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反論文掲載事件 東京高裁平成5年12月1日判決
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【判例ID】   28021023
反論文掲載等請求控訴事件
東京高裁平成四年(ネ)第七六五号
平成五年一二月一日判決言渡

       判   決

控訴人 X
右訴訟代理人弁護士 尾崎陞
同 尾山宏
同 雪入益見
同 小笠原彩子
同 桑原宣義
同 浅野晋
同 渡辺春己
同 加藤文也
被控訴人 株式会社文藝春秋
右代表者代表取締役 Y1
被控訴人 Y2
被控訴人 Y3
被控訴人 Y4
右四名訴訟代理人弁護士 植田義昭
同 佐藤博史

       主   文

本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。

       事   実

一 当事者の求めた裁判
1 控訴の趣旨
(一)原判決を取り消す。
(二)被控訴人株式会社文藝春秋(以下「被控訴人文藝春秋」という。)、被控訴人Y3(以下「被控訴人Y3」という。)及び被控訴人Y4(以下「被控訴人Y4」という。)は、控訴人に対し、連帯して金一一〇〇万円及びこれに対する昭和五九年七月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(三)被控訴人文藝春秋、被控訴人Y3及び被控訴人Y4は、控訴人に対し、共同して月刊雑誌「諸君!」に、九ポイント活字を使用して別紙(一)記載の謝罪文(以下「本件謝罪文(一)」という。)を一回掲載せよ。
(四)被控訴人文藝春秋は、控訴人に対し、月刊雑誌「諸君!」に、その目次に控訴人作成の題名を記載し、かつ、本文に八ポイント活字三段組で別紙(三)記載の反論文(以下「本件反論文」という。)を一回掲載せよ。
(五)被控訴人文藝春秋及び被控訴人Y2(以下「被控訴人Y2」という。)は、控訴人に対し、連帯して金一一〇〇万円及びこれに対する昭和五九年七月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(六)被控訴人文藝春秋及び被控訴人Y2は、控訴人に対し、共同して月刊雑誌「諸君!」に、九ポイント活字を使用して別紙(二)記載の謝罪文(以下「本件謝罪文(二)」という。)を一回掲載せよ。
(七)訴訟費用は、第一、二審ともに被控訴人らの負担とする。
(八)仮執行宣言
2 控訴の趣旨に対する答弁
  主文同旨
二 当事者の主張
  当事者双方の主張は、次のとおり付加、訂正するほか、原判決の事実摘示(「第二 当事者の主張」)のとおりであるから、ここにこれを引用する。
1 原判決四枚目表五行目の「編集委員の職にある記者」を「記者(編集委員)であった者(ただし、本件訴訟係属後の平成三年一一月に同社を退職)」に改める。
2 同五枚目裏一〇行目末尾の次に行を改めて以下のとおり加える。
「すなわち、被控訴人Y3は、本件評論部分において、『X記者は・・・「堕落と退廃の結果」であるといっている。』と記載して本件著作部分に存在しない言葉を控訴人の言葉として改竄引用した。また、同被控訴人は、控訴人が本件著作部分の導入部及び末尾において二重に発表ものであることを明らかにしているのに、導入部の『ハオ師自身が事件の現場調査をした結果を以下のように明らかにした。』という部分を意図的に欠落させることにより、控訴人がハオ師の語った内容として記載した部分をあたかも控訴人自身の見解であると読者が誤解してしまうように作り変えてしまったばかりでなく、末尾の『テイエン・ハオ師は以上のように語った。』という部分の直前に二重括弧(『・』)で括られたハオ師の直接話法による言葉を掲記し、ハオ師の述べたことはこの二重括弧で括られた部分のみであると理解されるように変造したり、控訴人がハオ師の言葉として紹介している『焼身自殺などというものとは全く無縁の代物です』という部分を控訴人が述べているかのように引用し、記述主体をすり替えた。更に、情報の客観性と信頼性を判断する際に重要な事柄であることから控訴人が特に記載したハオ師の立場及び愛国仏教会の性格、ハオ師の語った内容と全く異なる従前の新聞報道の存在、控訴人自身が現場に赴いて取材できないため発表ものとして報道するにとどまる旨記載した箇所等の重要部分を意図的に欠落させた。被控訴人Y3は、このようにして本件著作部分を恣意的に引用することによって本件著作部分における報道内容が控訴人自身の見解であると作出した上で、これに対して非難、中傷を加えているのである。」
3 同六枚目表七行目の「評論」から同九行目末尾までを以下のとおり改める。
「控訴人のジャーナリストとしての本質的部分に対し最大級の非難を加えたものであり、評論、批判の範囲を逸脱し、最大限の悪罵(非難、中傷)を弄しているものである。
  なお、被控訴人Y3による非難の対象は、改竄引用・恣意的引用という手法によって作出したそもそも存在しない控訴人の見解であり、控訴人の執筆姿勢を批判したというようなものでは決してない。」
4 同七枚目表一行目から同裏七行目までの全文を以下のとおり改める。
