうするとこの網膜障害が起こる可能性も考えられることです。これについての副作用調査票での報告はもう少し研究調査してから報告することであり、まだ報告がきておりません。こういつた合剤の場合であつても、能書の注意事項としてもつと積極的に、注意事項を記載していただいた方がよいと思います。注意事項の記載といつた問題については、今後業界がもつと積極的にやるべきであつて、こうやれ、ああやれと指示を受ける前に実施していただければ、当委員会の活発な活動も表面に現れてくるのではないかと思います。
注意事項の記載については、いまだに『どうも書きたくない』といつた気持のメーカーもおられるように思いますが、医師、薬剤師に対し注意事項を積極的に啓蒙すべきであり……」と発言した。
  その後、昭和四四年一二月に前記薬務局長通知が出されるに至るが、それまでの間厚生省当局は、ク網膜症の問題、販売中止等の措置を講ずべきか否かの問題等に関し中央薬事審議会の安全性対策特別部会やその下部機構の副作用調査会に諮ることをせず、クロロキンの製造量とか販売量の調査なども行わなかつた。
四 クロロキン製剤についての厚生大臣の規制権限不行使の適否
1 厚生大臣が医薬品の安全性確保のために自己に認められている規制権限を発動するかどうかは、原則としてその自由裁量に属するが、一定の条件の下では、例外的に厚生大臣が右権限の行使を義務づけられる場合があることは前叙のとおりである。そこで、以下、本件において厚生大臣がクロロキン製剤につき右権限を発動すべき義務があつたかどうかについて判断する。
(一)上来認定したところによると、次の事実が明らかである。
  すなわち、厚生大臣の補助機関であつて、しかも事実上中心となつて医薬品安全性対策の事務を所掌していた薬務局製薬課の課長であつた★田勤治は、昭和四〇年四月にクロロキン製剤によつて不可逆性の網膜障害が発生することを知り、リウマチの治療のため自らも使用していたレゾヒンの服用を中止したのであるが、この当時、我国におけるク網膜症の症例報告数は少なくとも七件に達しており、世界的には一〇〇例を超えていた。このことは、当時までの我国における医学文献を調査するだけで容易に知りうることであつた(第三節第二・一の各文献参照)。また、単に内外の各種文献を調査するのみで、ク網膜症の医学的諸症状や、特にクロロキン製剤服用中の網膜障害発生の事前探知に関する確実な眼科的検査方法がいまだ確立していないこと、それゆえに、クロロキン製剤を長期連用すれば、人によつてはいくら注意しても不可避的にク網膜症に罹患する可能性があること及び一たん罹患すると治療方法がないこと等をも容易に知り得たものである。

(二)クロロキン製剤は、我国でも昭和三〇年のレゾヒン1を皮切りに引き続き使用されてきたが、昭和三六年の国民皆保険実施以降、厚生大臣によつて健康保険使用医薬品に指定されていた(この点は、原告らと被告国及び同製薬会社間で争いがない)。
  ところで、〈証拠略〉によれば、我国におけるクロロキン製剤の年間販売量は、昭和四四年には約一一、八〇〇kg、昭和四五年には一〇、六四一kg、昭和四六年には八、八一六kg、昭和四七年には四、九四七kg、昭和四八年には二、〇〇〇kgであつたこと、右のとおり年々減少してきたのは、ク網膜症が医師らにも知られるようになり、医師らがその使用を避けるようになつたこと等の理由によるものであることが認められるが、昭和四三年以前の販売量は分からない。しかし、例えば、被告Y1の昭和三六年度第三九期決算では、「バイエルのエレストールの急速な伸びを初め商品関係で八、七〇〇万円の売上増となつた」旨薬事日報(〈証拠略〉)に掲載されているが、このことは当時既にクロロキン製剤の商品としての将来性の一端をうかがわせるものであり、また、右国民皆保険制度の実施後、クロロキン製剤も他の医薬品同様大量に生産販売されるようになつたことは、原告らと被告製薬会社間で争いがなく、そして昭和四〇年には被告製薬会社のクロロキン製剤がすべて出揃つて販売されていたのであつて、以上の諸事実に〈証拠略〉を総合すれば、昭和四〇年前後は、昭和四四年度の右販売量を当然上回つていたものと推測される。

 更に、今日、心ない医師が保険医薬品を必要以上に処方し濫用する傾向にあることは、論者によりしばしば指摘されているところであるが、昭和四一年度の経済企画庁の委託による主婦連の苦情調査(東京都内の主婦一、〇〇〇人を対象に、同年一一月一日から昭和四二年三月二〇日までの間に実施したもの。)の結果によると、右のような傾向は既にこの当時からあつたとみられる。
  すなわち、〈証拠略〉によれば、主婦連は、右調査結果に基づき関係官庁や業界に対し、1要指示薬品を医師の指示又は処方せんなしで販売しないこと(右医療品を医師の指示や処方せんないしで薬局から買うことができたと回答した者が三八%、三二二人いた。)、2医師が患者に不要な薬を与えないよう措置を講ずること(調査対象の約七〇%の者が、医師から与えられた薬の全部を服用しないで、残している。)、3宣伝広告が誇大にならないよう監視せよ等の要望を内容とする要望書を提出したことが認められる。
  このような調査が昭和四一年に行われていたという事実は、まず、遅くとも昭和四〇年には既に右各項目の問題点が世人の関心をひき、苦情の的となつていたこと、そして、医師による医薬品一般の投与濫用の傾向もこのころ既に存在していたことを物語るものといえよう。
  以上に説示したような、クロロキン製剤の販売量、同製剤も保険使用医薬品で不必要な投与のおそれがあつたこと、その他同剤の適応性が疾患の性質上長期の治療が必要であり、現に一部製薬会社では同剤の長期連用を勧めていたこと等の事実にかんがみると、昭和四〇年四月ごろには、我国でも既にク網膜症が発生していたばかりでなく、将来もその発生する危険が多分にあつたものといわなければならない。
(三)ところが他方、被告製薬会社側は、昭和三五年初頭にはク網膜症の発生することを予見することが可能であつたし、現に被告製薬会社の各代表はそれぞれ昭和四〇年以前にこれを認識していたとものと認められ、そして昭和三七年末には我国最初の症例報告も発表されていたのにもかかわらず、被告製薬会社は、昭和四〇年になつてもク網膜症の危険につき適切かつ十分な警告をしていなかつたし、昭和四〇年五月一八日の医薬品安全性委員会懇談会で、★田課長がク網膜症に言及したのであるが、その後レゾヒン1・2共通の二つ折(同年六月以降)に初めて網膜症という文言が現れたのみで、他の被告製薬会社では早いもので昭和四二年、遅いものでは昭和四五年まで能書等の改訂を行つていないことは、第五節において認定したとおりである。
  確かに製薬会社も安全性委員会なる組織を設置し、自主的に医薬品一般についての安全性問題に対処してきたものの、昭和四〇年前後において、安全性確保に対してはなお消極的姿勢が随所にみられ、本節三・三・2で認定した昭和四二年七月二一日の★田発言は、まさにそのような製薬会社側の態度を適確に指摘し批判したものといえるし、そもそも、厚生省が従来個々の医薬品に対し行政指導の名のもとに執つてきた本節第三・二・4の各措置は、裏を返せば製薬会社側の自発的、任意の処置では医薬品による被害を十分に防ぐことが期待できないという事情があつたからに違いないと思われる。かかる製薬会社らの安全性確保に対する消極的態度といつたものを、医薬品安全性委員会の懇談会に毎回常に出席していた薬務局製薬課では十分に承知していたものと推認しても誤りはないであろう。
  したがつて、昭和四〇年当時既に、クロロキン製剤による網膜障害の発生を未然に防止するには、もはや厚生大臣による規制権限の発動以外になかつたものと解せられる。
(四)そして、サリドマイド事件以降、特に昭和三八年以降の厚生省の安全性に関する組織、制度の整備と充実(製薬課には昭和四〇年度予算において副作用調査費が認められた。
)、医薬品安全対策の一環としての厚生省と製薬会社側との間における医薬品安全性委員会懇談会を中心とする情報交換等の接触活動、公然かつひん繁な前記各措置の行政指導など、上来認定の諸事情を勘案すると、昭和四〇年当時、ク網膜症の被害者ら国民が、厚生大臣に対してクロロキン製剤による網膜障害の発生を未然に防止するために強力な規制権現を行使することを信頼し期待する状況にあつたことが明らかである。
2 右1の(一)ないし(四)の事実によれば、本節第二・四において説示した厚生大臣の規制権限の行使が義務づけられるための要件は、その手続等に要する期間を考慮に入れても、遅くとも昭和四〇年六月ごろには全面的に充足されていたものと認められる。そうだとすると、厚生大臣は、クロロキン製剤による国民の健康被害を最小限に食いとめるため、遅くとも昭和四〇年六月中に被告ら製薬会社に対し、まず第一に、クロロキン製剤の適応中有効性、有用性のないてんかんと腎疾患については、その適応から削除するように命じ(リン酸クロロキン及びリン酸クロロキン錠以外のクロロキン製剤については、製造又は輸入販売の承認の全部又は一部の取消に該当する。)、第二に、有用性のあるエリテマトーデス及び関節リウマチについては、同製剤の使用者に向けて第五節において説示したような内容のク網膜症についての適切かつ十分な副作用警告措置を講ずるように指示すべき義務があつたものというべきである。
  この点につき★田証人は、クロロキン製剤は腎の唯一の薬と考えていたがゆえに、その回収等の措置は執らなかつたという趣旨の証言をしており、また、証人中島★の証言によれば、昭和四七年の段階においても中央薬事審議会の内科関係の委員の中では腎に対するクロロキン製剤の効果を認め、強調する者が大勢を占めていたことが認められるが,しかし、腎に対する効果といつても前述のとおり尿蛋白の減少という点に尽きるのであつて、これとク網膜症の重篤性等を対比して考えると、昭和四〇年当時ではもはやその有用性は否定されてしかるべきであつたと解され、当時厚生大臣において遅滞なく有用性の見直し作業に着手していたとすれば、右のような結論を得るに至つたであろうことは容易に推測することができる。
  また、★田証人は、前記のアンプル入りかぜ薬や解熱剤、船酔い止め薬、甲状腺製剤(やせ薬)、アナゾリン(点眼剤)等は大衆薬であつたから前述(本節第三・二・4)の各措置による行政指導を行つた旨証言しており、確かにクロロキン製剤はその適応から見て医療用医薬品、すなわち主として医療機関で使用される医薬品と言えるであろうが、クロロキン製剤が要指示薬に指定されたのは昭和四二年に入つてからであつて、それまでは(キニロンの能書には当初から医師の指導で服用するのが望ましいと記載されていたものの)医師の処方なしに買薬して服用できたのであるから、この点で大衆薬と大差はなかつたはずであるし、そもそも大衆薬であるか否かが厚生大臣の規制権限行使の発動の要否を左右するほど重要なものであるとも思われない。 
3 以上のとおりであるのに、厚生大臣は、従来認定したとおり、昭和四〇年六月以降、クロロキン製剤のてんかん、腎疾患の適応についてその削除を命ずることなく、またエリテマトーデス、関節リウマチの適応については被告ら製薬会社に対し当該製剤の使用者に向けてク網膜症の副作用警告の措置を講ずるよう指示せず(もつとも、昭和四四年一二月二三日薬務局長通知で使用上の注意事項の記載を行政指導しているが、これとても重篤なク網膜症の警告として万全とは決して言えず、内容的に、例えばク網膜症の危険の存在並びに程度等(症状、重篤性)が完全に記述されていないし、強調されてもおらず、服用者らが十分な情報を得たうえでの自発的な選択の余地が与えられているとは言えないなど、適切、妥当な警告指示には程遠いものと思料される。)、漫然と時を過ごしてきたのであつて、右権限の不行使は厚生大臣の職務上の義務違反に該当するものというべく、違法といわざるをえない。
第四 厚生大臣の故意・過失
一 故意責任の有無
  原告らは、厚生大臣には前述の規則権限の不行使につき故意があつた旨主張する。
  しかし、国家賠償法一条にいう故意又は過失とは、損害の発生についてではなく、その原因となつた公務員の作為又は不作為が当該公務員の職務上の義務に違反することについての故意又は過失を意味するものと解すべきところ、厚生大臣またはその補助機関において右権限の不行使が厚生大臣の職務上の義務に違反するものであることを認識していたた事実を認めるに足りる証拠はなく、むしろ、これまで認定したように、厚生省薬務局の★田製薬課長は、医薬品安全性委員会懇談会の席上、製薬会社側にク網膜症に関する資料の提出を要望したり、エレストールに関連させて使用上の注意事項の適切な記載を求めたりしている事実、厚生省当局はク網膜症防止の目的でクロロキン製剤を劇薬・要指示薬に指定し、昭和四四年一二月には前記薬務局長通知を発し、更に昭和四七年四月には前述した「視力検査実施事項」を定め業者を指導している事実と証人★田勤治の証言を総合すると、厚生省当局は、権力的な規制手段に訴えなくても業界の自主規制や医療機関の濫用の自粛によりク網膜症の発生を予防しうるものと軽信していたため、規制措置がことごとに後手に回つたものであり、厚生大臣の規制権限の不行使が職務上の義務に違反するものであることを終始自覚していなかつた事実をうかがうに十分である。したがつて、原告らの右主張は採用することができない。
二 過失責任の有無
  本節第三(特に第三の四)において認定判断したところに基づいて考えると、厚生大臣及びその補助機関は、その職務遂行上要求される注意力を用いて判断すれば、遅くとも昭和四〇年六月以降厚生大臣において本節第三・四・2のような規制措置を講ずべき職務上の義務があるとの事実を認識し得たものと認めるのが相当である。そうすると、厚生大臣は、前叙の規制措置を講じないことがその職務上の義務に違反するものであることを知らなかつたことにつき過失の責めを免れないものといわなければならない。
第五 被告国の損害賠償責任
一 被告国が賠償責任を負う被害者の範囲
  以上説示のとおりであるから、被告国は、原告ら患者のうちク網膜症罹患と厚生大臣の前記義務違反との間に相当因果関係のある患者については、当該患者本人又はその相続人並びに患者の家族であつて民法七一一条の要件に該当すると認められる者に対し、国家賠償法一条の規定に基づく損害賠償責任があることが明らかである。
  しかして、原告患者のうち、昭和四〇年六月以降にクロロキン製剤の服用を開始した者(個別認定表1、4、9ないし12、15、18、20、21、25、28、29、32、33、38、40ないし42、44、46、48、52、53、58、72ないし74、76、77、80ないし82、86及び88の各患者)は、そのク綱膜症の罹患と厚生大臣の前記義務違反との間に相当因果関係のあることが明白であり、また、昭和四〇年六月より前に既に服用を始めそれ以降も服用を継続していた者及び右日時より前に服用を一たん中止しそれ以降に再び服用を始めた者(個別認定表3、5、6ないし8、13、14、16、17、19、22、23、26、30、31、34ないし36、39、45、47、49ないし51、54ないし57、59、61、63、65ないし71、75、78、79、83ないし85及び87の各患者)については、右各患者らの個別認定表記載のクロロキン製剤の服用状況及び眼障害の経過にかんがみれば、原告X28(個別認定表45)以外の患者は、昭和四〇年六月時点で服用を中止し(腎関係)、あるいは適切なク網膜症の警告指示が与えられていたならば(エリテマトーデス、関節リウマチ関係)、ク網膜症に罹患しなかつたか、少なくとも罹患しないで済む可能性があつたと認められるから、これらの患者のク網膜症罹患については、厚生大臣の義務違反もその原因の一半をなしていることは否定し得ないところであり、両者の間には相当因果関係を認めることができる。
