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智恵子抄事件 最高裁平成5年3月30日判決
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【判例ID】   27815711
著作権登録抹消等請求事件
最高裁平四(オ)七九七号
平5・3・30三小法廷判決

       判   決
《住所略》
上告人 X
《住所略》
上告人 X1
右代表者代表取締役 X
右両名訴訟代理人弁護士 渡辺卓郎 藤原寛治 坂東司朗
《住所略》
被上告人 Y
  右当事者間の東京高等裁判所昭和六三年(ネ)第四一七四号著作権登録抹消請求本訴、同反訴事件について、同裁判所が平成四年一月二一日言い渡した判決に対し、上告人らから全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

       主   文

本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。

       理   由

 上告代理人渡辺卓郎、同藤原寛治、同坂東司朗の上告理由について
  本件編集著作物である「智惠子抄」は、詩人である高村光太郎が既に公表した自らの著作に係る詩を始めとして、同人著作の詩、短歌及び散文を収録したものであって、その生存中、その承諾の下に出版されたものであることは、原審の適法に確定した事実である。そうすると、仮に光太郎以外の者が「智惠子抄」の編集に関与した事実があるとしても、格別の事情の存しない限り、光太郎自らもその編集に携わった事実が推認されるものであり、したがって、その編集著作権が、光太郎以外の編集に関与した者に帰属するのは、極めて限られた場合にしか想定されないというべきである。
  そもそも本件において、光太郎以外の者が「智惠子抄」の編集に携わった事実が存するかをみるのに、所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、この認定したところによれば、(1) 収録候補とする詩等の案を光太郎に提示して、「智惠子抄」の編集を進言したのは、上告人Xの被承継人であり、龍星閣の名称で出版業を営んでいたa)(以下、単に「a)」という。)であったが、「智惠子抄」に収録されている詩等の選択は、同人の考えだけで行われたものではなく、光太郎も、a)の進言に基づいて、自ら、妻の智惠子に関する全作品を取捨選択の対象として、収録する詩等の選択を綿密に検討した上、「智惠子抄」に収録する詩等を確定し、「智惠子抄」の題名を決定した、(2) a)が光太郎に提示した詩集の第一次案の配列と「智惠子抄」の配列とで一致しない部分がある、すなわち、詩の配列が、第一次案では、光太郎が前に出版した詩集「道程」の掲載順序によったり、雑誌に掲載された詩については、その雑誌の発行年月順に、同一の雑誌に掲載されたものはその掲載順に配列されていたのに対し、「智惠子抄」では「荒涼たる歸宅」を除いては制作年代順の原則に従っている、(3) a)は、第一次案に対して更に二、三の詩等の追加収録を進言したことはあるものの、光太郎が第一次案に対して行った修正、増減について、同人の意向に全面的に従っていた、というのである。
  右の事実関係は、光太郎自ら「智惠子抄」の詩等の選択、配列を確定したものであり、同人がその編集をしたことを裏付けるものであって、a)が光太郎の著作の一部を集めたとしても、それは、編集著作の観点からすると、企画案ないし構想の域にとどまるにすぎないというべきである。原審が適法に確定したその余の事実関係をもってしても、a)が「智惠子抄」を編集したものということはできず、「智惠子抄」を編集したのは光太郎であるといわざるを得ない。したがって、その編集著作権は光太郎に帰属したものであり、被上告人が、光太郎から順次相続により右編集著作権を取得したものというべきであって、これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
  よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
最高裁判所第三小法廷
裁判長裁判官 坂上壽夫 裁判官 貞家克己 裁判官 園部逸夫 裁判官 佐藤庄市郎 裁判官 可部恒雄

上告代理人渡辺卓郎、同藤原寛治、同坂東司朗の上告理由
(凡例)
『智恵子抄』 第一審判決主文第二項記載の詩集『智恵子抄』
光太郎 高村光太郎
a) 第一審被告a)
第一次案 a)が独力でまとめ昭和一五年一二月頃光太郎に提示した、第一審判決付表2の「被告a)原案」欄記載の詩文綴り及びその内容順序表
原判決の引用 (二〇丁表〜裏)のようにして示す
第一審判決の引用 (第一審判決二〇丁表〜裏)のようにして示す
証言の引用 第一審における被告最終準備書面(昭和五六年二月一三日付)に掲記した方法と同一
『智恵子抄』の編集は高村光太郎(以下、光太郎という)によって行われたものであるとした原判決の事実認定には、以下の通り、理由不備ならびに判決に影響を及ぼす法令違背があるから、原判決は破棄されるべきである。
第一 「昭和一六年六月一一日以前に、光太郎が編集著作の決意をし、作業を開始した」との事実認定における理由不備、法令違背
  原判決は、「光太郎が智恵子に関する作品を編集著作することを決意した時期を『荒涼たる歸宅』が完成した昭和一六年六月一一日であるとみるのは不自然であるといわざるを得ない。そうであれば,光太郎による編集著作の決意の時期をそれ以前であると推認するほかない。すなわち、…同詩の制作の過程において、光太郎が、智恵子に関する作品を編集著作しようと決意し、或いは、右決意を契機として編集著作物に収録する意図のもとに同詩の制作に着手し、その制作と並行して、智恵子に関する作品の編集著作についての構想を練り、智恵子に関する自作の詩、歌、散文を全て検討して取捨を決め、推こうし、各制作年月日を確定し、配列を決定したものと認定することは経験則に照らして合理的というべきであり、かように認定すれば、光太郎は時間的な余裕をもって作品の取捨選択をすることが可能であったということができる」と判示した。
  上告人は、原審において、第一審判決が「光太郎は、昭和一六年六月一一日、…『荒涼たる歸宅』を制作するとともに、その頃智恵子に関する詩集を編集著作しようと決意し、同月一六日から二〇日ころまでの間に電話で被告を呼び寄せ」たが、「この時までに…智恵子に関する詩歌、散文を取捨選択、推こう、配列した」とした事実認定が、時間的な余裕の点からしても極めて不自然で、容認し難いものであると指摘した。 
  これに対して原判決は、上告人のこの指摘どおり、第一審判決この認定部分には不合理があって採用しがたいとしながら、今度は、本項冒頭に摘示したように、「光太郎による編集著作の決意の時期をそれ以前であると推認」し、「それ(上告人代理人注・『荒涼たる歸宅』の制作)と並行して、…編集著作についての構想を練り、…取捨を決め、推こうし、各制作年月日を確定し、配列を決定した」とし、「かように認定すれば、光太郎は時間的な余裕をもって作品の取捨選択をすることが可能であった」と判示したのである。