「著作権法二〇条一項は『著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。』と規定し、著作者に対し著作者人格権の一つとしていわゆる同一性保持権を保障しているところ,被控訴人Y3は、本件評論を執筆するに際して本件著作部分を引用するに当たり、控訴人の意に反して改変を加えているので、控訴人の本件著作物に関する同一性保持権を侵害するものである。なお、同条二項によれば、『著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変』に該当する場合には同条一項の規定は適用しないものとされている(ただし、この事由についての主張・立証責任は、原著作物を改変する者の側にあると解すべきである。)ところ、被控訴人Y3は前記のとおり改竄引用・恣意的引用をしており、本件評論部分における引用が右の『やむを得ないと認められる改変』に該当しないことは明らかである(被控訴人らは、右事由の存在について何らの主張・立証もしていない。)。
  また、同法三二条一項によれば、『公表された著作物は、引用して利用することができる』と規定されているけれども、他方、『この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない。』とされている(この点についての主張・立証責任も、原著作物を引用する者の側にあると解すべきである。)ところ、本件における引用は改竄引用・恣意的引用というべきものであって、右の『引用の目的上正当な範囲内で行われるもの』でないことは明白である(もっとも被控訴人らは、この事由の存在についても主張・立証をしていない。)。著作物は著作者の精神的創造行為の外部的表現であって、この精神的創造行為が正確に伝達されることを要するから、引用の正確性は著作者の持つ同一性保持権の一内容ともいえるものである。したがって、著作者の精神的創造行為を誤って伝達するような引用は、著作者人格権の侵害行為といわなければならない。 
  次に、同法一一三条三項は『著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為は、その著作者人格権を侵害する行為とみなす。」と規定する。本件評論部分は、前記のとおり本件著作部分を改竄引用・恣意的引用することにより控訴人の名誉を害しているものである。
  以上によれば、被控訴人Y3は本件評論を執筆することにより控訴人の著作者人格権を侵害したことに基づく責任を負うというべきである。」
5 同一一枚目裏四行目の「別紙反論文」から次行末尾までを「本件反論文記載のとおりである。」に、同九行目の「又は」を「及び」に、同一二枚目表一行目の「別紙謝罪文(一)」から次行末尾までを「本件謝罪文(一)記載のとおりである。」に、同七行目の「別紙謝罪文(二)」から次行末尾までを「本件謝罪文(二)記載のとおりである。」にそれぞれ改める。
6 同一二枚目裏八行目の「名誉を毀損され」の次に「、また、本件著作部分についての著作者人格権を侵害され、」を加え、同一三枚目表四行目の「又は」を「及び」に、同裏二行目の「一〇〇〇万円」を「一〇〇万円」にそれぞれ改める。
7 同一三枚目裏七行目の「原告の求めた裁判1」を「控訴の趣旨(四)」に、同九行目から次行にかけての「請求の趣旨2(一)」を「控訴の趣旨(三)」に、同一四枚目表四行目の「請求の趣旨3(一)」を「控訴の趣旨(六)」にそれぞれ改める。
8 同一四枚目裏八行目末尾の次に「なお、本件著作部分は、単なる発表ものではなく、それを越えて控訴人自身の見解を示したものである。」を、同一〇行目末尾の次に「本件評論部分における控訴人に対する批判の核心は、自ら直接調査をして『足で書く』記者だった控訴人が事実を確かめないまま重大な事柄を活字にしたことに向けられているのであり、被控訴人Y3は控訴人のこのような執筆姿勢を批判したのである。」を、同一五枚目裏一行目末尾の次に「(民法上の不法行為及び著作権法上の著作者人格権侵害についての違法性阻却事由)」をそれぞれ加える。
9 同一六枚目表七行目末尾の次に行を改めて以下のとおり加える。
「本件評論部分は、控訴人が自らの調査結果でない事柄を活字にしたという執筆姿勢を批判しているものであり、そのために『X記者が紹介する話』、『政府御用の仏教団体の公式発表を活字にしているのである。』、『X記者はこの部分を全て伝聞で書いている。彼自身のコメントはいっさい避けている。』という表現を用いているのであって、通常の読者がこれを控訴人自身の直接の調査結果であると読み誤ることはない。したがって、本件評論部分を全体としてみれば、引用の方法に不当な点はない。そして、引用又は要約がその一部において原文と相違していても、全体として主要な点においてその趣旨を伝えている場合には、真実性の証明があった場合と同様に、違法性が阻却されるものというべきである。」
10 同一六枚目裏一〇行目末尾の次に行を改めて以下のとおり加える。
「控訴人は、本件著作部分において、『前章に出てくるファム・ヴァン・コー(フエ・ヒエン師)の事件とはどういうことであろうか』と問題提起した上、これを無理心中とする愛国仏教会の見解を詳細に紹介していること、本件著作物中の末尾付録部分において本件事件を抗議自殺とする見解を『西側で宣伝された事件』と表現する一方、無理心中とする見解を『サイゴン当局の調査』と表現し、かつ、『悪意ある反動側のベトナム攻撃・中傷』という表現を用いていることなどに照らせば、通常の読者は、本件著作物はいわゆる発表ものではなく、控訴人は愛国仏教会の調査結果に好意的であり、だからこそ控訴人はこれを活字にしたと理解するのであり、被控訴人Y3がこれと同様の理解の下に本件著作部分を控訴人の見解を示したものとして引用したことは正当である。」
三 証拠
  証拠関係は、本件記録中の原審及び当審の書証目録及び証人等目録各記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