  しかし、原告X28は、昭和四〇年六月の時点でキドラの服用を中止しても失明の結果発生は避けられなかつたものと認められるところ、昭和四〇年六月より前の段階では厚生大臣のクロロキン製剤についての規制権限の不行使が職務上の義務違反に該当するものと認められないことは前叙のとおりであるから、同原告並びに既に昭和四〇年六月ころまでにクロロキン製剤の服用を終えていた亡X9(個別認定表2)、原告X29(同24)、亡X22(同27)原告X18(同37)、同X30(同43)、同X20(同60)、同X13(同62)及び同X31(同64)については、そのク網膜症罹患は厚生大臣の義務違反によつつ生じたものとは言えず、したがつて、国は右各患者本人又はその相続人並びに右各患者の家族に対し損害賠償責任を負わないものというべきである。
  してみると、原告本人兼亡X9訴訟承継人X32、同X33、原告X29、同X34、同X35、原告本人兼亡X22訴訟承継人X36、原告亡X22訴訟承継人X37、同X38、同X39、原告X18、同畔上統雄、同畔上千穂、同畔上優理、同X30、同流谷英代、同流谷輝幸、同流谷美紀、同X28、同X40、同X20、同X41、同X42、同X43、同X13、同X44、同X45、同X46、同X31、同X47、同X48、同X49及び同X50の本訴各請求中被告国に対する部分はいずれも失当として排斥を免れないものである。
二 被告国の責任と被告製薬会社の責任の関係
  医薬品の安全性を確保する義務は、本来当該医薬品を製造し、あるいは輸入して販売する者の第一次的な、そして最結的にも課せられた義務であり、その義務違反によつて損害を被つた被害者に対しては、右業者らが終始一貫全面的に損害を賠償する義務がある。
  厚生大臣の監督権限の不行使が違法な義務違反と評価される限り、これによつて損害を被つた者に対し、被告国もその損害を賠償する義務はあるが、厚生大臣は、業者の製造(輸入)販売等の行為自体には直接関与していないし、また右権限の発動は、先に述べたとおり、業者らの安全性確保義務の不履行とそれによる危険な状態を後見的に是正しその危険を除去する必要がある例外的な場合にのみ要請されるものである。
  したがつて、被告製薬会社の義務違反を伴う製造(輸入)販売行為と厚生大臣の権限不行使とは共同加功の関係にあるものとは認められず、それゆえ、被告国と被告製薬会社との責任関係を共同不法行為と解することはできない。しかし、直接の加害者である被告製薬会社の賠償責任の範囲と被告国のそれとは数額の点を別とすれば結果的には同一であり、
そして、厚生大臣の規制権限の発動が前記のような場合に要請されるとするならば、それは、いわば被告製薬会社の業務不履行による損害の担保的機能を有するのと等しいと言えるから、両者の責任関係は不真正連帯債務の関係にあると解する。
  なお、被告国の責任と医師の責任との関係は第七節において述べる。
第七節 被告医師及び同医療機関経営者の責任
第一 医師の注意義務
一 投薬又は処方上の一般的注意義務
  医療用医薬品は、主に医療行為の中で使用される。本件の原告ら患者のほとんどすべての者も、やはり医師の投与、処方によりクロロキン製剤を服用している。
  前述したとおり、医薬品は、本来生体にとつて異物であり、効果と有害性とが相伴う。“両刃の剣”のようなもので、選び方、使い方、使う量等を誤れば毒でしかなくなる。このような危険物を人道的、科学的に使用し人体に活かすのが薬であつて、どうしても医療上必要とするならば、その持つ有害性をわきまえて使用し、有害性を発現させることなく、いかに使うかが重要である、と言われている。
  診断された病状、症状を基礎に使うべき医薬品が選択されても、その具体的な投与の仕方には沢山の技術があつて、品目と用量をできるだけ少なくし、効果を高め、生体における不快な反応を少なくすることは、かかつて投与方法にあり、これが投薬医療の奥義に相当するさじ加減の要点であると成書にも記述されている(〈証拠略〉)。
  そして、〈証拠略〉によれば、薬には大別して、原因療法薬(病気の原因を除くことにより病気を根本的に治すもの)と対症療法薬(病気による不快な症候を抑えるもの)があるが、薬の大部分は後者に属し、したがつて、直接には病態に対し効果がなくとも、一つ一つの症状に対症療法で働きかけることによつて、人体の自然的治癒力の活動を期待するのが普通であり、これが治療の中で占める比重は大きいけれども、しかし、漫然と対症療法を続けることは絶体に避けねばならない。また、薬は、生体の体内での吸収から排せつまでの各段階をつぶさに考慮したうえで、生体の各条件(性別、年令、個体条件、生活条件、過去の病歴、生体機能、薬品処理能力、投与禁忌、受療条件等)に当てはめ、有益であると期待しうる場合に使い、使う必要のない場合には使わず、かつ必要の限度で使うのが原則であり、この原則は、品目数、剤数、用量、使用期間などのいずれにも、また経過中のいつにでも当てはまるものであることが明らかである。
  右に述べたことは、医薬品による治療行為の際に医師として心掛けるべき基本的な事項とも言うべきものであろうが、いずれにしても、医薬品を治療に用いる以上、医師としては、その医薬品の有する科学的性質はもちろんのこと、薬効の程度、範囲、更には副作用の有無、種類、内容、治癒可能なものか否かなどを十分に認識は握していなければならないことは自明のことと言える。したがつて、医師には、投薬の際、また投薬中にも、製薬会社側からの情報の有無に捕らわれることなく、常にその時々の一般的な医療水準に照らし自ら右の諸点を調査確認しつつ医療行為に携わる義務があると言わなければならない。

 かくして、個々の患者の生体条件等を考慮したうえ、ある医薬品が患者の疾病の治療にとつて有益かつ必要と決定した場合、当該医薬品に特に注意すべき重篤な、例えばク網膜症のような副作用が生ずる危険があるときは、医師は、手術のときと同じく、投与に先立つて(投薬治療開始後に右の危険を知り、又は知りうるに至つたときは、その際直ちに)患者に対し治療の目的、内容、効果とともにその副作用の危険性等の情報を十分に説明開示し、その危険を受容するか否かの諾否を求める義務がある。
  右の説明開示は、患者の右諾否を得る前提として絶対必要であるばかりでなく、医師が後記の結果回避措置を講ずるための一つの判断資料として、医当薬学の知識のない患者に当該医薬品による副作用の微候を自発的に訴えさせるためにも(その医薬品によつてある副作用が生じうることを具体的に説明されていないときには、患者者にはある身体的な異常の自覚が果たして右医薬品に基因するものか否か分からないのが普通であろうから、その医薬品による異常をいち早く医師に訴える機会を与えるためにも)必要なはずである。

 そして、患者の危険受容の同意を得た場合であつても、もとより漫然と長期にわたり投与することがあつてはならず、治療経過を観察診断しながら適宜用量、期間等を調節し、副作用を発現させることなく治療目的(治療)を達成するよう努力すべきであるが、同時に副作用発現の危険に備えて対策措置を講じ、例えばク網膜症について言えば、投与前及び投与中の定期的な眼科の検査、眼の異常に対する問診、患者の訴えの聴取等を行い、そしてク網膜症のような重篤かつ人によつては不可避的な障害の場合、その危険の微候が少しでも現れたときには(単に患者の訴えがあつたときでも)、直ちに投与を中止して、結果の発生を未然に防止する義務があるというべきである。
  以上のことは、医療行為に携わる医師に当然要求される独自固有の義務である。
二 医師のク網膜症の予見可能性
  第三節第二・一に掲記した各文献及び昭和四二年に国内で発表された日本文献46、同116の各存在、第五節第五・一の1及び3で認定した昭和四二年三一七日の厚生大臣による劇薬、要指示薬指定とその薬事公報掲載の事実並びに〈証拠略〉(「腎臓病の百科」家庭の医学百科シリーズ8 厚生省推薦昭和四三年六月一〇日発行)によつて認められるように昭和四三年には既に一般家庭向け医学書にさえも、「本剤使用時副作用として、びまん性表在性角膜炎、網膜障害のみられることがあるので、定期的な眼科的検査をうけたほうが安心です。」と記載されている事実等を総合すると、一般の開業医であつても、いかに控え目に見ても昭和四二年末の時点では、その医師として要求される当時の医療水準に基づく注意義務(副作用の調査確認義務)を尽くしていたならば、クロロキン製剤の長期投与によつて網膜障害が発症するおそれのあることを予見することが可能であつたと認められる。
  ましてや被告国の設置する神戸大学附属病院に勤務していた★和★一良ら医師にあつては、〈証拠略〉によつて認められるその医療環境、研究体制、そしてその診療が講座(第二内科)と医局とが表裏一体の関係で教授の指導監督の下で一応自主的に独立運営され、教育、診療及び研究が行われていたこと等にかんがみ、開業医以上に高度な注意義務が要求されるものというべく、かつ、前記の文献の存在も併せ考えると、日和付医師は、昭和四一年六月亡X51(個別認定表56)に対しCQCの投与を開始した時点でク網膜症の発症の危険を予知することが可能であつたと認められる。
  ところで、一般開業医の右予見可能性につき、被告佐藤★本人は、右認定に反する趣旨の供述をしているが、右供述は採用することができない。すなわち、同被告の供述は、要するに、開業医は多忙なため、日ごろ医学文献、医事雑誌等を精読したり、数多くある医薬品の副作用等を調査確認したりする時間的余裕がないので、キドラのように当初は重篤な副作用のない薬と銘打つて発売され、長年一般に使用され普及していた医薬品については、製薬会社側から後日判明した副作用の情報を医師に伝達すべきであり、その伝達の方法も単に能書等の改訂にととまらず、改訂したこと自体をもプロパーなどを介し医師に知らさなければ、医師は副作用を知ることはできない、というに尽きると思われる。しかし、
これは、前述した医療行為に当たる医師に課せられたその独自固有の責務を忘れた見解というべきであつて、到底顧慮するに値しない。右と同趣旨の被告医師、医療機関の主張やその各供述書(〈証拠略〉)の各記載も同様である。
  また、被告佐藤は、当時はまだあの本にもこの本にも書かれていなかつたし、第一線の腎の研究家である大島研三博士でさえも〈証拠略〉に見るとおりク網膜症を認識していなかつたから、一般開業医にはその予見が不可能であつたと主張するけれども、改めて言うまでもないと思うが、予見可能性とは、単に何もせずにぼんやりしていても知りうる状態もしくは多数の者が知つている状態等をいうのではなく、予見義務があつて、それを尽くせば知りうる状態を意味するものである。そして、とりわけ本件においてはクロロキン製剤につき劇薬、要指示薬の指定があつたのであるから、その後において同製剤を使用するに際しては、製薬会社から特段の通報がなくても右指定の理由が何であるか(長期連続投与した場合機能又は組織に障害を与えるおそれがあり《劇薬指定規準第二該当》、使用期間中に医学的検査がなければ危険を生じやすい《要指示薬規準第二該当》ことを理由とするものであつたことは第五節第五・一・3において認定したとおりである。)、また、その使用に当たりどのような点に注意すべきであるかについて調査するのは医師として当然の義務であり、一般の開業医であつても右調査を行えば手近な文献で、しかもそれを一読しただけでそれ以上の難しい特別な専門的な研究調査などしなくとも、昭和四二年末の段階では長期投与によるク網膜症の危険とその症状等を認識することが可能であつたと解せられるのであるから、一部の医書には記載がなかつたこと、あるいは一部の高名な研究者が認識していなかつたことをもつて前記認定を左右することはできない。
  次に、一部の被告医師及び同医療機関経営者は、我国ではクロロキン製剤が重篤な副作用のない安全な医薬品として売られ、過去の長期にわたりその情報もなかつたから、安全であると信じてクロロキン製剤を使用したと主張する。この主張は、要するに、そういう医薬品であつた以上、使用時に安全性の調査確認の義務(予見義務)はない、あるいはその義務の履行が期待できなかつた、というのであろうが、これは、しかし化学物質たる医薬品の性質をわきまえない主張といえよう。医薬品の開発段階では知られていなかつた副作用が、多くの、そして長期にわたる臨床経験を経て初めて知られるということも、しばしばありうるからである。そのゆえにこそ、かえつて医師たる者は、薬物による医療行為をする際に当時の一般の医療水準に照らして常時安全性を調査確認すべき義務があるといわねばならないのであり、殊にクロロキン製剤の劇薬、要指示薬指定後にあつては、右調査確認義務の履行は焦眉の急であつたはずである。
  更にまた、被告医師らは、被告製薬会社の警告義務の不履行や警告の伝達方法の不親切なことなども主張している。この点は当裁判所も同感の意を表するにやぶさかでないが、しかし、被告医師らが自ら治療行為に当たつたその患者に対する関係では、右の事実をもつて直ちに自己の責任回避の根拠とはなし得ないことも明らかであろう。
三 医師の過失に介在による被告製薬会社及び同国の責任の消長
  被告製薬会社及び同国は、本件の原告ら患者の一部の者は、その各治療行為に関与した各医師の漫然長期にわたるクロロキン製剤の投与等による過失が原因となつてク網膜症に罹患したのであるから、被告製薬会社及び同国には右罹患について責任がないと主張している(その各具体的な主張は、事実摘示第三節「請求の原因に対する答弁及び被告らの主張」第一の二・7、同四・6、同五・7及び同六・8並びに同第二の二・9のとおりである。)。
  しかし、仮に右の各医師に投与の際もしくは投与中に同被告ら主張のような過失があつて(現に、後記のとおり被告医師らには過失があると認められるのであるが、)、原告ら患者の一部の者がク網膜症に罹患したとしても、右投薬上の過失のゆえに、直ちに被告製薬会社と被告国の各責任が否定されるものではない。すなわち、被告製薬会社及び同国の各義務違反がなお存続していて、それと原告ら患者のク網膜症罹患との間に相当因果関係がある限りは、被告製薬会社及び同国は責任を免れ得ないのは当然であるところ、被告製薬会社及び同国が履行すべきであつた結果発生回避義務の内容は第五節及び第六節において詳説したとおりであり、これらはク網膜症の発生を回避する手段としてクロロキン製剤が医師又は患者により誤用又は濫用されることを防止することを目的としていたのであるから、被告製薬会社及び同国の右義務の不履行と原告ら患者のク網膜症罹患との間に医師の同製剤の濫用という投薬上の過失が介在したとしても、右医師の過失の介在は被告製薬会社及び同国の各義務違反と結果発生との間の困果関係を中断するものでないことは極めて明らかである。
  なお、被告国の主張するとおり、原告ら患者の中にはクロロキン製剤を昭和四二年三月一七日の要指示薬指定後にも買薬して服用した者が三名(原告X25ー個別認定表74、昭和四五年八月一四日から同年一二月二四日までエレストール、同X52|同表80、昭和四一年四月から昭和四四年八月までキドラ、亡X7|同表84、昭和三九年九月から昭和四七年七月までエレストール)おり、右三名が医師の処方せんで買薬したことを認めうる証拠はないから、これは薬局開設者等の薬事法違反(現行法四九条)の所為を裏づけることであるが、原告X25が買薬服用したのは医師(被告松谷)による昭和四四年一〇月から昭和四九年九月までのエレストール投与中の前記期間にすぎず、したがつてこの買薬の事実のみをあえて問題視する必要はないし、原告X52については、慢性腎炎の治療を目的に買薬服用していたのであつて、それゆえにこれを適応から排除していたならば通常買薬して服用することはなかつたはずであるといえ、また亡X7の場合、既にリウマチ治療のために昭和三七年八月から昭和三九年九月まで医師の投与でエレストールを服用し、その後も引き続き要指薬指定の昭和四二年三月までこれを買薬服用していたのであるから、それまでに長期間大量に服用していて、これと要指示薬指定後の服用とが相まつてク網膜症に罹患したものと推測されるから、いずれにしても薬局開設者の過失を理由として被告国はその責任を免れることはできない。