  しかし、この部分の原判決の事実認定には、以下の通り、理由不備、判決に影響を及ぼす経験則及び採証法則の違反がある。
一 理由不備、経験則違反
  本項冒頭の引用部分に明らかな通り、光太郎が自ら編集著作することを決意したとする原判決の認定は、「(その)時期を『荒涼たる歸宅』が完成した昭和一六年六月一一日であるとみるのは不自然であるといわざるを得ない。そうであれば、光太郎による編集著作の決意の時期をそれ以前であると推認するほかない」という論理操作によって導き出された結論である。
  しかし、「光太郎が『荒涼たる歸宅』の完成した昭和一六年六月一一日に編集著作を決意し、着手したとみるのは不自然である」という《与件》から、光太郎が「それ以前」に「編集著作の決意し、着手した」という《事実》の存在が必然的に認定可能になる(原判決の表現によれば、「そうであれば…するほかない」)という経験則は存在しない。すなわち、右の《与件》は、光太郎が決意し、着手したのは「その時期である」とすることと、その時期に「光太郎が決意し、着手した」とすることの、「両方の事実」の否定を包摂するものの、その《与件》からは、光太郎が決意したのは「それより前の時期である」とか、それより前の時期に「光太郎が決意した」という《事実》が直ちに導き出されることはない。なぜなら、「昭和一六年六月一一日に編集著作を決意したとみるのは不自然である」という《与件》が存在する場合、(1)「それ以前に決意し、着手した」という《仮定事実》以外に、(2)光太郎が決意し、着手したのは「それ以後の時期である」という《仮定事実》や、(3)そもそも「光太郎は決意したり、着手したりしなかった」という《仮定事実》も、成り立ち得るからである。このような《与件》と《仮定事実》の関係こそが経験則である。実際、原審において、右の第一審判決の認定部分の不合理を承認した被上告人は、光太郎の決意と編集作業の日時をもっと後のことであると主張したが(一四丁表〜裏)、これは、右の《与件》から(2)の《仮定事実》が成り立ち得ることを前提としてのことであるし、上告人の主張に対して原判決が前記のように判断を加えざるを得なかったのも、右の《与件》が(3)の《仮定事実》につながり得るものであったからであり、これらのことは、上告人が右に述べたことこそ経験則であることを明確に示している。そうだとすれば、光太郎の決意と作業開始を「『荒涼たる歸宅』が完成した…時期とみるのが不自然」という《与件》から、直ちに(すなわち、他の資料による裏付けをすることなく)、光太郎が「それ以前」に「編集著作を決意し、着手した」という、(1)の《仮定事実》のみが唯一の《事実》であると結論し(「そうであれば…するほかない」と判示し)、そのように「認定することは経験則に照らし合理的なものというべきであ」るとした原判決の事実認定方法にこそ、明らかな理由不備、経験則違反があるといわなくてはならない。
  そして、右の法令違背がなければ、(3)の《仮定事実》が検討され、それこそが事実であるとされる可能性も論理的に有り得るのであるから、右の法令違背が判決に影響を及ぼすものであることは明白である。
二 理由不備、採証法則違反
「光太郎が、昭和一六年六月一一日以前に、編集著作の決意をし、作業を開始した」という原判決の事実認定は、右一のような理由不備、経験則違反を措いても、次の通り、なんらの積極的な証拠の裏付けがなく、また、明白な反対証拠を合理的な根拠なしに無視しており、その判断方法には、理由不備、採証法則の違反がある。
1 「『荒涼たる歸宅』の完成」「以前に」、光太郎が編集著作の「決意」をし、「作業を始めた」ことを積極的に裏付ける証拠は、本件の全証拠のどこにも存在しない。
  だからこそ、被上告人は、「光太郎は、昭和一六年六月一一日ころ、…編集著作しようと決意し」、「同月一六日から二〇日ころ」「までに…取捨選択、推こう、配列した」との「原判決の…認定は誤りであ」るとしながら、その時点を後にずらし、「光太郎は、昭和一六年六月一六日か一七日ころ、『智惠子抄』の刊行を決意し、…その後、…作品の取捨選択、制作年月日の確定、配列の決定、…をし、七月前半、…完全原稿の資料をa)に渡した」と原審で主張するに至ったのである。もし、原判決のいうように、『荒涼たる歸宅』の完成以前に、光太郎が編集著作の決意をし、その作業を開始していたことを裏付ける資料が本件の全証拠の中に針の先ほどでも見出せるなら、被上告人が右のような主張をする筈がなかったのはあまりにも自明のことであり、この一点からしても、原判決の判断がまったく証拠に基づかないものであることを容易に知り得るのである。要するに、原判決は、第一審判決の覆いがたい矛盾を解消するために、被上告人や、どの光太郎研究者もこれまで発表したことのない、「それ以前からの編集」説なるものを、突然、独自に案出したのである。
  上告人は、原審において、「光太郎が編集著作を決意し、編集作業をした」とした第一審判決の事実認定が、証拠の裏付けを伴わないものであることを具体的に分析して指摘したが、そこでの指摘はすべて原判決の右の事実認定についてもあてはまる。繰り返せば、a)に対して智恵子に関する新詩集の刊行の許諾を与えた際の光太郎の行為のうち、詩集の成り立ちに関わりのある光太郎の具体的な行為として証拠上認められるのは、(1)「あれをやろうじゃないか」といってa)を呼んだこと(2)第一次案をa)に返還したこと、(3)作成年月日をその上に朱筆した五篇の詩及び『うた六首』の肉筆原稿、並びに『同棲同類』及び『美の監禁に手渡す者』が掲載された雑誌の切抜を編綴しないままa)に手渡したこと、(4)『人に(遊びじゃない)』を第一次案から削除することをa)に求めたこと、だけである。
  もっとも原判決は、第一審判決の認定事実のほか、「光太郎は、智恵子に関する全作品を取捨の対象とし」、「制作年代順の配列構成とし」たとの認定を加え、その非難を避けようとしているが、それらの認定にもまた、次に指摘する通り、理由不備と採証法則違反がある。
(一) 光太郎が全作品を取捨の対象としたという原判決の認定は、「…光太郎が作品すべてについて完全原稿を所持していたと否とにかかわりなく…自己の作品である以上当然その存在を認識し、取捨選択の対象としたものと推認して差支えない」という理屈による、たんなる推論である。
  ところで、当時光太郎が、『道程』(初版)を所持しておらず、前年一二月に刊行された『道程』(改定版)に際しても、編纂者・b)に対して資料不十分のために十分な教示ができなかったこと、現存する『全詩稿』にも『道程』(初版)時代の詩稿が欠けていること、などはすでに証拠によって明確となっている(この点の詳細については、控準(五)二〜二五ページ参照)。つまり、『智恵子抄』の刊行直前の頃、光太郎が自作の詩文のすべての資料を手元に完備していたとはとうてい認められないのである(前記のように、「完全原稿を所持していたと否とにかかわりなく」という前置きを原判決がせざるを得なかった理由もここにある)。