       理   由

一 当裁判所も、控訴人の被控訴人らに対する本訴請求はいずれも理由がないので棄却すべきものと判断する。
  その理由は、次のとおり加除、訂正するほか、原判決の理由説示のとおりであるから、ここにこれを引用する。
1 原判決の理由中の別紙(四)字句訂正表(一)欄の字句を同(二)欄記載のとおり改める。
2 原判決一八枚目裏一行目末尾の次に行を改めて以下のとおり加える。
「この点に関し控訴人は、本件評論部分は控訴人の執筆姿勢を批判したものではない旨主張する。
  しかしながら、本件評論部分の記載内容に即して考察すれば、本件著作物の引用及びこれに基づく論評の適否はともかくとして(この点は後に判示する。)、被控訴人Y3は、『何より問題なのは、X記者がこの重大な事実を確かめようとしないで、また確かめる方法もないままに、断定して書いていることである。』、『X記者は現場に行かず、行けずにこの十二人の僧尼の運命について政府御用の仏教団体の公式発表を活字にしているのである。』、『X記者はこの部分を全て伝聞で書いている。彼自身のコメントはいっさい避けている。』、『取材の自由がないところでは確かめようがないから何でも書くことができると考えているのであれば、』と論じており、同被控訴人の理解する控訴人の従前の執筆方法と異なり、本件著作部分は控訴人自身の直接の調査結果に基づいていないことを指摘している部分が存すること自体は否定できない(この指摘が正鵠を得ているか否かは別論である。)。
  これによれば、本件評論部分においては、『執筆姿勢』という言葉を使っていないものの、控訴人が執筆する上での方法論ないし基本的態度(その前提としての取材方法を含む。)を問うている部分が含まれており、かつ、それが主要なテーマとなっているとみて差し支えない。そして、引用及びこれに基づく評論の適否を判断するには、前提問題としてこのような評論の趣旨を把握しておくことは重要なことである。そこで、以下の判示においては、報道記事ないしそれから派生した著作物を執筆する上での方法論ないし基本的態度(その前提としての取材方法を含む。)という意味で『執筆姿勢』という言葉を用いることとする。」
3 同一八枚目裏六行目から次行にかけての「これを争うので、」を「これを争い、民法上の名誉毀損及び著作権法上の著作者人格権侵害の双方について、本件著作部分の引用方法に違法な点はなく、正当な評論として違法性が阻却されるものと主張するので、」に改め、同一〇行目末尾の次に「第一二五証、」を加え、同一九枚目表一行目から次行にかけての「原告、被告Y3各本人尋問の結果」を「原審及び当審における控訴人並びに原審における被控訴人Y3各本人尋問の結果」にそれぞれ改める。
4 同二四枚目裏八行目から二五枚目裏九行目までの全文を以下のとおり改める。
「本件のように専ら公表された他人の著作物を評論の対象とする場合には、当然のことながらその対象とされる著作物(以下「原著作物」という。)を引用した上で、これに対して自己の意見ないし見解を表明することとなるのであり、したがって、評論者の引用に係る原著作物が評論の前提事実のうち主要な部分を構成することになる。この場合における引用は、原著作物をその著作者名で登載又は転載するのではなく、あくまでも評論の前提として取上げるだけであるから、原著作者の同意を要するものではないし、また、どのように引用するかは一応評論者の判断に委ねられることになる。すなわち、著作権法三二条一項によれば『公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない。』とされているから、公正な慣行に合致し、かつ、評論という引用の目的に照らしてみて正当な範囲内にある限りは、原著作物をどのように引用するかは評論者が決し得ることである。そして、一般的に「引用」という中には、原形のままその全体を引用すること(全部引用)、その一部のみを引用すること(一部引用)、その大意を把え簡潔に示すこと(要約)が含まれるから、どのような形式で引用するかということも、評論者の判断に任されることになる。問題は、どのような条件を具備すれば、前記の公正な慣行に合致し、かつ、評論という引用の目的に照らしてみて正当な範囲内にあるといえるかという点にあるが、その基準を一義的に定立することは困難であり、要は、具体的な事案において、評論の趣旨・目的、対象となる原著作物の取り上げ方、原著作物と引用文との相違の程度等を総合考慮し、社会通念に照らして判断するほかない。もっとも、他人の著作物に対する評論は、その性質上、対象となる原著作物を批判的に取り上げることが多く、しかも、自己の見解との相違点を際立たせる必要がある場合も存することは否定できない。また、引用の許される基準をあまりに厳格に定立すると、事実上評論の自由が制約を受ける結果となるおそれもある。この種評論が現代民主社会において果たしている役割にかんがみると、萎縮効果を生じさせるような基準は避ける必要がある。そこで、前述の判断の際に考慮すべき諸要因に評論の特質として掲記した諸点を併せて考察すれば、評論の前提となる引用が、その一部において原著作物と相違している場合であっても、全体的に考察してみて主要部分において原著作物の趣旨から逸脱していないと認められるときには、当該引用は、公正な慣行に合致し、かつ、正当な範囲内にあるというべきである。
  そして、評論者の意見を形成する前提となった引用が右の意味で公正な慣行に合致し、かつ、正当な範囲内にあるときは、評論の前提としている事実が主要な点において真実であることの証明があったものとして、評論としての域を逸脱したという事情のない限り、名誉毀損の不法行為としての違法性を阻却されるものというべきである。」
5 同二七枚目表一〇行目の「記述し、」の次に「本件事件が焼身自殺とは無縁の代物で、堕落と退廃の結果であるとの言葉も控訴人が自己の見解として述べているかのように記載し、」を加える。
6 同二八枚目裏九行目末尾の次に行を改めて以下のとおり加える。
「6 なお、本件著作部分においては、ハオ師が副会長を務めているという愛国仏教会についての説明部分である『愛国知識人会と同様に、革命政権に協力するための仏教界での組織であって、これまでに仏教界の一七派が加わっている。』との記述(一七六頁一一行目から一三行目)、本件事件についての従前の報道の紹介である『日本では「朝日新聞」の場合パリ発のロイター電として・・・新政権の宗教政策に抗議して集団焼身自殺したと伝えている。』との注記(一七八頁八行目から一〇行目)が存するが、本件評論部分にはそれがない。また、本件著作物の末尾付録部分には、控訴人が『自由に現場へゆき、その周辺の人々から自由に話をきく必要がある。そうでなければ、「当局によれば」として「発表モノ」をそのまま報道すするにとどまる。それはそれで意味はあるものの、私自身の直接的ルポとするわけにはゆかない。』との部分(二六八頁一一行目から一四行目)があるが、本件評論部分にはそれが存しない。」
7 同二九枚目裏三行目末尾の次に行を改めて以下のとおり加える。
「なお、三6については、愛国仏教会の性格及び従前の報道の存在に関する記述は、本件事件についてハオ師が語った内容の客観性及び信頼性を検討するに資するものではあるけれども、これを欠いた場合に引用が不正確として許されないほど重要な内容とまではいうことができない。また、付録部分における発表ものにとどまるとの記述については、被控訴人Y3は、控訴人が直接調査した結果でない事柄を活字にしたことを批判しているのであるから(もとよりこの批判の当否は別論である。)、この記述を取り上げなかったことはその論旨に照らしてみてやむを得ない面があり、評論の方法として不相当であったとまではいうことができない。したがって、いずれについても本件評論部分における引用の適否を判断するについて、その記述の不存在を殊更に重要視する必要はないというべきである。」
8 同三〇枚目裏六行目の「甲第一号証及び原告本人尋問の結果」を「甲第一号証及び甲第一二五号証並びに原審及び当審における控訴人本人尋問の結果」に、同三一枚目表一行目から次行にかけての「不正確であり、やや軽率であった」を「不正確の誹りを免れず、この点は引用の適否を判断するに際して軽視できない」に改め、同裏七行目の「過ぎず」の次に「(本件著作部分においても、厳密な意味で引用に係る部分を示す括弧で括っているのは、本件評論部分において二重括弧で括られた部分ほか二箇所だけであり、ハオ師の発言の紹介のうち重要部分には括弧は付されていない。)」を加え、同三二枚目裏八行目の「認められ、」から同三三枚目表二行目末尾までを「認められること、」に改め、同六行目の「上、」から同八行目の「現にしている」までを削る。
9 同三三枚目裏六行目の「明らかであって、」から同三四枚目表六行目末尾までを次のとおり改める。
「明らかである。また、本件評論部分における本件著作部分の引用には、原文と若干異なって正確を欠く部分があるが(そして、この点は、本件評論部分の冒頭に位置し、その表現に照らしても軽視できないけれども)、引用された文言のほとんどが原文のままであり、その評論の趣旨からみて、原文の要点を外したものとはいえないし、しかも、被控訴人Y3の引用に根拠がないとはいえない。これら諸事情に基づいて前記二の観点から考察すると、本件において評論の前提とされている引用は、これを全体的に考察してみて主要部分において原著作物の趣旨から逸脱していないと認められる。したがって、右引用は、公正な慣行に合致し、かつ、正当な範囲内にあるということができるから、評論の前提としている事実が主要な点において真実であることの証明があったものであり、しかも前記の諸点に徴すると、本件評論は、報道記者としての控訴人の執筆姿勢を批判することに主眼があり、表現において措辞やや適切を欠く部分が見受けられるけれども、単なる人身攻撃というものではないと認められ、その他評論としての域を逸脱していることを窺わせる事情も存しないから、名誉毀損の不法行為における違法性を阻却されるものというべきである。