第二 被告医師らの具体的な注意義務違反の有無
一 被告高知市関係
  原告X53が被告高知市の開設・経営する高知市立市民病院において、同被告の被用者である同病院勤務の菅野★医師から腎疾患の治療ためCQCを昭和四五年六月二日から同月二九日まで一日九錠、同月三〇日から昭和四六年五月一〇日まで一日一二錠、同月一一日から昭和四七年二月二八日まで一日九錠、同月二九日から同年五月七日まで一日六錠それぞれ投与されて服用したことは、関係原告らと被告高知市との間で争いがなく、個別認定表46掲記の証拠に〈証拠略〉を総合すると、次の事実が認められる。
1 原告X53は慢性腎炎の治療のため同病院に昭和四五年四月一五日から昭和四七年四月二八日まで入院し,その後は通院して、その間主治医である菅野★医師から前記のようにCQCの投与を受けたのであるが、入院当初の所見は尿毒症に近い重症であつた。
2 菅野医師は、投与時CQCにより網膜障害等の眼障害が現れることのあることを知つていたし、視力障害その他副作用が疑われる場合には直ちに投与を中止すべきであることも一般内科医の常識として承知していた。 
  昭和四六年一一月二一日同原告に眼瞼網膜貧血様の症状が出現し、同年一二月八日右眼瞼結膜(球血膜)の充血をみた際、眼科の受診をさせたところ、フリクテン性結膜炎と診断され、その時同時に眼底検査も併せ行つたが、角膜混濁や網膜症の所見は認められなかつた。
  しかし、その後は右退院時まで眼底検査を一度も行つていない。
3 同原告は、退院間近の昭和四七年四月ごろに差明、虹視、薄暗い所で物が見えにくいなどの目の異常(前記の結膜炎とは全く違う症状)を自覚したが、菅野医師に対しそのことを強く訴えることなく退院し、自ら進んで同年五、六月ごろ岡宗眼科医院で検査してもらつたものの原因が分からず、そして右異常が顕著になつたので、通院受診時の同年六月二〇日と七月四日菅野医師に訴え、同医師の指示紹介で市民病院の眼科の診断を受けるに至つた。
4 菅野医師は、原告X53(入院時二九才)自身に対しては、CQCの投与に先立ち、更にはその投与中にもCQCの眼に対する副作用等の説明を全くせず(〈証拠略〉菅野医師の供述書には、CQC投与前母親に対してはその説明をした旨の記載があるが、原告X53本人は母親である原告X54からその旨を聞いていないと供述しており、かつ、右供述書自体からも少なくとも原告X53に対しては菅野医師が直接に右説明をしていなかつたことは明らかである。)、したがつて、眼の異常を感じたなら伝えるよう指示してもいなかつた。
  以上のように認められ、他に右認定を左右する証拠はない。
ところで、前述のとおり、クロロキン製剤の腎疾患関係への適応はその有用性が否定さるべきで、腎疾患患者のク網膜症の発症を完全かつ未然に防止するには、その適応を排除する以外になかつたと解するのであるが、それにもかかわらず現実には腎炎、ネフローゼ等の腎疾患を適応症としてクロロキン製剤が販売されていたし、昭和四一年以降も実際の臨床の場では腎疾患の治療にクロロキン製剤が広く用いられていた(〈証拠略〉前記クロロキン製剤の販売実績等から明白である。)。したがつて、菅野医師が原告X53の治療にCQCを選択し、その投与を決定したこと自体を非難することはできない(なお、この点は後記の各医師についても同様である)。しかし、先に本節第一・一において述べた医師としての薬物による治療行為の際の注意義務は当然尽くさねばならない。
  菅野医師は、ク網膜症の発症の危険性を認識していながら、CQCの投与前及び投与中に患者本人である原告X53に対しその危険について(特に、失明又は失明に近い状態に至る治療方法のない眼障害であることを)説明開示していないし、それゆえ同原告からその危険を受入れる旨の同意も得ていない。
  また、前認定事実によれば、確かに同原告が目の異常を自覚したのは昭和四七年四月ごろであつて、この時点で仮に同原告がそのことを菅野医師に訴え、CQCの投与が中止されたとしても、既に昭和四五年六月から長期間大量に服用していたから、その後の服用期間、服用量(昭和四七年五月七日まで一日六錠)と対比すると、もはやク網膜症の罹患を回避することは不可能であつたと推測されるが、しかし他方、前掲〈証拠略〉によれば、同原告は入院中次第に症状が快方に向かい、昭和四五年一〇月ごろからは時折り外出できるようになり、以後外出の回数も増え、同室の患者らとゲームを楽しむような状態になつたことが認められるから、もし菅野医師がク網膜症の危険を説明していたならば、同原告がそのころ以降のCQCの服用継続に同意しなかつたかも知れず、また菅野医師としてもそのころ以降CQCの投与を中止し、同原告の症状を見守つて他の療法に切り替える等の処置をとつていたならば、同原告のク網膜症の罹患を防止し得たものと解せられる。この点につき前掲〈証拠略〉の菅野医師の供述書中には、「同患者においては、CQCの使用により……認むべき副作用もなく、かつまた、ともすれば節制を乱し勝ちな患者の性格からも」早期中止に踏みきる余地はなかつた旨の記載があるけれども、右の理由のみでク網膜症の危険を冒しあえてCQCの投与を継続しなければならない医療上の合理的根拠があるものとはなし得ないし、他に治療上その継続投与を必要とした理由を認めうる証拠はない。
  以上を要するに、菅野医師には、原告X53に対しク網膜症の危険を説明開示してCQCの投与につき同原告の同意を得る措置を講せず、また昭和四五年一〇月以降その投与を中止することなく、長期連続投与の弊害を顧慮しないで漫然昭和四七年五月七日までにその投与を継続した点に過失があつたものと認められ、右過失により同原告がク網膜症に罹患したことは明らかである。
  したがつて、被告高知市は民法七一五条に基づき、原告X53のク網膜症罹患により関係者の被つた損害を賠償すべき責任がある。
二 被告珠洲市関係
  原告X55が被告珠洲市の開設・経営する珠洲市総合病院において、同被告の被用者である同病院勤務の★浜俊次医師から腎疾患の治療のため昭和四四年一月三一日以降昭和四六年一〇月ごろまでキドラ一日当たり三錠ないし六錠の投与を受けてこれを服用した事実は、関係原告らと被告珠洲市との間で争いがなく、個別認定表32掲記の証拠に〈証拠略〉を総合すると、次の事実が認められる。
1 原告X55は、腎炎の治療のため同病院に昭和四四年一月三一日から同年七月三一日まで入院し、退院後も昭和四六年末まで二週間に一度位の割合で通院し、その間主治医である★浜俊次医師から前記のようにキドラを昭和四四年一月三一日から同年二月二四日まで一日三錠、同月二五日から同年一二月三一日まで一日六錠、昭和四五年七月一三日から昭和四六年一〇月一五日まで一日六錠それぞれ投与されて服用した。
2 ★浜医師は、同原告に対しキドラの副作用等を全く説明することなく、その投与をしていたが、同原告は、入院中の昭和四四年五月ごろに虹視、複視を自覚し、その旨★浜医師に訴え、同医師の指示で右病院の眼科で診察を受けたが原因が分からず、その後同眼科の紹介で金沢大学医学部附属病院眼科で診察を受け、「外直筋麻痺」と診断された。
3 しかし、その後も同原告の前記の目の異常が続いていたところ、同原告は、それが薬の副作用とは思いもよらず、腎炎の食★療法のせいだと考えていたため、そのことを★浜医師に訴えることはせず、同医師も以後眼科の検査を指示することがなかつた。
  以上のように認められ、右認定に反する証拠はない。
被告珠洲市の主張によれば、★浜医師はク網膜症を予見していなかつたというのであるが、前述のとおり医師としては遅くとも昭和四二年末の時点でその予見は可能であつたはずであり、原告X55に対しキドラを投与した昭和四四年以降に至つては、その予見はますます容易であつたものといわねばならない。しかるに★浜医師は、同原告に対し劇薬指定がされているキドラの投与に伴う危険を開示説明しなかつたことはもちろんのこと、同原告が目の異常を訴えた時点でキドラの投与を中止すべきであつた(もつとも、金沢大学での検査ではク網膜症を疑わせる所見は認められていないが、その後も同原告は目の異常を自覚していた以上、ク網膜症の危険を十分説明していたなら当然同原告からその訴えがあつたはずで、したがつて、遅くとも昭和四四年八月に投与を中止していたならば、服用期間、服用量にかんがみ同原告のク網膜症の罹患を回避することができたかもしれない。)のに、その後も漫然とキドラを投与し続けたのであるから、右の点に医師としての基本的な注意義務を怠つた過失があるものというべきであり、右過失により同原告にク網膜症を罹患せしめたことが明らかである。
  そうすると、被告珠洲市は民法七一五条に基づき、原告X55のク網膜症罹患により関係者の被つた損害を賠償すべき責任がある。
三 被告Y7関係
  原告X2が被告Y7の開設・経営するY7浜寺病院において、同被告の被用者である同病院勤務の★口悟郎医師から腎疾患の治療のため昭和四四年六月二八日から昭和四六年秋ごろまで個別認定表42の「クロロキン製剤の服用状況」欄記載のとおりキドラ及びCQCの投与を受けてこれを服用した事実は、関係原告らと被告Y7との間で争いがなく、個別認定表42掲記の証拠によれば、次の事実が認められれる。
1 原告X2は、慢性腎炎のため昭和四四年六月二三日から自分が非常勤職員として勤務していた前記病院に通院して治療を受け、主治医の★口悟郎医師から前記期間中キドラとCQCを同時に、又はキドラを単独でそれぞれ投与されて服用したのであるが、★口医師は、クロロキン製剤の服用により網膜症の発現することを知らなかつたため(同人は昭和四六年一〇月一四日の新聞報道で初めて知つた。)、同原告に対しそのことを説明していなかつた。
2 同原告は、昭和四五年一一月ごろから光視、羞明、複視等を自覚するようになり、★口医師に訴え、同月二七日眼底検査を受けたが、その後も★口医師に対し眼の異常を訴えたものの、時折眼底検査をするのみで、何らの指示も処置もなかつた。
  以上のように認められ、他に右認定を左右する証拠はない。
なお、前記乙1第一号証の★口医師の供述書には、同原告には診察の当初からクロロキンと無関係な網膜の変化があつたと記載されているが、もしそうだとすると、昭和四四年一二月二三日の厚生省薬務局長通知とその後の被告製薬会社の能書に現れた「使用上の注意事項」からも明らかなとおり(第五節第五の一及び二参照)、既に網膜障害のある患者に対しクロロキン製剤を投与することは禁忌とされているのであるから、そもそも同原告に同製剤を投与すること自体許されなかつたはずであり、右「使用上の注意事項」は昭和四五年二月二一日発行の「日本医事新報」に掲載された外、同年三月以降のキドラの能書及び同年六月以降のCQCの能書にも同じ内容の記載がされたことは既に認定したとおりであるから、★口医師は同年一一月ごろ同原告から眼の異常を訴えられた際、直ちにクロロキン製剤の投与を中止すべきであつたのである。★口医師が右「使用上の注意事項」に気付かなかつたとすれば、それは医師としての基本的な注意義務違反であり、同医師に右の時点でキドラ及びCQCの投与の既時中止措置に出ることを期待しても決して不可能を強いることにはならない。
  被告Y7は、右の時点で投与を中止してもク網膜症の罹患は避け得られなかつた旨主張するせれども、そのように断定しうる証拠は見当たらない。
  また、★口医師は同原告に対しキドラとCQCを同時に長期間処方投与しているが、治療上その必要があつたものとはにわかに認め難く、〈証拠略〉の★口医師の供述書には、前任者がそのような処方をしていたからそれに従つた旨の記載があるが、これでは併用を必要とした理由にはならない。前述述したように、品目数、剤数についても不必要な投与は避けるというのが薬物による治療行為の基本原則ともいうべきことである(昭和三四年厚生省令第一五号保険医療機関及び保険医療養担当規則二〇条にも診療の具体的方針として同趣旨の規定がある。)。そうすると、★口医師の右処方は、医療上の右原則にも反しているといえる。
  いずれにせよ、★口医師には、ク網膜症を予見することが十分可能であつたのに、その回避措置を全く講せず、同原告に十分な副作用の説明をすることなく、漫然長期にわたつてキドラ等の投与を継続した点に過失があり、これにより原告X2がク網膜症に罹患したことは明らかである。
  したがつて、被告Y7は民法七一五条に基づき、同原告のク網膜症罹患により関係者の被つた損害を賠償すべき責任がある。
四 被告私学共済関係
  原告X56が被告私学共済の開設・経営する私立学校教職員共済組合下谷病院において、同被告の被用者である同病院勤務の佐藤★★医師から腎疾患の治療のため昭和四四年一二月二三日から昭和四七年三月二三日までCQC一日当たり三錠の投与を受けてこれを服用した事実は、関係原告らと被告私学共済との間で争いがなく(原告らが主張している昭和三八年から昭和四四年一二月二二日まで投薬事実が認められないことは個別認定表12中で判断したとおりである。)、個別認定表12掲記の証拠によれば、次の事実を認めることができ、この認定を左右すべき証拠はない。
1 原告X56は、急性腎炎のため同病院に昭和三六年六月一七日から同年一〇月まで入院し、その後も二週間に一回づつ通院して治療を受けてきたところ、途中から担当医となつた佐藤★★医師から前記のように昭和四四年一二月二三日以降キドラの投与を受けるに至つたのであるが、右通院中は血圧と尿の検査をされたのみであり、血液検査も年に一、二度受ける程度であつた。
2 同原告は、佐藤医師からCQCの副作用等の説明を受けていなかつたところ、昭和四五年一〇月ごろ左眼にかすかな異常を感じ始め、同年一二月左眼に輪状のちらつきを自覚し、昭和四六年七月ごろには右眼にも同様の症状が現れ、昭和四六年五月ごろ左眼の異常を佐藤医師に訴えたが、同医師は薬とは関係がないから安心して服用せよと言つたのみで、眼科の検査も指示せず、依然CQCの投与を続けていた。
  右の事実にかんがみると、佐藤医師としては、昭和四四年一二月にCQCの投与を開始する際(当時ク網膜症の予見が可能であつたことは従来述べたとおりである。)、同原告の治療上CQCの投与が果たして必要か否かを慎重に検討すべきであつたし(右認定の症状に照らすとその必要性はなかつたものと推定される)、必要と判断したとしても、同原告に対しク網膜症の危険を説明し投与の同意を得るべきであつた。しかるに佐藤医師は全くかかる措置に出ることなく投与を開始し、しかも投与中必要とされる定期的な眼検査もせず、更に同原告から眼の異常の訴えがあつた後もなおこれを無視してCQCの投与を続けたのであるから、この点において同医師には少なからぬ過失があり、右過失により同原告をク網膜症に罹患させたものと認められる。
  そうすると、被告私学共済は民法七一五条に基づき、原告X56のク網膜症罹患により関係者の被つた損害について賠償責任を免れないものである。
五 被告朝倉関係
  原告X57が被告朝倉の開設・経営する★★中央病院において、同被告の被用者である同病院勤務の仙波★★医師から腎疾患の治療のため昭和四五年七月三〇日から昭和四六年一〇月までCQC一日当たり六錠の投与を受けてこれを服用した事実は、同原告と被告朝倉との間で争いがなく(同原告が主張している昭和四二年ごろから昭和四五年七月二九日までの投薬事実が認められないことは個別認定表9で判断したとおりである。)、個別認定表9掲記の証拠によれば、次の事実を認めることができ、この認定を左右すべき証拠はない。