  右のように、当時、光太郎が自分の全作品についての資料を手元に完備していなかったとした場合、「自己の作品である」という《与件》からは、「そのすべての存在を認識し、取捨選択の対象とし得る」という《仮定事実》とともに、「一部の作品の存在や内容を忘れているなどして、取捨選択の対象とし得ない」という別の《仮定事実》も検証の対象にしなければならないことは自明である。事実、光太郎は、『道程』の頃の詩作に関して、「あの頃はむやみに詩を書き散らして、方々へ請われるままにやったので、もう記憶してゐません。むろんろくなものはなかったので、…『道程』に入れなかったやうな詩は全部すてるつもりのものです」と草野心平宛の書簡に書き、『道程』以後の詩稿類として現存する『全詩稿』の包みにも『他の雑文や詩稿は焼き捨てた』と読める覚えを書き記している。それにもかかわらず、原判決は、特段の資料もなしに、後者の《仮定事実》を無視し、前者の《仮定事実》のみが存在し得る唯一の事実であると「推認」したのである。しかし、『道程』に収録されず、手元の詩稿中にも存在しなかった『涙』、『からくり歌』、『金』などの古い詩についても、「光太郎がこれらの詩の存在を認識し、…(てい)たものと推認して差支えない」とするような事実認定は、右に掲げた各証拠に照らし、無謀だとしかいいようがなく、およそなんらの合理性がない。
  右の通り、なんらの合理的な理由もなしに、「光太郎は、自作だから全部の作品の存在と内容を記憶していて、その全部について取捨選択の対象としたと推認する」という原判決の事実認定方法は、高度の蓋然性のある《仮定事実》であってはじめて裁判上で《事実》とされるべきであるとの、正当な事実認定方法に違反し、理由不備(《仮定事実》を正当な理由付けなしに《事実》とした)、採証法則違反(《与件》に対する価値判断の誤り)の違法があるとされるべきものである。
(二) 光太郎が「制作年代順の配列構成とし」たという原判決の認定は、「光太郎は詩集における作品の配列を制作年代順とするのを原則としていた」という判断に基づいている。しかし、これは、従来の光太郎の配列方法と『智恵子抄』の配列方法の意義を混同した、まったくの誤解にもとづく判断である。
  すなわち、光太郎は、『智恵子抄』以前の自分の唯一の詩集である『道程』において、制作年代順に作品を配列したが、それは、違ったカテゴリーの作品をもあえて制作代順に並べるという方法であった。光太郎はこう書いている。「『道程』の構成がいわゆる詩集のやうではなくて、むしろ一種の雑綴のやうであるといふ人もあるが、その通りである。当時私は世人のいふ詩集といふ特殊観念に鼻もちがならず、(詩集にガラスの宝石を散りばめるといったやうな観念だ)ただ製作順に自己の詩を並べて注意深い読者におのずから筆者内面のエヴォリューションを見てもらはうとしたのである。…まるで違ったカテゴリイに属する詩篇も平気で並べたのである。…『道程』時代も今日も私の詩作態度は同じである」。光太郎の高弟を自認する草野心平も第一審でこう証言している。「原則として高村さんの詩集は創作年月日順に並べ、一つのグループに同じような傾向の作品を集めるというようなことでなしに…そのまま読者に見せたいと、何の飾りもなく見せたいという根本の観念をもっておられた」。繰り返せば、光太郎が『智恵子抄』以前に採用していた「制作年代順」という配列方法は、余計な構成を排し、違ったカテゴリイに属する詩篇をあくまでも「雑綴」のように並べることによって「注意深い読者におのずから筆者内面のエヴォリューションを見てもらはう」という明確な意図のもとに採用された方法であった。

 これに対して、『智恵子抄』における配列は、光太郎と智恵子の愛の世界を描き出すために、それに関わる作品だけを集めて構成したものであり、その目的のために採用された方法である。このことは、『智恵子抄』において、『荒涼たる歸宅』の詩の配列が製作年代順を崩して配列されている(各詩同志の構成上の配慮から配列が考えられていることがここに端的に示されている)ことによって、いっそう明白である。
  右に指摘した通り、光太郎が『智惠子抄』以前に採用していた配列方法と『智惠子抄』における配列方法とは、外見上は同じ「制作年代順」であっても、それが採用された目的と効果はまったく違っていて、『智惠子抄』のそれは、『道程』のそれについて光太郎が述べているのと対極に位置している。しかも、光太郎が、詩集の構成に想をこらすようなことは嫌っていたことも、右の光太郎自身の文章によって明白である。そうだとすれば、単に、『道程』と同じ制作年代順の配列方法が『智恵子抄』でも採用されているからといって、後者の配列方法が基本的に光太郎によって決定され、採用されたものであると速断することは決してできないのであり、したがってまた、『智恵子抄』でのこの配列方法をもって光太郎が『智恵子抄』の編集作業をした資料であるとすることは、証拠の価値判断につき重大な誤りを犯したものといわざるを得ないのである。
2 光太郎の手元に残されていた『荒涼たる歸宅』の詩稿には、その冒頭に、光太郎の署名がある。作品覚えのために手元に残しておくためだけの詩稿であるなら、この様にわざわざ自筆の署名を詩稿の冒頭に記入することはまず考えられない。事実、『荒涼たる歸宅』の一〇日後に制作された『事変はもう四年を越す』の詩稿にも詩稿の冒頭に光太郎の署名があるが、この詩は、雑誌『婦人之友』に発表するために送付されている。つまり、『荒涼たる歸宅』の詩稿上の光太郎の署名の存在は、この詩が作成された当時、光太郎がこの詩を他の雑誌などに発表しようとしていたことを証明している(被上告人側の証人北川さえ、第一審でこのことを認めている)。
  そうだとすると、原判決の判断に従えば、光太郎は、『荒涼たる歸宅』の詩の制作をしながら、これを他誌に発表することと、自分の編集物に収録してa)の龍星閣から出版することとを「並行して」計画していたことになる。
  ところで、光太郎は、昭和一七年(『智恵子抄』刊行の翌年)五月に、草野心平を通じて、『道程』(改訂版)の重版を拒否し(草野一五回五七丁裏)、その結果、翌一八年一一月に内容が改められた『道程』(再訂版)が刊行された。その間、『道程』(改訂版)では、続いて刊行された『智惠子抄』の収録詩二九篇中の一三篇が重複して収録されていたところ、『道程』(再訂版)では、「『道程』改訂版の中から他の詩集に収録されている詩篇を皆削除」するという方針のもとに、『智恵子抄』の収録詩と重複する詩一三篇のうち一二篇が削除された。また、昭和一八年一二月刊行の『記録』でも、同様の光太郎の姿勢が示されている。これらのことは、『智恵子抄』の刊行の前後の頃においても、光太郎が、自作の発表について、それが原稿の二重売りに等しい結果になるのを忌み嫌っていたことを明確に示している。
  右のことを考慮に入れると、光太郎が、他に発表を予定しつつ『荒涼たる歸宅』の制作を行い、それと並行して智恵子に関する詩集にも『荒涼たる歸宅』の詩を収録するつもりでいた、というのは不自然極まりない。それ故、『荒涼たる歸宅』の詩の制作をきっかけにして、光太郎が智恵子に関する詩集の刊行を決意したとか、同詩の制作と並行して智恵子に関する詩集の編集作業を開始したとか認定することにはなんら合理的根拠がなく、したがって、それをあえてした原判決の事実認定は採証法則に違反しているといわなくてはならない。
3 『道程』(改訂版)は、昭和一五年一二月に刊行されたが、翌昭和一六年四月二五日にその普及版が刊行されている。
  そして、右2の通り、『智恵子抄』では、その収録詩二九篇のうち一三篇が『道程』(改訂版)の収録詩と重複している。