10 同三四枚目表七行目から同裏二行目までの全文を以下のとおり改める。
「4 更に、控訴人は、本件評論部分における引用が控訴人の著作者人格権を侵害する旨主張するので、この点について判断する。
(一)まず、弁論の全趣旨によれば、被控訴人Y3が本件評論部分を執筆するため本件著作部分を引用するに際し、これをそのまま引き写したものでないことは明らかであるから、これを形式的にみれば一応著作権法二〇条一項所定の『改変』に当たるがごとくである。しかしながら、他方、同条二項によれば、『著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変』に該当する場合には同条一項の規定は適用しないものとされている。そこで、右引用が『やむを得ないと認められる改変』に該当するか否かを検討することとする(被控訴人らの主張1は、右の条項を明示していないけども、著作者人格権侵害の関係では、この『やむを得ないと認められる改変』に当たるための諸事情を主張するものと理解される。)。
  ところで、評論の前提として他人の著作物を引用する場合において、それが忠実な全部引用又は一部引用でない限り、原著作物との関係においては改変に該当することが多いと考えられる。しかしながら、評論の対象となる原著作物の紹介がすべて改変に当たるものとして許容されないというのでは、表現の自由の保障を保し難いことになるであろう。そこで、右改変が引用の形式をとって行われる場合においては、同法三二条一項により公正な慣行に合致し、かつ、引用の目的上正当な範囲内で行われたと認められ、かつ、その他評論としての域を逸脱するような事情が存せず、その違法性が阻却されるときには、著作者人格権(同一性保持権)との関係においても、同法二〇条二項所定の『著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変』に該当し、違法性が阻却されるものと解すべきである。したがって、この限りでは名誉毀損の不法行為としての違法性阻却と著作者人格権侵害行為としての違法性阻却下とは一致するものと考えられる。被控訴人らが右両者の違法性阻却について同一の主張をしているのも、この見地からみれば、肯認できるところである。そして、この点に関する当裁判所の判断は、先に示したとおりであって、本件評論部分における原著作物の引用は、公正な慣行に合致し、かつ、正当な範囲内にあるということができ、しかも、評論としての域を逸脱しているような事情も存しないから、著作者人格権侵害との関係においても違法性を阻却されるものということができる。
(二)次に、控訴人は、同法一一三条三項を援用して、本件評論部分は、控訴人の名誉を侵害する方法において本件著作部分を利用しているので、著作者人格権を侵害する行為とみなされる旨主張する。
  しかしながら、本件評論部分における原著作物の引用は、公正な慣行に合致し、かつ、正当な範囲内にあるので、名誉毀損の不法行為としての違法性が阻却されることは前判示のとおりである。このような場合には、そもそも右条項にいわゆる『著作者の名誉・・・を害する方法』には当たらないものというべきであるから、控訴人の主張は理由がない。」