1 原告X57は、昭和三五年一月ごろから腎炎を患い、各所の病院で治療を受けてきたが、昭和四一年一月二七日以降★★中央病院に通院するようになり、仙波★★医師から前述の期間CQCの投与を受けたものである。
2 ところが、仙波医師は、右投与中クロロキン製剤の服用により網膜症の発現することを全く知らなかつたため、同原告に対しその説明もしていないところ、同原告は、右投与中の昭和四五年に霧視、暗点を自覚していたが、CQCの服用で眼障害が生ずるとは思いもよらなかつたため、仙波医師にこれを訴えることをしなかつた。
3 同原告には、CQC服用前から高度近視による網脈絡膜萎縮があり、ク網膜症の発症しやすい素地があつた。
  右の事実関係に基づいて考察すると、仙波医師がCQCの投与を開始した昭和四五年七月三〇日の段階では、既に医師としてク網膜症を予見することが十分すぎる程に可能であつたことは従来しばしば指摘したところであるが、それにもかかわらず、仙波医師は、不注意にもこれを予見しなかつた結果、本来なすべき副作用の説明をせず、したがつて服用の同意も得ずに投与を開始したのであり、しかも、そもそも同原告にはCQCの投与前から右認定のような網膜障害があつたのであるから、同原告に対してはCQCを投与してはならなかつたのに(右投与当時のCQCの能書には使用上の注意としてその旨の記載があつたことは第五節・五・二・4・(二)で述べた。)、その投与をしたのであるから、仙波医師には医師として守るべき基本的な注意義務を怠つた過失があり、右過失によつて同原告をク網膜症に罹患せしめた(同原告のク網膜症が否定できないことも右個別認定表9で述べたとおりである。)ものというべきである。
  したがつて、被告朝倉は民法七一五条に基づき、原告X57のク網膜症罹患により同原告の被つた損害を賠償すべき責任がある。
六 被告武内関係
  原告X57が武内医院において、医師である被告武内から腎疾患の治療のため昭和四一年四月二二日以降昭和四六年九月に至るまでの期間キドラ一日当たり三錠の処方を受けた事実は関係原告らと被告武内との間で争いがなく、右事実に個別認定表15掲記の証拠及び成立に争いのない〈証拠略〉を総合すれば、次の事実が認められる。
1 原告X57は、ネフローゼのため昭和三一年ごろから各所の病院に入、通院してその治療を受けてきたが、昭和四一年四月二二日以降はその治療のため被告武内の経営する武内医院に通院するようになり、同被告から右同日以降昭和四六年九月二五日までの間に約一〇〇回にわたりキドラ一日三錠の処方せんの交付を受け、その処方せんで吉田薬局において処方してもらい、合計三五〇〇〜三六〇〇錠を服用した。
2 ところで、同原告は、同被告からキドラの副作用等の説明を一切受けていなかつたが、昭和四三年ごろ薄暗い所で物が見えにくくなり、更に昭和四四年ごろからかすんで物が良く見えず、眼が疾労しやすい等の症状が現れるようになつた。
  他方、同被告は、昭和四二年五月のキドラの能書改訂までは、キドラの服用で眼障害の発症しうることを知らなかつたが、右改訂された能書(第五節第五・二・3・(二)参照)
を見て、同年六月からおおむね二か月に一度被告武内自らが電気精密検眼鏡を用いて同原告の眼底検査を行つてきたところ、異常を認めなかつた。そしてその後、昭和四五年一月一九日同原告が眼の疲れを訴えたので、同被告は八木橋眼科に紹介したが、その診断では眼底にほとんど変化はないということであつた。しかし、同原告は週一回程度右眼科で診療を受け、更に同年七月からは二本松眼科医院に通院していたところ、被告武内は同年九月九日に右医院から、原告X57の眼底変化がクロロキンによるものであるかも知れないから投与を中止するよう連絡を受けた。
  以上のように認められ、右認定に反する原告X57本人の供述及び〈証拠略〉被告武内が眼検査をせず投与を続けたとの趣旨の記載部分は、〈証拠略〉と対比して採用せず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
  右事実によれば、やはり被告武内も、ク網膜症の予見可能となつた昭和四二年末以降においても不注意によりこれを予見しなかつたため、全くその危険性の説明開示をせず、キドラの継続投与につき同原告の同意を得ていない。この点において、被告武内は既に医師としての義務違反を免れないのであつて、もし同被告において右説明をしていたなら、同原告が昭和四三年ごろに早くも眼の異常を自覚していたからにはこのことを同被告に訴えたはずであり、その際キドラの処方を中止すれば、それまでの服用期間、服用量等にかんがみク網膜症の罹患を回避できた可能性が強いのである。そうすると、被告武内は、キドラの副作用の危険性に気付かず、これを説明開示しないまま漫然とキドラを継続して処方した点において過失の責めを免れないものというべきである。
  そして、同被告の以上の過失により原告X57がク網膜症に罹患したことも明らかであるから、同被告は民法七〇九条に基づき、右罹患により関係者の被つた損害を賠償すべき責任がある。
七 被告田中関係
  原告X58が被告田中の尾設・経営する田中病院において、同被告の被用者である同病院勤務の★関久医師及び山崎★★医師から腎疾患の治療のため昭和三九年一二月二一日から昭和四三年四月一日まで、昭和四五年一〇月三日から昭和四六年二月一二日まで、同年七月二〇日から同年一〇月一七日まで及び同年一一月一五日から昭和四七年五月二二日まで、いずれもキドラ一日三錠の投与を受けてこれを服用したことは、関係原告らと被告田中との間で争いがなく、個別認定表26掲記の証拠によれば、原告X58は、腎炎のため昭和三九年一一月から四〇日程他の病院に通院治療を受けたが、病状に変化がなかつたため、田中病院に昭和三九年一二月二一日から昭和四〇年七月一〇日まで入院し、以後は昭和四七年五月二二日まで一週間から二週間に一度の割合で同病院に通院して治療を受け、その間担当医(昭和四二年八月まで尾関医師、同年九月一日以降山崎医師)から前記のとおりキドラの投与を受けたのであるが、右通院中は、その都度検査をするというわけではなく、しても尿検査のみで、ただ薬をもらつてくるだけのことが多く、また右両医師は、キドラの副作用等について同原告に対し全く説明などしていなかつたこと、ところが、同原告は、昭和四二年四月ごろから視力が低下しはじめ、昭和四五年ごろ夜盲が始まり、昭和四六年一〇月ごろ電燈の下で新聞を読むと小さな活字がぼやけて見えるようになつたので、そのころ山崎医師に対し、「新聞の字が読みにくくなつた。」と訴えたが、相手にされず、引き続き投薬を受けているうち、昭和四七年に至り柱時計の文字も見えなくなつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
  右の事実によれば、昭和四二年末以降の山崎医師によるキドラの投与については、同医師の過失は到底否定し得ないことが明らかであり、そもそもク網膜症の危険を冒してまでもなお同原告の治療にキドラの継続投与の必要があつたかどうかすこぶる疑わしいばかりか、同医師は、同原告の眼障害に全く意を払うこともなく漫然長期間にわたつて投与を続けていたのであつて、医師として遵守すべき義務を著しく怠つたと評されてもやむを得ないであろう。
  かくして、山崎医師の右過失によつて原告X58はク網膜症に罹患したのであるから、被告田中は民法七一五条に基づき、同原告のク網膜症罹患により関係者の被つた損害を賠償すべき責任がある。
八 被右三屋関係
  原告X59が被告三屋の経営する三屋医院において、医師である同被告から腎疾患の治療のため昭和四六年一〇月二一日から昭和四八年三月四日までCQC一日九錠の投与を受けてこれを服用したことは、関係原告らと被告三屋との間で争いがなく、個別認定表36の掲記証拠に〈証拠略〉を総合すれば、次の事実が認められる。
1 原告X59は、疲れやすく脚にむくみが出たので、昭和三八年一一月六日被告三屋の診察を受け、同被告の紹介で東京女子医科大学附属病院に赴き受診したところ、同月一五日腎炎と診談され、直ちに入院して治療を受けたが、経過がよく自宅療養が可能となつたので、昭和三九年六月一九日退院した。この間に昭和三八年一一月一九日から昭和三九年六月一九日まで、一日にキドラ三錠とCQC九錠を投与され、合計六一九錠を服用した。
2 ところが、七年後の昭和四六年一〇月になつて再び疲労と脚部浮腫の症状が出現したので、同月二一日被告三屋の診察を受けたところ、慢性腎炎と診断され、以後昭和四八年二月二六日まで三屋医院に通院して治療を受け,同被告から前記のとおりCQCを投与されて合計二九三四錠を服用した。
3 同原告は、昭和女子医大でも、また被告三屋からも、CQCやキドラの副作用について全く説明などを受けていなかつた。 
  しかし、昭和女子医大でもCQCとキドラを服用していた間及び服用を終えてから被告三屋のもとで投与が再開されるまで約七年余の間も、同原告は眼の異常を自覚したことはなかつた。そして同原告は、同被告の処方でCQCを服用中、昭和四七年末ごろ色覚の異常、昭和四八年二月ごろ視力低下と夜盲を自覚したが、当時は極めて軽度のものであつたため、その異常がCQCによるものとは思い至らず、したがつて同被告に対しても右異常を訴えることはせず、そのまま昭和四八年三月他に転医した際に偶然CQCの服用をやめるようになつた。
  以上のように認められ、右認定に反する証拠はない。
右の事実によると、被告三屋によるCQCの投与については、同被告に過失のあつたことは否定できないものというべきである。すなわち、同被告がCQCの投与を開始した昭和四六年一〇月の時点では、第五節第五の一及び二で認定したように、CQCの能書(昭和四五年六月改訂のもの)には、昭和四四年一二月二三日付け厚生省薬務局長通知の「使用上の注意事項」と同一内容の記載があつたし、CQCの投与開始から約六カ月後の昭和四七年四月には、第五節第五の三で述べたとおり、製薬会社一六社連名の「クロロキン含有製剤についてのご連絡」と題する文書が全国各地の医家に配布されており、CQCの服用がク網膜症の危険を伴うことは医師の常識となつていたにもかかわらず、同被告は原告X59に対しCQCの右副作用について何ら警告せず、昭和四八年に至るまで長期間にわたり漫然と投与を継続していたものであり、その間定期的な眼検査を実施したり、その受検を指示することも行つていない。この点につき〈証拠略〉には、CQCの能書を遵守して投与したとの記載があるけれども、右記載は前認定に供した証拠と対比して採用しがたい。
  そうすると、原告X59は同被告の右過失によつてク網膜症に罹患したものと認められるから、同被告は民法七〇九条に基づき同原告のク網膜症罹患によつて関係者の被つた損害を賠償すべき責任がある。
九 被告岩森関係
  亡X8が被告岩森の経営する和光医院において、医師である同被告からてんかんの治療のため昭和四五年一月三三〇日から昭和四八年四月一五日までの間(若干の休薬期間を含む。)レゾヒン一日四錠の投与を受けてこれを服用したことは、関係原告らと被告岩森との間で争いがなく、個別認定表20掲記の証拠に前掲〈証拠略〉によつて真正に成立したものと認める〈証拠略〉を総合すると、次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
1 亡X8は、昭和四四年一月(当時中学二年生)からてんかんの発作がひんぱんになつたので、和光医院に診察を受けに行つたが、被告岩森が内科と小児科を専門の診療科目としていたため、同被告の母校である昭和大学医学部附属病院神経科を紹介され、同年一月二七日以降同大学附属病院に入、通院して治療を受け、その間昭和四四年二月一九日から昭和四五年一月までレゾヒン2の投与を受けて服用した(その詳細は、個別認定表20の「クロロキン製剤の服用状況」欄記載のとおりである。)
2 ところが、右大学病院への通院に片道一時間半もかかるため、亡X8の父である原告X60が被告岩森に対し薬を処方して欲しいと依頼し、結局同被告は、亡X8が三か月おきに右大学病院で検査を受けること、投薬は同病院の処方せんにより行うという条件で同人の診療を引受け、前述のように昭和四五年一月三〇日から昭和四八年四月一五日までの間、途中に会計約六四〇日の休薬期間をはさんでレゾヒン2を一日四錠投与し、同人はこれを服用した。
3 原告X60は、右大学病院においても、また被告からもレゾヒンの副作用等の説明は何ら受けていなかつた。そして、亡X8は、昭和四八年四月ごろ視力低下、視野欠損を自覚し、同年秋ごろから右眼障害は急激に悪化した。
  以上の事実関係に基づき、亡X8のク網膜症罹患について被告岩森の過失有無につき考察すると、まず、レゾヒンのてんかんに対する効能は、第四節第三の二において説示したとおり、否定されるべきものであつたと考えられるが、現にてんかんを適応症としてレゾヒン2が市販されており、右昭和大学附属病院でもこれをてんかんに処方していたことなどに照らすと、一開業医にすぎない同被告が亡村晴輝のてんかんの治療にレゾヒン2を投与したこと自体を責めることはできないであろう。
  しかし、理由はともかく同被告が亡X8の診察を引受け、そせて実際に診療行為を行つている(なお、医師法二〇条参照)からには、本節第一において判示した医師としての投薬上の注意義務を遵守しなければならないのは当然であつて、自ら治療にたずさわる以上は、あくまでも医師としての自己の責任において薬の種類及び用法・用量の選択を行うべきものであり、前記大学病院の処方せんもその際の参考資料としての意義を有するにとどまり、それ以上に出るものではないのであるから、前記大学病院の処方せんにより投薬したから責任はないなどとは到底言うことができない。
  そして、個別認定表20の「クロロキン製剤の服用状況」欄で認定したところによると、亡X8は、被告岩森による投与の開始直前の約一年間昭和大学附属病院においてレゾヒン2を服用し、更に同被告による投与の終了後眼障害が発症した後も約六〇日間永井病院でレゾヒン2の投与を受けているが、同人の眼障害の最終的な失明状態は、右昭和大学附属病院、被告岩森の和光医院及び右永井病院におけるレゾヒン2の各投与が一体となつてその原因をなしているものと考えられ、和光医院における長期間にわたる投与が右結果の発生に最も奇与したものであることは容易に推認することができる。
  しかるところ、被告岩森が投与を開始した昭和四五年一月といえば、もはや医師としてク網膜症を予見することは十分可能であつたのに、同被告は、レゾヒンの服用に伴うク網膜症の危険を説明して本人又は保護者から右危険の受容の承諾を得る措置を講じなかつたのはもちろん、定期的眼科検査等の結果発生回避措置も講ぜず、昭和四八年まで投与を継続しているのであつて、この点において医師としての注意義務を著しく欠いていたものといわざるをえない。
  亡X8は、被告岩森の右のような過失ある投薬行為によつてク網膜症に罹患したものであり、したがつて、同被告は民法七〇九条に基づき、同人の右罹患によつて関係者の被つた損害を賠償すべき責任がある。
一〇 被告谷藤関係
  原告X61が被告谷藤の経営する谷藤病院において、医師である同被告から腎疾患の治療のため昭和三八年一〇月七日から昭和四七年一二月二一日までの間個別認定表35の「クロロキン製剤の服用状況」欄記載のとおりキドラ一日三又錠は六錠の投与を受けてこれを服用したことは、関係原告と被告谷藤との間で争いがなく、個別認定表35掲記の証拠によれば、原告X61は、急性腎炎のため昭和三〇年夏ごろから昭和四八年三月まで谷藤病院に入院又は通院して被告谷藤の治療を受け、その間同被告から前述のようにキドラの投与を受けたのであるが同被告は、右投薬に当たり同原告に対しキドラの副作用等の説明を一切せず、昭和三九年春に同原告が霧視、羞明を自覚した際(この症状はその後しばらくして消失した。)、その旨同原告から訴えられたが、栄養失調を理由として放置し、また昭和四七年春にも同原告に同様の自覚症状があつたためその旨同原告から訴えられたのに、前回の時と同じ理由を述べて取り合わず、眼科検査も一度も指示しなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