  一方、その頃、光太郎が、内容の重複する複数の詩集の刊行に極めて消極的な姿勢を示し、『智恵子抄』との関連でも(『道程』(改訂版)から『道程』(再訂版)への内容変更)その態度に変更がなかったことも右2に述べた通りである。
  これらのことを総合すると、光太郎が、『道程』(改訂版)の普及版が刊行されたばかりの時期である『荒涼たる歸宅』の制作の頃に(完成は昭和一六年六月一一日)、収録詩の半数近くが重複する新詩集の編集作業を自ら開始した、というのは極めて不自然である。とりわけ、もともと「自著の出版に気乗り薄」で、「詩集を編むに就ても曽って一度も自ら傾倒的でなかった」光太郎の姿勢を考え合わせると、同人が、『智恵子抄』についてだけ突然別人のように、短時間のうちに(今回原判決がしてみせた時間設定(『荒涼たる歸宅』の制作の途次から六月中旬までの間)が短時間であることに変わりはない)編集作業に没頭したというのは、余程特段の資料が別に存在しなければ認め得ることではない。
  ところが、原判決は、特段の理由をまったく示すことなく、右のような重要資料を無視して、光太郎の編集著作の決意と作業の開始を認定したのであり、それは明らかに採証法則をも無視したものである。
4 右1ないし3の法令違背がなければ、原判決のいう時期に光太郎が『智恵子抄』の編集を行ったという原判決の事実認定に重大な疑問が生じることは明白である。とくに、前記1に指摘したような、およそ合理性に欠ける論法を駆使した事実認定方法を採用しなければ、不十分な資料しか手元に持たなかった光太郎が、原判決のいうような短時間のうちに、独力で、自作の全作品について取捨選択の検討をしたと認められることは絶対にあり得ない。前記の各法令違背が判決に影響を及ぼすことは明白である。
第二 「a)の行為は企画案ないし構想の提供にすぎない」との事実認定における理由不備、法令違背
  原判決は、a)の第一次案について、「客観的に見れば、第一次案は、これから編集著作される散文を含め新詩集の編集著作のための企画案…にとどまり」、「それは光太郎と智恵子の愛の世界を浮き彫りにするという編集著作という観点からは、企画案ないし構想の域にとどまるにすぎない」、「同案は光太郎に智恵子に関する作品を編集著作させるための企画案ないし構想の提供の域をでない」とし、「光太郎も第一次案をそのようなものと考えていたと推認される」と判示した。また、原判決は、第一次案提示後にa)が作品の収録についてした行為についても「企画案提供者として意見を述べたにすぎず」、その結果作品が収録されることになったことについても、「光太郎が…a)の進言を採用したものと認めるのが相当である」と判示した。
  これらの原判決の事実認定には、以下の通り、理由不備、判決に影響を及ぼす法令解釈・適用の誤り、経験則及び採証法則の違反がある。
一 法令解釈・適用の誤り
  原判決は、a)の第一次案の提示について、第一審判決がたんなる「素材」の「呈示」としたのを改め、前記の通り、それが「構想の提供」であり、かつ「『智恵子抄』と第一次案との構成、構想の点で共通するものがある」ことをも認めた。
  それにもかかわらず、原判決は、「『荒涼たる歸宅』のように後日制作された作品を除き、可能な限り、智恵子に関する作品全てを認識し把握したうえで、これら作品について必要な取捨選択を経て配列を完成するという作業がa)自身によりなされることがなにより先ず必要である」るが、「入手可能な全部の作品について取捨選択の検討を欠いたまま作成された第一次案をもって」は「企画案ないし構想の提供の域をでない」としか「評価できない」とした。
  しかし、右の原判決の判断には、編集著作物が成立する場合を不当に狭く限定した点で、旧著作権法(明治三二年三月四日法律第三九号)第一四条の解釈、適用を誤った違法がある。
1 編集著作権は、素材たる複数の著作物の選択、配列に創作性が認められる編集物について成立するものであるが(旧著作権法上では、編集著作権の成立については「適法要件」が必要であるが、いまは措く)、それがまとめられるにあたって、どの範囲から素材が選択されたかはなんら問われない。要は、その選択、配列に、それを構成する個々の著作物とは別の創作性が認められればそれで足り、旧著作権法第一四条の編集著作権が成立する。
  ところが原判決は、右に摘示した通り、旧著作権法第一四条の編集著作権が成立するについては、「可能な限り、…作品全てを認識し把握したうえで、これら作品について必要な取捨選択を経て配列を完成するという作業が…先ず必要であ」り、したがって、「入手可能な全部の作品について取捨選択の検討を欠いたまま作成された第一次案」は「企画案ないし構想の提供の域をでない」としたのであり、これは、誤って旧著作権法第一四条を解釈し、それを本件におけるa)の行為に適用したものである。
2 右1のような純然たる編集物一般についての議論としてでなく、「光太郎制作の詩歌等を集め、光太郎と智恵子の愛の世界を浮き彫りにしようとする編集物」に特定して編集著作権の成否を考察する場合でも、原判決のいうような、「入手可能な全部の作品についての取捨選択を経て配列を完成するという作業」が編集著作権の成立について「先ず必要であ」るとすべき理由はない。
(誤解を避けるために付言しておくと、上告人は、本件において、第一次案についての編集著作権の成立自体をここで問題にしている訳ではない。第一次案という具体的な編集物を提示したa)の行為が、『智惠子抄』の編集著作に関してどのような価値を持つと見るべきかを問題にし、その点の評価をする上で、「全部の作品について取捨選択の検討」が必要不可欠なのか、また、それだけで足りるのか、を論じているのである)。
  すなわち、たとえ「光太郎制作の詩歌等を集め、光太郎と智恵子の愛の世界を浮き彫りにしようとする編集物」であっても、まとめられた編集物それ自体にそのような性格が認められれば、それがどの範囲の作品から集められたものかはまったく問われる必要がないのは、右1の編集物一般についての場合とまったく同様である。要は、その選択、配列により、それを構成する個々の詩歌等とは別の、「光太郎制作の詩歌等を集め、光太郎と智恵子の愛の世界を浮き彫りにしようとする編集物」としての創作性が認められれば、それで足りる。したがって、その編集著作に関わる行為として評価し得るかどうかについても、その行為の結果に右のような創作性が認められるかどうかを検討する必要があり、かつ、それで足りる。
  ところが、原判決は、前記の通り、「入手可能な全部の作品について取捨選択の検討を欠いたまま作成された第一次案をもって、控訴人ら主張のような光太郎と智恵子の愛の世界を浮き彫りにしたものと評価することはできず、同案は、…企画案ないし構想提供の域を出ない」とした。すなわち,原判決は、a)の行為の結果生み出された第一次案が現実にどのような構成、内容表現になっているかをなんら具体的に検討することなく、かつ、第一次案が「入手可能な全部の作品について取捨選択の検討を欠いた」ということ(ただし、実際は、原判決のいうような重大な欠落が第一次案に存在したわけではない。そのことについては後述する)だけで、直ちに「光太郎と智恵子の愛の世界を浮き彫りにしたものと評価することはでき」ず、したがって、それを提供したa)の行為を『智恵子抄』の編集著作行為に関わるものと評価することはできないとしたのである。これは、旧著作権法第一四条の編集著作権の成否を検討するために必要な要件(提示された第一次案の創作性の有無)の検討を怠り、かつ、無用な要件(「全作品の取捨選択の検討」)を加えて結論を下したもので、同法の解釈、適用を誤ったものであることが明白である。