11 同三六枚目裏七行目の「説明を受け、」の次に「その後、同年一〇月ころにマン・ジャック師から送付された」を加え、同四四枚目表一一行目の「とおりである。」の次に「また、本件評論部分については、著作権法上の著作者人格権侵害との関係においても違法性を欠くことも前判示のとおりである。」を加える。
二 よって、原判決は相当であって、本件控訴は理由がないので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
東京高等裁判所第一七民事部
裁判長裁判官 丹宗朝子 裁判官 新村正人 裁判官 齋藤隆

別紙(一)
謝罪文
  株式会社文藝春秋は、その発行する月刊誌『諸君!』一九八一年五月号に、著者Y3の「今こそ『ベトナムに平和を』」と題する評論を掲載致しました。
  しかしながらその中で貴殿の著作になる『ベトナムはどうなっているのか』に言及した際、引用の誤りを犯すとともに内容を歪曲して貴殿を非難・中傷したことにより、ジャーナリストとしての貴殿の信用を毀損して多大の損害を与え、ご迷惑をおかけしました。
  右につき、ここに謹んで謝罪申し上げます。
株式会社文藝春秋社長 Y1
「諸君!」元編集長 Y4
元東京学芸大学助教授 Y3
元朝日新聞東京本社編集委員
X殿

別紙(二)
謝罪文
株式会社文藝春秋発行の月刊誌「諸君!」一九八一年五月号に掲載された著者Y3「今こそ『ベトナムに平和を』」のなかに、何らの根拠もなく貴殿を非難、中傷した箇所がありました。この件につき、貴殿の請求により反論文を同誌上に掲載すべきであり、かつ、投稿文の掲載を約束していたにもかかわらず、これを怠ったためジャーナリストとしての貴殿の信用に多大の損害を与え、ご迷惑をおかけしました。
右につき、ここに謹んで謝罪申し上げます。
株式会社文藝春秋社長 Y1
「諸君!」元編集長 Y2
元朝日新聞東京本社編集委員
X殿