  以上の事実についてよれば、昭和三八年から昭和三九年にかけてのキドラの投薬については、その当時一般の開業医がクロロキン製剤の服用による網膜症の発症を予測することは因難であつたと考えられるので、同被告に過失の責めを問うことはできないが、昭和四六年一二月二二日以降昭和四七年一二月二一日までの間の投薬について同被告に過失のあることは従来他の被告医師又は医療機関経営者の責任についての判断において説示したところから明らかである。
  とすれば、原告X61は被告谷藤の投薬上の過失によりク網膜症に罹患したというべきであるから、同被告は、同原告の右罹患により関係者の被つた損害について賠償責任を免れないものである。
一一 被告佐藤関係
亡X62が、いずれも腎疾患の治療のため、★化成健保組合病院において昭和四〇年七月五日から昭和四四年三月一二日までの間、被告佐藤の経営する佐藤医院において昭和四四年三月一二日から昭和四六年一一月一五日までの間、いずれもキドラ一日三錠の投与を受けてこれを服用したこと、右のうち、★化成健保組合病院における昭和四三年五月三一日までの投薬は当時同病院の勤務医であつた被告佐藤がしたもの、佐藤医院における投薬は院長の同被告自身がしたものであることは、関係原告らと同被告との間で争いがなく、右争いのない事実に個別認定表69掲記の証拠、被告佐藤★本人尋問の結果、同結果により真正に成立したと認められる〈証拠略〉を総合すれば、以下の事実が認められる。
1 亡X62は、昭和三九年三月急性腎炎で伊井病院に入院し(なお、一か月後に慢性腎炎と診断された。)、同年五月から六月の間キドラ一日三錠を投与されて服用し、同年七月★化成健康保険組合病院(岡富病院)に転院し、当時同病院に勧務していた被告佐藤の治療を受けたが、経過が思わしくなかつたため昭和四〇年四月大川病院に転院して同年七月まで同病院に入院し、その間に同年五月から七月までキドラを一日三錠投与されて服用した,
2 そして再び昭和四〇年七月二日から昭和四四年三月八日まで★化成健康保険組合病院(恒富病院)に入院し、被告佐藤及び他の医師から昭和四〇年七月五日から昭和四四年三月一二日までキドラを一日三錠投与されて服用したが、被告佐藤は昭和四三年五月三一日の他の病院に転勤したので、同被告が自らの責任で右期間中にキドラを投与したのは、昭和四〇年七月五日から右転勤日までである
  亡X62は、右退院後昭和四四年三月一二日以降、当時被告佐藤が開業していた佐藤病院に通院するようになり、前述のように同被告から昭和四六年一一月一五日までキドラを一日三錠投与されて服用した。
3 同人は、伊井病院や大川病院の医師及び被告佐藤のいずれからも、キドラの副作用等の説明は受けていなかつた。むしろ被告佐藤は、同人に対するキドラの投与中ク網膜症のことを知らず、キドラにより眼障害が生ずる旨の昭和四六年一〇月一四日付けの新聞報道を人づてに聞き知り、初めて右の事実を知つたものである。
4 他方、亡X62は、昭和四四年三月ごろ視力が減退し同年四月ごろからは夜間の歩行が困難となり、昭和四五年九月ごろ中心視野が消失した。そして、昭和四五年三月二七日初めて視力の異常を被告佐藤に訴えたが、この時同被告の紹介した高尾眼科での診断は特発性夜盲というものであつた。以上の事実に認められ、〈証拠略〉の記載中右認定に反する部分(特に、昭和三九年七月から昭和四〇年四月まで前記岡富病院で被告佐藤からキドラの投与を受けた旨の部分)は、〈証拠略〉と対比して採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない.。
  右認定事実によると、同被告が恒富病院で亡清澄に対しキドラを投与中の、そして一般の医師にとつてク網膜症の予見が可能となつたとみられる昭和二年末までに、亡X62は既にキドラを服用していたのであるが、その服用期間、服用量及び同人の自覚症状発症時期等にかんがみると、同年未までの服用のみで同人のク網膜症罹患がもはや避けられないものとなつていたと断定することはできない。
  しかるところ、被告佐藤は、昭和四二年末以降ク網膜症を予見し得たにもかかわらず不注意にもこれを予見しなかつた結果、昭和四三年以後も亡X62に対しク網膜症につき何らの説明開示をせず、キドラの継続投与に伴うク網膜症の危険を受容する旨の同人の承諾を得ずにその投与を続け、しかも定期的な眼科検査を実施するか又はその受検を指示するなどの結果回避の措置を全く講ずることなく、同人の眼の異常を知つてからもなお漫然と投与を続けたものであり、この点において同被告は医師としての基本的な注意義務を怠つたとのそしりを免れることはできない。
  そうすると、亡X62は被告佐藤の投薬上の過失によりク網膜症に罹患したものと言わざらを得ないので、同被告は民法七〇九条に基づき、同人のク網膜症罹患によつて関係者の被つた損害を賠償すべき責任がある。
一二 被告日赤関係
  原告X63が被告日赤の開設・経営する京都第一赤十字病院において、同被告の被用者である同病院勤務の藤田★医師から腎疾患の治療のため昭和四三年三月一五日から昭和四六年七月六日までキドラ一日六錠の投与を受けてこれを服用したことは、関係原告らと被告日赤との間で争いがなく、個別認定表40掲記の証拠に〈証拠略〉を総合すると、次の事実が認められ、この認定を覆すべき証拠はない。
1 原告X63は、昭和四二年四月(当時高校三年生)以降急性腎炎のため治療を受けていたが、経過がはかばかしくなく同年九月六日以降は松江市立病院に入院又は通院して治療を受け、その間同年一一月二〇日から昭和四三年二月一七日までCQCを一日九錠投与されて服用した。
  その後、右病院の紹介で、同年二月二〇日から国立大田病院に通院し、同日から同年三月一四日までキドラを一日三錠投与され服用した。
  しかし経過が思わしくないため、京都第一赤十字病院に同年三月一五日から八月一六日まで入院し(入院時、軽ないし中度の慢性腎炎と診断された。)、その後は時々通院して治療を受け、その間前述のように藤田★医師からキドラの投与を受けた。
2 藤田医師は、同原告にキドラの投与を開始した昭和四三年三月ごろには特にク網膜症を認識していたわけではないが、その投与を中止した昭和四六年七月ごろにはそれを認識していた。同原告は、藤田医師はもちろん。その他の医師からも、キドラやCQCの副作用の説明は受けていなかつた。
3 同原告は、入院中の昭和四三年五月ごろ眼に異常を感じ、このことを藤田医師に訴え、眼科で検査を受けたところ、眼底に異常はなく、近視であつて眼鏡により矯正可能と診断された。しかしその後、昭和四五年一〇月ごろにテニスをしている時球がある方向、ある角度に来ると見えにくいことを感じたが、気のせいかと思い医師に訴えることはしなかつた。昭和四六年五月には視野に異常を感じるようになつたものの、そのうちに治ると思つていたところ、全く良くならなかつたので同年九月藤田医師に訴え、同病院の眼科で診察してもらつた結果、左眼に中心視野欠損があることが判明した。
  以上の認定事実によれば、藤田医師は、既にク網膜症の予見が可能であつたのに不注意にもこれを予見しなかつた結果、投与に先立つてその説明開示をせず、投与による危険受容の承諾を得ないままキドラの投与を開始したものである。昭和四三年五月に眼科検査をしているが、その前はもちろん特にその後においても定期的な眼科検査の施行又はその受検の指示をしていない。前掲〈証拠略〉には、昭和四三年五月の前記眼科検査後特に眼の異常の訴えがなかつた、投与中止までク網膜症の徴候もなかつた旨の記載があるけれども、右のとおり本人は眼の異常を自覚しており、事前にキドラによつてク網膜症の発生しうることを十分説明していたなら、本人はそれを訴えたはずである。このようにして藤田医師は昭和四六年七月まで約三年間漫然とキドラの投与を継続したのであるから、これはやはり医師として過失の責めを免れないものといえよう。
  なお、原告X63は、藤田医師による投与前にも、松江市立病院及び国立大田病院で前認定のとおりCQC、キドラの投与を受けているが、この投与のみで同原告のク網膜症の罹患が不可避のものとなつていたとは断定することができず、藤田医師による投与も加わつてク網膜症に罹患したものと認めるべきであるから、藤田医師の前記投薬上の過失と原告X63の眼障害との間に相当因果関係のあることはもちろんである。
  したがつて、被告日赤は民法七一五条に基づき、同原告のク網膜症罹患によつて関係者の被つた損害を賠償すべき責任がある。一三 被告松谷関係
  原告X25が被告松谷の経営する松谷医院において、医師である同被告からリウマチの治療のため昭和四四年一〇月から昭和四九年九月まで(ただし、昭和四五年八月一三日から同年一二月二四日までの間を除く。)エレストールを一日六錠投与されて服用したことは関係原告らと被告松谷との間で争いがなく、個別認定表74掲記の証拠によれば、原告X25は、多発性関節リウマチのため松谷医院に通院して治療を受け、前記の期間同被告からエレストールの投与を受けた外、昭和四五年八月一四日から同年一二月二四日までの間同被告の処方せんによらないで自ら薬局からエレストールを購入して服用したのであるが、当時同被告からエレストールの副作用等の説明を受けていなかつたところから、昭和四九年三月ごろ霧視を、同年九月ごろ夜盲をそれぞれ自覚するようになつたにもかかわらず、薬のため眼が悪くなるとは夢にも思わなかつたため右の異常を同被告に訴え出ず、同年九月三〇日に初めて同被告に眼の異常を告げた結果眼科の受診を勧められたことが認められる。なお、原告らが主張している昭和四一年九月から昭和四四年九月までのエレストールの投薬の事実が認められないことは個別認定表74の「付加説明」欄で判断したとおりであり、他に前段の認定を左右するに足りる証拠はない。
  右の事実によれば、被告松谷に投薬上の過失のあつたことは従来説示したところに照らしもはや多言を要しないまでに明白であり、右過失により原告X25はク網膜症に罹患したものというべきであるから、同被告は民法七〇九条に基づき、同原告の右罹患によつて関係者の被つた損害を賠償すべき責任がある。
一四 被告★★親善関係
  原告X26が被告★★親善の開設・経営する★★親善病院において、同被告の被用者である同病院勤務の★口良雄医師からリウマチのの治療ため昭和四一年三月二二日から昭和五〇年二月四日までの間、その途中に若干の休薬期間をはさんでエレストール一日六錠の投与を受けてこれを服用したことは、関係原告らと被告★★親善との間で争いがなく、個別認定表76掲記の証拠によれば、原告X26は、リウマチのため昭和三八年夏ごろから★★親善病院で治療を受け、★口良雄医師から前記の期間エレストールの投与を受け、会計一万四五七四錠を服用したのであるが、同医師は右投与期間中同原告に対しエレストールの副作用等の説明などは何ら行わず、また眼科検査もせず、他方、同原告は、昭和四六年六月ごろから視力低下等の自覚症状があつたが、エレストールの服薬が原因とは思わなかつたので、★口医師に眼の異常を訴えなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
  右の事実によれば、これまた、昭和四二年末以降の★口医師の投薬行為に過失があつたことは従来説示したところに照らし明白であり、原告X26は同医師の右過失によりク網膜症に罹患したものというべきであるから、被告★★親善は民法七一五条に基づき、同原告の右罹患により関係者の被つた損害を賠償すべき責任がある。
一五 被告国関係
  亡X51が被告国の設置している神戸大学医学部附属病院において、同被告の被用者である同病院勤務の★和★一良医師から腎疾患の治療のため昭和三九年三月から昭和四一年六月一七日までエルコクイン(訴外塩野義製薬株式会社の製剤である硫酸ヒドロキシクロロキン錠)一日三〜四錠、同年六月一八日から昭和四二年一月六日までCQC一日六錠、同年一月七日から同年六月二日まで及び同年七月二三日から同年九月三〇日までCQC一日九錠、同年一〇月一日から昭和四三年九月二〇日までCQC一日六錠、同年一一月六日から昭和四五年五月二九日まで及び同年一〇月一二日から昭和四六年三月六日までレゾヒン一日三錠の各投与を受けてこれを服用したことは、関係原告らと被告国との間で争いがなく、個別認定表56掲記の証拠によると、次の事実が認められる。
1 亡X51は、昭和三九年一月一六日同病院第二内科で慢性腎炎と診断され、同年三月から五月二九日まで入院し、昭和四七年七月まで週に一度程通院して腎炎の治療を受けてきた。
  そして、その間、第二内科で主に★和★一良医師から前記の期間クロロキン製剤を投与されたのであるが、日和付医師は、右投与を開始した当時クロロキンにより角膜障害の発生しうることは知つていたが、網膜障害の可能性については認識していなかつた(被告国の主張によると、同医師は昭和四五年一月に、前記昭和四四年一二月の薬務局長通知を見て初めて知つたという)。
  したがつて、同医師はクロロキン製剤の投与前及び投与中に亡X51に対し、その服用により網膜障害が発生する場合もありうることを説明開示していなかつた。もつとも同医師は角膜障害の副作用については右のとおり知つていたから、昭和四一年七月二五日以降は投与中に眼症状及び自覚症状について絶えず問診をし、必要に応じて眼科の受診を指示した(例えば、昭和四一年七月二五日及び同年八月一九日に指示したが、亡X51は右指示に従わなかつた)。
2 亡X51は、昭和四五年一二月ごろその妻の原告X64に「暗い所が見えにくい。」とか「夜盲かな。」などと話していた。そして昭和四六年一月ごろには電話台につまずいたり、階段を踏みはずしたりするようになつた。
  同人は昭和四六年一月六日日和佐医師が眼がチカチカする旨訴えたが、これは二週間程で消失した。その後再び同年三月六日同医師に同様の訴えをしたので、同医師は、同人に対し同病院の眼科の受診を指示して受診させたところ、眼科からク網膜症の可能性を示唆されたので、同人に対するクロロキン製剤の投薬を中止した。
  以上のように認められ、右認定に反する証拠はない。
ところで、日和佐医師の場合には、本節第一の二において説示したとおり、亡X51に対してCQCの投与を始めた昭和四一年六月一八日の時点で既にク網膜症の発生の危険を認識することが可能であつたと解すべきであるから、同医師は右時点以降、亡X51に対しクロロキン製剤の服用に伴い重篤な網膜症の生ずるおそれがあることを説明し、その服用による腎炎に対する治療効果と対比考量して服用を継続するか、又はこれを拒絶するかについて、同人の意思を確認すべき義務があつたものである。
  被告国が主張するように、同人の腎炎の治療上クロロキン製剤の投与がどうしても必要であつたとしても、これによるク網膜症罹患の危険を受入れるか否かの選択は、患者本人の自由な意思決定にゆだねられるべきものである。生命を守るためには同製剤の投与が必要不可欠であつたから失明もやむをえないと考えるのは、医師の独断でしかない。