二 理由不備、経験則違反
  右一2に指摘した通り、原判決は、第一次案が現実にどのような構成、内容表現になっているかをなんら具体的に検討しないまま、それを独自に作り出して光太郎に提供したa)の行為を、「企画案ないし構想の提供」にすぎないとした。 
  しかし、第一次案は、「光太郎と智恵子の愛の世界を浮き彫りにする」という内容を表現していることが明らかである。原判決は、その内容を具体的に検討しなかったためにこれを見誤ったものであり、そのようにしてa)の行為を「企画案ないし構想の提供」にとどまるとした事実認定方法には、したがって、理由不備、採証法則の違反があるとされなくてはならない。
1 原判決は、「著作者が企画案ないし構想を提供する第三者の進言により、はじめて著作を決意し、その協力により著作物を完成するという経過をたどることは、決して稀ではな」いとしつつも、そのような第三者が完成した編集著作物について「素材の選択、配列による創作性」に寄与したと認められる場合には、編集著作者たり得ることは承認する(二八丁裏〜二九丁表の説示はこの理を含んでいるものと認められる)。
  そうだとすれば、原判決は、a)の第一次案提示行為が『智恵子抄』の編集著作の関わる行為と評価できるかどうかを判断するについて、第一次案に編集物としての創作性が認められるかどうか、その提示行為が『智恵子抄』の創作性とどのようにかかわっているか、を検討しなくてはならなかった筈なのに、まさにこれを怠ったのである。そこで、この点について以下に見る。
(一) 第一次案の収録作品が第一審判決添付の付表1の通りであったことは原判決も認めている。
  そして、その内容構成は本書末尾添付の表1の通りとなっている。それは、(1)光太郎と智恵子の求愛・恋愛時代の詩九篇、(2)同棲・結婚時代の詩八篇(ただし『樹下の二人』、『あなたはだんだんきれいになる』の二篇については、まだ正確な詩稿は収録されていなかった)、(3)智恵子の狂気時代の詩五篇、(4)智恵子の死についての詩一篇、(5)智恵子の没後の回想の詩二篇、(6)散文二篇によって構成されている。さらに詳細にその内容を見ると、
(1) 光太郎と智恵子の求愛・恋愛時代の区分に入っている作品では、不確かな恋の探り合い(『ーに』、後に『人に』と改題された)から始まり、恋の呼びかけ(『或る夜のこころ』)、恋する者の疑いと不安(『おそれ』)、外部からの迫害に立ち向かう決意(『或る宵』)を経て、二人の愛が確実になったよろこび(『郊外の人に』『冬の朝のめざめ』『深夜の雪』)と、ついに「あなたは私の半身」と呼ぶことができるまで(『人類の泉』)がうたわれ、光太郎と智恵子の出会いと恋の成就が描かれている。
(2) 同棲・結婚時代の区分に入っている作品では、確固となった愛への信頼と決意(『僕等』)、婚姻の喜び(『愛の嘆美』『婚姻の榮誦』)と本能の賛美(『晩餐』『淫心』)がうたわれ、充実した共同生活の様が描かれている。
(3) 智恵子の狂気時代の区分に入っている作品では、充実した結婚生活から一転して、狂気の妻とそれを疑視する光太郎の姿(『風にのる智恵子』『千鳥と遊ぶ智恵子』『値ひがたき智恵子』)、破綻を予感させたかって日の追想(『山麓の二人』)と時相(『或る日の記』)がうたわれ、緊迫した中に悲痛な美が描き出されている。
(4) 智恵子の死と(5)智恵子の没後の回想の区分に入っている作品では、命の瀬戸際に元の智恵子になったと信じ(『レモン哀歌』)、智恵子との永遠の愛を静かに確信する光太郎の姿(『亡き人に』『梅酒』)がうたわれ、光太郎と智恵子の愛の世界の完結が描き出されている。
  そして、(6)散文二篇は、以上の(1)ないし(5)の詩篇の解説的な役割を果たすものとなっている。
  すなわち、第一次案は、甘美な求愛・恋愛時代からはじまり、慈しみと理解に満ちた芸術作品、至福の抱擁の時と、それが次に用意された残酷な運命に引き裂かれる様、そして、智恵子の死の一瞬についに永遠の愛に昇華するまでを描き、智恵子の生涯をたどりながら光太郎と智恵子の愛の世界を浮き彫りにしているものである。これらは、第一次案の構成にそって収録作品を通読すれば、誰にでも容易に理解できる筈のことである。そして、第一次案をまとめるについてのa)の意図がそのようなものであったことは原判決も認めるところである。
  以上によれば、第一次案が、それを構成する個々の作品とは別の、光太郎と智恵子の愛の世界を浮き彫りにするという創作性を備えた編集物であることに疑問の余地はない(因みに、原判決のいう「第一次案が編集著作性を備えたものか否かについては「智恵子に関する光太郎の全作品から取捨選択して」構成されたものかどうかを問題にする必要がある」との理が根拠のないことは、右のような第一次案の実際の内容に照らしても、容易に判明する)。
  そして、a)は、このような内容を持つ第一次案を、光太郎に先駆けて、独力でまとめ上げ、内容順序表を添え、編集物の具体的な内容が認識できる状態で、その資料を光太郎に交付した。つまり、a)は、新詩集についての抽象的な「方針」や「考え方」を光太郎に伝えたのではなく、前記のような具体的な内容を持った創作性のある編集物を光太郎に提示(原審で述べた通り、「提示」とは、「あることをその場に持ち出して人にわからせること」の義であるー三省堂版「大辞林」)したのである。さらに、a)から第一次案の提示をうけた光太郎が、「反対のような、驚いたような顔をし、右資料を預か」ったことは原判決も認めている。新詩集についての編集方針と編集方法(すなわち、新詩集の創作方法)についてのa)の具体的な考え方がこの提示によって光太郎に確実に伝達されたことは、右によって疑問の余地がない。原判決は、以上のことを看過しているのである。
(二) 『智恵子抄』の収録作品は第一審判決添付の別紙第一表の通りであり、その内容構成を第一次案と対比してみると本書末尾添付の表2の通りであり、これによって次のことがわかる。
  全体的な構成という点においては、作品数では、第一次案が詩二五篇と散文二篇から構成されているのに対し、『智恵抄』は詩二九篇、『うた六首』および散文三篇から構成されていて、『智恵子抄』では詩篇の数において四、散文の数において一の各増加と、『うち六首』が付け加わったという相違があるにすぎない。収録作品の重なり具合では、『智恵子抄』の二九篇の詩のうち二二篇、散文三篇のうち二篇が、それぞれ第一次案にすでに収録されている。
  収録作品の配列という点においては、作品のジャンルごとの並べ方では、第一次案、『智恵子抄』の双方とも、詩を前に、散文を後に置き(ただし、『智恵子抄』においては詩と散文の間に『うた六首』があらたに置かれている)、各詩の構成によって示される世界の解説的な役割が散文に与えられている(『智恵子抄』において、散文の前に『うた六首』が置かれたことによっても、散文のこのような構成上の役割に変化は見られない)。作品のジャンル別の並べ方では、第一次案では、詩は制作年月(日)順(これが不明なものは発表誌での掲載順)に、散文は、そのいずれの順にもよらずに、内容に応じて位置が決めてあるのに対し、『智恵子抄』では、詩は、『荒涼たる歸宅』の一篇が制作年月日順を崩して配列されているほかは、第一次案と同じ配列方法で並べられており、散文も、第一次案と同じく、内容に応じて位置が決めてある。