別紙(三)
虚偽の”事実“はいかに作られたか
――Y3氏の評論に対する反論文

一、経過
  本誌『諸君!』一九八一年五月号に掲載されたY3氏の評論「今こそ『ベトナムに平和を』」は、私のベトナム報道に関して、事実と異なるばかりか、むしろほとんど正反対になるような改竄をした上で私を非難中傷した。これはひどい名誉毀損になるので、私はジャーナリズムの常識的手続きとして、まず本誌の投書欄に短い反論文を送った。係から「掲載する」という趣旨の返信を得たが、後に当時の編集長・Y2氏によって拒否された。
  投書がだめだというのであれば、反論あるいは訂正・謝罪に類するものを掲載するよう、以来三年間にわたって私はY2氏とやりとりしてきた。ところがY2氏は私の要請をことごとく拒否した上、ついには「(また反論文を送れば)間違いなくクズ籠に直行させる」といった、とても普通の神経では考えられない反応を示すにいたった。この種の事実の間違いについては、なんらかの方法によって被害者のための救済措置がとられるのが、少なくとも一定程度以上の倫理感覚のあるジャーナリズムであれば常識であり、義務でさえある。これまでの私の体験でも例外なくそれは実行されていた。だがY2氏は,部下がジャーナリズムの一般常識に従って掲載するはずだった私の投書を職権が中止させた上、事実の明白な誤りや意図的改竄についての訂正の類を拒否し続けた。これでは、ジャーナリズム界の自浄能力を信頼してその常識の範囲で解決しようという私の努力などまともに通ずるはずはなく、こんなことがまかり通るようになっては、ペンの暴力がやりたい放題できるファシズム国家となってしまうだろう。これは直接被害を受けたジャーナリストとして放置するわけにはゆかなかった。
  時効成立直前まで努力しても無駄だったため、私は株式会社文藝春秋とY2・元編集長らを相手どり、損害賠償や反論文掲載等を求めて東京地裁に提訴した。このたび本誌に改めて反論文が掲載されることになったのは、その判決の結果によるものである。 
  以上のような経過があったため、問題のY3氏の評論がでてから何年も過ぎてしまった。できることならば読者は本誌一九八一年五月号の原文を参照した上で拙文を見ていただきたい。字数に制約があるので、ここではY3評論の中から直接関係する部分だけを以下にまず引用する(上に横線をひいた部分)。文中の「私」はY3氏である。
二、問題のY3評論からの引用
  一昨年の九月にやはりベトナム難民を訪れた折にロサンゼルス効外の「越南寺」を訪れた。ここはベトナム仏教寺院で、ベトナム統一仏教最高委員会の構成員の一人であるマン・ジャック師が主宰しているお寺であった。(一行二〇字で五行中略)
  インタビューが佳境に入り、ジャック師が共産政権による仏教弾圧の具体例を挙げはじめたとき、室内に対決の雰囲気が充満した。ジャック師が一九七五年九月にメコン・デルタのカントーにおける十二人の僧と尼の集団焼身自殺を、弾圧が激しいこと、しかし抵抗も激しいことの事例として挙げたのであるが、これに対して私が、X記者の『ベトナムはどうなっているのか?』かいう本には「それは坊さんと尼さんのセックス・スキャンダルを清算するための無理心中と書かれている」と発言したからである。(同一一行中略)
  ジャック師は事件とその背景について熱心に語った。サイゴン陥落後、現在のベトナム政権がいかに宗教を恐れ嫌い、中でも最大の社会的勢力を有する仏教を激しく弾圧しているかについて、カントーの十二人の僧尼の焼身自殺が政府と民衆にいかに深刻な衝撃を与えたかについて、仏教の指導者と信者が逮捕と拷問を恐れながらもいかに情熱的に信仰を守ろうとしているかについて語った。
  そして最後に十二人の集団焼身自殺が真実であることを証明するものとして、室内のうずたかく積まれた資料の山の底の方から録音テープ一巻と「ベトナム社会主義共和国における人権擁護についてのベトナム統一仏教教会のアピール」と題したドキュメント集一冊を引っぱり出した。(同一三二行中略)
  この事件について、X記者は「焼身自殺などというものとは全く無縁の代物」、「堕落と退廃の結果」であるといっている。少し永い引用がつづくが、比較のためにその部分を引いてみよう。
「事件は去年の六月一二日(この日付は一九七七年のこととなり、外電ともテープの証言とも大幅にずれている)の深夜のことだった。カントーの効外フンヒェプの薬師禅院というお寺が火事になり、尼さん一〇人と坊さん二人合計一二人が焼け死んだ(僧侶と尼僧の数がテープと少し異なるが、同じ出来事について書いていることは間違いない)。
  このヒエンは、解放前にバクリュウ省のホンヴァン郡にいた僧で旧サイゴン政権のスパイ活動をしていた。地元の革命政権がこれを怪しんで警告したところ、ヒエンはカントーに逃げて来た。ここで合法的な仕事をすることにし、鍼と灸を勉強する一方、ヤシ葉で屋根を葺いた簡単なお寺も建てた。二年前の全土解放後もそのままこの寺にいたが、思想的に堕落・退廃していたため、寺の中で多くの尼さんと関係を持つようになり、寺にいた一〇人の尼さんのほか、近くの修道院の尼さんたちもあわせると、合計二六人を妻にしていた。寺の中で男の僧侶は彼の弟一人であった。このため大衆の支持を次第に失い、お布施がなくなって米も買えず、お粥を食べなければならなくなっていた。
  問題の日、ヒエンら一二人は夜七時ころから宴会を始めた。宴会は午前零時ごろまでつづき、その間麻薬と睡眠薬が使われたらしい。午前一時ごろ火事になった。近所の人が消火に集まったがすでにおそく、それにドアには鍵がかけられていた。ヒエン以外の一一人は、絶望的になった彼の自殺の巻添えをくったものと見られる。『この事件は解放のあとで外国に逃げた一部の反動的な僧侶たちによって絶好の利用価値がありました。特にパリに多い反動分子たちは革命に恨みを抱いていますから、このような単なる色事師の無理心中事件を、”集団焼身自殺事件“にでっちあげて声明を発表したのでしょう』