  前掲〈証拠略〉によると、一般に医師は処方した薬についての毒作用や危険を患者には話をしない場合が多いことがうかがわれないでもないが、これも場合によりけりであつて、ク網膜症のように失明することもありうる重篤な副作用については、前述したように、患者の危険受容の承諾を得るためにも必ず説明しておくべきであろう。確かに日和佐医師は、必要に応じ眼症状を問診したり、眼科検査を指示したりしているが、患者に対しあらかじめ失明するような副作用が生じうることを知らせていたときと、そうでないときとでは、患者の自己の眼に対する日ごろの注意の程度、異常を感じた場合の医師に対する訴え方,医師の指示に対する反応等もおのずと違つてくるはずであり、あらかじめ副作用の説明をしていた場合には、患者本人の自己防衛意思も加わつて、かえつて結果発生の回避の一助となることも否定できないと思われる。
  したがつて、日和佐医師には昭和四一年六月以降前記義務を尽くさなかつた点において過失があり、その過失ある投薬行為によつて亡X51がク網膜症に罹患したものというべきであるから、被告国は民法七一五条に基づき、同人の右罹患によつて関係者の被つた損害につき賠償責任がある。 
第三 被告国及び同医療機関経営者の責任と被告製薬会社及び同国の責任との関係
  以上のとおり、被告医師及び同医療機関経営者は、その各対応する原告らに対してそれぞれ損害賠償の責任を負うものと言わざるを得ないが、右責任は、いずれも被告医師らの医師としての独自固有の過失ある投薬行為に基因するものであつて、当該投薬行為と被告製薬会社及び同国(厚生大臣)の違法な不作為との間に共同加功の関係は全くないから、両者は共同不法行為とはいえない。ただ、たまたま賠償すべき損害の範囲が同一又は一部重復するにすぎないから、両者の責任は、不真正連帯の関係になると解せられる。
第八節 損害
第一 総説
一 被害の特質
  原告ら患者は、いずれも各人の原疾患の治療のため長期間にわたつてクロロキン製剤を服用してきたのであるが、その服用によつて原疾患の治癒をみたのならともかく、そうでなかつたばかりか(クロロキン製剤のおかげで、少なくとも原疾患が完治した者は原告ら患者の中に一人もいない)、かえつてク網膜症に罹患したもので、しかも、同症による眼障害の程度は、各人につき個別認定表で認定したとおり、完全失明もしくはこれに準ずるもの又は相当高度の視力低下及び視野欠損を伴うものであり、右眼障害による視機能の喪失又は著しい低下のため原告ら患者が労働能力の全部又は一部を喪失し、かつ、社会生活、家庭生活上種々の不便・不利益を被り、重度の障害者は日常の超居飲食等に必要な基本的動作する他人の介護なしでは満足にすることができないなど、物心両面にわたり多大の損害を被つたことは容易にこれを認定することができ、その非惨な被害の実情には同情の念を禁じ得ない。
  なお、視力又は視野の一方について著しい機能低下がない場合であつても、総合的な視機能の低下がさほど著しくないとすることはできない。けだし、〈証拠略〉によれば、視力、視野及び眼球運動は、それぞれ切り離された機能ではなく、三者相まつて全体としての視機能を保持しているのであつて、これらの機能のうち一つでも欠ければ、他の機能も十分に発揮しえない結果となることが認められるところ、ク網膜症においては、末期には周辺視野ないし島状の視野のみが残存するに至る場合や、中心の二ないし三度程度以内の部分のみに視野が残存するに至る場合が多く、前者の場合について言えば、臨床眼科学で単に視力と言えば中心視力についての矯正視力を指すものとされているが、視野の中心から一〇度離れた部分の視力は既に〇・〇五を下回つている(〈証拠略〉)のであり、中心視野が失われれば周辺視野ないしその一部が残存していても視機能は大幅に低下するし、後者の場合には、わずかではあつても中心視野が保持されているため視力は比較的良好であるものの、視野が極端に狭いため例えば外出時等には危険がつきまとい、また慣れない場所には一人で行けなくなる、あるいは、個々の字は判読できても読書は極めて困難となる等、日常生活に必要な実質的視機能は大部分失われることとなるからである。
二 原告らの制裁的慰謝料論について
  原告らは、本件のように被告製薬会社や被告国が故意に原告ら患者をク網膜症に罹患された事案にあつては、被告らが原告らに対し支払うべき慰謝料の額は懲罰の意味も含めて民事交通訴訟における慰謝料額の三倍位が妥当であると主張する。
  思うに、不法行為により被害者の被つた精神的損害に対する慰謝料の算定に当たつては、加害者及び被害者の社会的地位及び財産状態、被害・苦痛の程度、将来の苦痛の有無等のほかに、加害者側の侵害の態様(故意か過失か、過失の程度、悪性の程度等)も加味し、これら諸事情一切を勘案しなければならないのは当然のことである。一般論として、慰謝料の支払は精神上の苦痛の緩和もしくは除去を目的とする法的手段といえるから、侵害行為が故意になされた場合と過失による場合、更には重過失による場合と軽過失による場合とでは、被害感情ひいては被害者の受ける精神上の苦痛の程度におのずから差異があるため、その差異が慰謝料額に反映することは理の当然と言えよう。
  しかし、本件にあつては、被告らに故意責任まで課することのできないことは前述したとおりであるし、そもそも、加害者の故意を慰謝料額算定の際考慮すべき一事情とするにとどまらず、それ以上に、故意の存在をとらえて、現実に生じた損害の填補以外に原告らが主張するような「制裁的」機能を果たさせる目的で別個の帰責加重事由とすることは、損害の公平な分担を目的とする損害賠償制度の理念に反するものであつて、民事法と公法、特に刑事法との明確な分化を理想とする我国の法制の下では採りえないものと考える。
三 原告のいわゆるインフレ算入論について
  原告らは、逸失利益及び将来の介護費の算定については、イインフレによる賃金及び物価の持続的上昇傾向を考慮に入れるべきであり、少なくとも毎年五%の上昇が見込まれるので、その積算額から年五%の中間利息を控除すると、あたかもインフレの影響を考慮しないで現在の賃金及び物価水準により毎年の損害額を積算し、中間利息の控除を行わないこととした場合と同一の結果となるから、本件においては、逸失利益及び介護費の算定に当たり計算の便宜上現在の賃金及び物価水準を基準として積算する代わりに、積算額から中間利息の控除を行うべきでないと主張する。
  そこで、将来得べかりし利益及び将来見込まれる介護費の数額が、賃金及び物価水準の変動を考慮した場合にどの程度の蓋然性をもつて現時点において算定しうるものであるかについて考えると、成立に争いのない〈証拠略〉によれば、次の1から3までの事実が認められる。
1 第二次世界大戦以前は、物価、すなわち生産され販売されるすべての商品の価格の平均は景気の変動に応じ大体一〇年周期に大きく上下し、長期にならすとほぼ安定的であつたが、右大戦後はすでての資本主義諸国において、景気の変動いかんにかかわらず、物価が持続的に上昇していく傾向にあり、卸売物価(生産者物価)については景気の変動で対前年比が若干下がるようなこともあるけれども、消費者物価に関してはこのようなことは生ぜず、不況であつても、その率はいろいろ変化するが、上昇し続けるという現象が各国で明らかに見られる。
2 その理由は、右大戦前後の資本主義経済構造の変化に基因し、戦後の次の二つの構造要素によるものである。
(一)生産物市場では寡占による価格決定が、労働市場では労働組合の強い交渉力による賃金決定が支配的になつていること。すなわち、寡占と呼ばれる巨大企業が主要な産業の全体に現れて、これが市場における自由競争を防げ、ある程度価格を操作する力をつけ、他方労働者は組合の結成で労使交渉上強い力を発揮し、賃金の切下げには根強い抵抗があり、それゆえ価格が下らないようにするという、いわば下方硬直性の力を企業がもつようになつたことである。
(二)政府の管理通化制度を背景とした財政・金融手段による総需要調整政策が完全雇傭の実現と維持を第一義的な目的として運営されていること。需要の十分な伸びのないところで、生産物の価格や賃金を上げると、当然販売量が激減し、結局恐慌不況となる。また総需要の調整で、物価の上昇(インフレ)を抑えることはある程度までは可能だが、その程度以上に需要を抑えると企業の利潤が縮少し、生産制限、雇傭制限につながり、失業を拡大する。失業の増大は社会不安をもたらすため反対が強く、したがつて、失業率の高くならないうちに総需要を調整する必要があり、インフレの危険があつても景気の拡大を図らねばならない。そこで、第二次世界大戦後、いわゆるケインズ政策によつて、商品に対する総需要を政策的に調節する、すなわち価格が下がらない、あるいは価格が上がつても販売額が減らないですむだけの総需要を常に確保する施策が常時採られるようになつた。

3 かくして、右のような経済構造の二要素が排除されず存続する限りは、長期にわたる持続的な物価上昇を完全に阻止することが困難であり、現に我国においても過去昭和二二年から昭和五四年までの消費者物価は、平均して年六・一%の上昇率を示し、そして将来も、一時的な経済要因(例えば、オイルショック、為替相場の変動等)を度外視し、右二要素のみを前提とすれば、消費者物価の上昇率は、長期的には平均年率四ないし五%に達するものと予想され、政府も昭和四五年から昭和六〇年までの消費者物価の上昇率を年平均五%程度にとどめるべく経済運営の指針としている。
  右認定によれば、我国においては、今後も当分の間は物価、持に消費者物価は上昇し続けるものと言いうるであろう。しかし、このことは、現代資本主義社会の経済構造における前記二要素が将来も不変であることを前提としてそう言えるのであつて、将来の政治、社会、経済の発展、変容に伴いこれら要素に絶対変化変改が起こらないとは(証人川口は、右要素が変らない可能性が強いと証言してはいるものの)何びとといえども断言し得ないように思われる。のみならず、その上昇率に関する右認定の見解は、右二要素の変らないことを前提とするほか、その時々の物価の変動に重大な影響を及ぼすであろう前述したような一時的な経済、社会の動向を考慮に入れずに、右二要素をもつ経済構造の下では、長期的にみて平均年五ないし四%と予想したものにすぎないのである。したがつて、右の予想上昇率はその根拠となる事実そのものに不確定、不確実な要素が余りにも多く、この上昇率によつて今後毎年の物価を予測することは確実性に乏しいうらみがあるのみならず、賃金水準が物価水準と対応することについても確実な保障はないので、現時点においては、原告ら患者の得べかりし利益及び介護費が将来にわたり毎年五%の割合で上昇することを高度の蓋然性をもつて推測することは困難であるというべきである。
  したがつて、被害発生後現在までに生じた賃金及び物価水準の変動は、これを前記損害額の算定に反映させてしかるべきものであるが、将来における賃金及び物価水準の変動については前述のような不確定要素がある以上、これを考慮に入れて今後毎年の損害額を個別具体的に認定することはできないので、原告らの右主張は採用しない。
第二 損害額の算定方法とその具体的適用
一 損害評価の基準日
  第一節において述べたように、ク網膜症が非可逆性、進行性の疾患であり、明らかな他覚、自覚症状の現れた段階では既に改善の見込みはないばかりか、その後の病状の悪化がほぼ確実に予見されることを考慮すると、ク網膜症に起因する視力ないし視野の異常が医師により確認された時点(後記個別認定表中の「眼障害の発症及びその後の病状経過」欄中に認定したところの視力ないし視野の経年的記載のうち、視力については矯正視力にある程度の低下が認められた時点|従前の視力の検査結果が証拠により確認される場合はこれとの関連で低下を考えるべきである。例えば、原告X16(世帯番号21)、同X66(同58)の場合がその例である。|視野についてはなんらかの異常が認められた時点。ただし、原告X67(同87)については柳川盲学校に入学した昭和四三年四月の時点)には既に身体傷害としての被害が発生し、将来における損害額の算定も可能となつているものと考えることが論理的には可能であるが、損害の認定・評価の確実性を期するため、被害発生の時期を右の診断を受けた年の翌年一月一日とみなし、同日を基準日として、既に生じ又は将来生ずることの確実視される財産的及び精神的損害の評価を行うのが相当である。
  右基準日は具体的に各患者について個別認定表中に示してあるが原告ら主張の「損害発生時」(「原告ら被告一覧表」の「損害起算点」に示された日時であり、原告らはこの日を含む年の年初から逸失利益及び介護費を請求しており、またこの日を原則的な遅延損害金の起算日として主張している。)が右基準日より後となつているのは、同X53(同46)、同X65(同55)、同X66(同58)、同X31(同64)、同X68(同65)亡X62(同69)、原告X27(同78)、同X69(同85)の各患者についてである。
  そこで、原告ら患者について生じた逸失利益及び介護費の評価は、右の視力ないし視野の異常の確認の時点以降のものについて行うこととするが、原告ら主張の「損害発生時」を含む年の年初以前のものについてはこれを評価することはできない。なお、原告X70(世帯番号3)については、個別認定表の別紙損害額算定表に示したとおり、退職時の翌月である昭和四六年一月以降の逸失利益を評価しているが、こせは昭和四六年一月時点の視力を同年七月三一日時点の視力とほぼ等しいものとみたことによる。
二 逸失利益
  不法行為による損害賠償は、現実に受けた損害の填補を目的とするものであるから、不法行為により身体に傷害を被つた結果永久的に労働能力の全部又は一部を喪失した場合における被害者の逸失利益の算定は、事案ごとに具体的事情に即応して個別的、具体的になされるべきである。
  ところで、ク網膜症は進行性、非可逆性の疾患であるから、ク網膜症に罹患すれば、眼障害が進行し、これに伴つて労働能力も次第に低下するわけであるが、多少の労働能力の低下は必ずしもそれに比例した所得の減少をもたらすものではないから、労働能力の喪失による損害については、基本的には自動車損害賠償保障法施行令別表、労働省労働基準局長通牒昭和三二年七月二日基発第五五一号による労働能力喪失率表及び同通達昭和五〇年九月三〇日基発第五六五号労働災害「障害等級認定基準」を一応の参考にし、具体的には労働能力喪失率がおよそ三五パーセント以上と認められるようになつた日(個別認定表掲記の証拠により、視力及び視野障害について考慮する)の属する月の翌月一日から生ずるものと見るのが相当である。
  ただし、前述のように損害賠償制度は被害者に現実に生じた損害を填補することを目的とするものであるから、ク網膜症に起因する眼障害により相当程度労働能力の喪失が生じたとしても、これをもつていかなる場合にも直ちに現実の損害が発生したとみることはできないのであつて、抽象的労働能力喪失率は、現実に生じた損害を算定するための一つの資料としてこれを考慮すべきものであり、労働能力を喪失しても何らかの理由により具体的な収入の減少を生じない場合には、損害が生じたものとは認められない。
1 有職者の場合
  まず、有職者についていえば、眼障害に基づく収入の減少について期間と数額を示して具体的な主張・立証があればこれを考慮すべきことはもちろんであるが、本件ではこの点については個別的に各患者について十分な主張立証がなされたとはいえないから、結局、眼障害により最終的に退職を余儀なくされ、あるいは廃業を余儀なくされる等して収入を失つた時点をもつて現実の損害が発生した時点とみる外ない。
  もつとも、ク網膜症に起因する眼障害を直接の原因として退職するに至つた患者であつても、その時点ではまだ三五パーセント程度の労働能力を喪失するには至つていなかつたと認められる場合には、労働能力喪失率が三五パーセント程度に至つたと認められる日の属する月の翌月一日から現実の損害が生じたものとして取扱うこととする。
  また、眼障害発現前に、既に他疾患により就労不能の状態となり退職していた者については、眼障害発現により現実に発生した逸失利益はないから、このような者の逸失利益の請求は認められない。個別認定表中の認定の結果によると本件患者中ではX53(世帯番号46)、X71(世帯番号53)の二名がこれに該当する。