  第一次案と『智恵子抄』の双方で、収録作品の中核をなしている各詩の構成内容の詳細を対比すると、先に見た通り、第一次案では、(1)光太郎と智恵子の求愛・恋愛時代、(2)同棲・結婚時代、(3)智恵子の狂気時代、(4)智恵子の死、(5)智恵子の没後の回想、の区分に従って各詩が収録、配列されているのに対して、『智恵子抄』の作品の収録、配列方法についても同様の区分が可能である。その詳細な対比についてさらに見ると、
(1)光太郎と智恵子の求愛・恋愛時代の区分に入っている作品では、第一次案の九篇の詩のうち『人に』(遊びじゃない)が『智恵子抄』では削除されている以外、収録作品、配列ともに異動はない。そして、『人に』(遊びじゃない)の削除によっても、第一次案に見られる、その時期特有の二人の心情を描き出している点は、『智恵子抄』においてもなんら変わりはない。
(2)同棲・結婚時代の区分に入っている作品では、『智恵子抄』においては、第一次案の八篇の詩のうち二篇(『婚姻の榮誦』『淫心』)が削除され、あらたに五篇の詩(『狂奔する牛』『鯰』『夜の二人』『同棲同類』『美の監禁に手渡す者』)が加わり、都合一一篇となっている。しかし、『婚姻の榮誦』と『淫心』の二篇の削除は、時局を慮って光太郎が希望したものであり(原判決もこれを認めている)、詩集の構想や構成方法のうえでそうされたものでないから、その削除によって、この区分で描き出されている充実した共同生活の様は、『智恵子抄』でもとくに損なわれていない。また、あらたにこの区分に加えられた五篇の詩のうち、光太郎の発案によるものは『夜の二人』、『同棲同類』、『美の監禁に手渡す者』の三篇であるが(『狂奔する牛』『鯰』の二篇がa)の発案に基づいて『智恵子抄』に加えられたことは原判決も認めている、それによって、『智恵子抄』では光太郎と智恵子の芸術生活の様がよりよく理解できるようになってはいるものの、第一次案のこの区分で描き出されている世界に格別の変動は生じていない。とくに、a)が加えることを発案した『鯰』の詩と、光太郎が加えることを考えた『夜の二人』、『同棲同類』、『美の監禁に手渡す者』の三篇の詩は、その感覚において近似しており、このことは、この三篇が加わることによってこの区分の構成が第一次案でa)の構想したものと異質なものに変わったのではないことを証明している。
(3)智恵子の狂気時代の区分に入っている作品では、『智恵子抄』においては、第一次案の五篇の詩に一篇(『人生遠視』)が加わったのみであり、その配列も第一次案と同様に、制作年月日順に従って挿入されている。この区分での白眉である、『風にのる智恵子』、『千鳥と遊ぶ智恵子』、『値ひがたき智恵子』の三篇を機軸にして描かれている悲痛な世界は、第一次案でも『智恵子抄』でもまったく同じである。
(4)智恵子の死と(5)智恵子の没後の回想の区分に入っている作品では、『智恵子抄』においては、第一次案の三篇の詩に一篇(『荒涼たる歸宅』)が加わっている。その配列は、『荒涼たる歸宅』が制作年月日順を崩して挿入されているものの、他の三篇同志の配列は第一次案のままである。『荒涼たる歸宅』の詩は、叙事的には、智恵子の病院での死去(『レモン哀歌』)とその後の追想(『亡き人に』『梅酒』)の間を埋めるものであるが、この区分での構成上のテーマとなっているのは、死の瀬戸ぎわに元の智恵子になったと信じる光太郎が、智恵子との永遠の愛を確信するにいたるところにある。そのテーマの上からすると、『荒涼たる歸宅』の詩は、これだけがとくに重要と見るべきものではない(前記第一、二、2に指摘した通り、もともと、この詩が他所に発表する予定で制作されたとみられることは、この区分でのこの詩の構成上の意義が右のようなものであることを首肯させる)。要するに、『智恵子抄』において、『荒涼たる歸宅』の詩一篇が加わったことによっても、第一次案でのこの区分の構成上のテーマからの異動は見られない。以上のことはすべて、専門的な立場からの検討を待つまでもなく、第一次案と『智恵子抄』とを対比して見れば容易に知り得ることである。
  右に見てきた通り、第一次案と『智恵子抄』とは、ともに、収録作品の中核をなす詩についてともに編年体的な配列を採用することにより、光太郎と智恵子の愛の世界が始まり、育ち、やがて完結する様を描いたものであり、詩集の構想と構成方法を共通にしていることが分かる。また、第一次案と『智恵子抄』とで、収録作品の大半が重複しているうえ、『智恵子抄』において、いくつかの詩篇が、第一次案から削除されたり、加えられていても、第一次案において叙事的順序でいくつかの段階ごとに描き出されている世界が特段の変動を遂げているようなこともない。すなわち、第一次案と『智恵子抄』とは、その編集物としての創作性において同質、同内容であることが明らかである。
  原判決は、わずかに、「第一次案における作品の配列は作品の内容感を考慮したと評価し得るようなものではない」と、第一次案と『智恵子抄』とでは作品の配列、構成に質的な違いがあるかに思わせるような判示をしているが、それとても、両者の客観的な内容を具体的に比較検討して述べた結論でないことは判文自体からも明瞭であり、前記のような、両者の創作性の共通という事実を見逃していることに変わりはない。
(三) 右(一)及び(二)によれば、a)が第一次案で作り出した編集物としての創作性は、他に特段の理由のないかぎり、『智恵子抄』に引き継がれたと見るのが合理的な事実認定というべきである。
  こう見ることは、第一次案の提示を受けた光太郎が新詩集の刊行を許諾してから後に、さらにa)が『狂奔する牛』、『鯰』の二篇の詩及び散文『九十九里の初夏』を追加して採録することを発案してこれが実現した事実(原判決もこの経緯を認めている)によって、さらに補強される。すなわち、a)自身の創見により、光太郎が自分で校閲した編集物にあらたな作品が追加収録されたことは、その編集物にa)の創意が反映していることを具体的に示すものだからである。
2 以上に対して、原判決は、「『智恵子抄』と第一次案との構成、構想の点で共通するものがあるとしても、a)の第一次案による進言の趣旨が、光太郎による智恵子に関する作品の編集著作にある以上、あえて異とするに足りないところであり、『智恵子抄』の編集著作権者がa)であると認める根拠となるものではない」と判示する。すなわち、原判決は、a)の第一次案の創作性も、それと『智恵子抄』の創作性の本質的な部分での共通性も、なんら具体的に検証せずに(それにしても、「構成、構想の点で共通」していることまでは認めている)、a)の行為は『智恵子抄』の編集著作に関わる行為と評価できないとしたのである。