  ティエン・ハオ師は以上のように語った。」(『ベトナムはどうなっているのか?』百七十七―七十八頁)
  国難、法難に殉ずるための焼身自殺と、尼僧との性的関係を清算するための無理心中とでは天地の違い、これ以上の落差は考えることも難しいくらいだが、真実は一つである。どちらが本当なのだろうか。
  X記者の紹介する話はいかにもインチキ臭いではないか。「スパイ活動していた」「寺の中で多くの尼さんと関係していた」「合計二六人を妻にしていた」「宴会」「麻薬と睡眠薬」といった小道具からしていかがわしい。「大衆の支持を次第に失い、お布施がなくなって米も買えず、お粥を食べなければならなくなっていた」僧侶が「麻薬と睡眠薬」を用いて六時間に及ぶセックス・パーティに興じていたというのである。
  しかし何より問題なのは、X記者がこの重大な事実を確かめようとしないで、また確かめる方法もないままに、断定して書いていることである。共産ベトナムで報道の自由は当然に存在していない。X記者も「新生ベトナムと取材の自由」という文章のなかではっきりと確認している。
「残念ながら、その方法(現在のベトナムにおける取材の方法)は戦時下の『北ベトナム』における方法と全く同じか、あるいはそれ以上にきびしい取材制限下での『取材』であった。」(『ベトナムはどうなっているのか?』二六七頁)
  従ってカントーの事件でもX記者は現場に行かず、行けずに、この十二人の僧尼の運命について政府御用の仏教団体の公式発表を活字にしているのである。
  もちろん逃げ道は用意されている。X記者はこの部分を全て伝聞で書いている。彼自身のコメントはいっさい避けている。なんともなげやりな書き方ではないか。(同一〇行中略)
  あのX記者はどこへ行ってしまったのだろうか。アラスカとニューギニヤにつづいてベトナムでもX記者は、「足で書く」記者であったはずである。もちろん『戦場の村』の内容や方法についても批判は多い。しかしX氏は現場に行って事実を確かめたうえで「自分はこう思う」と自己を守ることができた。しかしグエン・バン・チュー政権への抗議は美化しても、共産ベトナムへの抗議は評価しないというなら、また取材の自由がないところでは確かめようがないから何でも書くことができると考えているのであれば、これは報道記者としての堕落である。いまX記者を「ハノイのスピーカー」と呼ぶ人がいるのも非難ばかりできない。(同六行中略)
  私はX氏が記者としての性根をすえて真実を探究しなければならないと思っている。誤りは人のつねといっても、誤るにも誤りかたがあるというもので、十二人の殉教を”セックス・スキャンダル“と鸚鵡返しに本に書いたというのでは言訳はできまい。X記者は筆を折るべきである。そしてもしこれが本当に”セックス・スキャンダル“であったというのであれば、私はX氏に詫びたうえで、ベトナムについての考え方を改めたい。僧尼がそんなふうでは自由なベトナムを回復するなどといったことは、とうてい望みがないからである。
三、Y3式改竄・歪曲のからくり
  以上のY3氏の文章だけ読むと、私(X)がいかに無責任でひどい記事を書いたものかと読者は呆れるであろう。しかしY3氏の文章がどんなにひどい代物かは、私の原著書『ベトナムはどうなっているのか?』(朝日新聞社)を読んで、Y3の”引用“(つまり改竄・歪曲)と比べてみるだけでも明白である。だが、本誌の読者の中にそんな比較をしてみる人など希有だろうから、このひどい改竄の実態に気づくこともめったになく、読者はY3氏によって騙されたまま現在にいたった。
  ではまず、先に引用したY3氏の文のうち、次の部分を再読していただきたい。
  ・・・これに対して私が、X記者の『ベトナムはどうなっているのか?』という本には「それは坊さんと尼さんのセックス・スキャンダルを精算するための無理心中と書かれている」と発言したからである。・・・
  すなわち私が「愛国仏教会」(統一ベトナムでの体制側、つまり革命政権に協力する側の仏教界組織)の説明として紹介した内容を、Y3氏はあたかも私自身の見解であるかのようにジャック師に伝えたのだ。こういう事をやりだせば、左翼の文章に右翼の意見が「書かれている」ことも、裁判長の判決や検事の論告の文章に被告人の意見が「書かれている」ことも普通だから、もはや引用のルールなど一切無意味になる。
  さらに、Y3氏はジャック師から聞いた話を紹介したあと、次のように「書いた」のだ。
  この事件について、X記者は「焼身自殺などというものとは全く無縁の代物」、「堕落と退廃の結果」であるといっている。少し永い引用がつづくが、比較のためにその部分を引いてみよう。
「事件は去年の六月一二日・・・・・・」
  これは恐るべき捏造(でっち上げ)である。私の原著書『ベトナムはどうなっているのか?』の一七七ページを見ていただきたい。「焼身自殺などというものとは全く無縁の代物」と言ったのは、愛国仏教会のハオ師なのである。この言葉は、わざわざカギカッコに入れて次のように私は「書いた」のだった。
  日本にもきたことのあるティエン・ハオ師は、この事件について私たちの質問に答えて、「外国に逃げた仏教徒が歪曲した宣伝をしていますから、事実をよく知って下さい。焼身自殺などというものとは全く無縁の代物です」として、ハオ師自身が事件の現場調査をした結果を以下のように明らかにした。
  右のようにはっきりとハオ師の言葉として引用したのだが、Y3氏はこれをそっくり私自身の言葉に改竄してしまった。「堕落と退廃の結果である」という(諸岡氏によれば)カギカッコつきの私の言葉など、もちろん原文のどこにも私の言葉としては出てこない。