  次に、逸失利益の算定基準としては、まず、ク網膜症による眼障害に基因する労働能力の喪失率を確定し、これに労働能力の喪失がなかつた場合の将来の所得見積額を乗じたものをもつて逸失利益とするのが原則であるが、将来の所得見積額は、有職者の場合には今後の就労可能年数と従来の収入額を基礎として算定すべきものであるのに、本件においては従来の収入額についての主張・立証がなされていない。被害者が家庭の主婦、年少者その他の無収入者である場合には、所得見積額は統計上認められる男女別労働者の平均賃金によつて算定するほかに方法はなく、また、有職者の場合でも、自営業者であつて毎年の収入額が安定していない等の理由により被害発生直前の収入額をもつて将来の所得額を見積る基礎資料とするのが相当でないと認められるときは、無職者と同様に平均賃金に基づいて所得見書額を算定することが許されるものと解すべきであるけれども、一般的には、有職者については右のような特段の事情のないかぎり平均賃金をもつて逸失利益算定の基礎資料とすることは許されないものと解するのが相当である。けだし、労働能力の全部又は一部の喪失による損害の評価は、被害者の具体的な稼得能力を無視しては適正にこれを行うことができず、具体的な稼得能力は各人により様々であつて、労働能力の喪失率が同一であつても、被害者が異なれば損害の評価もおのずから異ならざるを得ないし、被害者に対し従来の収入額の主張・立証を要求しても通常の場合は何ら特別の負担を課するものでなく、難き強いることにはならないからである。
  当裁判所は、以上の見地に立つて原告らに対し、原告ら患者中ク網膜症罹患当時有職者であつた者については、収入額を個別具体的に主張・立証するよう勧告したのであるが、原告らは有職者についても平均賃金額により逸失利益を面一的に算定すべきことを主張して譲らず、右勧告に応じなかなかつた。しかし、原告らの右主張の採用できないことは上来の説示から明らかであり、従来の収入額の具体的主張のない有職者については、ク網膜症に罹患しなかつたとしてもその者の収入は平均賃金額に達しなかつたのではないかとの疑念をぬぐい去ることができない。
  このように、収入額について疑問がある場合には、将来の所得見込額の認定はかなり控え目なものとならざるを得ず、強いて平均賃金額に依拠するものとすれば、諸般の事情を参しやくしてその七〇%に当たる金額を基礎として逸失利益を算定するのが相当である。

 よつて、これら有職者の逸失利益の算定については、男女の別に従い、労働省統計情報部編のいわゆる賃金センサス第一巻第一表(ただし、昭和四五年ないし昭和四八年度は第二表)の産業計、企業規模計、男子、女子一般労働者(ただし、昭和四四年度以前は全常用労働者)の学歴計、年齢計平均給与(同表の「きまつて支給する現金給与額」欄記載の金額の一二倍に同表の「年間賞与その他特別給与額」を加えたもの|本節未尾の別紙一参照。|ただし、昭和五五年度以降の分については、昭和五四年度の数値を基準とする。)の七〇%に当たる金額を所得見込額の基礎として算定することとする。
2 無職者の場合
  次に主婦等の無職者(従前働いていたが、結婚あるいは他疾患治療等の目的により、労働能力を喪失するに至らない段階で退職していたものを含む。)については、有職者の場合の退職時のように現実の損害が発生した時点を一律に確定することは困難であるから、抽象的労働能力喪失率を資料としてこれを決定する外はなく、これらの者については、前記のとおり労働能力喪失率がおよそ三五パーセント以上に達したと認められるようになつた日の属する月の翌月一日から労働能力の喪失により現実の損害が生じたものと見るのを相当とする。
  これら無職者の逸失利益については、その収入ないし稼働能力について、賃金センサスによる平均給与を得るに値するものではなかつたことを推認させる特段の主張立証がない限り、本節末尾別紙一の男女別平均給与に従い、これに労働能力喪失率を乗じて算定すべきである。
  なお、ク網膜症による労働能力の喪失がある程度生じるに先立つて、他疾患による労働能力の全部又は一部の喪失が認められる場合には、逸失利益の算定に当たりこの事実を考慮すべきであり、特に、個別認定表中の認定の結果により明らかなとおり、X72(世帯番号61)については、眼障害がある程度悪化するに先だつて、既に腎疾患により就労し得ない状態となつていたことが、亡X7(世帯番号84)については、眼障害発現前に既にリウマチにより就労しえない状態となつていたことが認められるので、これらの患者の逸失利益の請求は認められない。
3 就労可能年数
  満六七歳に達するまで就労可能と見て、端数を切捨てて年単位で計算する。この点につき被告Y5、同Y3、同Y6及び同国は、原告ら患者中原疾患として腎疾患のある者については、就労可能期間の終期を六七歳と見るのは不当であるとの趣旨の主張をしているけれども、腎疾患の重篤度は各患者によつて異なり、ク網膜症罹患時既に腎疾患により労働能力を喪失していた者は別として、その余の患者は、仮にク網膜症に罹患しなかつたとした場合現実に何歳まで稼働し得たかを予測することはほとんど不可能であり、これら患者が腎疾患を有しているのことのみにより、直ちにその就労可能期間が通常人より短いと推認することは相当でない。
4 死者の将来分逸失利益について
  原告らは、原告ら患者中の死亡者についても死後の逸失利益の賠償を請求しているが、クロロキン製剤の服用と亡患者の死亡との間に因果関係が認められる場合はおくとしても、少なくとも、本件のごとく個別認定表記載のとおりこれが認められない場合には、死後の逸失利益の賠償を請求するのは失当というべきである。
  なお、原告らは右主張が認められない場合、予備的に、亡患者について将来分逸失利益として請求しているものについて慰謝料の一部として請求するというが、損害の全体についていわゆる包括慰謝料として請求するのであればともかく、過去分逸失利益及び過去分介護費等を別に請求しておきながら、従来から慰謝料として請求してきた分と将来分逸失利益として請求してきた分のみを合算して包括慰謝料として請求する原告らの主張は、当を得ない。
5 個別的適用
  個々の患者について認められる実際の逸失利益の額及びその算定の根拠については、個別認定表別紙の損害額算定表記載のとおりである(原告らの逸失利益の請求のうち、これを超える部分は、認めることができない。)。
  同表の「逸失利益」の項において「認められえない。」と記した患者についてはその逸失利益の請求は全部認めることができない。その理由は、先に個別的に氏名を掲げて示した四名(X53、X71、X72、亡X7)以外の者については、特に注記した場合を除き、すべて眼障害に基づく具体的な損害の発生についての主張立証が十分になされていないことによる(これらの患者の中には、非常に眼障害の程度が重篤で、ほぼ労働能力を喪失するに至つている者もかなり存在するが、これらの者は現に収入を得ていることが明らかであり、かつ眼障害による具体的な収入の減少についての証明もないので、損害の発生を肯定することはできないものと言わざるを得ない。)。
三 介護費
1 付与の基準
  介護費は、原告ら患者のうち失明もしくはこれに準ずる状態又は極端に視力が低下し、かつ、ある程度の視野障害がこれに伴う状態(具体的には、両眼とも矯正視力が〇・〇二以下となり、かつある程度の視野障害がこれに伴う状態を一応の目やすとするが、X72(世帯番号61)については、殊に視野異常の程度が重く,かつ視力も矯正で右〇・〇二、左〇・〇三に低下していることにかんがみ、右の基準を満たしているものとして取扱うのを相当とする。)にあつて、起居飲食その他日常生活の基本的動作を独力で行うことができず、他人の介助を必要とする前に回復不能な他の疾患により要介護状態にあつた患者については、ク網膜疾罹患を理由とする介護費を付与することはできない。
  これを本件患者にあてはめると、個別認定表中の認定の結果により明らかなとおり、亡X7(世帯番号84)は、証拠上視力が両眼とも〇・〇二以下となつたことが確認される昭和四八年一一月ごろには既にリウマチの症状が非常に悪化し、ほとんど寝たきりの状態となつていたことが認められるので、同人についての介護費の請求は認められない。しかし、その余の患者については他疾患の影響を考慮すべき場合にあたらないというべきである。 
  なお、原告ら患者らのうち、現に職を有し、給与を得ている者については、前記のごとく、抽象的な労働能力の喪失はあつても逸失利益に関しては現実の損害は発生していないと見るべきであるが、このような者についても、介護費を付与するか否かについてはその具体的眼障害の程度を基準として考えるべきであることはいうまでもないから、ある患者について、逸失利益の請求が認められないのに介護費の請求が認められる場合があることは、なんら不合理ではない。
2 算定基準
  眼障害による要介護者は、肢体の運動機能それ自体には異常がないはずであるから、その介護に要する労力は重症の入院患者に対する付添看護の場合と比べれば幾分軽微であるということができる。
  そこで、介護費の基準金額については、本節未尾添付の別紙二のとおり、昭和五四年度分を一日当たり二〇〇〇円とし、いわゆる賃金センサスによる各年度の金労働者平均給与に五〇〇円きざみでスライドする形で設定した一日当たりの基準金額|別紙二の「介護費」欄のカツコ内に記載|に三六五を乗じて各年度の相当金額を決定する(ただし、昭和五五年度以降の分については昭和五四年度の数値を基準とする。)こととした。
  なお、介護費を付与する期間の終期は、死亡者については死亡の日までとし、生存者については、昭和五三年一月一日における年齢を算出して、厚生省大臣官房統計情報部編昭和五三年簡易生命表により同日における平均余命年数(年単位末満切捨)を算定し、これを基準として付与の終を決定した。
  被告Y5、同Y3、同Y6及び同国は、原疾患として腎疾患のある患者についても通常人の平均余命を基準として介護費付与の期間を算定するのは不当であると主張する。
  しかしながら、これら患者の就労可能期間について述べたと同じく、右患者らの腎疾患の重篤度は各患者によつて異なり、これら患者が現実に何歳まで生存しうるかを予測することはほとんど不可能である以上、右患者らに対する介護費付与の期間を平均余命によつて算定することは不合理ではなく、これら患者が腎疾患を有していることのみにより、直ちにその余命が平均余命より短いと推認することはできないというべきである。
3 個別的適用
  個々の患者について認められる実際の介護費の額及びその算定の根拠については、前記算定表記載のとおりである(原告らの介護費の請求のうち、これを超える部分は認めることができない。)
  同表の「介護費」の項において「認められない。」と記した患者についてはその介護費の請求は全部認めることができない。その理由は、前述の亡X7(世帯番号84)を除いては、すべていまだ眼障害により介護費を付与すべき状態に立ち至つているとは認められないことによる
四 慰謝料


1 患者本人
  本節第一の一、二において説示した諸事項を参しやくし、各患者の症状の経過及び程度(ク網膜症罹患後の特に専門医による視力、視野障害等の検査所見を重視し、これらを補うものとして患者の自覚的な実際の見え方の程度、視力・視野障害以外の各種自覚症状等をも考慮する。)を基礎とし、後記個別認定表中において認定するところのその他の諸事情、すなわち治療期間、家族構成、職業上及び日常生活上の障害の程度等をも考慮して、次の三段階の基準によつて算定するのを相当とする。被告によりその支払うべき慰謝料額に差異を設け、被告製薬会社の慰謝料はその他の被告より高額となつているのは、被告製薬会社が被害発生のいわば元凶であるうえ、その過失の程度も重大であつて、結果に対し負うべき責任が他の被告より重く、原告ら患者の精神的苦痛を慰謝するには他の被告より多額の金員の出捐を必要とするものと考えられるからである。
基準一 被告製薬会社二〇〇〇万円、その他の被告一六〇〇万円
基準二 被告製薬会社一五〇〇万円、その他の被告一二〇〇万円
基準三 被告製薬会社一〇〇〇万円、その他の被告八〇〇万円2 家族
  家族の慰謝料については、各患者の症状の経過及び程度並びに後記個別認定表中において認定するところの諸般の事情を考慮し、各患者の慰謝料基準に対応して、その基準一の家旅について二〇〇万円、その基準二の家族について一二〇万円をもつて相当と認める(患者の慰謝料基準三の家族については、当該患者の症状の程度はいずれもその家族に対し、患者の生命が害された場合に比して著しく劣らない程度の精神的苦痛を与えるものとまではいえないから、家族固有の慰謝料は認められない。なお、慰謝料基準一ないし二の患者の症状の程度はいずれも右の基準を満たすに至つているものというべきである。)。
  ところで、本件原告の中には、患者の父母、配偶者及び子以外の親族も存在するが、これらの者が固有の慰謝料を請求しうるか否かは、患者との間の具体的生活関係を考慮し、患者との間に民法七一一条所定の近親者と実質的に同視しうべき身分関係が存在するか否か、これらの親族が患者本人の眼障害により本人の生命を害された場合にも比すべき、又は右場合に比して著しく劣らない程度の重大な精神的苦痛を被つたと言いうるか否かを判定して決定するのが相当である。
  患者の慰謝料基準が一ないし二の家族のうち、患者の父母、配偶者及び子以外の者は以下の五名である。
X73(世帯番号31)|弟
X74(同50)|妹
X75(同70)|姉
X76(同77)|姉
X77(同87)|姉
  個別認定表中の認定の結果によつて明らかなとおり、右五名については、患者本人との間に民法七一一条所定の父母、配偶者又は子と実質的に同視しうべき身分関係が存在するといいうるような特別な事情は存在しないから、これらの者の固有の慰謝料請求は認められないという外はない。
  また、原告ら主張の各患者についての損害発生以後に患者本人との間に配偶者又は親子等の身分関係の生じた者の慰謝料請求権の有無については、各患者の眼障害の程度が、その家族に対し当該患者の生命が害された場合に比して著しく劣らない程度の精神的苦痛を与えるに至つたと言いうる時点(一応の基準として両眼の視力が〇・〇六以下となつた時をこの時点と解するのを相当とする。)より前に患者との間に前記身分関係が生じていた者(配偶者の場合は事実婚の状態にあつた者を含み、子については右時点より前に出生し、又は胎児であつた者)については、これを肯定すべきであるが、この時点以降に右身分関係が発生した者については、慰謝料請求権を認めることはできないと考えられる。
  各患者についてク網膜症罹患後に前記身分関係が生じた者のうち、患者本人の現在の症度が重篤で、近親者として固有の慰謝料を請求しうる基準に達している者は以下九名であるが、これらの家族がその対応する各患者との間に身分関係が発生した時点(本件では婚姻届出の日及び出生の日を基準としても以下のとおり、右の基準を満たしている。)において確認されている各患者の視力はいまだいずれも両眼〇・〇六以下に(ただしX18(世帯番号37)については記録されている最低の視力である右〇・〇三、左〇・〇六(〇・〇八に)至つていないから、これら家族のいずれについても慰謝料は付与されるべきである。
(図四)
3 個別的適用
  個々の患者本人及びその家族について認定した慰謝料の額は、患者本人については個別認定表別紙の損害額算定表(三)の項において示すとおりであり、家族については個別認定表の「家族固有の損害」の項において示すとおりである(原告らの慰謝料の請求のうち、これを超える部分は認めることができない。)。