  しかし、いま問題なのは、a)の第一次案の作成と提示等の行為が「企画」ないし「構想」についてのたんなる「進言」にすぎないのか、それとも『智恵子抄』の編集著作行為に関わるものと評価し得るものかであり、そのいずれであるかを決するには、出来上がった第一次案と『智恵子抄』の両方について創作性に共通するところはないか、共通するところがあるとした場合、それは前者の創作性に由来するものか否かを検討することにおいてほかにない。ところが、原判決は、第一次案の提示等のa)の行為を「進言」にとどまると先に決め付けておいて、だから両者の「構成、構想の点で共通するものがあるとしても、…異とするに足りない」としているのであり、その論理は逆転している。その論法では、第一次案に編集物としての創作性がないとか、『智恵子抄』の編集物としての創作性が第一次案のそれと共通していないとか、共通性があってもそれは第一次案の提示等の影響を受けたものではないとかの、a)の行為が「進言」にとどまると評価するのに必要な根拠となる点が、なんら論証されないのは自明の理である。同時に、原判決は、折角、第一次案と『智恵子抄』とで「構成、構想の点で共通」していることに目を向けながら、そのことを出発点として、その共通性がa)による第一次案の創作性に由来するものかどうかという、重要な論点についての審究を怠った。原判決は、編集著作行為の判断方法として二重の過ちをここで犯している。
3 さらに、原判決は、入手が容易であった作品が第一次案に収録されなかったことをもって、a)の第一次案提示行為が「企画案ないし構想の提供の域を出ないものというほかない」と判示する。
  しかし、容易に入手可能な作品を見逃したという事実だけから、a)の行為が「企画案ないし構想の提供の域を出ないもの」と一足飛びに結論するのは、編集著作行為についての解釈方法として正当ではない。たしかに、一般論として、安易な素材の寄せ集めの結果が、その後の他者の行為によって変様した場合に、完成した編集物についての先行行為の著作性が否定される場合も有り得るであろう。しかし、そのようなケースでも、先行行為の評価は、完成した著作物の実際の内容との関係において具体的に検討したうえで決定されるべきことに変わりはない。そして、たとえ、先行行為が安易な素材の収集方法をとったにすぎない場合でも、それが完成した著作物の創作性の形成に関してなお意義を有している限り、その先行行為は完成した著作物に関する著作作為として評価されるべきであり、
反対に、そのようなケースにあっては、安易な素材の収集方法のゆえだけから、その行為の著作性が否定されるべきではない。したがって、本件においても、『智恵子抄』についてa)の行為が著作性を有するかどうかは、『智恵子抄』そのものに表現されている創作性とa)の行為との関わりを検討すれば足り、反対に、原判決のように、「容易に入手可能な作品を見逃した」という観点だけから『智恵子抄』についての著作性を否定しようとするのは、とうてい正当な判断方法とはいえない。
  そして、『智恵子抄』に関して、実際の収録作品に則して見た第一次案との関係は前記1(二)に指摘した通りであった。
  いま一度要約していえば、第一次案提示後、光太郎の教示に基づいて加えられ『智恵子抄』に収録された詩は、前記の(2)の区分に入っている『夜の二人』、『同棲同類』、『美の監禁に手渡す者』の三篇、(3)の区分に入っている『人生遠視』の一篇、(4)の区分に入っている『荒涼たる歸宅』の一篇、合計五篇であり、しかも、『荒涼たる歸宅』はいまだ未発表のものであったから、a)が第一次案に収録しなかった「容易に入手し得た」『智恵子抄』収録作品は、二九篇の全収録作品数中、四篇(第一次案では正確な詩稿をa)が知らなかった『樹下の二人』、『あなたはだんだんきれいになる』の二篇をこれに加えても六篇)ということになる。つまり、収録作品の量的な面から見ると、『智恵子抄』に収録されている詩二九篇から第一次案後にa)の提案によって選択された『狂奔する牛』、『鯰』の二篇の詩を除いた二七篇のうち、その七八パーセントにあたる二一篇の詩が第一次案ですでに採録され、そのまま『智恵子抄』に引き継がれている。これに、『狂奔する牛』、『鯰』の二篇の詩を加えて考えると、a)が収録の意向を示し、現に『智恵子抄』に収録された詩の数は、全収録詩二九篇中二三篇、八〇パーセントにのぼる。『智恵子抄』の散文はすべてa)の選択にかかるものであるが、第一次案に収録されたものに限っても、『智恵子抄』における三篇中の二篇を占める。
  また、第一次案で選択され配列された各詩は、『智恵子抄』の上での各構成区分でもほぼ同様の役割を果たしている。反対にいえば、それ以外の六篇の詩が挿入されることにより、『智恵子抄』での構成区分ごとに示されている世界が第一次案のそれとは別異なものとなったと到底認められないことも前記の通りである。
  そうだとすれば、「容易に入手可能な作品を見逃した」かどうかに関わりなく、a)の第一次案作成と提示行為は『智恵子抄』の創作性に関わるものと評価されるべきであり、反対に、「容易に入手可能な作品を見逃した」という事実だけから、a)の第一次案の提示が「企画案ないし構想の提供の域を出ないもの」と一足飛びに結論した原判決が編集著作行為の判断方法として正当性を欠き、その結果、a)の行為の評価を誤ったものであることは明白である。
4 右1ないし3に詳述した通り、第一次案の作成と光太郎への提示を中核とするa)の行為について、それが「企画案ないし構想の提供」にとどまり、『智恵子抄』の編集行為と評価することはできないとした原判決の判断は誤っている。
  すなわち、その事実認定は、一方において、第一次案に示されている編集物としての創作性と『智恵子抄』の創作性との共通性並びにそのような創作性の共通性とa)の行為とのかかわりについての検討を怠り、その結果、『智恵子抄』の創作性がa)の行為の創作性に由来するものであることを看過した(右1項)。
  また,その事実認定は、他方において、編集著作行為に当たるかどうかの評価が具体的な編集物との関わりでなされるべきであるのに、「進言」があったのだから「当然」であるとして、第一次案と『智恵子抄』とで「構成、構想の点で共通」している理由を具体的に審究することを怠っている(右2項)。 
  さらに、その事実認定は、「容易に入手可能な作品の取拾選択の検討を怠っている」との観点のみから編集著作行為にあたるかどうかの評価をし、具体的な編集物との関わりにおいて行為の実質を評価することを怠り、その結果、a)の行為の評価を見誤った(右3項)。
  以上のような原判決の事実認定方法は、理由不備(右2項)、重要な証拠を合理的な理由なしに無視した採証法則違反がある(右1項および3項)。そして、この採証法則違反が判決に影響を及ぼすべきものであることは右に要約したことによっても明白である。
第三 光太郎の行為を『智恵子抄』の編集行為と評価した事実認定についての法令違背
原判決は、
「(第一次案は)企画案…にとどまり、光太郎も第一次案をそのようなものと考えていた」

「光太郎は…智恵子に関する全作品を対象に取捨選択して整理…」、
「編集に着手しそれを進め」、
「智恵子に関する自作の詩、短歌、散文を全て検討して取捨を決め」、
「全体を詩、短歌、散文の順で配列することとし」、
「例外を除き制作年代順の配列構成とし」、
「配列を決定した」
「光太郎が作品の追加を指示し」、
「a)の進言により追加し」、
「出版業者としてのa)に原稿整理をさせ」、
と、光太郎の行為を認定した。
  しかし、その認定方法には、以下の通り、理由不備、判決に影響を及ぼす採証法則の違反がある。