 もともとこのY3式”引用“全体が、読者を欺くための実に巧妙な手口を使っている。Y3氏が「少し永い引用がつづくが、比較のためにその部分を引いてみよう」と書いてから、次のようにしてカギカッコで始まる長い部分を再読していただきたい。
「事件は去年の六月一二日・・・・・・」
  この引用は、終りの部分が次のようになっている。
『この事件は・・・・・・(中略)・・・・・・単なる色事師の無理心中事件を”集団焼身自殺事件“にでっちあげて声明を発表したのでしょう』
  ティエン・ハオ師は以上のように語った。」
  Y3式”引用“のからくりは、この私の引用の最後で「以上のように語った」という部分だけ収録し、引用の前にも私が書いている「以下のように明らかにした」は削除したところにある。このからくりの結果、ハオ師が語ったのは右のうち「二重カギの中」だけになってしまい、それ以外の長い「一重カギの中」は私自身の見解であるかのように化けてしまった。私の原著を読んでいないためにからくりの分らぬ読者は、ハオ師の語ったのはほんの七行の言葉だけと思わざるをえないし、従ってそれ以前の「事件は去年の・・・・」以下三九行は私自身の見解とみるだろう。このような恐るべき捏造的”引用“は、もはや明白な著作者人格権侵害であり、一般常識としても”犯罪“(違法行為)といわねばならぬ。
  しかも、同じ私の著書『ベトナムはどうなっているのか?』の二六八ページで、この焼身自殺事件についてわざわざ私は「私自身の直接的ルポとするわけにはゆかない」ことを明記している。すなわち私の意図は「発表モノ」を伝えただけであって、「現場へゆき、その周辺の人々から自由に話をき」(同ページ)かなければ真相は不明であり、その内容に私が責任を持つわけにはいかないことを、はっきりことわっておいた。それをY3氏は一切無視した上で、前述のような捏造を実行したのである。
  問題はY3氏にとってさらに深刻だ。これまでにY3氏が各所で発表してきた論文等を調べてみると、似たような改竄引用が珍しくないばかりか、本件訴訟の評論文の基礎たる録音テープ自体に改竄あるいは改竄引用の疑いが濃厚となったのである。
  すなわち、問題のテープを私がマン・ジャック師からとりよせたところ、同師の「確かにオリジナルのテープ」と明記された手紙とともに送られてきたテープ(A)には、Y3氏が書いている十二人の僧の氏名や木魚の音などが存在しなかった。そこでY3氏にテープの提出を求めると、それ(B)には十二人の僧の氏名があるものの「木魚の音」などはなく、BテープにないものがAテープにあるなど、もともと別々に編集されたテープである疑いがきわめて大きくなった。もっと異常なことに、Bテープとともに提出された被告側の検証指示(テープ内容の説明)がBテープとは異なったのである。Y3氏はテープに存在しない”音“を活字に創りあげたのだろうか。あるいはさらに別のCテープの存在をうかがわせるのである。このようなことでは、Y3評論の基礎となった録音テープ自体の改竄はもちろん、これがもともと真に事件を録音したものかどうかにさえ疑問を抱かざるを得ない。
  要するにY3氏は、右のような疑わしいテープだけをもとにして、しかも改竄”引用“した上で、それを基礎として私を非難・中傷する評論を発表したのだが、さらにそのさい私の原文も恣意的に改竄・歪曲を重ね、私の意図とはほとんど正反対のものにして読者を欺いたのである。
  このように重大な違法行為を犯した上で、Y3氏はジャーナリストとしての私の名誉・人格を極限まで毀損するつぎのような非難を加えた。
「誤りは人のつねといっても、誤るにも誤り方があるというもので、・・X記者は筆を折るべきである。」
  さらにY2氏は、改竄などの違法行為への訂正を求めた私に対し、原文を読むことさえ怠って私の要求を拒否しつづけた。
  以上によってY3氏への反論を終わるが、直接的にはY3氏が問題であっても、第一章で述べたように、最も見落としてはならないのは元編集長・Y2氏である。文筆業者の中には、編集者の意をくんで捏造や改竄した文章を書く者など、どの国にも存在する。しかしより大きな問題は、その虚偽や誤りが明らかであるにもかかわらず一切の訂正・反論を否定し、ジャーナリズムに確立している慣行を破壊したY2氏の不誠実な態度にある。さらには、そうした編集長を重用する株式会社文藝春秋にある。

別紙(四) 字句訂正表


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