  個別認定表の「家族固有の損害」の項において「認められない。」と記載してあるものについては、当該患者の家族の慰謝料の請求は全部認めることができない。その理由は、特に注記した場合を除き、患者本人の眼障害の程度が、その親子又は配偶者に対し当該患者本人が死亡した場合に比して著しく劣らない程度の精神的苦痛を与える程度に達しているものとは認められないことによる。
4 過失相殺
  原告X78(原告番告230)は世帯番号71の患者本人であるX79の夫であるが、個別認定表掲記の関係証拠によつて明らかなとおり、右患者本人が服用したクロロキン製剤はすべて医師である同原告が投与したものであつて、その投与も大量かつ長期間にわたつており、投与中止の時期も昭和四五年九月というかなり遅い時期であり、右患者本人のク網膜症罹患については同原告の医師としての投薬上の過失もその一因をなしていることは疑いをいれる余地がない。そうすると、右患者本人がク網膜症のため重篤な眼障害にかかつたことにより同原告において被つた精神的苦痛は、半ば同原告自身の過失によつて招来されたものというべきであり、その過失割合は五〇%と見るのが相当であるから、同原告に対する慰謝料額については過失相殺により二分の一を減額することとする。
五 中間利息の控除
  以上の各損害のうち、先に述べた損害評価の基準日より後に生ずべき逸失利益及び介護費については、各年ごとにホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して基準日の現価に換算し、それらの合計額(基準日より前に生じた逸失利益又は介護費があるときは、それを加算した金額)をもつて関係被告らに賠償を命ずる逸失利益及び介護費の元金額とする。なお、右の中間利息の控除計算は、各年ごとに行うものとし、控除後の金額に円未満の端数が生じたときはこれを切捨てた上で各年分を合算するが、昭和五六年以降の分は、毎年当たりの金額に該当の年別ホフマン係数(小数点以下四位未満切捨)の差を乗ずる方法により、合算した現価(円末満の端数切捨)を算出する。
六 弁護士費用
  訴訟の規模、立証の難易度その他諸般の事情を勘案し、各原告につき認容すべき請求金額(原告ら患者本人又は相続人の請求については逸失利益、介護費及び慰謝料の合計額、患者本人の家族固有の請求については家族の額)の七・五%に当たる金額をもつて関係被告らの不法行為と相当因果関係のある損害額と認める。
七 遅延損害金の起算日
1 原告ら患者本人又は相続人の請求にかかる逸失利益、介護費及び慰謝料に対する遅延損害金は、個別認定表別紙の損害額算定表に記載した基準日から起算してこれを付する。ただし、原告ら患者又は相続人が右基準日より後の日を起算日として遅延損害金を請求しているときは、その日から遅延損害金を付する。
2 家族固有の請求としての慰謝料に対する遅延損害金は、慰謝料請求権の発生の時、すなわち、患者本人の眼障害が進行し、その程度が重篤した結果、その父母、子又は配偶者に対し患者本人の生命が害された場合に比して著しく劣らない程度の精神的苦痛を与えるに至つたと言いうる時点から起算してこれを付する。慰謝料請求権の発生時期は、前述のとおり、原則として両眼の矯正視力が〇・〇六以下となつた時(特例として、世帯番号33の患者本人伊藤保については、視力が右手動弁(〇・〇七)、左手動弁となつた昭和五四年一〇月四日、世帯番号37の患者本人X18については、視力が右〇・〇三、左〇・〇六(〇・〇八)となつた昭和五四年一〇月二四日)であるが、視力測定の結果には時により若干の変動が伴うことにかんがみ、認定の確実性を期するため、家族の慰謝料請求権の発生時期及び遅延損害金の起算日は、患者本人の眼障害の程度が右の基準に達したことが確認された日の属する年の翌年一月一日とするのが相当である。
3 次に、弁護士費用についてであるが、本件において原告らがその訴訟代理人たる弁護士に対し既に弁護士費用の全部又は一部を支払つたことの主張立証がないから、当審における弁護士費用は、本判決が確定した時に原告らにおいて支払の必要が生ずるものと考えられ、したがつて、当該費用の賠償金に付すべき遅延損害金の起算日は本判決確定の日の翌日と解すべきである。
八 社会保険給付の受給事実を損害額の算定上考慮することの要否
  被告Y5はその対応する原告ら患者の一部の者(世帯番号1、9、19、39、42及び46)について、同人らが眼障害を給付事由として障害金その他の社会保除給付を受けている事実を介護費及び慰謝料の算定に当たつて考慮すべきであると主張し、被告Y1及び同Y2も原告X20(世帯番号60)について同じく右事実を逸失利益の算定に当たつて考慮すべきであると主張する。
  しかし、各種社会保険制度に基づき廃疾等の給付事由に対して行われる障害年金、廃疾年金等の保険給付は、当該社会保険制度の理念とする相互連帯、相互救済の精神に基づいて給付されるものであり、当該給付事由たる廃疾等が第三者の不法行為によつて生じた場合であつても、右障害年金、廃疾年金等の保険給付は加害者の不法行為によつて被害者が得た利益に該当せず、かえつて、当該給付事由に対して保険事業者が給付を行つた場合には、その給付の価額の限度で保険代位が生じ、受給権者が加害者に対して有する損害賠償請求権が保険事業者に移転する(国民年金法二二条一項、厚生年金保険法四〇条一項、国家公務員共済組合法四八条一項、地方公務員等共済組合法五〇条一項参照)ものとされていることにかんがみると、仮に右原告ら患者が眼障害を給付事由として障害年金等の社会保険給付を受給しているとしても、その事実は、損害額の算定に当たつてはこれを考慮することを要せず、むしろ考慮してはならないものというべきであり、ただ、現実に給付を受けて損害が填補された場合に、その価額の限度において損害賠償請求権の全部又は一部移転による喪失(これは、損害額の算定とは別個の問題である。)が生ずるにすぎないのである。
  そうすると、被告Y5、同Y1及び同Y2の前記主張は、それ自体失当というべきである。
  なお、右被告らの主張を権利の一部喪失の抗弁と善解したとしても、同被告らは前記各原告ら患者が現実に受けた社会保険給付について、社会保険の種類、給付の種類、給付の日時、価額等を具対的に主張、立証しないので、右主張はどのみち排斥を免れないものといわなければならない(なお、身体障害者手帳の交付については具体的に主証されている場合が多いが、右交付の事実から、当該原告ら患者が障害年金等を現実に受給した事実を直ちに推認することはできない。)。
第九節 消滅時効の抗弁に対する判断
  第一 被告製薬会社、同国及び同佐藤の主張(事実摘示第四節第一)について
一 原告X1外八〇名が昭和五〇年一二月二二日被告製薬会社、同国、同佐藤らを相手取つていわゆる第一次訴訟を、同X80外三一名が昭和五一年一〇月一九日被告製薬会社(被告Y5を除く。)、同国らを相手取つていわゆる第二次訴訟をそれぞれ提起し、損害として、いずれも弁護士費用の外、原告ら患者一人当たり金三〇〇〇万円の慰謝料及び年間一二〇万円(なお、この額は昭和五三年三月二九日付け請求拡張申立書により年間金一九二万円に払張された。)の割合による生活費補償並びに慰謝料につき各患者がク網膜症と診断された日から、その余の損害につき各被告に対する訴状送達の日の翌日から各完済に至るまでの遅延損害金の支払を請求したこと、その後右原告らは昭和五四年一二月一七日付け請求拡張申立書(昭和五五年三月一九日の口頭弁論期日で陳述、同年一月三〇日付け及び同年四月二八日付け各申立書で一部訂正。)によつて右請求を拡張し、慰謝料を一人当たり金五〇〇〇万円に増額するとともに経済的損害を生活費補償なる名目から逸失利益及び介護費に改めた上、その請求額を事実摘示第一節末尾の別紙原告請求金額一覧表記載のとおり増額して請求し、また遅延損害金の起算日を各患者本人において視力の相当の低下又はかなりの視野障害の発生した時点まで繰り上げて請求別紙一 平均給与表(単位円)
別紙二 介護費基準額表(単位円)
するに至つたことは、右原告らと被告製薬会社、同国及び同佐藤との間で争いがない。
二 本件記録上明らかなとおり、原告らが前記訴え提起時に請求した慰謝料及び生活費補償なる名目の財産上の損害は、いずれもその全体の金額を明示特定した上でその部分的な一定の割合を請求したものではないから、訴状に「本訴において、とりあえず」その各「一部として」請求する旨記載されていても、それは全部の内の特定された「一部」のみを請求したものとは解せられない。したがつて、前記訴状に記載された請求はいわゆる明示的一部請求に該当するものでないから、右の訴えの提起により客観的に存在する損害賠償請求権全体につき時効中断の効力が生じたものとみるべきである。
  そればかりでなく、右各原告らにつき認容されるべき慰謝料の額は前述のとおり患者本人一人当たり最高金二〇〇〇万円を超えることがないのであるから、慰謝料中の請求拡張部分に関し時効完成の有無を問題とする実益はない。
三 次に、本訴請求中遅延損害金に関する部分は、不法行為を原因とする損害賠償債務の履行遅滞によつて生じた債権であり、それは元本債務の不履行の状態が継続するかぎり日々発生するものであるから、発生期間を限定することにより請求部分を特定することが常に可能である。そして、遅延損害金債権の時効期間の起算日、時効中断の有無等は元本債権とは別個独立に判定すべきものであるから、訴えの提起により遅延損害金債権につき裁判上の請求に基づく時効中断の効力が及ぶ範囲は、訴状の請求の趣旨に掲げられた遅延損害金起算日以後に生じた分に限られ、同日より前に生じた分には及ばないものというべきである。
  しかしながら、不法行為を原因とする損害賠償請求訴訟において、原告が加害行為と損害とを特定して損害賠償金の支払を求めている場合には、これに対する遅延損害金の支払を訴訟上請求せず、又はそのうち元本債権発生の日より後の日を起算点とする分のみを訴訟上請求しているときであつても、遅延損害金債権中訴訟上請求されていない部分については、その支払義務の任意履行を求める催告が訴訟係属中継続的になされているものと解するのが相当である。
  そうすると、前記原告らの本訴請求中遅延損害金に関する請求拡張部分は、第一次訴訟又は第二訴訟の提起当時既に消滅時効が完成していた部分は別として、その余の部分については、請求振張時に一部時効期間が満了している部分があるとしても消滅時効が完成する余地はないものといわなければならない。
四 ところで、遅延損害金債権は不法行為によつて生じた債権ではなく、元本債務の債務不履行によつて生じた債権であるから、その時効期間は三年でなく一〇年であり、また、元本債務の不履行の状態が継続する限り日々債権が発生するのと同時に、債権者の知・不知にかかわりなく時効期間が進行を開始するものである。そうすると、本訴請求にかかる遅延損害金債権中第一次訴訟又は第二次訴訟の提起の日までに既にその発生後一〇年を経過したものについては、特段の時効中断事由の主張立証のない本件においては時効完成により消滅したものと認めるべきである。これを具体的に指摘すると、第一次訴訟の原告で当裁判所の認定した遅延損害金起算日が訴え提起の日の一〇年前の昭和四〇年一二月二二日より前である者は,亡X22(世帯番号27)訴訟承継人X36(原告番号27の2)、同X37(原告番号27の3)、同X38(原告番号27の4)及び同X39(原告番号27の5)並びにX81(世帯番号62、原告番号191)であり、その遅延損害金起算日はいずれも昭和四〇年一月一日であつて、これらの原告の請求している遅延損害金債権中昭和四〇年一月一日から同年一二月二一日までの分は上来説示の理由によつて時効完成により消滅したこととなる(なお、X31(世帯番号64、原告番号198)についても、当裁判所の認定した遅延損害金起算日は昭和四〇年一月一日であるが、同人は昭和四二年三月一日以降の分のみを請求しており、同日より前の分の遅延損害金は申立の範囲外であるので、時効の成否は問題とならない。)。また、第二次訴訟の原告で当裁判所の認定した遅延損害金起算日が訴え提起の日の一〇年前の昭和四一年一〇月一九日より前である者は存在しない。
五 以上のとおりであるから、前記被告らの消滅時効の主張は、原告亡X22訴訟承継人四名及び原告X13の主遅延損害金請求中昭和四〇年一二月二一日までの分に関する限り理由があるが、その余は失当として排斥を免れない。 
第二 被告Y1及び同Y2の主張(事実摘示第四節第二)について
一 原告X82及び同X82が昭和五二年一〇月四日被告Y1、同Y2らを相手取つていわゆる第三次訴訟を提起し、損害として、弁護士費用のほか合計金三〇〇〇万円の慰謝料(亡X7について生じた金三〇〇〇万円の慰謝料請求権を右原告両名が相続で取得)並びに右慰謝料に対する亡X7がク網膜症と診断された日から完済に至るまでの遅延損害金の支払を請求した(生活費補償の請求はしていなかつた。)こと、その後、右原告両名は昭和五四年一二月一七日付け請求拡張申立書によつて、慰謝料請求額を会計金五〇〇〇万円に増額するとともに、亡X7について生じた逸失利益及び介護費の名下に新たに財産上の損害の賠償を求めるに至つたこと、以上の事実は同原告らと被告Y1及び同Y2との間で争いがない。
二 不法行為の被害者の同一の身体傷害から生じた財産上の損害の賠償請求権と精神上の損害の賠償請求権とは訴訟物を異にするものではなく、両者は同一訴訟物の範囲内にあり、一個の身体傷害につき慰謝料請求の訴えを提起した場合には、特段の事情のないかぎり訴訟係属の効果並びに裁判上の請求に基づく時効中断の効果は財産上の損害その他同一訴訟物の範囲内にあるすべての損害の賠償請求権について及ぶものと解するのが相当である。ただ、いわゆる明示的一部請求の場合においては、同一訴訟物の範囲内であつても申立の対象となつた特定の請求部分についてのみ時効中断の効果が生じ、その他の部分については右効果は生じないものと解すべきであるが、明示的一部請求と認められるためには、権利の全体の範囲並びにその中における請求部分が特定して主張されていることを要する。しかるに、本件においてはは、前記原告両名は訴状において亡谷中清子の被つた全損害として精神的損害及び弁護士費用のみを主張しているのであつて、他に逸失利益、介護費等の財産上の損害のあることを訴状中で主張していないのであるから、前記原告両名の訴状における請求を明示的一部請求と認めることはできない。なお、慰謝料の請求拡張部分に関する時効完成の有無を論ずる実益のないことは前記第一において述べたところと同様である。
三 以上の次第であるから、被告Y1及び同Y2の消滅時効の主張は失当であり、採用することができない。
第一〇節 結び
  以上の認定判断の結果によれば、主文別表第一各項掲記の各原告の同項「対応被告」欄記載の各被告に対する請求は、同項「認容金額」欄記載の金員並びにこれに対する同項「内金額」欄記載の金額については同項「遅延損害金起算日」欄記載の日から、残金については本判決確定の日の翌日から各完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める範囲内で、正当として認容し、これを超える部分を失当として棄却すべきであり、主文別表第二各項掲記の各原告の同項「対応被告」欄記載の各被告に対する請求は、失当として棄却すべきである。
  よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条、仮執行の宜言につき同法一九六条一項を適用し、被告国の仮執行免脱の申立は相当でないのでこれを却下することとして、主文のとおり判決する。
(裁判官 近藤浩武 大沢厳 瀬木比呂志)〔理由|その三、その四〕〔略〕


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