一 基礎資料との矛盾ー採証法則違反
  右に掲げた各認定事実を示す直接証拠がまったく存在しないことは、上告人が、原審以来、詳細に指摘し、本上告理由書第一でも主張した通りである。すなわち、原判決のこの点についての判断は、すべて推認であり、解釈であるにすぎない。
  しかし、その「推認」や「解釈」は、次の通り、『智恵子抄』に関する基礎資料と矛盾しており、この矛盾を無視してなされた認定は到底合理性があるとはいえず、採証法則に違反するものというべきである。
1 「光太郎が自己の全作品を対象として取捨を決めた」という認定の前提となる。全作品の所持の事実がそもそも認められない(前記第一、二、(一)参照)。
2 第一次案が光太郎と智恵子の愛の世界を描き出したものであることはそれ自体によって明白であるから、その編集物としての創作性を、提示を受けた光太郎自身が直ちに知り得たことは疑問の余地がない。前記の通り、光太郎が「反対のような、驚いたような顔をし、右資料を預か」ったことは、そのことを示している。それにもかかわらず、光太郎が、その資料についてたんなる「企画案…にとどま(る)…ものと考えていた」というのは、右の資料に創作性があり、光太郎がそのことを認識していたという前提と矛盾する。
3 第一次案に収録された作品以外に、光太郎が独自に収録を望んだ詩篇は、わずか四篇にすぎない(前記第二、二、3参照)。
  しかも、第一次案ですでに採用されている配列方法と『智恵子抄』での配列方法には基本的な相違がない(前記第二、二、1(二)参照)。
  光太郎が、第一次案に示されている創作性を認識しながら、右のような程度、内容の行為をすることによって、「自分はa)と別のものを作るのだ」と考えたと推認したり解釈したりするのは、不合理以外のなにものでもない。
二 認定事実同志の矛盾ー理由不備
1 第一審判決は、「被告から右のような構想を提示(原判決が「呈示」から訂正した)され、かつ、種々説得を受け…光太郎が被告主張のような構想に基づき、意識的に作品を収集、取捨選択し、配列を決定した」と判示し、原判決もこれを踏襲している。また、第一審判決によって、光太郎が「第一次案に対して…修正増減」の作業をしたとされている点も、原判決で容認されている。これによれば、『智恵子抄』の構想は第一次案に示されている構想そのものであり、光太郎の作業も第一次案を基礎にして行われたことになる。

 そうだとすれば、原判決が他方で、光太郎が独自に編集方針をたて、第一次案とは別個に作品の取捨選択をしたかのように判示したことは、前後矛盾する認定であり、理由に食い違いがあるといわなくてはならない。
2 原判決は、「第一次案における作品の配列は作品の内容感を考慮したと評価し得るものではない」と判示して、そのことも、『智恵子抄』の作品の配列が光太郎の編集方針によったものであるとする理由の一つとした。
  しかし、『あどけない話』の一篇を除く他の第一次案収録詩の全部の配列順序は、すでに再三触れたような新詩集の構想をa)から提示され、これを承認した光太郎の校閲を経て『智恵子抄』になった段階においても、まったく変更されていない。このことによると、第一次案の収録作品の配列が基本的に叙事的順序(内容順)によっていることが認められる。
  そして、第一次案の配列自体はa)によって独自に行われたことは原判決も認める通りである。
  したがって、a)が作品の内容から看取したところに従って第一次案での配列を決めたと見ることはなんら不自然なことではない。
  原判決の前記判示は、第一次案に収録される以前の作品の在処だけに気を取られ、第一次案の配列をa)が決定し、そこでの配列方針が『智恵子抄』においても基本的に採用されているという、肝腎の事実を見落し、それと矛盾する認定をしたもので、不合理である。むすび
『智恵子抄』以前に、『道程』に収録されたり、その他の場所に断続的に発表されていた光太郎の恋愛詩の一つひとつは、『智恵子抄』以前においては、光太郎の詩の主流をなすものとは評価されていなかった。しかし、ひとたび『風にのる智恵子』を読んだa)にとっては、これらの詩を含む光太郎と智恵子にかかわる詩が、稀有な愛の世界を描き出すものと直感された。『道程』時代の詩の稚拙さまでが、終局までの愛情の強さ、誠実さにつながるものと受けとられた。
  すでに『智恵子抄』以前において、a)が独特の編集能力を発揮し、その活動の一端を光太郎も知っていた。
  そのa)が、感動的な愛の世界を描いた新詩集をなんとか自分の手で世に送りたいと、「できている感じのもの」にまでまとめたのが第一次案であった。その構成は、『道程』時代の詩まで取入れて、光太郎と智恵子の愛の世界を叙事的順序で描き出したもので、第一次案の提示をうけた光太郎でさえ、意外の感を示すほどのものであった。
  こうして、『智恵子抄』は、a)が第一次案によって示したのと「構想と構成方法」を「共通」にして作成され、世に送り出されたのである。
  原判決のいうように、第三者のすすめによって著者が著作を行うことは世上ままあることである。しかし、それだけに止まらず、作品の創作性にかかわる部分にまで第三者の行為が及ぶことも当然にあり得ることである。しかるところ、『智恵子抄』は、それに相応しい感覚と能力を持った一編集者の努力の賜物である創作物(第一次案)が機軸となって生み出されたものである。したがって、本件を判断するについては、前者の例が多いとの予断や、安易な「推認」を離れ、実態に則した誠実な「評価」がなされなくてはならない。それこそが、「亡妻智恵子に関する私の三十餘年間の詩歌を集めて一冊にまとめ、『智恵子抄』と名づけて上梓、先年ひろく世上にすすめてくれたのは、龍星閣主人a)氏であった。」とおおやけに書き残し、a)の立場を守り続けた光太郎の態度の真実を検証する唯一の方法である。
  しかるに、原判決は、一面では、『智恵子抄』の「構想や構成方法」が第一次案と「共通」していることや、光太郎の検証が「第一次案に対する修正増減」という方法で行われたこと、さらには、光太郎が示した「修正増減」の後に、さらにa)が作品の追加を申し出てそれが実現したことまで認めながら、他方、それらのa)の行為の著作性(創作性)を評価するのには臆病であった。しかし、具体的な形を伴って行われた「構想と構成方法」の提示とは、編集方針の提示そのものである。編集方針こそ、素材の選択、配列の創作性を決定するものであり、それゆえ、編集方針を決定した者は編集著作物の著作者とされる(東京地裁昭和五五年九月一七日判決、判例時報九七五ページ)。原判決の右の「評価」方法は、言葉の上で「構想の提供」と編集方針の伝達とを分けてみせ、前者は著作行為とはいえないとしたものであるが、しからば、本件の実態に則して、どこからが創作性を帯びた編集方針の伝達と評価されるのか。その判断の基準たるべきものは原判決にはなにも示されておらず、その場かぎりの合理性に欠けた判断方法と評さざるを得ない。
  最高裁判所におかれては、以上の点を基本にして慎重に判断されるよう、切望する。
表1(a)が構成した第一次案の内容区分)
表2(第一次案と「智恵子抄」との内容区分の対比)


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